7 仕立屋冥利
オレはひたすら黙ってサクヤの様子を横目で伺った。手持ち無沙汰なので、もらったコーヒーを飲みながら。
顔を伏せたまま、ようやくサクヤが小さな声を上げた。
「……俺が」
「え? 今、何とおっしゃいました?」
「俺が、着るんだ」
仕立屋のユウキに問い返されて、改めて答えた声も掠れている。首筋が真っ赤になっているので、本人からすると余程恥ずかしかったらしい。
それ以上の言葉は言葉にならず、さっき外したフードを被って、上から両手で押さえてしまった。
あんた、そんな。悶絶する程恥ずかしいのか……。
「……あの。サクヤさんが、ドレスをお召しになるんですか?」
「うん。諸事情により……致し方ない」
「なるほど――それはそれは。ええ、ええ。その諸事情にお礼を申し上げたいところです。ええ、ぜひ、私が対応させて頂きましょう。長年の夢が叶ったと言うか、はい。もうとにかく、私にお声がけ頂いてありがとうございます。これこそまさに仕立屋冥利に尽きると言うか――さあ、どうしますか? お色は何色がよろしいですか? デザインは――」
立て板に水でまくしたてられて、なかなか口を挟む余裕がない。それでもサクヤは、フードの下から何とか答えを返す。
「――全部任せる。とにかく、何とか変じゃない程度にしてくれれば……」
「変だなんて、絶対にお似合いになりますよ! ああ! それなら私が考えていたデザインが幾つかありますので、その内から良いもの選んで頂ければ、もう何着でも何十着でも……」
何故か突然張り切りだしたユウキが、ばたばたと部屋を出て行った。あの様子だと、多分。前々から、積もり積もったものが色々あったに違いない。
残されたオレは呆気にとられ、サクヤは1人でマントの中で小さくなっている。
そのいつになく愛らしい姿を横目で見ながら、少し思う。
この人のドレス姿、前から見たいとは思ってたけど。
実際にその機会を目前にすると、何故か嫌な予感がするのは――どういうことだろうな、全く。
ユウキが戻ってくるのを待つ間どうしようかと悩んだが、放っておくのも可哀想なのでフードの上から頭に手を置いた。
「コーヒー冷めるぞ」
「……今は、いい」
うわー、驚きの回答。
まさかサクヤが、コーヒーが目の前にあるのに飲まない日が来ようとは。
「あんま悩むなよ。いつもみたいに堂々としてればいいじゃないか」
「……お前はドレスを着てても、堂々と出来るのか。どこの変態だ」
「まあ、目的の為に仕方ないなら着るのが普通だろ。あんただってそうじゃないか」
わしわしとフード越しに乱暴に頭を撫でてやる。
手の下で、サクヤが小さく頷いた気配がした。
「それより、これから採寸するんだろ。あんたのことだから、さっきのユウキに頼むつもりなんだろうが」
「……知らない人間は嫌だな。まだ、ユウキの方がいい」
「の方がって何だ。失礼な言い方するなよ」
「本当は、お前がやればいいのに、と思ってる」
「……出来ないぞ」
「分かってる」
危なかった……。一応は分かってるようで結構。
しかし、採寸ってどこまで脱ぐんだろうか。
普通は下着だよな。女の時のサクヤの下着姿を他の男が見ると思うと、いくらそれが職業と言っても、何となく腹立たしい。
ん? いや、そもそもドレス着る時って、下着はどうしてるんだ?
「そう言えばドレス用の下着なんて、あんた持ってないよな」
「持ってる訳ないだろ。……それも買わなきゃいけないのか」
「何だっけ、あれ。コルセット? とかいるんじゃないか」
「……そんなのどこに売ってるんだ? 見当も付かない。ユウキに頼もう」
もうここまで来たら完全に丸投げするつもりらしい。どんだけ人任せなんだ、と思いつつ。あの様子ならユウキは喜んで手配するだろう、とも思う。
結局この調子で、どこにいてもこの人は甘やかされてるんだろうな。
「じゃあ早い段階で、あんた女になってることをユウキに教えてやった方がいいぞ」
「脱げば分かるだろ」
「まあ、そうだけど。いいか、無防備に全裸になったりするなよ」
オレの言葉を聞いてようやく、フードを取ったサクヤがオレを見上げてきた。
さっきまであんなにしょげていたのに、何となく嬉しそうな顔をしているのがまた小憎らしい。
「心配なら、お前が採寸すればいいんだ」
「あんまり無茶言うなよ。ちゃんと自分で気を付けてくれ」
特に今は女なんだから。
事情を理解してるオレだって、つい抱き締めたくなるくらい可愛いんだから。
「分かってる。この身体は一族のものだって言ってるだろう」
そういうことじゃないけど。……結果的には一緒だから、まあいいか。
扉が勢い良く開いて、メジャーを首にかけたユウキが入ってきた。
「さあ、サクヤさん、採寸しましょう! ささ、どうぞあちらへ」
もしかしてだけど。
その手に持っている紙束は、全てデザイン画だったりするワケ?
