12 唯一の追放者
【前回までのあらすじ】取引の場に揃った関係者を前にして、オレ達は何としてもリドル族のナチルを取り戻さなきゃいけない。対するは貴族のカナイ、警備隊小隊長でグラプル族のカエデ、女商人のシオ。何とかナチルを引き剥がして説得したいんだけど……。
「君の望みは分かっているつもりだよ」
鷹揚にカナイが微笑んだ。
その表情を、何故かサクヤが微妙な顔で見ているので、その耳元に問いかけた。
「……サクヤ、どうした?」
「いや……何かカナイの声、どこかで聞いたことないか?」
そんなことを言われても。オレには全く思い当たりがない。
黙って首を振ると、訝しげな様子はそのままに、とにかくカナイの方へ視線を戻した。目が合って、微笑んだままカナイが語り始めようとするのをサクヤが止める。
「しかしね、サクヤ君――」
「――あなたのご希望の通り、現金で1万金貨ご用意しました。表の馬車に積んであります。ただ現金を用意するだけのことがこんなに大変だとは……俺はちょっと世の中を舐めてました」
――うん。
ちょっとじゃない。
だいぶ舐めてる。
甘やかされて育ち世の中を舐めまくった奴隷商人サマは、カナイの言葉を途中で奪い取ると、肩を竦めて薄っすらと微笑む。
「でもここまでしたんですから……まさか交渉の余地すらないということはありませんよね」
ここまで数々の妨害を受けながら、まだ交渉の余地があるなんて、誰も思うわけない。それでものうのうと、こういうことをのたまうのだから、嘘をつかないということと誠実であるということは関係ないのだと……いっそ感心する。
カナイが爽やかに微笑み返す。
「勿論そんなつもりはないよ。ねぇ、シオ」
「穢らわしい男が私に話しかけないで」
ぴしゃり、と遮られて。
カナイは次に、困ったようにカエデに笑いかけた。
「ひどい扱いだよね」
「相応しい扱いだと思いますよ」
こちらも素気なく答えられる。
仕方なくナチルの方に手を伸ばすと、バシッと酷く痛そうな音とともにその手を振り払われた。
「触らないで!」
どうもカナイは女性陣から総スカンだ。あまりに酷い扱いで、ちょっとばかり可哀想な気もする。何となく男性陣に同情の空気が流れる。……あ、サクヤは男性陣から除外な。
キリがオレの横でため息をついて、話を切り替えた。
「カエデ。君はこの件にはあまり関係ないだろう。少し私と向こうで話さないか?」
差し出した手をカエデが鼻で笑う。
「それで? 私がこの場からいなくなったら、武闘派の子猫ちゃんが降りてきて暴れ回るのかな? さすがに覚えたよ、あの黒猫の気配。なかなか強敵だよねぇ。だけどまぁ、絶対いるって分かってるものを探すのは、そう難しくはない」
カエデの隻眼が指すのは天井の一角。
オレ達の視線がそこを向いた瞬間に、黒い尻尾がずるりと天井板の隙間から伸びてきた。ぴこぴこと尻尾が揺れているのは、はいはい分かってますよ、という応答のつもりらしい。
「カエデ。いくら人間の世界に疎いと言っても、こんな場所で騒ぎを起こすことがご法度だということは、私にだって分かる。神聖なる大樹の前で血を流すようなものなんだろう?」
子どもに言い聞かせるようなキリの言葉に。
何故か。
カエデは片頬を吊り上げて笑った。
「ご法度――良い言葉だ。私は好きだよ、その言葉。やってはいけないことがはっきりしてると楽だよね。だけど……そんなものは所詮ヒトの決めたものだ。本当の意味でこの世の中に、やってはいけないことなんてあるのかな……?」
キリだけではなく、オレもサクヤも、その言葉の意味を取りかねている内に。
素早く立ち上がったカエデの剣が、目にも止まらぬ速さで鞘から引き抜かれる。
唯一キリだけが反応して鞘を抜きかけたけど、それも間に合わず。
瞳を見開いたまま。
声も立てずに。
シオの腹に引き抜いたカエデの剣が埋まった。
「――っは……?」
弾かれるようにキリが立ち上がり、剣を抜き切る。
サクヤがオレの身体を押して、自分ごと後ろに下がった。
シオの唇から赤い血が滴るのを、オレは黙って見ていた。
ごぽ、と息とともに血を吐いてから、シオの身体がゆっくりと倒れる。その向こうで、シオを見詰めていたナチルが――
「――っきゃあぁぁっ!?」
甲高い悲鳴を上げた。
「――ナチル!」
思わず伸ばしたサクヤの指先で、カエデの剣がナチルの首元へ当てられる。
「近付くなよ、巫女ちゃん。君が死ぬのは構わないけど、こっちのウサギちゃんを傷付けるのは……お互いちょっと得策じゃないよね。まあ、いざとなれば私は殺すことに躊躇はないけど、出来れば生かしておきたいなぁ。巫女ちゃんはどう?」
シオを切ったその剣の早さで、サクヤの魔法よりカエデの動きの方が早いのは理解できた。
