反忠臣蔵
赤穂浪人の討ち入りは、義挙ではない!
序章
「喰らえっ!」
上段からの斬り下ろしがきた。
それを左に払って、ガラ空きになった首筋へ小太刀を一閃させる。
瞬間、敵の首筋から勢い良く鮮血が噴き出す。
「貴様ッ!」
間を置かず、二人目の敵が斬りかかってくる。
右からの薙ぎを小太刀で受け止め、ほぼ同時に、左背足で敵の股間を蹴り上げる。
「がぁっ!」
怯んだ敵に、左拳を顔面へ叩き込む。鼻血が出た。
止めに、首筋を小太刀でスパッ! またも、鮮血が噴き出した。
「おのれっ!」
三人目が、袈裟がけに斬りつけてくる。
それを受け流して、右首筋をビュッ! と薙ぐ。これまた、鮮血が噴き出した。
「全く。赤穂のキチガイどもが、逆恨みしやがって」
戦闘終了。オレは懐紙で愛刀を丁寧に拭い、鞘に納める。
――オレの名は、山吉新一郎。三十石五人扶持。吉良家小姓。
当然、赤穂の浪人とは仲が悪い。というより、犬猿の仲だ。
というのも、播磨国赤穂藩の三代目藩主・浅野内匠頭が乱心して殿中で吉良上野介様に斬りかかり、赤穂藩がお家断絶となったためだ。
そういうのを、逆ギレという。吉良家としては、迷惑千万である。
今回の斬り合いも、オレが吉良家の家人というだけで、いきなり元赤穂藩士という三人組から、斬りつけられたのだ。
全く。食い詰め浪人というのは、質が悪い。
要は難癖を付けてオレを斬り殺し、懐の金子をせしめようとしたのだ。仇討ち云々というのは、ただの方便に過ぎない。
今回の斬り合いで、愛刀である無銘の小太刀がわずかに刃毀れしてしまった。後で、研ぎに出しておかねば。
今斬った三人の刀を売り払って、研ぎ代に替えるとしよう。
天下泰平の元禄の江戸で、斬り合いなんてそうそうない。オレほど、刀を何度も研ぎに出している人間も珍しいだろう。
おかげで、研ぎ屋とはすっかり顔馴染みになってしまった。正直、安月給の身には堪える。
まあ。斬れば斬るほど、剣の腕は上がるのだが。
今の世でオレほど人を斬った人間は、高田馬場の決闘で勇名をはせた、堀部安兵衛くらいのものではなかろうか。
ああだこうだと考えている間に、両手には三組の大小(本差と脇差)。少し重い。
辺りが暗くなり始めている。どこからか、烏の鳴き声が聞こえた。
オレは溜め息を吐きながら、本所にある吉良邸に向けて歩き出した。
清水一学
生類憐れみの令。
五代目将軍の徳川綱吉が定めた天下の悪法で、それがために、今の江戸では野良犬に噛み殺される人間が多い。
それでも、江戸の住人は犬と関わり合いになりたくないので、噛み殺されても病死として届けを出している。世も末とは、このことだ。
赤穂の浪人どもも、どうせ噛みつくなら吉良家ではなく、お家断絶という裁きを下した幕府に噛みつけばいいのに。結局、野良犬は噛みつき易いほうに噛みつく、ということか。
「って、おい。聞いてんのかよ、一学」
元禄十四年九月の夜。オレは吉良邸内の一室であぐらをかいて冷酒を飲みつつ、同僚の清水一学と話をしていた。
――清水一学。オレと同じく、吉良家の小姓。二刀流の使い手で、江戸でも屈指の強者。
吉良家の中でオレとまともに斬り合えるとしたら、この一学くらいのものだろう。長身で、ちょい美形ヅラ。
「だいたい、アホだろ内匠頭は。小刀で殺るなら、突くだろ普通。それを斬りつけるとかよぉ」
グイ、とオレは冷酒をあおる。
「それに。赤穂藩が断絶した時、百姓は重税から開放されて、餅ついて祝ったそうじゃねーか」
「らしいな」
一学もちびりと、冷酒をあおった。
「それ考えりゃ、上野介様は感謝されてもいいぐらいだろ。それなのに、呉服橋から本所へ屋敷替えなんて。怪我までさせられてんのに」
内匠頭からいきなり斬りつけられ、肩と額に刀傷が一つずつ。
加えて。呉服橋の屋敷はまだ、新築三年だったのに。
「お前の憤りは分かるが、まあ落ち着け」
一学も、不満は感じているだろうに。常に冷静な男である。
そんなところがまた、オレを苛つかせる。自然と、深い溜め息が漏れた。
「そんなに溜め息ばかり吐いていると、運が落ちるぞ」
「余計なお世話だ」
オレは再び、冷酒をあおった。クソッ、不味い! 憂さ晴らしにもならない。
「そもそも、殿中で刀抜くとか有りえねーだろ。そんな真似したら、切腹とお家断絶が確定なのによ」
それがために、赤穂藩士は路頭に迷うハメに陥ったのだ。
「内匠頭の親戚も刃傷沙汰をやらかして、お家断絶になってるらしいな」
「ああ、内藤家か。全く、迷惑な血筋だよ。キチガイってのは、伝染るのかねェ」
だから、主君がキチガイなら、家臣もキチガイになるのか?
