10 引き分ける
【前回までのあらすじ】取引本番前の軽い仕事――のつもりが、結局あんたも色々暗躍してくれちゃってるじゃん、のレディ・アリア。そんな彼女の言葉にほいほい乗っかるオレに対して。てっきり怒りまくってると思ってたサクヤの表情は――。
まさかサクヤが、こんな泣きそうな顔してるとは思わなかった。指先が震えてるのは怒りのためじゃないらしい。
予想外の表情を見て、オレもつい心の動揺をそのままあらわにしてしまう。
「……何? その顔……」
「お前……俺に自分を大切にしろとか、危険に飛び込むなとか言うくせに――自分はどうなんだ!」
え? 何これ?
ついにオレが怒られるターン?
何だよ。だって、どうせディファイ族の為に動くつもりなんだから、手分けして――しかもオレが王宮に潜り込めるなら、すごく便利だろ?
くすくすと笑うレディ・アリアの声で、どうやら彼女の期待通りに自分達が動かされていると気付いた。
背後でキリが顔をしかめてる気配も何となく分かる。
サクヤは何考えてるんだ。とにかく怒ってるような気配なんだけど、表情はそうじゃないから訳が分からない。……何? 何が言いたいのか、分かんねぇよ。
下を向いたまま、サクヤが低い声で囁いた。
「……ったくせに……」
「――え?」
声が小さすぎて聞き取れない。
尋ね返した瞬間に、勢い良く顔を上げたサクヤの青い瞳と視線がぶつかる。
「――二度と離れないと言ったくせに!」
「えぇっ、そこぉ!? ちょ、たった一週間だぜ、それくらい良くない? 昨日だってその前の日だって別行動だったじゃん!」
「それは2人で決めたことだから良い。今回のはお前が独りで勝手に決めた! お前いつも自分勝手なんだ! 人のことばっかりワガママだとか言って!」
だって、それはあんたが! ――なんて、色々と言い返したいんだけど。
更に言い募ろうとしたところで、ぶは、とついに吹き出したレディ・アリアの声で、オレは我に返った。ずっと黙って交渉の行方を見守っていたキリの、何だか生温い視線も後頭部に感じたりする。
「……サクヤ。後でゆっくり話そう。今、交渉中だし……」
くっくっく……と、扇の向こうから聞こえてくる押し殺した笑い声で、サクヤも自覚したらしい。室内にも関わらずもぞもぞとマントのフードを被りながら、黙ってソファに再び腰かけた。
「くくっ、あたしの手伝いしてくれるのは良いけど、そこの恋人気取り、ちゃんと宥めてから来なさいよ」
「誰が――!?」
「――止せ、サクヤ。恥の上塗りだ……」
オレはサクヤの頭をフードの上から押さえ付ける。恥ずかしさを押してレディ・アリアに笑いかけた。
「とにかく。引き受けるからには――関係あることは全部教えてもらうぜ」
この苛立ち、あんたの知ってることを全て聞くまでは晴れないに違いない。
レディ・アリアはいつもの彼女らしく妖艶に微笑んで、指を立てた。その姿勢のままサクヤに向けて片眼を閉じて見せる。
「いい? あたしがカナイに紹介したのは――あんたも知ってるヤツよ。古都の国の例の研究者……」
「古都の――? ああ、獣人の研究してる……」
レディ・アリアの言葉を受けて、フードの下からサクヤがちらりと瞳を覗かせた。その瞳にあまり良くない色が見える。
「あいつを紹介したのか?」
「そう。獣人について知りたいって言うからね」
その会話から考えるに、2人にとっては既知の人物らしい。獣人奴隷を多数取り扱う立場の奴隷商人は、研究者とも協力するということだろうけど。
「……待て。あいつ、今、何の研究してるんだった?」
「あんたが聞くの? あんたの方が仲良いじゃない」
「良くない。しばらく会ってないし……」
何だろう。
そこはかとなく、そいつの相手をなすりつけ合ってるように見えるのは、気のせいか?
