5 サラ・レポート
天井裏を歩きながら、今回の出来事について、少し考えてみることにした。
サクヤとサラという遠近最強タッグの中に、オレがチームとして混じっても良いとしたら、この考えるという作業についてだけだ。
決して、ノゾミに似ているなんて事は、オレがチームに参加して良い理由にはならない。――例えサクヤがそれしか望んでいないとしても、だ。
だから例えば、さっきのカエデが何者なのかを考える。
さっきこの部屋に来るまでに行き交った王宮の人々は、カエデに普通に挨拶をしていた。だからカエデは本人の言う通り、本当に警備隊の小隊長なのだろう。
話を聞きに行ったオレに斬り掛かってくるってことは、カエデは今回の盗賊の仲間なのか? カエデが頭かどうかは分からないが、盗賊は絶対に単独犯じゃない。共犯者が複数いるはずだ。理由は単純で、1人じゃ銀行のあの多額の金を運び出すだけで、恐ろしい時間がかかるからなんだけど。
もう1つの問題。サクヤの予定している取引が、多額の現金が集まったきっかけになっているのは偶然か? 普通、そんな多額の取引を現金のみでやり取りするか? 持ち運びだけでも不便そうだと、オレが単純に考えただけでも思うのに。
つまり――取引相手のカナイも怪しい。
その辺りも含めて少しカエデとカナイの周辺をさぐってみたいが、この街には情報屋なんていう便利なものはいないだろうか。
本当は、そういう調査を、前を歩いているサラに頼めたら一番なんだけど。完全に初見の王宮で、こんな抜け道を見つけ出すほどその隠密調査能力は優れているんだから。
だけど、サラに情報を集めさせるには致命的な問題がある。
それは――きちんと報告を行うことが出来ないということ。
サラは先天的に何か異常があるのではないかという位、言葉に対する反応が薄い。そもそも何を調べて報告して欲しいかを、サラに指示してきちんと理解させることが出来るのか……。
時々喋っている様子を見ると、一応こちらの言葉は伝わっているようだし、知能には問題がないと思うのだが。
「……惜しいな」
オレの言葉に、前方のサラがちらりと振り返った。
反応があること自体が珍しい。その反応に勇気づけられるように、オレはサラに向かって畳み掛ける。
「あんたにもうちょっと状況説明能力があればな、と思ってさ。そうすれば偵察としてもエイジの役に立つのに」
サラは無言で歩き続けていたが、しばらく時間を置いて、唐突に口を開いた。
「……ある」
あんまり間が空いていたので、一瞬聞き流しそうになった。
話の流れとしてもおかしいから、あくまでオレの予想だけど。状況説明能力が「ある」と言いたいらしい。
そもそも、サラがやる気を出して話に乗ってくるのは珍しい。やっぱりあれか、エイジの名前を出したのが良かったかな。何か人の恋心を突くみたいで、あまり良い気分はしないんだけど。
その答え以降、サラは再び無言で歩いていたが、しばらく歩いたところで再び口を開いた。
「何を調べる?」
それは、オレが今、一番聞いて欲しい言葉だった。
どうもサラは、オレがサラの言葉を正確に理解していると認識しているらしい。あの短文――というか、ほとんど単語のみで。だとすれば、今まで思っていた以上に、サラの状況把握能力は高いということになる。
何であんたは、そういう技能を出し惜しみするんだ……。
「さっきのカエデ、明らかに怪しいだろう? あいつの周辺を探れば、銀行に入った盗賊の行方も追いかけられるかもしれない」
サラは無言を続ける。
そのまま、ふと身体を沈ませて、床――つまり王宮の天井に耳を付けた。するり、と天井の板を外して、サラはあっさりと天井から飛び降りる。
慌ててサラの降りた穴からオレも飛び降りようと駆け寄った。下を覗くと王宮の廊下のような場所らしい。サラはオレの着地点を空けて、廊下の端に寄っている。
その眼が肯定の合図の代わりにオレを見ていることを確認して、オレは天井から飛び降りた。
結構な衝撃を足の裏に受けたが、とりあえず痛める程の強さではない。飛び降りるときには気合が必要だったけど、こうして床に降りてから見上げるとそんなに高いワケでもない。オレ達が降りてきた一角だけ天井板が外れて、奥の暗闇が覗いている。
「あれ、あのままにしとくのか?」
