17 かわいがってあげる
「なあ、あんた。予定してた明後日の取引、どうするつもり? あんたの義姉ちゃんじゃなかったワケだけど……」
問いながらも、サクヤの答えは分かりきってる。
サクヤはようやく身体を起こして、ひたりとオレを見た。
「変更はない。イワナでなくても、俺達の同胞であることに変わりはない」
「ですよね。いや、そうじゃなくて……」
予想そのままの回答に、オレは天井を仰ぐ。
「つまりさ。例によってナチルを人質にとられたら、あんた何でもしちゃうんじゃないかってことが言いたいワケ、オレは」
「するよ。当然じゃないか。勿論、誓約を違えない範囲だけど……」
ほらきた。
異常な程の同胞への献身。自己犠牲。
多分、リドルがまとめて捕獲されたその日に、何かあったんだとは思うんだけど。……それにしたって、ひどい。
大体それ、取引って言っても、交渉にならないだろ。頭沸いてるんじゃないか、この人。
――とは言わずに、オレの願望を伝えることにした。どうせ、自分がどう蹂躙されようが、それで同胞が救われれば構わないとか言い出すだろうから。
「なあ。オレはあんたに、もうちょい自分を大事にしてほしいんだけど……」
色々考えた末に、だいぶオブラートに包んで伝えたオレの言葉は。
さっくりと斬り捨てられた。
「……何言ってんだ。お前、ちょっと夢見がち過ぎるんじゃないか?」
――はあ!?
あんたなぁ! よく人のことそんな風に言えるな!?
夢見がちなのはあんただろ……。
人質とられて、言う事聞いて――何をどうすればそっからうまくいくと思えるんだ。
「どうするつもりなワケ? どうやってナチルを取り返すの」
「シオの時と同じでいいじゃないか。俺が向こうの注意を逸してる間に、お前とサラがナチルを奪還しろ」
「おんなじ手が2度通じると思うなよ!」
「通じさせろ! いいか、お前は何か勘違いしてるけど。他に方法がないんだ。ここで撤退してもナチルを抑えられてる限り、俺はあいつらの言うことを聞かざるを得ない。俺が姫巫女だと知られた段階で詰んだも同然だ。――分かったら、さっさと今日の日課の訓練でもしろ」
すらすらとまぁ……。
言う方は簡単だろうけど。こいつが言ってるのは「自分は手出し出来ないから、サラとカイで何とかしろ。具体策は任せる」ってことで……実行する方の負担は半端ない。
「そんななら、もう取引にこだわらなくて不意打ちすれば良いんじゃないか? そんで力尽くで確保するってのは、さすがにちょっと無茶過ぎるかな……」
「だからな。正規の取引以外のやり取りで、そもそも彼女は俺と会話ですら――してくれるのかという不安があるんだ……。正直この3人でナチルを無理矢理抑えておくっていうのはかなり無理がある。そもそも今から侵入計画立てても、取引の日時の方が先にくるし」
ああ。なるほど、確かに。
ナチルは自分の足でオレ達から離れていった。
そんなナチルに「逃がしてあげる」と囁いて、素直にオレ達の言うことを聞いてくれるか。……あの様子なら、最終的に金を出してその身柄を贖ったとしても無駄かも。
「まあ、言う事聞いてくれないよな、多分。しかし普通は奴隷なんて止めたいんじゃないのかなぁ。何で逃げるんだろ……」
「多分……俺が母親の生きている間に間に合わなかったから、許されていないんじゃないかと推測してるけど」
無表情に呟くサクヤを見て、聞かなくて良い質問を口に出したこと、後悔した。サクヤに言わせなくても自分で十分想像がついたはずの内容だった。
お詫びなんて言うと不遜だけど。オレはベッドに腰をかけて、さらさらとした金髪の髪を指で梳く。こんなんお詫びになるか分からないけど、慰めにはなったらしい。サクヤはオレの手の動くに任せて瞼を伏せている。