微妙に嫌そうな表情でレディ・アリアが答えた。
「今は、育成と成長の研究してるんだって」
獣人。成長。
嫌な予想に隣を見ると、サクヤはもう一度フードを被り直して、暗いフードの中からオレに声をかけてきた。
「……聞いただろ。多分、ナチルの年に見合わない成長はそのせいだ。あいつ、興味のある研究は大抵どっかから実験体連れてきて、実験なんてしてるから……」
苦々しい声は、実験自体に対するものというより。
そういう人間と縁を切れないことへの嫌悪のように聞こえた。
「前に言ってた成長の魔法の開発? 研究? ってのを、その研究者がやったってことなのか」
「うん。多分あいつのオリジナルの魔法だと思う」
「一応忠告しとくけど。どうせ治し方なんか研究してないわよ。あいつのことだから」
「新しく開発された魔法の解法なんて、誰にも出来ないだろうしな……」
2人の話を聞いていて、オレもようやく分かった。
そういう意味で厄介なヤツだから、2人ともあんまり関わりたくないらしい。
「え、じゃあ……ナチルはその実験とやらの犠牲になって、もうずっと今のままってこと?」
「確実なことは、あいつに聞いてみないと分からないが……」
「まあ、多分無理よ。あいつの性格から言って、戻る方法なんて考えてないし言っても考えない。諦めた方が良いわ」
ため息と共にレディ・アリアの指がオレの目の前で振られた。
「カイ、あんたカエデのこと知ってるのよね?」
「……あんたも知り合いなのかよ」
道理で奴隷商人からオレの態度を隠すやり方が自然だと思った。
あの時点で、オレやキリの事情はバレてたワケだ。
「知ってるも何も――あ。……うふふ」
何かを言いかけて止めたレディ・アリアに、サクヤが訝しげな視線を向ける。
レディ・アリアはごまかすように笑いながら、細めた黒い瞳で無言でオレに助けを求めてきた。
その表情で、途切れた言葉を大まかに理解したオレはどうしようかと一瞬考えて、素直に助けてやることにした。もちろん代価は頂くけど。
「あー……。おっけ。その話は――じゃあ、蔵の国で話そうぜ。その代わりあんたとの従者生活は3日に短縮な」
「3日!? ――ちょっと! 半分以下じゃない! 横暴よ!」
勝手に交渉を進めるオレとレディ・アリアのやり取りに全くついてきてないのは、サクヤ1人。不思議そうにオレを見ている。
もしかするとだけど。背後のキリは薄々勘付いているんじゃないかな、多分。何とも言えない空気が背後から伝わってきて、切なくなる。
「これ以上この話したくねーよ。オレは」
話題を続ければ、さすがのサクヤだって気付くだろう。
そうなれば、サクヤの怒りは誰にも抑えられない。キリでさえ我慢してると言うのに、この姫巫女様は今度こそメーターを振り切るに違いない。
自分に対してさして興味がないのに、同族や獣人仲間に対しては恐ろしい程敏感に反応する。そういう人だから。
言外のオレの言葉を読んで、レディ・アリアも口を閉じた。
「……何の話だ?」
「大人の話よ、おじょーちゃん」
うふ、と笑ったレディ・アリアの様子で、イライラを募らせるサクヤの頭を。
オレはフードの上から撫でた。
「さて。んじゃ、聞くこた聞いたし、行こうか。レディ・アリア。まさかここからキリの代金に上乗せなんか請求しないよな?」
「戦場の狼のごたごたはあんた達に任せて安心なんでしょ? そっちが攻めて来ないなら、あたしは文句ない。だからあたしがあの奴隷商人から買い取った時の原価だけ払ってくれたら、それで良いわ」
何だかんだで、原価は取るらしい。
腹立たしくはあるが……まあ、妥当か。
「サクヤ――」
「良い。払う。今すぐ貰い受けたいから、契約書を」
マントの下からペンを抜き出して、書類を請求する。
背後から安堵したキリのため息が聞こえてきた。
レディ・アリアが笑顔で差し出した紙にサインをするサクヤを見ながら、オレは背後に語りかける。
「キリ、お疲れ様。ごめんな、長引いて」
「いや。これが人間の交渉と言うものなのだな。外との繋ぎを続ける上で、大変勉強になったと思う」
疲れた顔をしながらも前向きな言葉が出てくるようなので、少し感心した。
自分の今後がかかってるにも関わらず、この館に入ってからキリは、ずっと黙ってオレ達を見守ってくれてた。その信頼には敬意を表したい。
精悍なその水色の瞳を見詰めていると、ふと、ピンと立っていた耳が後ろに寝かされた。キリの表情が少し曇って、声のボリュームを落としてオレだけに囁いてくる。
「最後のカエデの話なのだが――」
「ああ。サクヤがいないところで、きちんと確認して必ずあんたに知らせるよ」