「だいたい、内匠頭と言えば、短気とケチで有名だったヤツだろが。そんな暗君の仇討ちやろうってヤツらの、気が知れんぜ」
「まあ。食い詰め浪人ってのは、得てしてヤケクソになり易いものだからな」
今の世で、武士が浪人に成り果てるのは単なる失業とは違う。なぜなら、浪人は肉体労働に従事してはならない。バレたら、罪人となって牢屋行き。
つまり浪人になるのは、極貧生活確定と同義なのだ。
馬鹿な上司を持って、悲惨な境遇に陥っているという一点においては、赤穂浪人に同情しなくもないが……。
「けど。ヤケクソになるのは勝手だが、巻き込まれるこっちは堪ったもんじゃねェだろ。逆恨みで仇討ちとか言ってないで、真面目に就活でもしてろってんだ」
冷酒が切れた。オレは襖を開け、女中に追加を頼んだ。
「特に、堀部安兵衛だよ。あいつなんて高田馬場の有名人なんだから、仕官先なんて、よりどりみどりだろうが。たとえば、溝口家とかよ」
――堀部安兵衛。馬庭念流の達人で、元赤穂藩士の中で最強の剣士。そして今では、江戸急進派の首魁。
「確かにな。高田郡兵衛とかは、脱盟したらしいし」
――高田郡兵衛。宝蔵院流高田派の槍の名手で、『槍の郡兵衛』と言われた元赤穂藩士きっての武闘派。
その郡兵衛は、堀部安兵衛らと同じく仇討ち主張の急先鋒の一人だったが、伯父から説得されてやむなく他家に仕官すると聞く。
「それがまともな思考だよ。バカ殿の仇討ちやろうってほうが、よほど異常だ。他のヤツらも、槍の郡兵衛を見倣えってんだ」
「まあ、そうだな」
一学は頷き、それからオレの腰に視線を落とした。
「それより新一。お前、小太刀代えたら? それ、無銘だろ?」
「いいんだよ。オレはコレ、気に入ってんだから」
オレは左手で、腰の小太刀を軽く叩いた。
「お前の刀は、相州広正だったっけか? けど、銘が入ってりゃいいってもんでもないだろ。それよりも問題なのは、手に馴染むかどうかだよ」
「まあ、『鉄壁』と呼ばれてるお前の腕前は、オレも認めてるけどさ」
――鉄壁。小太刀は普通の刀よりも、刀身が短い。そのために軽量で小回りが利き、『盾として使える刀』とも呼ばれる。
その小太刀を自在に使いこなすことから付いたオレのあだ名が、鉄壁だ。
ただ、オレの剣はある意味邪道だ。道場剣法とは違い、殴るし蹴るし、頭突きもかます。
最初の構えこそ基本通り、小太刀を右手に半身に構えるが、後はまあノリで戦う。
一応、富田流の目録免許はもらい、神陰流をかじってもいるが、型破りも甚だしい。型など無視して、勝つためなら何でもやる。それが、オレの戦い方だ。
しかしオレは、邪道も極めれば正道になると思っている。実際、オレは道場破りを何度もしているが、ただの一度も敗れたことはない。
邪道というなら、一学の剣もある意味では邪道だ。二刀流なのだから。だが強い。
そんな邪道同士だからか、オレと一学は妙に馬が合った。それとも、正邪は関係なく、強者同士の共感ゆえか。
「とにかく。禄もくれねー死んだバカ殿のために、仇討ちも何もねーだろって話だ。だいたい、ヤツらの活動資金は、どっから出てんだよ?」
女中が入ってきた。冷酒を受け取り、手酌であおる。
「腹黒の大石内蔵助が、家老職だった時に、裏金でも作ってたんじゃねーのか」
「それは有り得るな」
「だろぉ? だいたい赤穂の田舎侍どもは、やることがイチイチ汚ェんだよ」
一学の同意に気を良くして、オレはさらに冷酒をあおる。
