3 サラだってしゃべります
【前回までのあらすじ】お金の問題はクリア出来た。けど同族のカエデに裏切られたキリを、奴隷の立場から救わなくちゃ。……なのに、別行動中のサクヤが帰ってこない。じりじりと待つオレとキリとレディ・アリアの元へ、サクヤの様子を見に行ったサラが焦った様子で戻ってきた。
サクヤは強いし、そもそも死なない。魔法も使える。
オレが心配する必要のあるヤツじゃない。
ただ、あいつには、弱点が幾つかあって。
その1つが、純潔の誓約。
何をどこまですると、誓約に背いたことになるのかは分からないけど、純潔を汚されると巫女の資格を失うことになる……らしい。
その場合どうなるのかははっきりしないが、最悪は一族もろとも消滅するとか。
そんな危うい状況なのに。何故か本人にはそんな自覚もなく――無防備すぎる。
もしも今頃――なんて考え始めたら、大人しく座っていられない。
いつもだったら不穏な気配のサラに「ちょっと落ち着け」くらい言えたかもしれないけど。今のオレにはムリだった。
「サラ、どうだったんだよ!?」
夜空を背後に背負って、上から下まで漆黒の小さな少女は何故か小さく見える。
漆黒の瞳が、何か良くないことを告げようとしている。
サラはごそごそとポケットを探ると、慌てて書いたことがはっきりと分かる、走り書きのようなレポートの束を差し出してきた。
手渡されて受け取っては見たものの、オレにはこの緊急時にこんな大量の文書を読む能力はない。サラも普段より慌てているせいで、文字がかなり崩れている。読めない程ではないから、サクヤや師匠ならすらすらと確認出来るのだろう。
でも。落ち着いて書かれた時のサラの字や、活版印刷の文字のような几帳面なサクヤの字を読むのさえ、時間のかかるオレには、この量をこの字で読もうとすると、永遠に終わらないような気さえしてきた。
「……サラ、ごめん。オレじゃ間に合わない。言葉で教えてくれないか?」
サラは僅かに目を見開いた。
小さな表情の変化ですら、サラには珍しいことだ。
オレは今までサラにあえて喋らせようなんて思ったことなかった。
だってそんなことしなくてもサラの能力は十二分に発揮されてる。
エイジの影で密かに敵を裂き、主人を守ることがサラに求められてる役割。それ以上は必要とされていないし――サラ自身さえ自分に期待していない。
だから、オレだって別にそれで良いと思ってたんだけど。
……背に腹はかえられない。
サラは黙って、オレの手からレポートを取り返す。
パラパラと中を見ながら、小さく呟いた。
「サラは――見た」
「おう」
不要かもしれないけど、はっきりと相槌を打って応えた。
きちんと主語と述語を使って話すサラを、初めて見たような気がする。逆に言えば、主語と述語しかないんだけど……。いつもの単語だけの言葉を発する時より、サラの肩に力が入っている。
「……サクヤは、捕まっている」
「うん」
「運び込まれた隠し部屋が、ある」
「……ああ」
「サクヤは、そこで、寝ている――起きない」
「うん」
「サラは、動かせない」
とぎれとぎれにそこまで報告したサラは、ふぅ、と息を吐いた。
尖った耳をこちらに向けたまま、額の汗を拭う。
状況としてある程度が理解できたオレは、ここまでの感謝をこめて力いっぱい頷いた。
「分かった、ありがとう……」
ほとんど情報とも言えない情報だけど、大まかには理解できた。サラが口に出したことよりもそこから類推出来ること――つまり、サラはサクヤが捕獲されているその隠し部屋まで到達出来ているってことが大切だった。
サラが入れるなら後の問題はオレも同じルートが使えるかどうかだけ。その辺りはもう喋らなくてもこちらから質問して絞れるし、いつものようにサラに先導してもらえば――と、そこで、ようやく部屋の中にオレ達以外のヒトがまだいることに気付いた。
「あらあらあら。あいつ、ついに捕獲されたの?」
楽しげな声はレディ・アリアだ。
隣で鎖をかけられたままのキリも、軽く眼を見開いている。
