interlude13
(カエデのこと、キリのこと)
(あんたから聞いてもいいけど)
(あんたの場合はこうして見る方が早い)
(チャンネルを選んで)
(カウントダウン――。5……3……1……)
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
ここが、この森の最深部と言っても良い。
木々の深さで昼間でも周囲は薄暗く感じた。
そんな中でも少女だけは明るく見える。
物理的に灯りがある訳ではないから。
多分、周りの華やかさによるものだろう。
木々の間を抜けて歩めば、すぐに見つけられた。
深々とクッションに腰掛けた、その姿を。
柔らかそうなそれが――彼女にとっての玉座なのだろう。
さして近付いてもいないのに。
目ざとくこちらを見付けた少女が、手を振ってくる。
(すげぇ、美少女……)
(短く刈り込んだ鈍色の髪、水色の瞳)
(これがグラプルの――?)
「来たね。巫女どの」
「またしばらく寄せてもらう」
その前に進み出て、軽く頭を下げた。
瞳を細めて、少女が頷く。
少女を取り囲んでいるのは。
色とりどりの華――もとい、同族の女達。
しなだれかかるように、お互い身体を絡ませている。
(そう言えば、ディファイの長老が)
(トラが言ってたな)
(グラプルの女王は同性でハーレム作ってるって)
いつもの癖で、無意識に価格を推定した。
美貌と艶めかしい姿態。
片手では足りない数の女を集めたこの後宮。
どれをとっても、売れば高値がつくだろう。
(あんたね、何の職業病なの)
(買取査定かよ……)
少女はこちらの視線の意味に気付いたらしい。
皮肉に笑った。
「欲しいかい? あげないよ」
「いらない」
一言で返したところで。
女達が笑いさざめく。
「女王様、巫女様ったらひどいですわ」
「リドルって冗談でもお世辞でも何か言ってくれないのですか」
一族の名を出されて苛立った。
表情に出す愚は犯さなくとも。
少女には敏感に見抜かれたらしい。
優しい眼で周囲を見回してから、緩く諭す。
「ほら、他の一族のことを悪く言うんじゃないよ。巫女どの自身のことを言うのは良いがね。冗句を解さないのはリドル族の特性じゃない。こんなのは巫女どのだけだ」
その言葉で、再び笑い声が広まった。
嬉しい訳ではない。
それでも自分について何か言われている分には。
さしたる問題はない。
女のうちの1人が、椅子を持って近寄ってきた。
「巫女様もお座りくださいな」
「……ありがとう」
すぐに辞するつもりだったが。
勧められればひとまず受けるが良いと。
以前この少女にしつこく忠告された。
ならば、他は別にしても。
当人の前では従っておいた方が面倒はない。
(あんた、忠告の意味分かってる?)
(当人の前以外でもそれなりにしてくれ)
少女は楽しげに眉を上げる。
「おや、私の忠告は君の耳に残っていたようだね、巫女どの」
「同じ話題で5時間も拘束されれば、嫌でも心に残る」
広がる笑い声。
何がそんなにおかしいのか分からない。
上品にくすくすと笑う声ばかりだから。
これだけ多くても耳障りではない。
少女は小さな手で傍らの女の髪を撫でた。
「サクラ、君の淹れた紅茶が飲みたいな」
その言葉に従って女は立ち上がる。
あまりに嬉しそうに歩んでいるので。
コーヒーの方が良い、とは言い損ねた。
(……言わなくて正解)
女の背中を追う少女の瞳も潤んでいる。
しっとりとした掴み所のない空気に。
うまく馴染みかねる。
(あんたには、あんまり経験がないからだろ)
(愛欲と愛情と忠誠と野心と……)
(そういうものが全部混じって)
(トラは正しい、ここはハーレムだ)
少女がこちらに視線を戻した。
「今回はどうしたの?」
「特に。近くを通ったから」
用があるわけではない、取引のついでだ。
土産を渡して、少し情報交換など出来れば良い。
「ふーん。調子はどうだい? 一族は」
「以前会った時よりは」
買い戻し、略奪、裏取引……手に入る機会は逃していない。
残るは、居場所も知れぬ同胞達だけ。
そのうちの何人が、生きているのか。
考えても仕方がないけれど。
「そう。難しいよね、あいつらに捕まっちゃうと……」
視線を外して、何か考え込む様子を見せた。
沈黙の落ちた間に、目の前に紅茶が差し出される。
受け取って、口をつけた。
「……ねえ。何かあったの? って聞いてくれないかな?」
「何かあったのか?」
言われたまま尋ねたのに、少女は顔をしかめている。
「……君って本当に……」
女達の笑い声で何となく考えた。
笑われてもさして腹が立たないのは。
かつて島で義姉達に囲まれていた時を。
思い出すからだろうか。
(そうか?)
(全然、雰囲気違うと思うけど)
(……あんた、女好きなだけじゃないの)
「……まあいいか。あのさ、もし君が外の世界で見かけたら、教えて欲しいんだけど」
少女の言葉に、女達がそれぞれ小さくため息をつく。
なるほど、何かあったらしい。
黙って視線で促すと、少女は重い口を開いた。
「多分、拐われたみたいなんだ……」
まさか、という言葉が喉元まで出かかった。
この森の中にあって。
女王に気付かれぬままに動くなど。
そんな力のある人間などいるものか。
それこそ――原初の五種の守り手くらいしか。
考えられない。
消えたヴァリィの一族を除けば。
グラプルの女王はここにいる。
ディファイの長老とは会ったばかり。
犬猿の仲のグラプルの森には近付くまい。
炎を守るグロウスの騎士は。
かなり以前から一族の中でごたごたと。
外に出るような余裕もないと聞く。
他にいるのは、決して。
完全な姫巫女とは言えぬ力の自分のみ。
どれを取っても、可能性などない。
ならば、やはり人間なのだろうか。
人間などに――?