「どういうつもりであっても、明後日の取引の時に商品がないなんて不自然だから、ナチルは必ず来るだろう。そこでしっかり話をしなければ。俺のこと嫌いでも構わないけど、彼女には幸せになって欲しい」
自らを一族の剣であると言い切る姫巫女は、静かに囁いた。
そう言えば、取引だと言うなら、先立つものが必要なんだけど。
「あ。金、どうする?」
「うん、1万金貨の目処が立ったし一応は用意するよ。話がどう転ぼうが、先立つ物がなければどうにも出来ない」
「――目処が立った?」
思わず聞き返すと、サクヤはベッドの上でオレの方に身体を向けて座り直した。良く見れば胸元――シャツのボタンが上から2つ目まで開いてる。そんな状態だと、上から覗いた時に色々見えそうなので――ちょっと勘弁してほしい。
「明日、俺は銀行に行く。支店長のトキノリに進捗確認して、明後日の馬車の手配をする。お前は別行動」
「別行動? あんた1人で動く気か?」
「寂しいか?」
違うっつーの。
正直な話、今日の状況見てて、あんた1人にするのってすごく不安なんだよ。時間的な制限もあるから、戦力を分散して色んな手を打ちたいのは分かるけどさ。
あんた――同族のことを引き合いに出されると、冷静な判断ができなくなる。誰かが横で見ててやらないと……怖い。
「サラは引き続き調査に出す気?」
「そう。シオとカナイの周辺を引き続き調べてもらおうと思ってる。ただ、今日のアレで折角隠しておいたサラの存在が向こうにバレてしまったから……どうしようかとも思ってるけど」
その通りだ。今まではサラが気楽に使えていたシオの屋敷の天井裏も、今日のごたごたでオレ達がうろうろしてることが多分バレてる。だから――
「なあ、もうこれ以上はサラに調査させても、1日じゃ大したこと分かんないよ。あいつには聞き込み調査なんて出来ないし。だからあんた、サラを連れて行ってくれ。あんたが1人で動くのってすげぇ怖い……」
「何を……。それを言うなら、俺はお前を1人にする方が怖い。戦力的に不安がある。まあ、明日は厳密にはお前1人じゃないんだけど――」
ん? その言い方、気になるな。
オレは慌てて尋ね返した。
「え? オレは明日なんの予定なの?」
「レディ・アリアの接待」
予想外の答えだった。
どうやら昨晩提案したオレの考えがうまく実を結んだらしい。ようやくまともにチームの役に立てたようで嬉しくなる。
「レディ・アリアと連絡とれたのか!」
無意識の内に声が弾む。
サクヤも喜んでくれてるだろうと思ったのだが……どうも表情が固い。
「都合のいいことに隣国とこの仙桃の国の国境沿いの街にいたそうだ。お前を1日貸してやるのと引き換えに、交渉に乗ると言ってきた。明日には到着するから相手をしてやれ」
「じゃあ、金の目処が立ったって、それか! 現金持ってきてくれてんだよな?」
「それは自分で本人に聞いてくれ」
ずいぶん投げやりに答えが返ってきた。
あれ? と思って顔を覗き込むと、ふい、と視線を外される。
何だか微妙に拗ねているらしい。
「何だよ。あんたの方が寂しいがってんじゃないか」
からかい半分で笑いかけると、恐るべきことに小さく頷かれた。
驚きに目を見張るオレの前で、サクヤは視線を逸らしたまま呟く。
「お前は俺のなのに……。何でレディ・アリアに貸さなきゃいけないんだ」
「……あんた、それ……寂しいってより、子どもがおもちゃを盗られたときみたいになってるぞ」
まさか頷くとは思わなかったので、焦ったけど。
どうも、ただの独占欲みたいなものらしい。
良かった、なら安心、だ……?
――いや、あれ?
独占欲って、こういう時に必要だっけ?