「頼む。彼女の為にも今後の為にも、今回の経緯は詳しく知らなければ……」
この会話もサクヤに聞かれるとまずい。
サクヤが書類と小切手にサインを終えた瞬間に、オレとキリは口を閉じた。
「ほら。引き換えに鍵を出せ」
「言われなくても出すわよ、素人じゃないんだから。あんたこそ、あたしが鍵を渡す瞬間に小切手を引っ込めるなんて、バカなことしないでよ?」
「するか。子どもじゃあるまいし」
ちりちりと睨み合う2人の手から。
オレはそれぞれの物を取り上げて、入れ替えて相互に渡した。
ぽかんとしていた2人の表情が、一拍置いてから苦々しくなる。
「……まあいい。確かに商品は頂いた」
「ええ、こちらも。グラプル族はちょっと惜しいけど、利益としてはあんたらに貸した金の利子で、ここまでの交通費もあたしの拘束費もお釣りが出るし。――あ、約束の現金は隣の部屋に用意してあるから、好きなだけ持ってって。その分だけ利子は割増するから」
本来なら超高級品のやり取りになるはずのキリが。レディ・アリア側から、この売買にさして文句が出なかったのは、どうやら現金貸付の方でえらくぼることになっているからだった。
……くそ、そっちはノーマークだった。
サクヤから細かい話を聞いとけば良かった。どうせ甘い条件で契約締結してるに違いない。こいつマジで財布の紐ゆるゆる過ぎる。きっと普段の取引は管理係のエイジが事前にチェックしてるんだろう。今回はエイジチェックを入れられない速度で取引が進んでる為に……恐ろしいことになってる可能性がある。
こちらの動揺を感じて満足げにオレを見たレディ・アリアに、それでもオレは何とか笑い返した。
「じゃあ、後は蔵の国の件だけね。こっちの騒動が終わったらまた連絡がほしいわ。しばらくはあたしもこの国にいるから」
にんまり笑う瞳は、いかにもやり手の奴隷商人。
正直、勝ったとは言いづらいけど……まあ、負けたとまでは言わなくてもいいと思う。引き分けってとこか。
三方よしの商売の鉄則通り、最初の――そもそもサクヤがこの国を目指そうと考えたところから、誰も大きな損害を出さないように、レディ・アリアに導かれた感がなきにしもあらず。レディ・アリア自身も、もしかするとここらでカナイやシオとの関係を精算しようとしてたんじゃないか。
そうすると、ほとんどレディ・アリアにオレ達も乗せられちゃったことになるワケだけど。結果として大したマイナスもなく、どちらかと言うと利益があるくらいだから、怒る必要がない。その結論が一番小憎らしい。
……だから。
そんなやり手の美女よりも。
オレにはやっぱり、今この瞬間も何だか良く分かってないって顔してるサクヤの方が可愛く見えるから、まあ……オレは結局そういうのが好きなんだろうな……きっと。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
次に立ち寄った銀行では、入り口の脇に立ってオレ達を待っていたトキノリ支店長が、申し訳なさそうな顔で頭を下げていた。
「すみませんでした……。手は尽くしましたが、結局、最初にお求めになった金額には届かないままで――」
サクヤの細い指先が、項垂れるトキノリの頬を撫でる。
はっとした表情で顔を上げたところへ、低く囁きかけた。
「よく頑張ってくれた。君のおかげで、とにかくスタートラインには立てた」
赤の他人に対するよりは、10cm。たった10cmだけ近寄って、フードの下からトキノリを見上げている。
「――心から、感謝する」
低く響く声が、心底からのものだということは嫌でも分かるから。
トキノリは感極まった様子で、当てられたサクヤの手を両手で握った。
「……大変恐縮です」
潤む瞳の下にはくろぐろとした隈が出来てる。その様子を見れば、だいぶ苦労したんだとは思う。
だけど何だか、この瞬間だけで本人は満足らしいので――オレも何も言わないことにした。
サクヤの視線がキリとオレに「金を運び出せ」と指示してくる。オレより先に、無言で頷いたキリが銀行の中、扉のそばに積んであった金貨の詰まった箱を1つ抱えた。
箱は全部で8つーー1つの箱に1千金貨。最終的に、最初に言っていた7千金貨に1千足して、8千金貨をトキノリは掻き集めてくれたらしい。
オレも箱を1つ抱えて、ぐっと持ち上げた。
重い……けど、この為に苦労してくれたトキノリのことを考えたら、文句なんて言えない。
「あの、今後またこの国にいらっしゃることがありましたら……」
「勿論。君にお願いすることも色々あると思う。今後共よろしく頼む」
薄っすらと微笑むサクヤに対し、トキノリはわずかばかり頬を染めた。
ああ、もう。この――男たらし? って言い方で良いのか?
