14 けがれた手
サクヤとイワナ。
どっちを先にするか。
オレ自身は、早くサクヤを安全なところへ連れて行きたいんだけど。多分サクヤはイワナの無事を確認するまでは、動きたがらないと思う。
……そうすると、イワナを先に迎えに行くしかない。
「いや――分担するって方法があるか……。オレ1人で、イワナを救出出来るかな?」
サラに尋ねると――どうも悩ましい空気が返ってきた。見張りの数とか強さとか考慮すると、無理っぽいのだろう。
しかし、逆は更に難しい。
この無口なサラに初対面の人間を迎えに行って、何事もなく連れ出すなんて出来るワケない。
「仕方ない。順番に行こうか……」
一刻も早くサクヤの安全を確保したいのに――気持ちだけ急いている。
だってあいつには誓約があるんだ。シオがイワナを囚えていたなら、姫巫女の誓約についても色々聞いているかもしれないけど。どこまでが大丈夫でどこからが大丈夫じゃないか、サクヤ自身でさえ知らないのに、何をされるか分からない状況にいるなんて。
下手すりゃ一族諸共消えちゃうんだぞ!?
ふと、オレをじっと見詰める黒い瞳に気付いて、そちらに視線を向けた。どことなく責めるような気配を感じたので、1人で言い訳してみる。
「……何だよ。何1人で怒ってんのかって? だってあいつ姫巫女なんだぞ。性的な接触はオールNGだ。それなのにあんな……バカじゃないのか、あれ」
「オールじゃない」
1人でブチ切れてるオレの言葉に、珍しく声で答えが返ってきた。
しかも、『オールじゃない』って――
「――もしかしてサラは『神の守り手』の第二誓約、具体的に何しちゃダメなのか、知ってるのか?」
そう言えば、サラの兄貴のディファイの長老トラは過去の事例がある、なんて言ってたけど……。
オレの問いかけに、もうサラは反応しなかったが。その微妙な雰囲気から判断するに、サラも知ってることと知らないことがあるっぽい。
ただし、それをオレに言うのは――まあ、サラも女だし。
そんなことを考えながら2人歩いていると、サラがちらりとオレを見上げてきた。先程のオレの問いには答えなかったが、代わりに別の言葉を呟く。
「……心配じゃない。ただの、嫉妬」
何を言っているのか分からなかった。
嫉妬? 誰が誰に? 何の話だ?
オレの困惑が伝わっているはずなのに、サラはそれ以上は何も言わず黙々と進んでいく。オレも黙ってその後を追うけど。
(サクヤを――自分が、抱きたいだけ)
儚い声が、頭を過ぎった。
その声に追い立てられるように、オレは全てを理解した。
サラのさっきの言葉、今オレがこんなに胸をざわつかせている理由。
心配も勿論あるけど――それよりも、気持ちの大半を占めるのは。
少しだけ立ち止まったサラが無言のまま一度、オレの手をはたいた。ちょっと落ち着けと注意してくれているらしい。すぐに身を翻して、また前へ歩を進める。
「ありがと、サラ」
真っ直ぐに立ってる長い尻尾の後を追いかけて、オレもまた静かに歩きだした。自分の気持ちが腑に落ちて、焦りは変わらなくても覚悟がついた。
外から見れば、そういう風に見えるらしい。
そうか。そういうことなんだ。
じゃあやっぱり――サクヤを、シオの思う通りにさせる訳にはいかない。
改めて決意したところで、結局は天井裏を歩くことには変わりない。
さすがに例のレポートの書き手であるサラは、既に完璧に屋敷の中の構成を覚えているらしい。一瞬たりとも迷わず進んでいく。
オレは後をついて行きながら、念の為に見取り図を確認する。サラを疑っているワケじゃない。もしもサラと別行動になったとしても、きちんと1人で立ち回れるように――だ。
途中、壁の隙間のような狭いところを通り抜けて、下の階へ降りた。そのまましばらく進んだところで、サラが足を止める。
「……ここか」
サラに促されて、床――つまり下から見ると天井の、隙間のようなところから部屋の中を覗いた。
そこに、さっき見たばかりのリドルの女がぼんやりと座っていた。
周囲にいるのは――女の隣に、さっきのトラの獣人が1人。入り口の方に獣人かどうかも分からないが、人影が1つ。
オレは床から顔を離して、サラに尋ねる。
「どっちの方が強いと思う?」
サラは無言でナイフを引き抜いた。そのナイフの先は真下を指している。
「オーケー。じゃあサラにはこの下のトラの獣人を頼む。オレは入り口のヤツを殺る」
静かに、サラは数歩移動した。最も奇襲しやすそうな場所を陣取ったらしい。オレも入り口近くへ移り、天井板に手をかける。
「いいか? 行くぞ――1――2――」
――3!
