8 オンナのたたかい
「――おい、サクヤ。何やってんだよ」
今回は人がまだ少なく、比較的容易に近付けたので、オレは歩きながら大声で呼びかける。オレの声に気付いた人が道を譲ってくれた。
寄ってきたオレの方を見ないまま、サクヤは答える。
「俺は何もやってない。こいつらが勝手にぶつかってきて、勝手に騒いでる」
「勝手にとは酷いなぁ。ぶつかった拍子にマントが外れちゃったから、ごめんねってさぁ」
「そうそう、お詫びに奢ってあげるって言ってるんだよ。君もどう?」
「おれ達、今、懐は暖かいんだよね。ね、隊長」
酔っぱらいが背後に向かって同意を求める。
そこで、遅ればせながら。
場末のただの酔っ払いとしか思えない2人に対して、サクヤが警戒を解かない理由が分かった。
酔っ払いの背後、ほとんど人垣まで下がった位置に1人の女性。右眼に眼帯を付けて腕組みした美女は、昼間会ったばかりのカエデ小隊長だった。
「おや、カイくん。奇遇だね。会いたいと思っていたらまた会えた」
「奇遇だな、カエデ小隊長。オレはあんまり会いたくなかったけど」
その名を聞いて、対峙しているのが何者かサクヤも理解したらしい。この遭遇が何かしら仕組まれたものだと――待ち伏せされていたのだと。静かに、いつでも飛び掛かれるように、少し重心を変えた。
「カイくんはつれないな。そんなこと言わないで紹介して頂戴。そっちがサクヤ様? 初めまして、なのかな? それとも昼間に見かけたのかな? 私は背中を向けてたから良く分からなかったんだけど」
ああ……それは、サラのことだろう。
背後から忍び寄った為に、カエデにはサラの姿が見えなかったらしい。
それならそれで幸いだ。このまま隠し通しておこう。
もちろん、サクヤも同じことを考えているらしい。カエデの言葉には何一つ答えない。無言のサクヤと睨み合いながら、カエデが面倒そうに髪を掻き上げた。
「さて、そこの酔っぱ君達。お仕事の時間だよ。君達はそこの少年を。私はマント娘の担当だ」
酔っぱ君と呼ばれた2人から、ブーイングが上がった。
一応は剣を持つオレよりも、サクヤの方が楽そうに見えるからだと思うけど。本当のところは間逆なので、無知とは怖いものだと思う。
「えー、おれもお姉ちゃんにお相手願いたいっす」
「おれもおれも。逆の方が良くないすか?」
2人の酔っぱ君達からは、声を上げる度に酒の匂いが漂ってくる。かなり回っているのだろう。これだけべろべろにさせれば、どんな理由を付けてでも、戦力として引っ張って来れそうだ。
だけど、カエデの語る偽の理由は――さして頭の良くないオレでさえ、ちょっとどうかと思うくらい酷いものだった。
「何のために奢ってあげたの。約束したでしょ、私の彼氏を寝取った女への復讐を手伝ってくれるって。首尾よく行けば味見ぐらいはさせてあげるから、とにかくそっちの少年を押さえといて」
「へーい」
もうちょいマシな理由にすればいいのに、と思いつつ。
よく見ると3人とも、警備隊の制服の上着だけを脱いでいる状態だった。会話の様子からも察するに、酔っぱ君達も警備隊の兵士らしい。酔っているとは言え、訓練された正規兵2人相手に、オレ1人で勝てるかな……?
