10 脅しじゃなく
飯を食べ終わって、オレは転がっているサクヤの隣――ベッドの上へ移動した。サクヤはシーツに金髪を散らしたまま、オレを見上げてくる。
その金髪の端っこをどかして座り込んだオレは、ちゃんとまともに考えた方の提案を口に出した。
「よし。じゃあ、マジメな案を出すぞ。まずレディ・アリア、こないだまで隣国の蔵の国にいたよな。あいつに連絡とって現金を送ってもらえないかな?」
「連絡? どうやって?」
「へ? ペーパーバード、じゃダメなのか?……」
あれ? ペーパーバードってそういうモノじゃないのか?
こないだアサギに貰うまで見たことも使ったこともなかったから、今一つ勝手が分からないんだけど。
「ペーパーバードは宛先がはっきりしてないと使えない。つまり、受取人とその受取人がいる場所が、厳密じゃなくても大体の範囲で分かっていないと。今回、受取人はレディ・アリアでいいだろうが、彼女がまだ隣国にいるかどうか。いても、どの街にいるかまでは……」
ああ、住所と言うか受取人の現在地が必要なのか。
そうすると、例えば、青葉の国のアサギから、旅から旅へのサクヤに向けて出すには、今頃どの辺りにいるのか旅程を知らないと無理ってことか。
逆にアサギは国を離れることはあまりないだろうから、サクヤからアサギへ連絡は取れるワケだ。
それでサクヤは青葉の国から足が遠のいていた間も、一方的にエイジへ連絡してたのだろう。……税金関係の件だけ。
「いつもはどうやって連絡取ってるんだ?」
「俺の場合は青葉の国に受け取りの魔法がかけてあって、ナギに受け取ってもらってる。時々は取りに行くようにしてるけど、数ヶ月単位で時間がかかってしまうことも多いな。レディ・アリアはもう少しきっちりしてるから、拠点に届いたものは転送してると思うが。それだって数日から長ければ1ヶ月はかかるだろ」
へぇ、ペーパーバードってそうやって使うのか。
「俺やアサギは自分で作るからまだ良いが、金を出して買うと結構な値段だぞ。だから普通はすごーく気を付けて書く。書き損じたり破ったりしたら、ものすごく勿体無いから」
「……そんなかかるの?」
「場所によって差があるけど、だいたい1枚が金貨数枚分くらい」
「――うぇ!?」
やばい! アサギ、あんなぐちゃぐちゃに扱って、本当ごめん!
金貨何枚って……オレの1ヶ月分の食費超えてるよ!
心の中で謝って、アサギに笑顔で「良いですよ」と許してもらったところまで妄想してから、オレは改めて考えた。
「あのさ、それって、指定したところに相手がいなかったらどうなるんだ?」
「しばらくは周辺を探し続けるが、見つからなければ宛先不明で戻ってくる。1度使ったペーパーバードは2度と使えないから、普通はそうならないように事前に確認するんだけど」
「……じゃあさ、あんたの場合は自分で作るから、向こうが受け取れなくても大したデメリットはないんじゃないか? なら、ダメ元で幾つかの街へ向けて同時に出してみれば?」
「……ああ、そういう手も有るのか」
サクヤの瞳が輝いた。やる気が出てきたらしい。
ベッドの上から起き上がり、こちらを見る。
「それ、やってみよう。ペーパーバードは距離に応じて到着にかかる時間も延びるから、早ければ早い方がいい。今夜出しても隣国だと届くのは明日になるだろうし」
「よし。じゃあ、それはこの後やってみてくれ。次の案な、この街には金貸しとか質屋とか賭場はないのか?」
「……いや、あると思う」
絶対あると思うけど、事実が確認出来ないから、サクヤは慎重に返答してくる。嘘をつかないという誓約は、こういう細かい気遣いで成り立っているんだな、と感心する瞬間だ。
「普通、現金があるのはそういう場所だろ。交渉してみたらどうかな? 現金がないだけで預金は大量にあるんだろ?」
「今日、下ろすつもりだった額はそのままある」
「顔見知りの商店に頼むつもりだったんだろうが、いっそ現金を持ってそうなところに手当たり次第行ってみてもいいんじゃないか?」
「そうだな。手当り次第は少し乱暴だけど、サラに調べてもらってカナイやシオの息がかかってなさそうなところなら……」
身を乗り出したサクヤが、オレの手を握った。
……ああ、まただ。南国の果物のような匂いがする。
この香り。多分、この人の育った土地の香りなんじゃないかな。
「突然ぼんやりして、どうした?」
「あ? いや、手を繋ぐなって言っただろ」
「……あ? あぁ、悪い」
ぽい、と放り出された。
自分で拒否したはずなんだけど。
こうして離されると、やっぱり何か……。
もやもやしてると、サクヤが小首を傾げて至近距離からオレを見上げてきた。
「俺は今日、考えていたんだけど」
「お、おう? 何だ?」
サクヤの瞳は少し伏せられていて。
何だかよほど気に掛かってることらしい。
「お前、俺が女の時は甘えてるって言ってただろ?」
「言ったけど……」
出来たらそれ、掘り返さないで欲しかった。
もしかしたらオレのせいかも知れないって、ちょっと悩んでるとこだから。
「あれな、今、理由分かった」
「え、分かっちゃったの?」
うわ、バレたか!? ――と思ったら、違った。
サクヤは瞳を伏せたままで、小さく呟く。
「女の時だから甘えてるんじゃなかった。お前はもう俺のだろ? だからお前は全部俺の延長線上の存在で、何しても良いと思ってたらしい」
「――は?」
「だから。女の時だからじゃなくて、あの満月の夜から、ずっと俺はこの感覚なんだ……」
言われて、思い返してみた。
……そう言われてみれば、そうかもしれない。
そうか。一緒に風呂に入ると駄々をこねられた時から、ずっとこんな――。
「さっきからちょっと不思議に思ってて、それで気付いた」
「不思議? 何だよ?」
問い返すと、寂しそうに笑う。
「ノゾミと2人でこうして同じ部屋にいると、いつだってくっつかれてたから。何でお前は抱き締めてこないんだろうと思って」
「――あんたっ……」
それ以上の言葉が、すぐに出てこなかった。
もう、何て言えばいいのか分からない。
オレはノゾミじゃないし、普通くっつかないし――オレが抱き締める時は、ノゾミちゃんみたいに何事もなしじゃ終わらねぇんだよ!
