最終Lesson
え、嘘でしょ。これってファーストキスにカウントされるの? いや、カウントしない。わたしはカウントしないんだから。隼人様、隼人様ぁぁ。ごめんなさいごめんなさい。翔が、翔のバカが、バカケルが、離せ、離せぇぇえええ!
振り絞って翔の腕を振り払う。あんなに敵わなかった力に敵ってしまった。人間危機的状況だと本気が出るんだなって実感した。
いや、こんなこと実感してる場合じゃない。わたしはガムテープをビッと勢いよく剥いだ。
「いったぁっ!」
頰から唇にかけてヒリヒリする。痛い、痛い。
「バカだろ、そんな勢いよく剥いで……っ」
「バカはあんたのほうでしょ! 最低、最低……っ! 翔なんか、翔なんか……」
嫌いって言おうと思った。思ったのに、言えなかった。だって翔はわたしのこと好きって言ってくれた。あの翔が、わたしのこと好きって。全然信じられないけど、でもたしかにそう言ったんだ。キスだってされて、ガムテープ越しだけど、キス……。
考えて、思い出して、翔の顔が目の前にあったって思うと体がぶぁぁぁって熱くなった。
「伽耶……」
「く、来るな、変態!」
わたしはベッドに飛び込んで布団をかぶる。殻に閉じこもるみたいにして布団の中にうずくまった。やだ、何これ。すごく恥ずかしい。何よ、なんなのよ。
「伽耶、……ごめん。そんな、怒んなよ」
相手は隼人様じゃない。翔なのに。翔なのに、なんでこんなにドキドキしてるの。なんで時計の針が音を立てるごとに、こんな、こんな……。
「俺だって、言うつもりなかったんだ。……こんなふうに意地張り続けて、今さら言えないって思ってたんだ」
じゃあなんで言うの。いつもいつも、翔はなんでわたしがしてほしくないことするの。なんでなんで、わたしの頭の中をぐちゃぐちゃにするの。翔は隼人様じゃないんだから。やめてよ、やめてやめて。
「でもお前……昨日俺のこと助けてくれたじゃん。お前が俺のこと嫌いなの分かってるけど、でも……そんなのやっぱ嬉しいって思うじゃん」
翔の声が少しだけ震えてる気がする。翔ならこれくらいの演技、簡単にできるって分かってるのに。なんで演技だって思えないんだろう。わたしが思いたくないから……?
「昨日、やっぱりお前が好きだって思った。言おうって思ったんだ」
こんなに胸が高鳴って、キラキラのトーンが見えてきそうで。込み上げてくる何かを押さえつけようとして、思いきり歯を食いしばった。そしたら涙が出てきて。なんで、悲しくないのに、なんで。目にゴミが入ったんだ。きっとそう。
「幼馴染だってことも本当はずっとみんなに言いたくて、馴れ馴れしく話しかけたくて……でもお前そうしたらまた中学の時みたいに泣くのかなって、だから我慢してたんだ」
もう泣いてるよ、バカ。
「高校だって、わざわざバスケの強いとこじゃなくて……お前と一緒のところにしたんだ」
もう、それ以上言わないでよ。
「お前とクラス一緒になって、前後の席になるの毎回嬉しいって思ってんだよ。イニシャル同じだってそれが運命だなんて、バカみたいに思うんだよ」
布団越しに翔が抱きしめてる。
全部わたしのためだった。それって本当? ねぇ、信じるよ。信じて、実は嘘でした、なんて無しだよ。そんなの、絶対許さない。
「それでも、隼人様じゃなきゃダメなのかよ」
ライバルが乙女ゲームのヒーローで、そんなの敵うわけない。でも隼人様だって翔には敵わない。だって翔は生身の人間で、わたしが唯一抱きしめられる隼人様はカーペットに転がることしかできない。中身は綿だらけ。抱き心地は最高でも、何の匂いもしないんだ。
現実にいる誰かに、恋なんてできるの? わたしは翔を好きになれるの? 隼人様は一目惚れだった。翔は違うし、これから好きになるのかも分からない。
でも、でもごめんねなんて言えない。だって言ったら、翔と一緒にときマスができなくなる。翔とゲームして文句言い合って……。ああ、そうだ。わたしは翔と一緒にいるのが……好きなんだ。
「今すぐに……決めきゃダメなの?」
「……え?」
わたしは頭にかぶせた布団を取り去る。首をひねって、後ろから抱きしめてる翔のことを見上げた。
翔の顔は今もまだ真っ赤だ。怒って真っ赤だったんじゃないんだね。わたしと一緒なんだ。きっと恥ずかしくて、隠れたいくらい逃げ出したいくらい。それでも翔は言ってくれたんだ。
「翔のこと、そんなふうに見たことないから……今すぐに決めるとか、無理。……翔のこと嫌いだけど、嫌いじゃなくて……翔と一緒にいるのはすごくストレスだけど嫌じゃなくて……」
何言ってるんだろう。こんなの全然伝わらない。わたしの国語力どこいった。ああもう、考えちゃダメだ。どうにでもなれ!
