12 その名前を呼ぶ
道中、サクヤはオレの腕を離さなかった。
まあ、エスコートってそういうものだし。
そもそも……履き慣れない踵の靴と長い裾で、オレの手を離してきちんと歩けるのか。本人は「多分いける」なんて言ってたけど。本当かよ。
オレとしては。
今まで見たことない程綺麗な女が、オレの腕を取ってるなんて状況、楽しくて仕方ない。
サクヤは美人だと知ってたけど、やっぱりこうしてきちんとめかしこめば、その美しさは輝くばかりだ。普段どれだけ手を抜いているんだか、全く。
だけどなぁ……。これ、何かまずいような気がする。
こんな姿見ちゃったら、余計に。
あんたを男だなんて思えなくなる。
……まぁ、今更か。
オレがうじうじ悩んでる間に馬車がシオの屋敷に着き、通されたのは、広く豪奢な部屋だった。中央にでかいテーブル。それを囲むように椅子が何脚もある。部屋中にぴかぴかしたものが置いてあって、オレみたいな下流階級の人間からすると、目がちかちかするくらいだ。
ぼんやりと部屋を見ていたら、ドレス姿のサクヤに脇腹をつつかれた。
「……椅子引いてくれ」
小声で言われて初めて気が付いた。
ぎこちないながらも椅子を引いて座らせてやると、「ありがとう」と微笑まれた。だけど……この微笑みの感じは、愛想笑いか、皮肉だな。
まあ、レディファーストを忘れるようなヤツには丁度良い対応だろう。今回はオレが悪い。
使用人に勧められるままに、オレもサクヤの対面の席に座る。対面なんだけど――テーブルがすごく大きいので、向こう側のサクヤとは随分距離があるように感じる。これは内緒話がしにくそうだ。
困惑しているオレに笑いかけてから、サクヤがいつものように足を組もうとした。背もたれに背中をつけようとして――ユウキの言葉を思い出したらしい。はっと気付いて、再び背筋を伸ばしている。
ふんぞり返らずに足を組むのは、サクヤにとっては珍しい経験のようだ。何度か身体を動かして、落ち着く体勢を探している。自分の身体の取り扱いに悩んでいる様子が、こちらで見ているオレからすると非常に面白い。
こっそり笑いを堪えていると、使用人がそっとサクヤの傍へ寄っていった。
そこからオレにも聞こえる声で、シオの来訪を告げる。
「お待たせ致しました。主人がこちらに参ります」
サクヤが立ち上がろうとした瞬間に、使用人がすっと椅子を引いた。
なるほど。あれが良いタイミングというヤツか。今ので覚えた。次からは綺麗に出来ると思う。
いつの間にかオレの隣にも別の使用人が来ていたので、こちらも立てということだろう。
ちょうど立ち上がったタイミングで扉が開き、淡いピンク色のドレスの女が1人、室内に入ってきた。
「ああ、何て綺麗なの! ねぇ、サクヤって呼んでもいい?」
薄ピンクの女は甘えるような声でぱたぱたとサクヤに近付いてくる。
突然の申し出に、サクヤは微妙に困惑している様子だが、それを表情へは出さず、小さく微笑んで「どうぞ」と答えた。
「ありがとう! 私、サクヤが来るのを本当に楽しみにしていたの!」
サクヤの手を握りながら喜ぶ様子は、心底からのものに見えた。目鼻立ちの整った女が大輪の笑顔を浮かべる様は、傍で見ていても惹き込まれるものがある。見事なブロンドを緩く結って、リボンと宝石で纏めたその姿は、愛らしい中にも品のある姿だ。
ただし気をつけなきゃいけないのは。
フリルやリボンの多いピンクと白を基調にした可愛いドレスを纏っていて、見た目オレと同じくらいの年に見えるが――ぶっちゃけオレの勘は、もっと上だと言っていた。
――そもそも、あんた誰なんだ。
この女、入って来たのはいいが、自己紹介もしてない。
そしてこの場合、その質問をサクヤにさせるワケにはいかない。あいつには、何でも知ってる顔をしておいてもらう方が良い。
なので代わりに、オレが思いっ切り怪訝な顔で睨んでやった。オレの視線に気付いた使用人が、サクヤの隣からさり気なく移動して、薄ピンクの女に近付き声をかけた。
「……お嬢様、まだご自身の紹介が……」
「あら、必要かしら? だって、サクヤは私に会いにいらしたんでしょう? この鳴海 志保に」