あんたみたいな、子猫がじゃれ合うような感覚じゃないんだ!
――と、口を開けば叫ぶことになるはずだ。
黙って悶絶してるオレを、サクヤは不思議に思ったらしい。
おずおずとオレの頬に指を当てて、真下から見上げてきた。
その距離は――容易に抱き締められる、ゼロ距離間近。
オレは黙ったまま、頬にあてられた手を取った。
手を握られて、サクヤが繋がれた2人の手を見下ろす。
「……手を繋ぐのは良くないんじゃないのか?」
「もうあんた、オレに触んな――」
「? 今触ってるのはお前なんだけど」
「違う。あんただ」
眉を寄せたサクヤの不満げな表情が、目の前にある。
少し突き出された唇は、薄ピンクで。
――それに、触れたくなる。
オレはその唇に自分のを近付けて。
距離が縮まると、鼻先に温かい吐息を感じて。
甘い香りに頭の中がくらくらする。
唇が触れ合う直前で、見開かれたままの目の前の紺碧をようやく意識した。
――やばい、ダメだ!
ガツン、と音がしそうな勢いで、オレは自分の身体を止める。
ダメだ! この一線越えると踏み留まれない、絶対!
終始不思議そうな顔をしているサクヤは、多分、オレの考えなんか何にも分かってない。何されそうになってるかも全く理解してない。
何もしちゃいけないんだけど、サクヤを教育する為には、何をされそうになってるかは分かって貰わなきゃいけない。
――ので。
オレは繋いでない方の手の指先で、サクヤの胸を突付いた。
……柔らかい。
「……あんまりしれっとした顔してると、がっつり揉むぞ」
脅しにもならないような脅しを聞いて、サクヤが目を見開く。
繋いでたオレの手があわあわと空中に放り出された。
……ああ、なるほど。
こうやって言うことを聞かせればいいのか。
今まで恥ずかしくて言わなかったのが悪かったんだ、やっぱり。
揉むぞとか、押し倒すぞとか、はっきり言った方がいいってことか。
……いや、やっぱり恥ずかしいんだけど。
体験しないと分からないと言うのなら、仕方ない。
ようやくオレの言いたいことを理解したサクヤは。
両手で胸元を押さえて若干後退りながら、上目遣いでこちらを見上げてきた。
「……揉まれると、困る」
「オレも揉みたい気持ちにさせられると困るワケ。分かった?」
「どういうのが揉みたい気持ちなんだ」
「だから、今みたいに不用意に近寄られたり甘えられたりすると。ノゾミちゃんはどうだったか知んないけど、普通、男は女にくっつかれるとそういう気持ちになるんだよ」
「……俺は男だ」
――あんた、そこ本当に譲らないな。
じゃあ、そこはまた今度にしよう。分かるとこから説明してやるよ。
「じゃあ、もういっそ男女とか言わないことにする。男同士でもそういう気持ちになるんだよ」
「――?」
サクヤの顔に理解不能の文字が浮かんだ。
うん。さすがにこれは、ちょっと乱暴か。オレだって師匠にくっつかれてもそんな気持ちになんないもんな。どこ揉むんだよ、きもい。
「ごめん。訂正する。中身が男でも外側が女なら、そういう風にくっつかれたら、男は皆そういう気持ちになるんだよ」
「……ノゾミはならなかった」
「ノゾミちゃんだけは別。あれは特別。特殊。変態。他は全部そうなるの」
本当はノゾミちゃんもオレの側だと思うけど。
ただ例の鋼の精神力で我慢してただけだと思うけど。
まあ、今更オレが何を言っても、手を出さなかったことは事実だから、その精神力に免じて何も言わないでやろう。
「お前は?」
「オレも勿論、ばっちりなるから。だから今、あんたは揉まれそうになったワケ。分かった?」
「……分からないけど、分かった」
なんだ、そりゃ。
今度はオレが理解不能の表情をする番だ。
サクヤは何となく両手を胸の前で組んだまま、小さく呟く。
「俺も男だけど――その、そんなにまで揉みたいという気持ちが今一つ……」
あ、分かんないんだ。
どうも、そこまで揉みたいという気持ちになったことがなさそうな。
そういう意味での『分からない』らしい。
だけど、何でそんな顔してるんだ。
分からないことが悔しくて仕方ないみたいな。
ほんと、あんたって――やっぱ、可愛い。
オレ、もう本当に、この人が可愛くて仕方ない。
だって女にしか見えない。し、今は完全に女だし。
だからきっと、姫巫女の誓約なんてものがなければ、脅しじゃなくて押し倒してしまえると思う。
そう考えると、やっぱりこの人には、普段からきちんと自衛して貰わなきゃいけない。他の男からも、勿論オレからも。
じゃないと、オレ。
自分の理性にそこまで自信持てないよ――。
2015/09/19 初回投稿