「飲み過ぎだ。もう止めとけ。今夜に討ち入りがあったら、どうする気だ。ここの屋敷は呉服橋の屋敷より、守り難いんだぞ」
確かにそうだ。加えて邸内には、オレと一学しか手練がいない。
吉良家は高家。その格式高い家柄が邪魔をして、家臣に剣客は数少ない。
オレは冷酒を飲み干して、立ち上がる。
「そうだな。じゃ、オレはもう寝る。それじゃーな」
オレは背を向けてヒラヒラと手を振りつつ、襖を開けて部屋を出た。
堀部安兵衛
元禄十五年十二月十四日(一七〇三年一月三十日)、深夜。
「ハッ! さすが!!」
オレは堀部安兵衛と斬り合いながら、その強さに痺れていた。今どきこれほどの獲物には、滅多にお目にかかれない。
「ただあんたの悲劇は、主君に恵まれなかったことだな!」
二ノ太刀、三ノ太刀。鋭い! オレは退がりつつ、堀部の剣戟をかろうじて弾く。
やはり強い。小太刀を持ったオレの鉄壁の防御を、ここまで撃ち崩してくるとは。
「亡き殿を悪く言うなッ!」
怒声がきて、堀部の剣速が増した。
「ただのアホだろ、内匠頭は」
会話も武器になる。もっと挑発して、冷静さを失わさせてやる。
「愚弄は許さん!!」
問答無用とばかりに、堀部は刀を振り回してくる。それでいて、動作に無駄がない。正確に急所を狙ってくる。
「お前らは仇討ちを建前に、刀を振り回したいだけだろが」
オレは大きく後ろへ退がって、距離を取る。
「違う! 大義のためだ!!」
堀部は容赦なく、距離を詰めてきた。クソ! 追い足も速い。
「卑怯な闇討ちのどこに、大義があるってんだよ! 寝言は寝てから言え!」
雪が降っているクソ寒い日に、夜襲なんて仕掛けてきやがって。
しかも、火消し装束に身を包んだ上に、「火事だ!」と叫んで完全武装で殴り込んできやがった。卑劣な真似を。
「亡き主君の仇を討って、何が悪い!」
「逆恨みだろが! そういうのを、逆ギレってんだ!」
オレは堀部の太刀を捌いて、反撃に転じる。ようやく、太刀筋が読めるようになってきた。
基本に忠実すぎるのも、考えものだ。おかげで、太刀筋が読み易い。
しかも、頭に血が昇っているためか、堀部の攻めは徐々に単調になってきている。さすが、内匠頭信者。短気だ。
「内匠頭が死んだのは、自業自得だ! 責任転嫁するな!」
上段からの斬り下ろしを弾き、左の貫き手で目を狙う。
「悪いのは上野介だッ!」
貫き手がかわされた。同時に踏み込んで、胴を薙いでくる。
「主君がキチガイなら、家臣もキチガイってか!」
ガッ! 体重の乗った重い一撃を、小太刀で受け止める。一進一退の攻防。ここまで勝負は、まったくの互角。
やはり、話すだけ無駄か。だったら後はもう、どっちが強いかのみ。勝てば官軍負ければ賊軍、というわけだ。
「隠居した老人を闇討ちすることに、どんな正義がある!」
距離を詰めて薙ぐ。退がってかわされた。
「テメェらは、かっこいい死に場所を求めてるだけだろが!」
反撃がきた。袈裟斬り。横に跳んでかわし、喉を狙って突く。
「それの何が悪い!」
刀で弾かれた。首を狙って薙いでくる。
「ハッ! やっぱりそれが本音か!」
跳び退ってかわす。
ヤベェ! こんな時に不謹慎かもしれないが、この斬り合いが楽しくて仕方がない。
「だったら大義だの何だの、ゴチャゴチャ言うんじゃねェ! 興醒めなんだよ!」
戦いたいから戦う、それでいいじゃねェか。それ以外のものはすべて、不純物だ。
再度、堀部が詰めてきた。
良し! ここで仕掛ける!