サクヤの手を握ったまま、シオは更に一歩、サクヤに近付いた。
彼女の皮肉っぽい言葉は、言葉の主が目当てのシオであることを示している。
――なるほど。
女商人と言えば、レディ・アリアとは既知だが、こちらのシオもなかなか食えない性格らしい。
サクヤに対してはしゃいで見せているが、それもどこまでが芝居なのか。
「では俺も、シオ、と呼ばせてもらいましょう。それとあちらが――」
「まあ、嬉しい! 今日は来てくれて本当にありがとう。さあ座って座って」
オレを紹介しようと手で示したサクヤの言葉を途中で奪って、シオは着座を促した。使用人がまたさり気なく椅子を引くので、仕方なくサクヤは座る。
――今のタイミング。
明らかにオレを除しようとした。
そもそもオレは、シオからずっと無視されている。目当てのモノしか目に入らないタイプの女なのか? ――と思っていたのだが、今ので分かった。サクヤの言葉に被せるタイミングが、あまりにも完璧だ。
わざとなのか、たまたま被ってしまったのか、迷うレベル。
……だからこそ、逆にこれは計算された行動に違いない。
「シオ、そちらに……」
「あら、ごめんなさい。お連れがいらしてるんだったわね。こちら?」
シオは執事に椅子を引かせて自分も着席しながら、今度こそオレの方を見た。
また、このタイミングも素晴らしい。完璧に無視をするのではなく、ぎりぎりで嫌がらせしてくる。オレは気を悪くするより感心したが、多分サクヤはこういうタイプは苦手だろうな。さすがに表情には出さないが、困惑している空気が伝わってくる。
……あの人、根が単純だからなぁ。
「三之宮 櫂です」
「そう、よろしくね」
声は優しかったが、サクヤに見えないようにこちらに向けた表情は冷たかった。徹底的にサクヤにしか興味がないと言いたいらしい。それも、サクヤ本人が嫌な思いをしないレベルに調整しつつ、示してくる所が小賢しくて素晴らしい。
さて、どうするかな。
こいつに抗戦するのもいいが、まずは金策の話を纏める必要がある。
シオがサクヤと話したいなら、オレは黙って見守る方がスムーズに進むはずだ。
「さあ、お食事を始めましょう。サクヤのために色々と用意したのよ!」
弾んだ声は本当に嬉しそうだった。
一応シオは今夜の招待主として、オレとサクヤの間、でかいテーブルの一番奥に座っている。勿論、身体は完全にサクヤの方を向いているけど。
オレの方からは、キラキラした瞳の端っこと軽く頬に当てた手がかろうじて覗けるだけだ。
……初対面で、何でこんなに嫌われてるんだか。
「歓待して頂けるのは嬉しいが、あなたは俺のことをどこで……?」
「うふふ。その話は美味しいお料理を食べながら話しましょう。ほら、まずは食前酒を」
「お気持ちだけ頂く。食事はしないとお伝えしてあったと思うが」
「あら、そうだったかしら?」
「…………」
――あ、イラッとした。ほんと、短気だなぁ。
表情には変化がないが、冷ややかな空気が漂ってくるのを感じる。
注がれる食前酒を無視するサクヤをにこにこと見守りながら、シオは1人で乾杯した。
「今夜から始まる、私達の関係に乾杯しましょう」
「ご自由に」
「せめてグラスを掲げるくらい、お付き合いくださるでしょう? 私、本当にあなたとお食事するのを楽しみにしてたのよ」
その声には悲しそうな様子が十二分に出ている。並の男なら、切なそうな表情に絆されるところだろう。
――まあ、サクヤさんは、絆されるかどうかなんて問題じゃなくて、キングオブ自分勝手だからな。
「あなたが楽しみにするのはあなたの勝手だ。それより俺は頂いた話を進めたい。こんな恰好までして、こちらに来たのはその為だ」
これ、別に怒ってるせいでこんな物言いなんじゃないんだよ、多分。
その証拠に、サクヤの声はそう硬くない。ただ単にこれがサクヤの交渉スタイルだというだけだ。
率直過ぎるサクヤの言葉にくすくす笑いながら、シオはグラスに口をつけた。
「まあ素敵。私の為にそんなにしてくれるなんて。でもそれなら、もうちょっと私に付き合ってね。ほら、今私が飲んだこれには毒なんて入ってないわ。取り換えっこしましょうか」