少し考えてみたけど、とにかくサクヤを回収しないことには商談なんか進めようがない。オレは少しだけそちらに身体を向けて、頭を下げた。
「ごめん。今日はちょっと話が出来なさそう……また明日、連絡するから」
すぐにでもサクヤを救出に行きたい。
あり得ない。あのバカ。あの大バカ。
だからサラを連れてけって言ったんだよ。
頭の中はそればっかりだから、オレはすぐにサラに向き直ろうとした。そんなオレを止めたのはレディ・アリアの笑いを含んだ声だ。
「明日なんて言っても、首尾よくサクヤを取り戻せたら――でしょ?」
からかい混じりの言葉は、今一番聞きたくない類のものだった。
「……取り戻すよ。絶対」
それ以外の可能性を今は考えない。
そんな思いも込めて、そう答えた。
窓から吹き込んできた風で、レディ・アリアのスカートの裾がちらりと動く。そこまで見てから、オレは今度こそサラの方に視線を移した。
何と言われようとどうなろうと、オレはサクヤを諦めない。それこそオレが死ぬとしても。だってオレは――サクヤのものなんだから。
「じゃあ、戦力は多い方がいいんじゃない? キリったらサクヤと知り合いみたいだし……逃さないと誓ってくれるなら、あんたにキリを貸してあげてもいいわよ?」
慌ててオレがもう一度振り向くと、彼女はその声に相応しく、にんまりと微笑んでいた。
「……高いんだよな?」
「ツケておいたげるわ。1つ貸しね」
――タダより高いものはない。
これをネタに、後から何を要求されるかたまったもんじゃない。
だけど。
「――借りた。これは、オレの個人的な借りだからな」
「ええ、もちろん。本人がいないところで契約は出来ないわよね。……じゃあ、キリ。枷の鍵はあげるから、逃げないようにね。まあ逃げても逃げ切れないことはわかってるでしょうけど」
「……ああ」
キリが視線をこちらに向けたまま、レディ・アリアに答えた。
その様子を見て満足げに頷いたレディ・アリアがキリに鍵を渡す。黒い手袋を嵌めた右手を、そのままひらひらと振った。
「明日、サクヤと一緒に私の事務所まで来てね。あの高慢ちきが無事だろうが無事でなかろうがどっちでも良いけど……あなたが怪我をしないことを祈ってるわ」
その手で自分の唇に触れた後、軽くオレに飛ばす仕草をしながら片眼を閉じる。
そういう仕草も様になるのだから、美人は素晴らしい。もうちょっとオレに精神的な余裕があれば、もっと感心するんだろうけど。それどころじゃないオレは手を振り返して、再びサラに身体を向けた。
背後からキリが歩み寄ってくる気配を感じる。
一瞬、眼前のサラの耳がぴくりとそちらへ向いて緊張を示したが、それ以上の反応はなかった。それでもサラにしては警戒を表に出している方だけど。
レディ・アリアが部屋を出て行く扉の音を聞きながら、オレはサラに尋ねる。
「サクヤがいるのは、サラ・レポートが既に出てる場所?」
――否。
あれ? シオの屋敷やカナイの屋敷じゃないらしい。
「誰の差金とか分かるか?」
――少し迷って、否。
さすがにそこまでは調べられてないか。
でも迷ったってことは、何か引っかかるものがあるのかな。
「えっと……サラが出入りしたルートは、オレでも使えるか?」
――唯。
頷きもしなくても、肯定の意思が伝わってくる。
オレの隣に、無言でキリが並んだ。
「オレと一緒に、来てくれるよな?」
最後の問いにだけ、サラは強く頷いた。
漆黒の瞳が一瞬、オレを力付けるように微笑んだ気がした。
サラは床にレポートを放り出して、窓へ向かう。
躊躇なく外へ飛び出すサラを追って、オレも窓枠に乗った。
背後で首を傾げているキリに視線を向ける。
「……あれは、喋れないのか? いや、しかし……」
あれ――とは、サラのことだろう。
「いや、喋れるんだけど、ちょっと無口なんだよな」
「ちょっと?」
訝しげな声が返ってきたが、その話はスルー。説明し出すときりがない。
「キリはサクヤの友達だと思って良いのかな?」
「そのニュアンスは違いがあるかも知れないが、基本的に彼女に与すると思ってもらって良い。私の一族はリドル族とは友好的な関係にあった」