「隼人様が好き! でも翔とは一緒にいたいの!」
喧嘩腰に叫んだ。そうだ。どんなに罵倒されてもどんなにひどいこと言われても、翔と一緒にいるのは楽しくて。翔はわたしのことオタクオタクってバカにしながら、一緒に乙女ゲームしてくれて。わたしのためにここまでしてくれるのって、たぶん翔だけだと思う。
告白されたのが初めてだから浮かれてるだけ? やっぱりわたしは乙女ゲームに夢見るオタク女? でも、それでも翔は好きだって言ってくれたんだ。
「いればいいじゃん。いてよ、俺のそばに」
告白ってこんなに嬉しいんだ。涙が出るほど嬉しいんだ。
隼人様がヒロインに告白するシーンだってすごくすごく感動した。でも所詮わたしはヒロインじゃなくて、うらやましいなぁって感情がいっぱいで。
本当は、本物は、こんなにも嬉しいんだ。嬉しい、嬉しいよ。
「一緒にいれば、絶対俺のこと好きになるから」
翔はそう言って、わたしの頬に手をかけて……。
「へ」
「……バカケルが」
わたしは翔の頬を引っ張った。
少女漫画で言えば最終回のいいシーン。乙女ゲームで言えばエンディングのイントロが流れ始めるシーン。我ながら雰囲気壊して何してんだって感じだけど。止めるよ、当たり前だ。
わたしは怒ってる。告白は嬉しいよ。思わず泣いちゃったよ。でも、でもでもでも!
「なんで最後の最後で、自分の言葉じゃなくて隼人様のセリフ使うのよ! 卑怯者!」
そう、最後のセリフ「一緒にいれば、絶対俺のこと好きになるから」は隼人様がエンディング前にヒロインに告げる最高のセリフだ。隼人様ファンが飛び上がった名シーン。
それをよくも、よくもぉぉ。
「はぁ?! なんでそうなるんだよ! お前が喜ぶと思ったんだよ!」
「告白くらい自分で考えたものにしてよ! 隼人様の真似なんかしないで! 翔は隼人様に及ばないんだから!」
「お前、なんなの! あぁ、くっそ! またかよ……またか! 何回恥ずかしい思いさせんだよ! 虚しすぎるだろ! サイテー女!」
「最低はそっちでしょ! それに何どさくさに紛れてキスしようとしてんの! 気持ち悪い!」
「ふざけんな! そっちだって乗り気だったくせに!」
「何言ってんのよ! ありえない!」
「半目だったんだよ! ブッサイクな顔して!」
あぁぁ、違う。こんなはずじゃなかったのに。なんでもめてるんだ。翔もバカだけど、わたしもバカ。いいムードどこいった。
乙女ゲームはやっぱり夢物語だ。現実はこんなにも、こんなにもぐちゃぐちゃだ。
「模範にしすぎて個性なし! 魅力ゼロ!」
「あーそんなこと言うんだー? お前の隼人様、引きちぎってやる!」
「え、えぇぇぇぇええええ、やめてやめて! いやぁぁあああ、待てこらぁぁぁぁあ!」
ドタン、バタンと音がする。
隼人様を人質にとろうとした翔を引っ張って、そしたら見事に足が滑ってわたしは転んでしまう。踏ん張ってくれることを期待して、翔の腕を掴んだままでいたら翔も一緒になって転んでしまって。
転んだ拍子に口と口がぶつかるって、こんなアクシデント、本当にあるの。
「もうお前……ほんと最悪」
「ちょっとやめて。本当に今はそっとしておいて。……わたしの夢が壊れた瞬間だから」
こんなことならガムテープ貼っておけばよかった。いや、忘れよう。これはキスじゃない。アクシデントだ。ノープロブレム。
「このまま終わるの嫌だから、伽耶、やっぱちゃんとキスさせて」
ディスイズプロブレム! 何言ってんだこいつ。え、ほんと待って。翔が腕を掴んでくる。離せ、離せぇぇえええ! 口を塞がなきゃ、どうしようどうしよう。そうだ、いでよ、ガムテープ!
「ものすごい音とか声とか聞こえてるけど、大丈……あら、やだ」
なんでお母さん出てきたよぉぉおお。どんな召喚ミス、嘘でしょ。
まさかのお母さん登場で、翔も凍りついてる。お母さんのおかげで止まってくれたよ。そりゃあ止まるでしょうよ。だって今、翔がわたしにキスしようとしてたんだから。ていうかお母さん、見過ぎでしょ。いつまで見てるの。目をそらしてくれ母親よ。
「ごめんなさぁい」
口に手を当ててうふふふふなんて笑いながらお母さんが消えた。
「もう嫌だ。なにこれ」
それはこっちのセリフだよ、翔くん。恥ずかしすぎてわたしも翔も戦意喪失。カーペットにうなだれていた。
「あぁぁぁぁ、もう……お前が暴れるからだろ。バカ伽耶」
こんなことなら乙女ゲームのシナリオに沿ったままでよかった。
涙が出る。今は本当に悲しくて泣いてる。悲しいというか恥ずかしいというか。
いや、もうこの際忘れよう。
「リセット、リセット」
「お前のゲーム脳もいい加減にしろよ」
現実はシナリオ通りにはいかないってこと。
でもだからシナリオみたいな展開に夢見ちゃって、一瞬でもそうなったら嬉しくて。
だからってシナリオに沿ったセリフとかシチュエーションは嫌で、本物の恋愛はすごくすごく贅沢の塊なんだ。
「翔」
「……なんだよ」
乙女ゲームみたいな恋愛がしたい。でもそれ通りじゃ嫌なんだ。そんな贅沢な願いを翔は叶えてくれるのかな。
「……なんでもなぁい」
なんて、ちょっと期待して笑ってみた。
◆◆◆
乙女ゲームの模範生!【END】