いくつか、なんて量じゃなく、結構な枚数に見えるが。
店に入った直後の穏やかな様子と一変して、テンションがうなぎのぼりになっているのも、どうも気になる。
「じゃあ、いってくる」
そこはかとない不安をオレに残しつつ。
羽織っていたマントを預けると、ユウキの案内で、サクヤは部屋を出て行った。
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そして。
部屋に戻ってきた時には、随分ぐったりしていた。
「おかえり」
「……」
オレの言葉にも、無言の一瞥のみが返ってくる。
怒っているというワケではないのは、ソファの上、オレの隣に腰掛けてすぐに、頭をもたせ掛けてきたことで分かった。
普段だったら払いのけるところだが、あまりにも疲れた様子だったので、今日は特別に許すことにする。
「どうした。採寸は終わったんだろ? 何かあったのか?」
「……採寸もデザイン決めも、その他諸々、全部終わった。明日の昼には届けてくれるらしい」
言いながら、オレの肩に頭をぐりぐりと押し付けてくる。
「何だ? まさか、何かされたのか?」
「何もされてないが、疲れた……」
本当に疲れているらしい。
確かにここに来るまでにも朝から色々あった訳だし、疲れているのも当たり前だろう。仕方なくその小さな頭に手を回して、撫でてやる。丁度右腕の中に、サクヤを抱えるような格好になった。
……この体勢はどうかと思ったが、本人は喜んでいるらしい。うっとりと眼を閉じて、オレに身体を預けている。
その状態でぽつりぽつりと採寸の経緯を話すのを、黙って聞いてやった。
――どうもユウキは、サクヤが女だと気付いた後から、かなり遠慮したらしい。
そりゃそうだ。
ドレス用の下着も、靴もその他の装飾品も、用意はしてくれた。ただ誰が採寸するかでかなり揉めて、結局はサクヤの我儘が通ったものの、それはそれは苦労したと、サクヤは語った。
「俺がさっきの数時間だけで、何度『頼む』と『お前が良い』を言ったと思う?」
「……まあ、オレはそれで口説き落とされて、あんたの採寸をしなきゃいけなくなったユウキに同情したいところだな」
正直な話。
そもそもがサクヤの我がままみたいなもんなので、イマイチ同情しづらい。
身体が女なんだから、大人しく女性店員に測ってもらえよ。
「俺の我儘は分かってる。それにしたって、納得して採寸を始めてからも、少し肌が触れる度にまた『やっぱり女性の店員に……』が始まるんだぞ。俺にも同情して、もっと労れ」
頭に乗ったオレの手の上に、サクヤが自分の手を重ねた。
指を絡ませて、勝手にオレの手を動かしながら、自分の頭を撫でている。
――セルフ良い子良い子とでも呼ぼうか。
あんまりぐったりしていたので、情けをかけたのが良くないのか。こいつ、調子に乗っている。
「離せ、バカ。――それで、デザインはどうなったんだ?」
ふい、と手を振り切ると、サクヤは寂しそうに離された手を見下ろした。
……そ、そんな顔しても、知らねーよ。
「デザインは。『任せる』と『好きにしろ』しか言ってないから、出来上がるまでは分からない」
「何だよ。あんた、また丸投げかよ」
呆れた顔で見れば、真剣な表情のサクヤが反論してくる。
「いや、普通に考えて無理だろ。自分の着るドレスのデザイン想像するとか」
んな、バカな。
「……あんたの着るドレスだから、あんたが好みを伝えるんだろうが」
言ってはみたものの、本人は納得してない様子だ。
まあ……サクヤの気持ちも、分からなくはない。自分が男だと自覚しているので、ドレスを着るなんてことを考えたくないのだろう。
それでも今回は全部差し引きしても、ユウキの方が大変だと思う。
と言っても、さっき部屋を出て行ったときの調子なら、ユウキはユウキで喜んでいるかもしれないので、あまり口を出す気もないけど。
もしかすると、この部屋で簡易トレーニングしながら、やきもきして待っていたオレが意外にも一番の苦労者かもな。
「そろそろサラも晩飯に戻ってきてるんじゃないか? 終わったんなら、宿に戻ろうぜ」
「うん。疲れたから、運んでくれ」
「あ……?」
…………。
さらっと言われて、思わず「あいよ」って返事するとこだった。
何言ってんだ、あんた。
首に腕を巻きつけられそうになって、オレは慌ててソファを滑って距離を取る。
「あんたね、気付いてるか知らないけど、女になってるとき、普段よりも甘え方が数倍酷いぞ」
本人は自覚がないのか、きょとんとした顔をしている。
何だろう。性別で思考回路が違っているのだろうか。
人格まで変化しているとは言わないまでも、通常の3割増くらいでスキンシップの頻度が著しいんだけど。
「……そんなに甘えてるか、俺? 疲れてるからだろうか?」
指摘されると不安になってきたらしい。
小首を傾げながら、サクヤが尋ねてくる。
オレは少し考えて、最初に思い付いたことを言ってみた。
「男に触るのに抵抗がなくなるとか?」
「いや、普段からお前に触るのに抵抗ないから、関係ないだろ」
「……そうかよ」
言われて……もう1つ嫌な仮説を思い付いた。
――オレの態度に問題があったりして。
サクヤが女だと、オレの方が無意識に優しくしてるんじゃないだろうか。それが伝わって、普段より甘えてくるんだったらどうしよう。
くそ、否定し切れないところが腹立たしい!