えっと……グラプル族には『グラプルの女王』がいるんだっけ。
そう言えばこないだサクヤが、女王からカエデのことを聞いたとか言ってた。
やっぱりレディ・アリアは商人らしく情報を読むのが上手いんだろうな。そんな事情何も知らなくても、さっきの短いやり取りだけで――しかもオレが途中で止めたと言うのに、2人の関係を大体察することが出来てるみたい。
「じゃ、悪いけどちょっと手伝って欲しい。ちなみにサラについていくと屋根の上を走ることになると思うんだけど、キリはそういうの得意な方?」
「……変な質問だな。ディファイ族ほどではないが、まあ、人間よりは何だって上手く出来るさ」
さり気なくバカにされたような気もしないではないけど。多分、嫌味とかじゃなく本心なのだろう。
「オーケー。行こうぜ」
「分かった」
オレが足をかけた窓枠から、サラの待っている隣の店の屋根まで距離は……3メートルはなさそう。
「ついこないだも、こんなことやったような……」
思わず苦笑した。
サラが黒い瞳でこちらを見ている。月光の下で長い髪を靡かせる姿も、いつかの通り。違いは多分、あの時は満月で今は少し欠けてるってことくらいで。
立ち幅跳びだと思うと、ここから跳べるかギリギリな距離ではあるけど、オレはもう考えなかった。
一息に踏み出して――見事に屋根に着地。心なしかサラが嬉しそうにしている。数日前と比較しても、躊躇わなくなったオレの成長を喜んでくれているのかもしれない。
そんなオレの隣に、危なげなくキリが足を着いた。
オレ達が屋根に移ったことを見届けて、サラは次の屋根へと飛び移る。
オレとキリはその小柄な影を追って進んだ。
「何でオレ達いつも、囚われの姫の為に屋根を跳ばなきゃいけないんだろ……」
キリには分からない話だけど、前方から、くす、と笑う声が聞こえた。さっき一気に喋った影響だろうか。今日のサラは感情表現が著しい。悪い傾向じゃない――できれば、このまま色んなヒトと喋れるようになってくれたら良いんだけど。
サラは一軒の大きな店の上でぴたりと足を止めた。
大通りを少し内側に入ったところにあるその店は、構えからすると結構な大商店なんだけど――店の前の看板を見て思い出した。サクヤとの取引を断った4軒の内の1軒だ。
「ここ、入る」
「分かった」
オレの答えを待たずに、がし、とサラが足で屋根を蹴った。幾つかの瓦がずれて、その隙間から穴が見える。がっしがっしとその周囲の瓦をどけて、サラは天井裏に侵入していった。
穴の中を覗くと、そう離れていない位置からこちらを見上げてくる。天井裏はかなり暗いけど、目を凝らせば立って歩けるくらいの高さがあることが分かった。横幅は狭いしかび臭いけど、移動するには困らなそう。
キリと2人、視線を交わしてどちらが先に入るか決めた。キリを先に行かせておいて、オレもゆっくりと下に降りる。天井裏に足がついたところで、キリの視線に進行方向を示されて、オレも2人に続いた。屋根の瓦はあのままなので、きっと明日の朝、見付けた店のヒトは困るに違いない。
建物の形と侵入した場所から今いるところは店の1階の天井裏だな、と推測する。前方のサラがちらりとオレを見ながら、指で下を差した。
どうやら目指す隠し部屋は、地下にあるらしい。
天井裏から繋がっている外壁と内壁の間の隙間に、サラがそのまま入り込んだ。
「内側、力をかけないように」
壁の隙間から小さく呟く声が聞こえてきた。キリに物言いたげな瞳で見られて、オレは答える。
「外壁は丈夫だけど内壁は弱いっぽいから、体重かけるのはこっち側で」
説明するオレの言葉に頷くので、やはりキリに先に降りてもらった。
その後を追ってオレも、外壁に背中を当てて体重を支えながら、ゆっくりと降りる。天井裏よりさらに狭いこの、壁と壁の隙間を移動しながら、何だか虫とかネズミになったような気がした。
しかし、このスペース――帰りどうしよう。
サラ曰く寝ているというサクヤを背負ってこんなとこ登るなんて――キリなら出来る――の、かな……?
2015/10/07 初回投稿