同時に飛び降りたオレとサラに、室内の2人の見張りはかなり驚いたらしい。どちらへ向かうべきか、一瞬悩んでいる様子が表情に現れている。正面から見れば、オレのターゲットは普通の人間だった。耳も尻尾もない。
オレは小型ナイフを振りかぶって、剣を抜こうとしているそいつの腕に斬り付けた。痛みで相手が柄から手を離したところで、もう一太刀――心臓に突き刺した。
「――っぐぁ!?」
オレのナイフは、過たず急所を突き抜いた。
胸を押さえて即死した相手が倒れかかったところで、ナイフを引き抜き、サラの方へ視線を移す。サラはちょうど濡れたナイフを振り切って、鞘へ仕舞おうとしていた。その背後に先程のトラの獣人が倒れていて――さすがと言うしかない。
「いや! あなた達、誰――!?」
抑えられた悲鳴のような声は、リドルの女のものだ。
オレはそちらに出来るだけ近寄らないように、遠くから声をかけた。今のオレの風体は血塗れで――多分、警戒されて当たり前の状況だ。不用意に近付いてこれ以上怖がらせたくない。悲鳴を聞きつけて他の奴が近寄ってきたりしたら面倒だ。
「あんた、サクヤの義姉ちゃんで良いのか? オレはサクヤの仲間。さっき会ったんだけど、あんた覚えてるかな……」
同じ場所にいた時間も短いし、そもそもあの状況ではサクヤしか見えてないと言われてもおかしくないかもしれないけど。
「え……? さっき、サクヤの隣にいた――」
「あ、見えてた? 良かった。サクヤが心配してる。オレ達と一緒に行こう」
オレの差し出した手を、彼女は不審な眼で見る。
まあ、そりゃそうだよな。こんな――血塗れの手で。
しかも何のために血塗れなのかって……サクヤを取られたくないってだけなんだから。シオにも、神サマってヤツにもさ。
「……怖い」
怯える様に、頭の端っこで再び違和感を感じながら、オレは言葉を足す。
「えっと……あんた、イワナだっけ? あっちがサラで、オレはカイ。とりあえずサクヤを救出しなきゃいけないから……ちょっと通りづらい道かもしんないけど、我慢して一緒に来てくんないかな?」
『サクヤを救出する』という言葉で、ようやくイワナはこわごわ頷いた。
「サクヤを――分かった。行く」
きゅ、と緊張で手に力が入った様子が見えたので、オレはその緊張を出来るだけほぐすように、意識して笑いかけた。
「じゃあ、まずは天井に上がるっていう、結構キツい運動からなんだけど。頑張ってもらえるかな」
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先に上がったサラに引き上げて貰ったオレ達は、やっぱり天井裏をこっそり歩いている。サラを先頭にイワナを挟んで、オレがケツ、と縦に並んでるのは、歩く幅が狭いせいだ。
オレは小声で前を歩くリドルに話しかけた。
「イワナ、あんたリドルの姫巫女について、どのくらいシオにバラしてある?」
「……何が言いたいの」
きっ、と睨まれてオレは驚いた。別に悪気があって聞いたワケじゃない。今後の対策をたてようと思っただけだ。
だけど良く考えれば、本人も罪悪感を持っているのだろう。
多分色々あったんだろうけど、義弟の秘密を売ったようなもんなワケだから。
「ごめん、責めるつもりじゃない。ただ、サクヤは今――えっと――貞操の危機なんだ、多分」
「……姫巫女の第二誓約の話なら、シオにはしてある」
紅の瞳が泣きそうに歪んだ。その表情を見て、悪いことを聞いたな、と少し反省した。
ずっと聞かずに済ませられることじゃない。だけど、サクヤ本人が聞いた方がイワナも気が楽かもしれない。そう思ったオレは、それ以上は何も聞かないことにした。
前を歩くサラが、ちらりとこちらを見た。そろそろ黙れと言いたいらしい。
オレは頷き返しておいて、イワナに分かるように自分の口の前に人差し指を当てた。そのジェスチャーでイワナも理解して、オレの眼を見詰めた。