ずりずりとベッドの上をサクヤが近付いてくる。
その視線に捉えられて動けないオレは、黙ってそれを見守るけど。黙ってるのをいいことに、サクヤの右手がオレのシャツの袖を握る。真下から、上目遣いで見上げられた。
――待て。
可愛い。可愛いから、離れてくれ。
こんな至近距離だと、本当に上からシャツの中が……。
「……レディ・アリアに誑かされるなよ」
不満げな表情で、そんな可愛いこと言うなよ。
それじゃまるで、浮気をするなと忠告する恋人のようだ。
もしもこの場にいるのが師匠だったら。「心配しなくても、あなただけですよ」と囁いて、抱き締めるに違いない。
――ああ、もう無理。オレにそんなん出来るか。
師匠に出来ても、オレにはちょっと難易度が高すぎる。無言のまま金色の頭をぐりぐりと撫でるにとどめておいた。気持ち良さそうに目を細めているので、これはこれで間違ったチョイスではないらしい。
……ああ、だけど可愛いなぁ。
いつもだったら、思考にブレーキかけるけど。
さっきも1回かけたばっかりだけど。
本当は誰はばかることなく、可愛いと言い切ってしまいたい。昼間みたいに、オレがうじうじしてる間にシオなんかに取られそうになるより、本当はそっちの方がいいんじゃないだろうか。
ここんとこずっと女だし。ドレス姿も綺麗だったけど、普段だって十分可愛い。手抜きなんて思って悪かった。あんたは何着てても――
――いや、待て。だからダメだって。
第二誓約について、シオが色々言ってたっぽいけど、結局どこまでOKなんだろう。理性を保ってる内に確認しておこう。
「あんたさ、シオの言ってた第二誓約の話、結局どんだけ分かったの?」
サクヤは一瞬ためらってから、小さな声で呟いた。
「シオの言う事を信じるつもりはないし――ただの情報としてそのままお前に伝えるにしても、何だか良く分からないことが多すぎて、どう言えばいいのか分からないから、コメント出来ない」
「……そんなに分からなかったのか」
まあ、でもそう言われてみれば、シオの言葉を信じる根拠もない。どっから聞いた話なのかも分からないワケだし。
止めた。聞いちゃうと事実と誤認してしまいそうだ。
――結局、今できる対策は。
「あんた、いつまでその姿なの? そろそろピアス外したら」
「お前が嬉しそうだったから、そのままにしてた」
「いや、別に嬉しくは……」
――ない、とは言い切れないのが、悔しい。
さりげなくサクヤから視線を外しながら答える。
「ごめん。そろそろ戻ってくれないと、いい加減押し倒しちゃいそうだ」
「……それは困る」
うまいこと昨晩と同じ流れになった。やっぱりこうやってはっきり言うのが正解らしい。押し倒されると困るなら、これで離れてくれるだろう……
――と思ってたんだけど。
オレをじっと見上げる様子からすると、サクヤはまだ何か尋ねようとしている。その顰められた眉も切なげに見えてしまうのだから、オレも大概だと思う。ダメだ、やっぱくらくらするくらい可愛い。
今夜に限ってこんなに可愛いと思う気持ちが剥き出しになってるのは。それってやっぱり、シオの屋敷で認識してしまったからだろうか。
オレは、サクヤを――
「……なあ、教えてくれ。お前が俺を押し倒しそうって言うのは、今日会ったシオみたいな――」
「――もういいから。早く戻れって!」
言葉を強引に遮られて、サクヤは青い眼を見開いた。
その首筋で揺れる金髪を見ながら考える。
気付けば。
この部屋にはオレとサクヤ2人しかいない。
こんな近くにいて、丁度良くベッドもあって。
ありがたいことに、サクヤを女の姿で固定することが出来てる。
サラも出て行ってしまったので、オレが何かしてしまっても止められることがない。やりたい放題だ。
今更のようにそれを再認識すると、今まで以上に心臓がばくばくし始めた。
「何をいきなり怒ってるんだ……」
「だから! さっき言っただろ。怒ってるんじゃない、あんたを押し倒しそうな自分と必死に戦ってんの。頼むからもう戻ってくれよ……」
何なんだ。
昨日はこれで納得してくれたのに。
今日は何故かぐずぐずしている。
押し倒されてもいいと思ってる――ワケじゃないよな、やっぱり。
いつか襲ってきた双子執事なんかは最低なヤツらだとは思うけど、自分が同じ立場――見た目据え膳状態に直面すると、まあ一部理解できなくはないな、と思う。あくまで一部だけだけど。
サクヤはきょとんとした顔で、小首を傾げた。
「だってお前の言う、その状態がどんな感じなのか、全く実感がわかないから……」
「あんたね――」
シオに迫られて、指先震わせてたのは誰なんだ!
何なんだよ、アレは。分かってないから怖がってただけだったのか!
昨日も言っただろ! いちいちオレがどんな気持ちなのか、毎回説明しなきゃいけないのかよ!?