オレ達は誰も動けないまま、床の上のシオを見下ろす。
驚きの余り見開いた瞳で、シオは片手で自分の腹を押さえた。
その手が真っ赤に染まっているのを見て、泣きそうな表情になる。そのまま血に濡れた手を静かにこちらに伸ばしてきた。
「っ……クヤ……?」
掠れた声で一声呼ぶ。
隣でサクヤが息を呑んで、返事を躊躇していた。何と応えるべきか、その手を取るべきか。判然としないまま、ぱたり、と赤い手が床へ落ちた。
サクヤの青い瞳は痛々しそうにその身体を見下ろす。ナチルを盾に取られて、近付くことは許されないし――多分、そうしたいとも思ってない。だけど、理由も分からずに斬り捨てられた命に、ただ静かに哀悼する。
自分の左手を胸元に握り込みながら、サクヤが低い声で囁いた。
「……何が目的だ?」
いつかと同じようにナチルを人質に取られているけど、その声は落ち着いていた。いつかシオに問うた時のように何もかも捨てたような響きではなかったので、オレは安心してサクヤに場を任せた。
「言ったでしょ、君が目的なんだよ。まあ、君自身と言うよりは――『リドルの姫巫女』が、かな」
カエデの引き攣ったような笑顔の後ろで、カナイがゆっくりと立ち上がる。
さっきから落ち着き払ったその様子で、シオが斬り捨てられることを知っていたと――カナイの指示でカエデが剣を抜いたのだと、すぐに分かった。
「カエデ。君は下がっていてくれ。私にも少し喋らせて欲しい」
「まあ、譲りましょうか」
カナイの言葉に、カエデは素直に口を閉じる。血に濡れた剣を押し当てられてぶるぶると震えるナチルを引っ張りながら、カナイの背後にさがった。
「……結果としては。やはりあなたと交渉すれば良いということだろうか?」
サクヤは油断なくマントの中に手を忍び込ませ――動きが止まる。多分、オレだけに。その顔色が変わったのが分かった。
……昨日の夜、そのマント、河で洗ったままだ。
多分、毒針を入れ替えるの忘れたんだ……。サラが河でばっちゃばっちゃ洗ってから、毒が全滅してたんだけど。昨日の様子を思い返すに、宿に戻ったところで眠くて疲れて……そのまま寝たのだろう。バカ――と言いたいが、注意できなかったオレもほぼ同類。人のこと言えない。
黙ったまま、サクヤはマントの下から手を引き抜いた。
知らん顔をして小首を傾げる。
「あなたの目的は何だ? 姫巫女が目的とは――」
マントに手を突っ込んだのはなかったことにして、話を続けるつもりだ。
……バカ。このバカ。
幸いにして、カナイにもカエデにもその動作の意味はわからなかったらしい。
真面目な表情で、カナイが口を開いた。
「そのままの意味だよ。協力してほしいことがある。姫巫女の魔力でね」
「具体的に何を……?」
両手を広げたカナイが笑みを深めた。
「原初の五種を、私の手元に集めたいのだ。『神の守り手』を全て」
「――何を……」
「――どういうことだ!」
サクヤとキリが口々に問う間に、天井裏からサラも滑り降りてきた。さすがと言うべきか、当然にして獣人達の反応は早い。
だけど、あらわになっている3人の怒りの表情を前にしても、カナイは笑みを消さない。
そして、ゆっくりと唇を開いた。
「……既に2種、私の手にあるんだよ」
楽しげに呟くようなその声に、オレ以外の3人が息を呑む。
キリとサラの脳裡に、自種族の心配が浮かんだことは間違いない。
「……おや。どうしたのかね、その顔は?」
自らがこの場にいるサクヤが、珍しく2人の気持ちを読んで、代表して問うた。
「あなたの言う2種族とは……?」
「知りたいかね? もちろん姫巫女がそこにいる以上、リドルではないことは確かだが……」
にやにやと笑われて、怒りで飛び出しかけたサラを、同じように気が逸っているはずのキリが押さえた。
「止めろ、サラ。人質のことを考えるんだ」
そう言うキリの表情も歪んでいる。
首筋を捉えているカエデの場を嘲笑うような冷たい声に、捕われたナチルが震えた。
「全くどいつもこいつも」
「……嫌だ、ちがうの。あたし――シオを――」
「――大丈夫。分かってるよ、ナチル。必ず助けるから」
溢れる涙に向かって、安心させるようにサクヤが小さく笑いかける。
何とも言えない表情で、ナチルは顔を伏せた。
「……サクヤぁ……」
泣きながら、名前を呼ぶナチルを見て。
「これだから、ウサギはクソなんだよ……覚悟がないから、いざとなったら転びやがる」
吐き捨てるように、カエデが呟いた。
カナイはそちらを振り向きながら、肩を竦める。
「カエデ。前から言ってるが、もう少し綺麗な言葉を遣いなさい。それに彼女は新しいリドルの姫巫女になるかもしれないのだから、もっと丁重に」
「へいへい」
……何だ? 今、何て言った?