少し先の方で、サラが下を指している。
オレはイワナの横を通り抜けて、そこから下の様子を伺った。
「……ね? 大丈夫よ、サクヤ。痛いことなんてないわ。ほら……」
「…………」
そこは広いベッドルームだった。
天蓋のついたベッドに並んで腰掛けている2人は、これ以上ない程密着している。一言も喋らないサクヤの身体に両手を回して、緊張を解きほぐすように、シオは耳元で語りかけていた。
「獣人はボディタッチが多いって聞いたわ。ねえ、これくらいは普通でしょう?」
言いながら、シオの片手はストールの中のサクヤの肩を抱き、もう片手でドレスの上から太腿を優しく撫でている。冷たく凍ったサクヤの声が、その言葉に答えた。
「俺が怖いのは……第二誓約を破るようなことにならないか、ということです」
「まあ! そんなことをすれば、サクヤ自身がいなくなってしまう可能性もあるんでしょう? 私がそんなことをする訳ないわ」
「何しろ曖昧な誓約ですから、そのつもりでなくとも、ということもあるので」
姫巫女たるサクヤの言葉は、決して嘘ではないはずだ。
だけど。
嘘ではない――でも、真実全てでもない。
サクヤの今までのパターンからすると、口に出してない真実を隠す為に、目くらましの事実を使ってるんだろう。きっと。
生まれて初めて女からあからさまな情欲を向けられて、その身体で受けることが怖い、なんて真実を隠したくて。
「その点はね、多分、サクヤより私の方が詳しいの。第二誓約について詳しく知りたい? どこまでが大丈夫で……どこからがダメなのか」
言葉とともに、シオは優しくサクヤの身体をベッドに押し倒した。
ドレスの背中に腕を回して紐をほどきながら、耳元に何か囁いている。
少しずつドレスを緩められながらも、大人しくシオの言葉を聞いているサクヤの顔色が一瞬真っ赤になって――しばらくすると困惑の表情になった。
「……あの、すみません。あなたの言うその単語の意味が……良く……」
どうも、シオの使っている単語の多くがサクヤの理解を超えているらしい。シオが余程下品な言葉を使ったのか、その手のことに関するサクヤの語彙が少な過ぎるのか――多分、両方だけど。
「可愛い。分からないのね。良いわ、最初から全部教えてあげる」
嬉しそうなシオの声が聞こえてきて――サクヤが眉をしかめた。
緩んだドレスの胸元からするすると手を差し込まれて、顔を背けている。
「まあ……可愛い。男は頭が悪いから大きければ大きいほど良いなんてバカなこと言うけど。本当はこれくらいの方が綺麗よね」
「……知りません」
「どう? 何だか気持ち良いでしょう?」
「……答えたくありません」
――やばい。
ぼんやりタイミング見計らってたら、いつの間にか差し迫った状況まできてた。シオがドレス脱がすの早すぎるんだよ! サクヤはあのきつい下着着てるっていうのに。
オレとサラは視線で合図を交わして、じりじりしながらカウントアップを始める。
――1
無意識の内にシオを押しのけようとしたのか、サクヤは、いつの間にか捲くれ上がったドレスの裾を太腿に引っ掛けて、ベッドの上で膝を立てた。白いストッキングを太腿で止めるガーターベルトがちらちらしている。
――2
シオの身体にかかった左手は簡単に捕らわれて、シオの右手でベッドに押し付けられた。同時に動いたシオの左手に反応して、サクヤがその白い喉を晒すように大きく仰け反る。
「――いや! サクヤ、駄目!」
3カウント目の前に、すぐ傍からでかい悲鳴があがって、オレとサラは身を竦ませた。オレ達の隣で叫んだのは――イワナだ。
「――誰!?」
真下のシオに先に気付かれた。オレは慌てて天井板をどけて、下の部屋へ滑り込む。ナイフを振りかぶってシオに切り掛かろうとして――瞬間で身を起こしたサクヤに先を越された。