周辺の野次馬も、カエデ達が警備隊の人間だと気付いたらしい。
野次馬達は美女同士の対決にわくわくしているが、心情としては見知った警備隊を応援する方が多いようだ。あちこちから「隊長さん、頑張れや!」という声が聞こえる。野次馬が口を出す分にはどうでも結構だが、手を出されると困ったことになってしまう。
サクヤが、ちらりと視線だけを送ってきた。
心配してくれているらしい。
オレは腰の剣に手をかけながら、口に出して答える。
「大丈夫……か、どうかは、やってみないと何ともだけど。とりあえず全力は尽くすから」
――何とも情けないが、これが現状だ。
オレの言葉を聞いて、サクヤが小さく頷いた。
「危なそうだったらさっさと逃げろよ。何度も言うがお前がいると……」
――自爆すら、出来ない。
あえて後半は言わなかったが、サクヤの言いたいことはすぐに分かった。
どうやらサクヤにとっても、カエデを相手にするにはそのくらいの覚悟が必要らしい。オレはサクヤに頷かないまま、剣を鞘ごと腰から外した。街中であることと観戦者がいることを考慮して、剣を抜かず鞘ごと構えながら、酔っぱ君2人に身体を向ける。
それ以上答えないオレの無言の反抗を感じ取って、隣でサクヤがため息をついた。
構えたオレの姿で、こちらの準備は整ったと認識したカエデが、拳を構えて声を上げる。
「さて、サクヤ様。私の彼氏を返してほしいんだけど」
「いいぞ、隊長さんよ!」
「返せ返せー!」
無責任な野次を背負って、カエデが駆け寄ってきた。
それを受ける為に、オレを置いたままサクヤも間合いを詰めていく。
「……身に覚えが――ないっ」
言いながらいつものブーツで蹴り上げるところまでは、何とか見ていられたのだが。
「ほらほら、ガキの相手はこっちだってよ」
(正面から――拳で)
どこからか声が聞こえた瞬間、反射的にオレは剣を鞘ごと正面にかざした。丁度そこに酔っぱ君が殴りかかってきて、その拳を鞘で受ける。
1人の攻撃を受けている間に、もう1人がオレの背後に回っていた。後ろを取られそうになって、身体を低くして前方へ逃れる。
最初にかかってきたヤツが、うまく横をすり抜けたオレを見て舌打ちをする。再び飛びかかろうとする2人に向けて、オレは片手を突き出した。
「――ちょっと待て。オレ、あんたらと闘う理由ないんだけど!」
「ガキになくても、大人には事情があるんだよ」
殴りかかってくる1人を斜めにかわした瞬間に、もう1人の蹴りが下から迫ってきた。さすが正規兵――割と連携うまいよ、こいつら!?
鞘で蹴りを受け止めながら、オレは一気に後ろに下がる。
「事情ったって、あんたらんとこの隊長が彼氏に振られたってだけだろ? 何で振られた時に振った男じゃなくて相手の女んとこ来るんだよ? おかしいだろうが」
酔っぱ君達はそれぞれに困惑した表情を浮かべたが、手を止めはしなかった。そのままもう一度攻撃を仕掛けて来る。十分な間合いを取った状態で、1人がオレの背後に回り込み2人で挟み撃ちをする作戦らしい。
少しずつ間合いを詰めながら、近付かれて。
横に逸れようとしてもさりげなく回り込まれ、オレを囲む2人の距離はだんだん近くなる。
タイミングを合わせて、前後から2人が飛び掛かってきた。
オレはあえて、前方の方の兵士に向かって力一杯踏み込む。
オレの攻撃を受け止めようと鞘を掴まれた。その瞬間に、鞘の留め具を外して剣を抜きながら、更に斜め前方に駆け抜けた。
とりあえず鞘をとかげの尻尾にして、うまく囲いを抜けることが出来たが、この避け方は1回しか出来ない。もう一度同じ戦術で来られると詰んでしまうので、その前に。
オレは、サクヤとカエデの方を指しながら、兵士達に向かって叫んだ。
「見ろよ、あれ! どう見ても弱いもの虐めだろ!?」
オレがそちらを指差した時、サクヤは丁度カエデの蹴りをブーツの底で止め、その勢いを使って大きく空中に跳んだところだった。
サクヤの戦法を良く知っているオレには、それこそがサクヤの狙いだと分かっている。
1分の過ちもなくタイミングを合わせてくる緻密さと。
柔らかい身体を使ったバネの弾み。
自分の思う通りの場所で攻撃を受けられる先読みのスピード。
自分の力を最大限に使った、サクヤにしかできない戦法だ。
戦っているカエデも、踏み台にされたことに気付いている。
忌々しげに唇を歪めた。
ただし、外から見ている人間には、小柄なサクヤがカエデに吹っ飛ばされたように見えたらしい。カエデを応援する野次馬の歓声と、サクヤに同情する男達の悲鳴が渦巻く。
空中に飛び上がったサクヤは、カエデの頭を狙って斜め上から回し蹴りを放ったが、その時には既にカエデは後方に下がっていた。
酔っぱ君達はオレに視線を戻すと、痛ましそうに、うーん、と唸った。