何だかほんわかと周囲に花が散っているような空気を邪魔をしたいワケではないんだけど。金貨を1箱、運び終えたオレは2人に近付いた。
「トキノリ支店長、邪魔して悪い。聞いときたいことがあるんだけど……」
内心がどうかは分からないけど。少なくとも表面上は、トキノリは特に嫌な顔もせず、サクヤから両手を離すとオレの方へ視線を移す。
素晴らしい。この愛想の良さをあんたも学べ。あんた。……そこで手の平をマントで拭いてるあんただよ。長いこと手を握られて何かしっとりしたからって、堂々と拭くな。
「何でしょうか?」
「警備隊小隊長のカエデとあんた、どんな関係なの? 旧知の仲って言ってたけど……」
トキノリは不思議そうな顔でオレを見た。
「5年程前ですかね。私もまだ10代の頃ですが、街に来たばかりの彼女が迷子になっているところへ偶然出くわしまして。聞けば警備隊に入りたいということだったので、案内したんです。それ以来、何だかんだと付き合いが続いてますね。週に1回くらいは一緒に飲みに行きますし」
色々気になることはあるけど。
とりあえず、何よりも。トキノリがまだ20代前半だということに驚いた。随分若い支店長だな……の割に年食って見えるのは、やっぱストレスかね。思ったことは顔に出さないように頑張ってたけど、苦笑したトキノリに問いかけられた。
「私が若いのが気になりますか?」
「んん……まあ」
「君は20代なのか。とてもそうは見えなかった」
サクヤはこんな時でも、ずばっと言っちゃうから恐ろしい。
「ええ。23歳です。確か彼女も――カエデも同じ年だと思いますが」
そう。そのはずだ。
同い年の男女が偶然知り合って、仲良くなるのはあり得ないことじゃない。しかもカエデは片眼を喪っているとは言え、すげぇ美人だし。
あ、なるほど。トキノリ、面食いだったのか……。
偶然。都合の良い言葉だ。
それは、どこまでが偶然だったんだろう。
勿論その頃のトキノリは支店長なんかじゃなかったとしても。
銀行に勤めてるヤツと毎週飲みに行ってれば、そりゃあ色んな情報が手に入るはずだ。
「そんな仲が良いなら聞きたいんだけど、カエデのあの眼――何で片方なんだ?」
本当に聞きたいのは、彼女が獣人だと知っているかどうかなんだけど。
ジャブとして、隻眼の理由なんて聞いてみた。
この若さで支店長なんて良いポストってことは、この人、よっぽど良いとこの出身らしい。オレのあけすけな質問に、かすかに眉を寄せている。
こういう質問に拒否感を覚えるところも、それを顕にしないように我慢してるところも、トキノリの育ちの良さを示してるような気がする。
「……さあ、私には。私が彼女に会った時には、既に彼女はあの眼帯を着けてましたので」
トキノリから伝わってくるのは質問に対する拒否感だけで、オレ達が彼女を詮索することに危険を感じてるワケでも何でもないらしい。
うん。この人は今回の件には関わってない――もしかしたら、無意識に利用されたりはしたかも知れないけど。
「そっか、ありがとう。機会があったら本人に聞いてみるよ」
オレは笑顔でトキノリにお礼を述べた。
全ての金貨を馬車に積み終えたキリが、馬車の横でオレ達を待っている。
「では。今回は本当に助かった」
踵を返したサクヤに、トキノリは深々と頭を下げた。
馬車へと近付くオレ達は、黙ったまま視線を交わす。
さあ、これで資金は揃ったワケだから。ここからが本番。
気合を入れて臨まなければ。
だってあんたの同胞だけでなく、もしかするとあんたの身柄さえかかってるかも知れないんだから――。
2015/10/21 初回投稿