今の一瞬の隙を突いて、サクヤはシオの右手をひねってその背中を踏み付け、ベッドに押し付けている。
部屋の外から慌てたようなノックの音が聞こえてきた。シオの誰何の声に反応したのだろう。オレは慌ててシオの身体を掴んで起こし、背中から腕を回して、抜いたナイフを首筋にぴたりと当てた。
「――ひっ!?」
身を竦ませたシオの耳元でオレは小声で囁きかける。
「……外の奴らに『問題ない』と伝えろ」
「――も、問題ないわ! サクヤが暴れているだけよ! 入って来ないで!」
シオの言葉でノックが止まった。
「失礼しました……」
ぱたぱたと立ち去る足音が聞こえて、シオが安堵か後悔か息を吐く。
オレは腕の力を抜かないままサクヤの方に声をかけた。
「サクヤ、もう大丈夫だ。あんたの義姉ちゃん、上にいるから安心しろ」
「カイ……。イワナ――?」
サクヤが太股に引っ掛かってるドレスの裾を下ろしながら、天井を見上げる。
しばらくうろうろと視線を彷徨わせてから、瞳がそっと細められた。天井の上からイワナが手を振っているのが、ようやく見えたらしい。
「……この! 穢らわしい男が――」
オレの方に顔を向けて悔しそうにシオが呟いた。
さっきあんたを押さえたのはサクヤなんだけど。
でも。オレはその言葉に全面的に頷いてみせる。自分の守りたいものだけを求めて、血に塗れるオレは穢らわしいとしか言いようがない。それは圧倒的に事実で、自覚してる事実をこうして提示されても、オレには痛くも痒くもない。
「じゃあサクヤ、オレ達はそろそろ帰ろうか。この女どうする? このまま玄関まで人質にするか? それとも、いっそここで殺しちまって天井裏を帰るか?」
「……っ」
「――いや」
シオが息を詰まらせたところで、サクヤが小さく声をあげて、首を振った。ドレスの胸元を押さえたまま、シオの手を取る。
「シオ。お願いがあります……」
呟いて、シオの目の前でくるりと背を向けてから、長い髪を手元に引き寄せた。髪の下から見えるのは滑らかな白い背筋と、それを彩る青いドレスの紐――
「この背中の紐……元に戻して下さい……」
情けない声を聞いて、シオが呆れたようにため息をついた。
……ええ、オレも全く同じ気持ちですよ。
さっき解かれた紐、サクヤは自分で戻せなかったらしい。
シオの頭越しにオレも見てみたが……左右で複雑に入れ子になってて、多分オレも戻せない。サラにはもっと無理だと思う。
シオはしばらく苦笑を浮かべていたが、すぐに手を伸ばして、しゅるしゅると器用に紐を結んでいった。
「……出来たわ」
「ありがとう。――俺の目的はこれで達成されたし、すぐにここから出ます。あなたがそれを黙って認めてくれるなら、俺達はあなたに手出ししたりしない。大人しくイワナを返してくれますね?」
サクヤが丁重に対応するのは。
そしてオレがあっさりと殺してしまわないのは。
ここに来るまでに殺した使用人や獣人達と違って、シオがこの国では力を持つ商人だからだ。下手をすればオレ達は殺人の罪に問われ、追手がかかる。可能ならば、やはりそれは避けたい。
神官達は皆、命はどれも平等に尊いというけど。
それを奪った後の処罰には、差が出るのが現実で。
オレはやっぱり平等なんて信じられない。
例えば、シオの命とサクヤの命――オレにとっては同じ重さなんかじゃない。
「そう……。いいわ、連れて行きなさいな。私の命と引き換えだものね」
肩の力を抜いたシオの声は優しい響きで、サクヤは素直に「ありがとう」と答えたのだが。
なぜか。
オレは背筋が凍るような感触を覚えた。
何だろう、何かが食い違ってる。オレは何かを言わなきゃいけない。
天上を見上げると、黒い尖った耳の端と、白く長い耳が覗いている。
その姿を見ながら、オレは頭をぐるぐるさせるが。
その何かが分からなくて。
胸の奥がちりちりと焦げるような気がした――。
2015/09/25 初回投稿