静かに席を立つと、グラスを持ったまま再びサクヤに近付く。死角に入らないように歩いているのは、グラスに毒を入れる隙はないと言いたいのだろう。
そのままサクヤの手を取って、自分のグラスを握らせた。
「さあ、どうぞ――」
促されて。
サクヤはそれを煽った。
中身を全て飲み干してから、挑むようにグラスをテーブルに置く。
その様子を見て、シオの笑みがますます深くなった。
グラスから指を離したサクヤの手に、自分の指を絡める。
サクヤはその指を自分の手に握り込んで、シオを見上げた。
「……それで? 俺の求める話には、いつ入ってもらえるんですか?」
「少し残念だけど……サクヤがしたがっているのだもの。すぐにその話をするわ。現金が欲しいのでしょう?」
シオのもう片方の指が、サクヤの頬をするすると撫でる。初対面にしては過剰な接触にも、サクヤは顔色を変えなかった。
ただし。
非常に不穏な状態だと思ったので、オレは勝手に席を立った。
多分シオはオレの動きに気付いただろうが、先程と同じく無視を貫いて、特に何も言わなかった。
サクヤはこちらを見ずに、ただシオの瞳を真っ直ぐに見上げている。
「そうです。勿論、ただでとは言わない。見返りも用意します。あなたの望みは何ですか?」
ただ一途に発せられる直截な言葉に、シオはうっとりと微笑みを返した。
「綺麗ね……。ひたむきに追い求める姿――、ねぇ、何故私はドレスで来て欲しいなんて言ったと思う?」
「……さあ。俺には判断できません。ただ単におかしなものを見たかったのか、俺の機動力を殺したかったのか……」
話が逸らされて、サクヤの表情が不満そうになる。
ようやくその横まで辿り着いたオレは、その肩に、落ち着かせるように手を置いた。どうやらサクヤはシオを食い入るように見ていたせいで、背後から近付いたオレに気付いていなかったらしい。ぴくりと背中を震わせてから、オレの手に自分の手を乗せた。
オレの方を見上げたシオの目付きが刺々しくなる。
「……私ね、汚らしい男は嫌いなの」
「それなりには清潔にしてるよ。旅暮らしだからどっかの姫君みたいに、毎日風呂に入ったりは出来ないかも知れないけど。それを言うならサクヤだってそうだろ」
肩を竦めて見せると、ますますキツく睨まれた。
「男だというだけで穢らわしいのよ。サクヤに触らないで。汚れてしまうわ」
「……俺も男です」
「いいえ! サクヤは違うもの! ねぇ、それにもう1つ理由があるのよ?」
すげぇ、とオレは思わず感動した。
オレとサクヤに対する表情の切り替えが素晴らしい。
あんまりその差が大きいので、オレ達が交互に喋っても、間違えずに続けられるかな、なんてくだらないことを考えてしまう。
「理由とは……」
「あのね、あなたが女性の身体を維持できるか、試してみたかったの。出来るのね……、良かったわ」
「俺は試されていたんですね? 今の言い方だと――」
「――あんた、サクヤの性別が切り替わること、何で知ってるんだ?」
ただ女だと思い込んでるだけなら、たまたま見たとか、勘違いしてたとか何とでも理由がつけられるが。女の身体を維持する――なんて言い方は、サクヤの秘密を知っていないと出てこない。
するり、とサクヤが席を立つ。エスコートとは言わないが、オレは軽く椅子を引いてやった。
「あら――口が滑ってしまったわね。何で知ってるかって……薄々予想がついているんじゃない? 聞いたからよ」
「誰から――」
シオは指を伸ばしてサクヤの唇にあてる。
「聞くと、サクヤはきっと嘘だって言うわ。そんな嘘をつかせる訳にいかないから、先にお見せしたいの」
自分の発言に気を使いすぎるぐらい、気を使うサクヤが。
思わず嘘だと言ってしまうような相手と言うなら。それは――
「入って来なさい!」
シオが背後の扉に向かって声をかける。
扉が開いて入ってきたのは、ガタイの良い男に掴まれた、銀髪の女だった。白くてふわふわの毛に包まれた長い耳が、その頭上から伸びている。ぺったりと耳を伏せて、紅の瞳がこちらを見た。
「サクヤ――」
「――イワナ!?」
オレの隣の姫巫女を呼ぶリドルの声に答えたのは。
これ以上ない程、狼狽したサクヤの声だった――。
2015/09/22 初回投稿