質問するオレをちらりと見てから、サラは軽い感じでジャンプした。全く力みを感じさせないジャンプなのに、その指は確実に天井に届いている。天井板を指先でつまんで、滞空時間内に板の位置を調整した。
すげぇよ、ディファイ族。どれだけジャンプ力あるんだ……。
長いジャンプを終えて降りてきたサラは、すぐに廊下の奥に視線を移し、無言のままに歩き出す。
廊下を抜けると壁一面に巨大な扉があった。
サラが再びちらりとこちらを見る。開けるのを手伝えということだろう。オレが扉を押すと、サラもその隣で一緒に押し始めた。
ああ――サクヤさんならこういう時、見てるだけだろうな……。まあ、あの人、腕力ないから、手伝ってもらっても邪魔なだけだけどさ。
扉はその立派さに比例して、非常に重い。
何とか人が抜けられる隙間を開けると、そこから光が差し込んでくる。まずはサラが、その隙間をくぐって向こう側へ移動した。
サラの後を続いて扉を抜けると、そこは一面に広がる青い芝生の庭園だった。
「へえ……王宮の後ろの庭園に出たのか」
午後の光に照らされた美しい庭園が、目前に広がる。芝生と池を中央に、遊歩道が設けられていて、その上を歩いている人影も見える。道と芝生の隙間を縫うように、色とりどりの花々が咲き誇っていた。
もしかして今、扉から出てきたところを、誰かに見られたのではないかと思ったが、庭園を歩く人々はオレやサラのことなど気にかけていないようだった。
よく見ると、人々は皆、思い思いの服装で、兵士でもなければ貴族でもないようだ。あえて言うなら、街を歩く普通の市井の人々に見える。
振り返ると、出てきたばかりの扉に貼り紙がされていた。
『この先は一般公開区域ではありません』
「……ってことは、この庭までは一般公開されているのか」
サラがオレをちらりと見た。視線の意味は多分、肯定。
そしてオレから視線を外すと、真っ直ぐに庭園を進んでいく。オレもその後を続いた。
明るい庭園にサラの姿はどうも不釣り合いだ。上から下まで黒ずくめのつなぎのような服装。漆黒の長い髪を時折温かい風が撫でるが、柔らかい風はその重みに負けて、サラの髪を乱すことは出来ない。ぴんと立てた耳と尻尾は、周辺を警戒しているようだ。
何となく、夢想した。
こういう場所は、フードを取ったサクヤにこそ歩かせたい。明るい金の髪が陽光を照らして輝く中、七色の蝶を周囲に舞わせるところを見てみたい。
闇の申し子のようなサラは、ここでは浮いて見えるけど。サクヤなら、それはそれは幻想的な光景になるだろう。
そんな風に、安心していたというのもあるんだけど。
一瞬意識を逸らした隙に、数歩前を歩いていただけのサラの姿を見失った。
慌ててよくよく眼をこらす。オレの思ったよりも少し先に、サラの黒い影があった。こちらを振り向いてじっと見つめて来る姿は、意識を逸らしたオレを咎めているようだ。
どうやらサラの隠密スキルは、こんな光差す庭園でも有効らしい。1つ1つ分析すれば、例えば、日陰を選んで歩いているだとか、その気配が限りなく薄いだとか、動きの予測がしづらいだとか、そういうことの組み合わせなのだろう。
しかし、次に見失えば、探し出せるかどうか分からない。オレは今度こそしっかりと、意識をサラに固定してその後を続いた。
庭園の出入り口まで辿り着いたところで、サラは、オレに折畳んだ紙を手渡してきた。
何だ? えらく分厚いな。
オレが中を確認しようとすると、慌てて踵を返す。制止する間もなく、そのままオレを置いて走り去ってしまった。
確実にオレでは追い付けない速度なので、そもそも追い掛けようという発想すら起きない。置いていかれたオレは、とりあえず渡された紙を開いてみる。
そこにはびっしりと文字が書かれていた。読み書きのあまり得意でないオレが、一瞬くらくらするくらいの分量だ。飛ばしながらも読めるところだけ読むと、どうも、王宮内部の様子を詳細に書き込んでいるらしい。図面はないが、これをきちんと読めば、そこから地図におこせるくらいに細かいのではないだろうか。
「だから、何でこういう技能を隠しておくんだ……」
本人は、隠しているつもりはないのかもしれないけどさ。
サクヤや師匠は、サラがこんなことが出来ることを知ってるんだろうか。
紙の最後の辺りに、これからカエデについて調べに行く旨が、走り書きで書き込んであった。