折角抑えた言葉だが、こちらの表情で察したらしい。
苦笑しながら、付け加えられた。
「だよね。人間風情がどうやって森に忍び込んで、どうやって取っ捕まえたって言うんだって。私も知りたいよ。でも彼女が帰ってこないのと、尻尾の抜け毛が――たくさんの人間の足跡と一緒に見つかったのは事実なんだ」
彼女――と言うからには女性なのだろう。
(拐われたのが――カエデか)
紅茶の器を口元から外して、尋ねた。
「……詳しい特徴と、その時の状況を教えてくれ」
少女は満面の笑みで答えた。
「私から説明しても良いけど。彼女の幼馴染でキリという男がいるから、それに聞いて欲しいな。今後は彼が外との繋ぎを務めることになる」
「分かった」
手元の紅茶を半分以上残したまま。
傍にいる女に手渡して立ち上がる。
「……いや、今すぐじゃなくてもいいんだけど」
「こちらは今すぐでも問題ない」
周囲からまた笑い声。
ここにいると、何だか常に笑い声が聞こえる気がする。
(あんたが笑われてんだよ……)
ため息をついた少女が。
自分の足下に凭れ掛かっていた女の顎を撫でた。
「サツキ、彼女をキリのところへ案内してあげてくれる?」
「はい、女王様」
返答の声は可愛らしい。
きっとまだ若い狼なのだろう。
立ち上がり、こちらに向けて一礼をくれる。
「巫女様、どうぞご一緒に」
「ありがとう」
ここを辞す良いきっかけになった。
少女に再び頭を下げて、踵を返す。
「……全く。彼女、あんなに頑なじゃなければ、私のハレムへ入れてもいいんだけどなぁ」
「お止め下さい。私達だけで十分」
「ええ、それにあの細腕では、いざと言う時に女王様をお守りできません」
背後で笑い声とともに交わされる会話を聞いて。
何か引っかかるような気がして――まあ、いいかと聞き流した。
(――聞き流すな!)
(ディファイ族もそうだけど、ここでも)
(あんた、女だと勘違いされてるじゃん……)
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
男――と言うには、まだ幼いように見える。
少なくとも自分の外見年齢よりは下だろうと思う。
「君が……リドルの姫巫女か」
「そう。あなたがキリか?」
尋ねると、頷きが返ってきた。
(そっか、10年前だもんな)
(今は大人の男の)
(キリだってガキの頃があったんだ……)
「女王様に命じられたので、今後は私が繋ぎを務める。何かあれば私宛に連絡が欲しい」
「うん、よろしく頼む。早速だけど、拐われた子の情報を教えて欲しい」
痛々しく少年の顔が歪んだ。
悪いことを聞いたか、と思いながらも。
聞かずには探せないので、撤回はしない。
少年は瞳を揺らしながら、答える。
「……カエデは……」
――カエデ。
それが、拐われた彼女の名前か。
「……カエデはまだ13歳だ。私より少し耳が長くて、目は垂れ気味。尻尾はどちらかと言うと短め。昨年、人間と戦った時に右腕のこの辺りに傷を受けて跡が残っている」
「そう。女の子だな?」
「ああ」
ぎりぎりと歯を食いしばりながら。
耳を前方に突き出しているのは。
人間に対する怒りを感じているからだろう。
(違う……)
(多分、あんたももう少し観察すれば分かるよ)
(あんたにとっても馴染み深い感情だ)
「事の起こる数日前、森の近くで人間の一団を見かけた。武装はしていたがすぐに森に踏み入りはしなかったので、見張りを立てて様子を見た。丁度カエデが見張りをしていた時間が終わって――次の者が交替に行った時には、もう彼女の姿はなく……」
「尻尾の毛がたくさん落ちていたと聞いたけど」
「……そうだ。彼女のものに間違いない」
では、1人でいるところを。
その人間の一団に囚われたということか。
目の前の少年の瞳から、静かに涙が落ちた。
「……私は彼女を1人にしてしまった。今彼女はどんなに心細く、苦しんでいるだろう。まだ1人で見張りをするなど早いと――例え彼女に嫌われても、忠告すべきだった……」
その言葉からすれば、状況は少年のせいではないだろう。
それでも、後から考えれば、悔いる思いは限りない。
その気持ちには――覚えがあった。
(キリの怒りと後悔は、自分自身に対してだ)
自分には慰めるに適当な言葉はない。
同じ悲しみを感じるだけで。
ただ黙ってその涙を拭った。
少年の水色の瞳が、一瞬自分を見上げて。
次の瞬間には、堪え切れぬようにくしゃりと崩れた。
見ていられなくて、思わず抱き寄せた。
しばらくの間、胸元から聞こえる鼻を啜る音を、静かに聞いた。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
(森に入れば女王に見付かる?)
(人間達はどうやって森に入った?)
(10年の間にカエデに何があった?)
(全て、あんたが知ってる)
(カエデ――)
(カウントダウン――、5……3……1、切断――)
――暗転――
2015/10/16 初回投稿
2015/10/16 誤字修正
2017/02/12 サブタイトルの番号修正