動きを止めたオレ達の前で、サクヤに視線を当てたカナイが笑顔で囁く。
「サクヤ君。私達と一緒に来るか、そこの子に姫巫女を譲るか――今、ここで決めてほしいのだよ」
「馬鹿な。いつかは一族に返すにしても、今はまだ……」
「同胞が君の手元に戻っていないって? そうだね……。まあ、当然だよね」
細めたオリーブ色の瞳が、きらりと光を反射した。
「――でもその内のどれだけが、まだ生き残っているのだろうね? 私の虐殺の手から逃れた一族はどれだけいるだろう?」
どういうことだ……? あんたがリドル族を?
同胞を何よりも愛するサクヤが、勢いで飛び出しそうになる自分を押さえるように、胸元で拳を握り込んだ。その動揺が伝わってきて、オレは手を伸ばしたくなる。抱き締めてやりたくなる。
でもそれを実行に移す前に、何かに気付いた表情を浮かべて、サクヤが声を絞り出した。
「……お前の声、まさか――」
どうやらさっき思い出しそこねた、良く似た声の主を思い出したらしい。
困惑の表情で囁くように問う。
「まさか――ヒデト……?」
「ん? お前が気付くとは思わなかったな」
呼ばれた名前にくしゃりと破顔したカナイは、突然砕けた口調で喋りだした。
「久しぶりだな、我が同胞。いやー、大きく……はあんまりなってないみたいだが」
あはは、とあっけらかんと笑う姿には敵意も感じられない。
だけど。
――それが怖い。
サクヤの方は戸惑いを超えて、怒りを覚えている。
「ヒデト――お前が、同胞を殺したと言うのか!?」
「まあ、多少はな。テツにタマキにスグルに……まあ、そんなことは良いじゃないか。それより150年もその姿で生きるのは人間には辛かっただろう? 俺に力を預けて姫巫女を元の系譜に戻さないか。今の状態は異常だ。それだから島が襲われても守りきれないなんてことになるんだよ。さぁ、その力、この幼い同胞に戻してやろうじゃないか――」
ぺらぺらと喋り続けるカナイの言葉1つ1つを受けて、サクヤは揺らいでいるようだった。
同胞を殺したことを笑って語るカナイに対する怒りの他に。
何故ここにカナイが――ヒデトと呼ぶその男がいるのかが分からなくて。
自分を見失いかけているその肩に手をかけて落ち着かせながら、オレは問いかける。
「サクヤ、何をこの期に及んで迷ってる? ヒデトって誰の名前なんだ?」
ヒデト? ヒデト、ヒデト――。
何故かオレの記憶の中にも、その名前がある。
どこで聞いたのか、いつ聞いたのか、さっぱり覚えてないけど。
それは確かリドル族の男。サクヤの前の姫巫女の関係者だったような……。
オレの手の先から、サクヤが息を吐く動きがダイレクトに伝わってきた。
その吐息とともに、波立った心が静かに澄んでいく様子もまた。
落ち着いたところで、サクヤが唇を開いた。
「ヒデトは――俺の罰した最初の罪人。前姫巫女の恋人。我が一族からの唯一の追放者だ」
ふるりと身体を震わせるサラの背後で、キリが声をあげる。
「なるほど。一族を追われるだけあって考えも下劣だな。今まで同胞を守ってきた姫巫女に対し、何という言い草か。幼い少女を捕らえておかしな改造を施して――」
「――守ってきた?」
サクヤを守ろうとするその言葉に反応したのはカナイではなく、何故かカエデだった。
「ちゃんちゃらおかしいね。攻め入ってくる人間たちを見逃して、みすみす島に入り込まれて、同胞を連れ去られて? それを助けると言ってても、やることは人間と同じただの売買。獣人など商品だと思ってるんだろう? 金を集めて買えば良いと思ってるんだろう? 所詮、貴様は人間だ! 貴様に獣人の誇りなどあるものか――!」
カエデの怒号を聞いても、サクヤの表情は変わらない。
一度混乱を静めた後は、いつもの無表情で静かに佇んでいる。
さして沈むこともないその感情が、何より雄弁に語っていた。
――そんな言葉は、聞き飽きた。
何度も同じ問いかけを受け。同じ誹りを受けて。
それでも自分の目指すところは変わらない。ただ、同胞を救うことだけを考えてきたのだと――。
2015/10/25 初回投稿
2015/10/25 誤字脱字修正
2015/12/04 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更