オレは素速く懐に左手を入れると、苦無を掴んで投げた。
「なに!?」
堀部は横っ跳びにかわしたが、大きく体勢を崩した。よほど、意表をつかれたらしい。
もらった! 踏み込む。
首筋を狙って薙ぐ。刀で防がれた。が、詰んだ!
左手で懐から抜いていた合口で、脇腹を突き刺す。基本にはない、オレの奥の手だ。
「グッ!」
堀口が苦痛に表情を歪ませる。だが、鎖帷子に阻まれて突きが浅い。内臓まで、刃が届いていない。
止めに、もう一撃加えねば!
ズガッ! その時後ろから、背中を何者かに棒か何かで殴られた。乱戦の中、一対一の勝負に気を取られ過ぎていた。
ガッ! 間髪入れず、今度は頭に一撃を喰らった。
しまっ――!
そう思った時には、不覚にも意識が飛んでいた。
終章
吉良邸が赤穂浪人の夜襲を受けてから、数年後――
「主君を守るために命がけで戦ったお主らこそ、真の忠臣というべきであろう」
とある一室。目の前で座している人物は、そう言って誉めてくれた。
襲撃を受けた夜に斬り死にした一学たちも、今の言葉を喜んでくれているだろうか。
「そう言っていただけるのは、ありがたいのですが」
オレは溜め息を吐いた。あの夜に気絶させられた自分は、未だに生き恥を晒してしまっている。
「吉良家は改易となった上に、主君である左兵衛様(上野介の養嗣子)は、病死されてしまいました」
赤穂浪人たちの目標はあくまで上野介様の首だったので、自分のように傷を負わされても、止めをさされなかった者は数多くいた。左兵衛様も、そのうちの一人だ。
ただ、赤穂側には一人の死者も出ていない。そういう意味では、一方的な殺戮であったと言える。
だが、今でも江戸では、赤穂浪人の討ち入りを持て囃しているという。あんな暴挙を、義挙だと。
「別に、お主のせいではあるまい。気にするな」
そう言われても、気休めにしか聞こえなかった。
「結局、負ければ賊軍です。関ヶ原で負けた、西軍みたいな気分ですよ」
「お主は上杉が西軍だったことを知っていて、言っておるのか?」
「あ」
片手で口を抑える。
「これは失礼致しました、色部様」
――上杉家江戸家老、色部安長様。一六六六石取り。知略と寛大さを併せ持つ人物と聞く。
「良い。そんな上杉家だからこそ、お主の気持ちも分かるというもの」
色部様は、大きく頷かれた。
「左兵衛様も亡くなられた。これからは上杉家に、仕えるが良い。父と息子のために奮戦してくれたお主のことは、亡き殿も評価しておられた。もちろん、今の殿も」
――出羽国米沢藩の藩主である上杉綱憲様は、上野介様の実子であり、左兵衛様の父でもある。
上杉家は外様ではあるが、謙信公を祖とするだけあって、未だに大名の中でも指折りの武闘派だ。
そんな上杉家の藩主が実の父親を助けなかったため、江戸市中では上杉家までが悪く言われていた。
その心痛からか、綱憲様は討ち入り後二年と経たずに病死。現在はその子、吉憲様が藩主である。
「ただ、禄は五石三人扶持となるが」
色部様は、申し訳なさそうに言った。
末期養子による相続の代償として、三十万石から十五万石への減封。にもかかわらず、家臣を切り捨てない。上杉家の財政は、逼迫しているのだろう。
「充分です」
短く答え、頭を下げた。どうせ、運良く拾った命だ。贅沢は言うまい。
しかし、あれだ。赤穂浪人たちが未だに世間でチヤホヤされているというのは、やはり面白くない。
あの夜。オレの顔にもいつの間にか、一生消えない刀傷がつけられていた。まあ、名誉の負傷ではあるが。
何が忠義だ、何が義挙だ。あんなのは逆ギレした食い詰め浪人どもが起こした、ただの暴挙だ。
世間の人間は、好き勝手なことを言う。娯楽に飢えてるだけの連中が。本当は討ち入りを予想もしていなければ、期待もしていなかった癖に。
けどまぁ、いいか。羊の群れが何をほざいていようが、オレには関係ない。
オレは内心で苦笑し、唇の端を歪めた。
是非、読後の感想をお聞かせ願いたいです。
よろしくお願い申し上げますm(__)m