嫌な予想に、オレは慌ててソファから立ち上がる。こちらを恨めしそうに見上げてくる視線を受けながら、オレは踵を返した。
「ほら、今頃サラが待ってるだろうし、ぐだぐだしてると置いて帰るぞ」
「……何でいきなり怒ってるんだ」
オレの気持ちなんて1ミリたりとも理解していない表情でぼやいている。それでもソファに置いてあったマントを素直に羽織っているので、帰るつもりはあるらしい。
放っておいて先に部屋を出ると、ユウキが何故か扉の前でもじもじしていた。
一瞬、何で声をかけないのかと思ったが――すぐに分かった。
……多分、部屋の中を覗いたのだろう。ソファの上で、いちゃついてると思われてたらしい。違うんだ! ――と叫びたい気持ちを我慢して、丁度オレの横まで来ていたサクヤを前に押し出した。
「……ああ、ユウキ。今日は色々助かった」
「は、はい。では明日は着付けからヘアセットまで、すべてこちらで手配しますので、宿でお待ち下さいね」
「頼む」
サクヤの差し出した手を、ユウキが両手で握り締める。
「はい、全力で」
ユウキの率直すぎる答えに、サクヤは小さく微笑んでから、フードを被った。
深々と頭を下げるユウキの前を、サクヤの後に続いてオレは無言で通り過ぎる。その瞳に一瞬、痛々しい感情が浮かんだ気がしたが、安心して欲しい。オレとサクヤは、あんたが思うような関係じゃないから。むしろ、うっかりそんなことにならないように、どれだけオレが苦労しているか。
出来れば、前を歩くマントの中身にこそ、ぜひともご理解頂きたいものだ。
ユウキの店を出ると、サクヤはこちらを振り返って、オレを待っていた。
「さっきから1人で何を怒ってる? お前も腹が減ったのか」
どういう質問だ。サラと一緒にすんなよ。
オレは本日何度目かのため息をついてから、サクヤの質問に答えてやる。
「怒ってるのとはちょっと違うな。あんたは何でそう、やりたい放題なんだ?」
「……? お前は、やりたくないことをやってるのか?」
やっぱりサクヤには、この辺りのニュアンスを伝えるのは難しい。
怒ってるワケじゃないんだけど……あんたに優しく出来ない時があるんだよ。あんまりあんたが、好き放題に振る舞ってるから。
それを見逃すと、オレの領域に踏み込まれると言うか。
「ちょっと違うけど、人の気持ちを考えて自分のやりたいことを我慢したりだなぁ……」
ぼやくような自分の声を聞きながら、それも何か違うなぁ、という気がする。何と言えばいいのか自分でも非常に難しい。そんな状態なので、サクヤにはますます伝わらない。
サクヤは小首を傾げて、甘い声で答える。
「別に俺だって考えなくはない。でも何故か皆、俺の予想もしないことを考えるから困ってる。とりあえず今は、サラは腹が減っていると考えていると予想されるから、これで何か買って来い」
ちゃり、と銀貨を渡されて、オレは肩をすくめた。
「あんたは考えてないワケじゃなくて、考えつかないんだもんな……」
どう考えても余計悪いよな……。
もう、どうしようもない気持ちで、サクヤの手から銀貨を受け取ると、オレは道の端に並ぶ屋台に向かった。
適当に見繕ってオレとサラの分の晩飯を買う。
その間、10分程離れていただけなのに。
戻ろうと振り返った時には、何故か、サクヤのいる辺りに小さな人だかりが出来ていた。
徐々に大きくなる人垣に阻まれながら、嫌な予感を覚えつつ、まさか嘘だろ、と半分疑うような気持ちで近付く。
例によって――人垣の中心には、酔っ払いらしき男が2人とサクヤがいた。
あんた、さっきの今で、何でフード下ろしてるんだよ。
この人、揉め事を起こさずにはいられない人なんだろうか。溜め息をついて、オレは人垣を掻き分けながら、サクヤに近寄っていった……。
2015/09/13 初回投稿