その同情する声音からすると、どうやらこいつらにもサクヤがどつかれているように見えているらしい。そもそもが先程言ったように、カエデの因縁のつけ方が悪い。酔った勢いで「よっしゃその女狐を成敗してやるか!」となったんだろうけど、実際に女を殴るとなると、それもサクヤのような小柄な女をどつくのは、余程の怒りがないと難しい。
「そうは言ってもよ。もう、奢ってもらっちゃったし……」
「なぁ……」
「何言ってんだ、あんたらの大事な隊長さんなんだろ! 正しい道に導いてやってこそ、酒の恩も返せるってもんだろうが!」
再びオレが指をサクヤ達に向けたとき、恐るべく良いタイミングで、丁度サクヤが顔に一発拳をくらっているところだった。
追撃をかわすためと衝撃を弱めるために、拳の方向にそのまま身体を流して、転がるように逃れているのだが。これまた、後方に吹っ飛ばされてるように見えるのだから、困ったことだ。
2度目には、歓声よりも悲鳴の方が多くなっていた。
「あれはやっぱり違うだろ! 可哀想に……。腕に覚えがあるからって、か弱い女に対してやることか? あんたら! 街を守る警備隊なら、復讐も正義に則って正々堂々裏切った男に対してやれよ!」
周囲でオレの演説を聞いていた野次馬達から、拍手が湧き上がった。
「そうだー!」
「いじめんな!」
酔っぱ君達以外の街の人々も、結構な人数が聞いていたようだ。……まあ、そのために大声で叫んでたんだけど。
ついでに情けないことを言うと、これで拍手が貰えるということは、オレ自身がその裏切り男だとは思われてもいないらしい。カエデが本妻でサクヤが浮気相手で、そのサクヤと一緒にいたのがオレにも関わらず。
……何故なのかは、知りたいような、絶対知りたくないような。
そんなオレ達のワケの分からない盛り上がりをよそに、カエデとサクヤの攻防は続いている。サクヤが立ち上がり切る前に駆け寄ったカエデは、長い足を綺麗に使い低い蹴りを放った。これもサクヤはブーツの底で受けたのだが、例によって、勢いを使って間合いをとろうと大きく跳んだ為に、後方に身体が跳ねた。
それを狙っていたサクヤ自身でも読み切れない程、カエデの脚には力が篭っていたらしい。勢い余って野次馬達の中に突っ込んでいく。
悲鳴が周囲を取り囲んだ。
想定外の勢いで人にぶつかって、さすがにサクヤも体勢を崩した。
今こそ好機――と、止めを刺そうと駆け寄ったカエデが、途中でその動きを止める。
もちろん、自ら止まったワケではなくて、野次馬たちの腕に阻まれたのだ。
「おいおい、隊長さん。もうそのくらいにしときなよ」
「こんなぼこぼこになって、この娘も悪いかも知れないが、あんたみたいな玄人の力じゃ殺しちまうよ」
「……ちょ、どけなさい。そいつのどこがぼこぼこなの」
カエデが言っていることは事実だ。
サクヤにはさしたるダメージはない。
――例え、見た目にどう見えたとしても。
サクヤが本当に食らってるのは、顔への一撃だけ。顔の怪我は派手に見える。特にサクヤのように整った顔が腫れ始めていると、ものすごく気になる。
しかも、何度か自分から地面を転がって、衣服も汚れている。
そんな状態をはたから見ていると、かなりやられたようにも見えるのだから不思議なものだ。
本人はわりかしケロッとしていて、全く戦意も喪失していないのだが。
「隊長さん、止めなよ。こんなことしたって寝盗られた彼氏は何とも思わねぇよ」
「隊長、やっぱ1回頭を冷やしましょうよ。そんなに寂しいなら、おれ達いつだってこうやって飲みに付き合いますから」
「次からは奢りなんて言わなくていいですから」
最終的に、野次馬に止められているカエデを背後から羽交い締めにしたのは、オレと戦っていた酔っぱ君達だった。
「……あのさ。君達ね、頼んだこと全然やってくれてないよ」
「いいんです、隊長。隊長だって女子供を殴るのは辛いでしょ」
「そうそう。こんだけやったらもう気がすんだんじゃないですか。そろそろやばいですよ。喧嘩だ私闘だって夜番の奴らが呼ばれちゃいますよ」
「私は、私を止める為に君達を連れてきたんじゃないんだけど?」
揉み合う3人を置いて、オレは立ち上がろうとしているサクヤに手を差し出した。サクヤは小首を傾げて、オレを見上げる。
「……何があったんだ、あれは」
「どうも敵側は人員不足らしい。それらしい理由で兵士を動員しようとして、変な言い訳したカエデの失策だな」
背後では、まだカエデに対して、説教と言う名の足止めが続いているのだが。
オレとサクヤは見咎められる前に、晩飯を持って、そそくさとその場を後にした。
2015/09/15 初回投稿
2015/12/24 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更