こっちは必死なのに、余りにも呑気な様子に理性の糸が切れそうになった。誓約を破らせてはいけないと思って、容赦してやってるというのに……。
ああ、そうかよ。
あんたがその調子なら、こっちにだって考えがあるよ――。
「良く分かった。これも昨日みたいに体験すりゃいいんだろ」
「? まあ、可能なら……」
答えを最後まで聞かずに、両肩に手を回して抱き寄せる。腕の中にすっぽりと入る身体を随分小さく感じた。
かなりきつく抱いてるせいで、柔らかい胸がオレの胸板に当たって押し潰されている。あんまないと思ってたんだけど、こうして触れるとやっぱオレとは全然違う身体だから、柔らかくて頼りない感じにぞくぞくする。
なかなかサクヤの顔を見れなかったんだけど、意を決して見下ろすと、青い瞳に浮かんでたのは恐怖じゃなかった。ひどく安心した。
安心したら、先が欲しくなった。
今夜こそ。驚きで軽く開かれた唇に、自分のを押し付けようとして――
――ガン、とブーツで脛を蹴られた。
「――痛ってぇ!」
「……お前、何しようとした?」
ベッドから転げ落ちてしゃがみ込み足を抱えたところで、冷たい声が上から降ってくる。サクヤがベッドを降りて、いつもの鉄板ブーツの踵をガツガツ確かめているのが、オレの視界に入ってきた。
直後、目の前に何かキラキラするものが落ちてきた。
これ――さっきまでサクヤの耳についてた蒼玉のピアス。結構な金額のシロモノなので、慌てて拾って傷が付いてないか確認する。……とりあえずは無事のようだ。
オレはピアスをてのひらにのせたまま、サクヤを見上げた。
「くっそ! さっきから何度忠告したと思ってんだ! あんた、ここまでしないと危機感出てこないのか!? どんだけ無警戒なんだよっ!」
サクヤがゆっくりと膝を突いて、オレの目線に合わせてくる。
「……お前は、俺が無防備だと言うが」
正面から見つめられて、ピアスの宝玉よりも深い青に少し気圧された。あんな針程度の傷は、ピアスを外してしまえばあっという間に治ったらしい。久々に男に戻ったサクヤの低い声が響いてくる。
「――お前程度の力で、この俺に何が出来る?」
……ほぉ。
つまり今のは油断じゃなく、余裕だと。
オレが何をしようが、あんたはいなせると、そう言うワケだ。
「……なるほど。オレが気を遣って我慢してやる必要なんかないんだ」
「気を遣う? 何様のつもりだ」
そりゃ、あんたのことだ。
心配してるオレに対して、何て言い草。
さっきまであれだけデレておきながら、よくもこんな手の平返しが出来るものだ。しかも――本気で言ってるのだから、腹立たしい。
無防備にしているのは、襲われてもいざとなればこうして回避できる自信があるからだそうだ。素晴らしい。
――つまり、サクヤを教育するには。
痛い目を見せればいいってことだ。
そうすればオレの権威も回復し、サクヤに油断は良くないと教えてやることが出来る。
床に這いつくばるオレを置いて、サクヤは再びベッドに腰掛けた。いつものように足を組んで、後ろに重心をかけている。
オレはその回避のしづらい不用心な姿勢に、黙って殴りかかった。
「そんなもの、食らうか」
低い声が楽しげに響いたその瞬間に、サクヤの姿は目の前から消え失せていた。目を見張る内に、低い位置から勢い良く足を払われる。
単純にベッドから滑り降りて、足払いをかけられただけのようだが――動きが見えない!
あっさりと転かされて、床に倒れ伏した。
オレの腹を跨いで、真上からサクヤは腕を組んで見下ろしてくる。
「俺を守るつもりか犯すつもりか知らないが、どっちにせよ力不足だ。もう少し練度を上げてこい」
……この!
少し笑いを含んだ声が、本当にムカつく!
――結局。
これをきっかけに、サクヤのご機嫌は何だか浮上したらしい。
寝るまでの間そこそこ楽しそうにしていた。いつも偉そうに注意するオレを叩き潰したのがよほど嬉しかったのだろう。
だけどオレは落ち込んだりしない。
速攻で日課の訓練を2日分やった。
悔しさをバネにするタイプなのだ。
――そう、今はあんたの勝ちだ。認めてやる。
だけど、覚えとけよ。絶対に、絶対に、近いうちに。
あんたを引き倒して、上から見下ろしてやる。
その時になって泣いて謝っても、許さないからな!
2015/10/01 初回投稿