8 だます すかす おどす
【前回までのあらすじ】狼獣人族のキリはレディ・アリアの奴隷として登録されてる。それを解放する為にはサクヤがお金出して、キリを買い取る必要があるんだけど……希少価値のあるグラプル族を、正直過ぎるサクヤが果たしてどこまで値切れるか。そもそも本番の取引はこの後なんだけど……。
うまいことカエデ達の襲撃を退けた後、さすがに疲れたオレ達は宿に戻って泥のように眠った。
勿論。
カエデの言ってた「我が主」って誰だ? ――とか。
何でサクヤと手を切った商人の店に、サクヤが捕らわれていたのか? ――とか。
疑問はいくらでもあったんだけど。
もう無理。あんな過酷な運動の後に、そんなこと考える余裕はなかった。
ついでに、今朝のレディ・アリアとの交渉について、作戦を立てる余裕もなかった。
一応、サクヤがサラにお礼とお詫びを言う余裕だけはあったけど。あの「ありがとう、ごめん」という単純な言葉を、きちんとお礼とお詫びとして受け取って、諸々を水に流せるサラはやっぱり良い子だと思う。
レディ・アリアの事務所の場所は当然サクヤが知っていたので、サクヤとオレとサラと――キリの4人で赴いた。
事務所の中はレディ・アリアらしく華やかで、調度品も色々気を使っているのだろう。オレには良く分からないけど。
そして、今。
オレとサクヤはふっかふかのソファに座って、対面のレディ・アリアを見詰めている。室内があまり好きではないサラは馬車の周辺で待っている――はず。あいつのことだからどっかうろうろしてるかも知れないけどさ。
取引の商品であるキリはオレ達の背後に立ち、無言で交渉の行方を見守っている。キリが口を挟むことは出来ない内容なので、それが無難だろう。
レディ・アリアの微笑みは余裕に満ちていた。
この場合。
表情の示す意味は――高いわよ、で間違いないだろう。
オレもレディ・アリアも、どちらも先には言葉を発しない。
我慢比べじゃないけど……お互いに様子をうかがってるってところか。
譲り合った先手は――最終的に相手が取った。
レディ・アリアがふぁさりと扇を広げる。
「……知り合いなんでしょ?」
攻撃の矛先は――当然ながら、サクヤだ。
そりゃあ、そっちの方が陥落しやすそうだもんな。
質問の意味が理解できなかったらしい。サクヤが小首を傾げる。
「この事務所は、客に飲み物も出てこないのか?」
……あんたの空気読めなさ具合に、今回ばかりは大いに感謝したい。レディ・アリアの微笑みが引き攣ってる。
ああ、でも。
昨日の夜、レディ・アリアも似たようなことを言っていた、と思い出した。
なるほど。こういうとこが、この2人の仲が悪い理由なのか……。
「――あんたね、人の質問に答えなさいよ……」
「そういうお前が先に答えれば良いだろ?」
「あたしが先に聞いたんでしょーが!」
「ああ、もう! 喧嘩しに来たんじゃないだろ! 取引の話しようぜ」
「……そうしてもらえると大変ありがたい……」
立ち上がるレディ・アリアをまあまあと手で宥めながら先を促すオレと、微妙な声音でオレの背後から呟くキリ。キリに至っては自分の将来かかってる話なので……放置とか可哀想過ぎると思う。
黒い扇を無意味にはたはた動かしながら、彼女はソファに座り直す。
「……取引。する気あんの、そいつ」
「ありあり大ありだって。……多分」
サクヤが何かを答える前に、曖昧な微笑みを浮かべながらオレが答えた。サクヤに回答を任せると良いコトない。
「じゃあ……そいつら、知り合いなのよね?」
ぱし、と音を立てて、レディ・アリアの扇が畳み込まれた。その扇の先でサクヤとキリを指してくるので、オレは黙って頷き返す。ここは隠さない方が良いし――昨日の様子からもう隠しても無駄だ。
「なら、幾ら出しても買い取りたいわよねぇ……」
にたり、と笑いの質が変わる。
否定しても良いけど――オレは頷いた。
それが彼女にとっては意外だったのだろう。少しだけ眉が動く。
その動揺につけこんで、別の質問を重ねていく。
「あんたさ、出張事務所だってある訳だし、この辺はあんたのテリトリなんだよな?」
まるきり違う話題だから、さすがのレディ・アリアも訝しげな表情が濃くなって、恐る恐る頷く。
「……そうだけど。何よ?」
「じゃあさ、あんたこの街の人間関係ってどうなってるか、大体知ってるんじゃない?」
「人間関係? まあ、教えてあげても良いけど……」
高いわよ? と今度こそ口に出して、後に続きそうな声音で答えが返ってきた。
金なんか払うもんか――いや、金以外だって払うわけない。
オレの予想が正しければ……ふざけんな、だ。
次にオレが口にする言葉を、多分レディ・アリアは予想してない。
そして、予想してないときの一撃は、予想済みのそれよりきつくなる。
だから。持てる限りの集中を彼女の動きに注ぎ込んで――オレは唐突に本題に切り込んだ。
「あんた、ゆうべのあの時、サクヤがどうなってたか知ってたんだろ?」
ぴたり、とレディ・アリアの扇が止まる。
動揺、畏れ、不安――隠しても隠しきれない彼女の心情。
意外そうな表情で何故かオレを見詰めるサクヤと、背後のキリの期待に満ちた視線をちりちりと感じながら、オレはレディ・アリアに集中する。
彼女は感情を消した瞳でオレを見据えてきた。
「……何でそんなこと言うのかしら?」
「オレ達のチームがサクヤとオレとサラの3人だけだって知ってるの、オレ達以外にはあんただけだろ」
昨日の昼間。
サラがサクヤを置いてオレのところに来たことを、知ってるのはあんたと奴隷商人。
そして、サラだけがサクヤの唯一の護衛だと知ってるのは、朝、宿を出発する前にオレ達といたあんただけだ。
レディ・アリアはしれっとした顔をして、オレを見る。
「……だって。尾行されてたんでしょ? だったらその尾行の奴に気付かれたんじゃない?」
「サラはいまいち自信なかったみたいだけど、ほぼ確実に追い掛けられてたと思うんだよな。だってサクヤは例の新兵器で撃たれたんだから。新兵器持って追ってるヤツがいたんだよ、絶対」
「だったら――」
「――でもそいつにとっては、サラが去っただけじゃ安心できないはずだ。むしろ普通の神経なら不安になる。だってサラの隠密は完璧で、サクヤに追い払われる瞬間まで存在に気付けなかったはずだから……他にも誰かいるって躊躇したり、追い払われた振りしてやっぱりそこにいるんじゃないかって警戒せざるを得ない。――あんたが教えたんだろ? チームはこのメンバだけだって。サラがオレんとこ来たからもう大丈夫だって」
押し込むように。
オレは言葉を差し込んだ。
答えが返ってくるまで、長い時間のように感じたけど。多分レディ・アリアがぐるぐると考えていたのは一瞬だけだ。コンマ数秒の間で、彼女は答えを出した。
「なるほどね。あたしが垂れ込んだとしたら、その理由は――」
「商人同士に理由がいるか? あえて言うなら商圏の奪取――サクヤと付き合いのあった商店。融資の乗っ取りかけたの……シオじゃなくて、あんたなんだろ?」
オレの推測を受けて。
にまり、とレディ・アリアが笑った。
その表情でサクヤが苛立ったのが伝わってきたけど。
あえて、無視した。
今はあんたの方に意識を向けていられない。
オレとレディ・アリアのガチバトル。
剣では戦力になれないオレの、唯一の武器。
「まあー、放っとくとあたしの罪ばっかり増えるわね。何でそう思うのか、教えてくれる?」
「サクヤを捕まえたのは、ずいぶん柄の悪いヤツらだった。『ボス』ってヤツがいるって話してたけど。……あの店、サラが調べてもなんにも出てこなかった。融資の借り換えの話さえなければ、本当に普通の小売の店だ。何であの店にサクヤを閉じ込める必要がある? それを考えたら……『ボス』はあんたしかいない」
オレの言葉を聞いて、レディ・アリアはますます嬉しそうになった。
サクヤが撃たれた地点と、運び込まれた店はすごく距離が近いわけではない。
それでも、融資の借り換えを言い出した他の店よりは、まだ近い――というくらいか。実際、道々サラに聞いたところによると、昨日の晩にサクヤを探した時も、サクヤと別れた場所を中心に、関係しそうなところを片っ端から探していったという。
シオやカナイが犯人なら自分の屋敷にそのまま連れて帰れば良い。オレ達の知らないヤツが犯人なら、そいつの拠点へ連れて行けば良い。
それが出来ないのは――そいつがオレ達の知り合いで。なおかつ自分の拠点――この事務所を、サクヤに知られているから。それでもサクヤに敵対していることを隠しておきたいからだ。
黒い瞳が細められて、何故かサクヤに向けられた。
「……うふふ。サクヤ、あんた、ほんっとうに役に立つわんこを拾ったわねー」
「そう。俺のだ」
さっきまで無表情の裏で話の展開に付いてこれてなかったサクヤが、何故かそこだけ嬉しそうに答えてる。
もう。あんた本当――可愛くて困る。
レディ・アリアはオレが何の根拠で何を言っているか、大体理解してくれたみたいだけど。
サクヤはオレが言葉で補っていない部分については、すっきりと理解を諦めたらしい。小首を傾げながら、発展的な内容についてだけ尋ねた。
「それで? この街、どんな人間関係になってるんだ。知ってるならちゃんと教えろ。……これ以上、俺と敵対する気はないんだろ?」
低い低い声で囁かれるそれは――サラという秘密兵器を彼女に晒した今となっては明確な脅しだ。少なくともオレにはそう聞こえるし、多分レディ・アリアにも同じように聞こえたはずだ。
例え、本人に全くその気がなくたって。
罪を晒されて。
正面から脅されて。
それでも声が震えるのを最小限に抑えた彼女は、むしろ有能と言いたい。多分、オレしか気付かなかったと思うから。
「……何よ。夜道に気を付けろって言いたい訳?」
「お前の安全を心配なんかしない。俺が言いたいのは――俺達にはまだ、お互いの利用価値があるだろう、ということだ」
「そうだよ。例えば変なルートで手に入れちゃった獣人奴隷とかさ……。あんたもあの奴隷商人も、経緯を全部知ってたワケじゃないんだろ? こんな中途半端にシオやらカナイやらに良いように使われて良いのか? 天下のレディ・アリアともあろう大商人が」
多分、サクヤが言いたいのはそういうことじゃないんだろうけど。
勝手に言葉を奪って、最終的にはオレがレディ・アリアを煽った。
だけど、この辺りの言葉は不要だったかもしれない。レディ・アリアは、もうさっきの段階で全て決めていたようだ。即座に答えが返ってきた。
「……誰につくか即決しろって言われたら、もうどうしようもないわよねぇ……。あたしが知ってること教えるんだから、ここまでのことは水に流してよね……」
「もちろんだろ」
サクヤが答える前に、オレが笑顔で答えを返す。
だって、サクヤには出来なくても、オレにはいくらでも嘘がつけるんだから――。
2015/10/17 初回投稿
2015/10/17 誤字修正
2015/12/24 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更