サラがオレを置いて、走り去った先は分かったけど。どうも、あの慌てて離れる様子、何だか恥ずかしそうに見えたのは、気のせいだろうか――。
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「……嘘だろ?」
手元のレポートを見ながら、サクヤが呟いた。
やっぱりサクヤも知らなかったらしい。心底驚いた表情を浮かべている。
細かい字でびっしりと埋められたサラのレポート。
紙を持つ、その手がふるふると震えた。
「あいつ、文字が書けるのか?」
「――あ、そっからなんだ」
集合場所の宿に戻り、サラから預かったレポートを渡したところで、オレと同様の驚きをサクヤも感じたらしい。この様子だと師匠やエイジも知らないかもしれない。青葉の国に戻ったら聞いてみよう。
「中身はどうだ? オレはちょっと分量が多すぎて、読めてないんだけど……」
「ああ……申し分ない。図面が引けるぞ。あいつ、こんな才能があったんだな」
衝撃から自分を落ち着かせるように手元のコーヒーを1口飲んで、サクヤはレポートに再び視線を戻した。
ようやく少し調子が戻ってきたらしい。
今はいつものように、椅子の背もたれに深く背中を預けているが、さっきこのレポートをサラが書いたと聞いた瞬間には、思わず組んでいた足を下ろして身を乗り出していた。
それくらい驚いているらしい。
サクヤの細い指が、文字列を追いかける。
「すごいな、良い情報だ。客観的で書き手の感情がほとんど含まれていないところが、情報として非常に評価できる」
「分かりやすいよな。分量多いけど」
「多分、目につくものを手当たり次第、書いてあるんだろうな」
特にそれが問題と言うワケでもなく、ただ単に事実を言っただけのようだ。手当たり次第書いてあることは別に――良い事でも悪い事でもない。
文章に集中すると落ち着いたらしい。
顔を上げてオレの方を見たサクヤからは、既に動揺は消えていた。
「サクヤの方は、どうだった? 現金の回収は」
「……予想外に悪い。1箇所を除いて全滅だ。断られた」
「断られたぁ?」
苦々しい答えに、オレの声もつい跳ね上がる。
――いや、おかしいだろう。
サクヤが融資者なら、いくら経営に直接的には関与していないと言っても、普通はそれなりに便宜を図るものではないだろうか。
それも今回のように、ただ現金と銀行口座の数値を入れ替えしてくれ、というような、向こうに大したデメリットもない状況では。
融資とはあくまで貸しているだけだと言っていたが、それこそ、融資分を一気に全額回収されたらどうするつもりなのか。そんな非人道的な脅しをしなくても、逆に協力した時のメリットを用意してやればいい。サクヤだって、何がしか用意して交渉に臨んでいたはずだ。
「俺の融資分は、この機会に全額一括返済するそうだ……預金で」
「いくつ回った?」
「5ヶ所。内、4ヶ所で同じ返事をされた」
「おかしいだろ」
「ああ、おかしい。」
どこもかしこも一括返済なんて、これが普通ならどれだけ好景気なんだ、仙桃の国は。
サクヤはレポートをテーブルに置いて、コーヒーカップを両手で包んだ。
「もともと、どこも現時点では利息の支払いしか受けてなくて、元金は期限まで回収しない約束なんだ。その期限も大半が延長を繰り返してる。まあ、あんまり元金を回収するつもりはないんだ。それなのに、まだ期限まで時間のあるところでさえ、返済すると言ってきている」
あからさま過ぎてため息が出てくる。
オレは肩をすくめて、尋ねた。
「むしろ、逆に断らなかった1箇所は何でだ?」
「何でだろうな? 一番付き合いの長かったところだ。でもそこから情報をもらったから、何で断られたかは分かった。別の商人から『融資の借り換えをしないか』と誘いを受けたそうだ」
つまり、それを教えてくれた1店だけがサクヤに義理立てして、その融資の借り換えを断ってくれたということか。
どうも今回の取引はひどい。
最初から――罠なんじゃないのか。
オレは、今回は見送らないか、と口に出そうとして――言う前に諦めた。
オレが口を開く前から、サクヤの瞳は否、と言っている。
一族の為に世界中を彷徨う姫巫女には、可能性のある状況から手を引くことは選択肢にないはずだ。
なぜならそれが、サクヤの生きる理由で。
その存在はすべて、一族に捧げられているのだから――。
2015/09/09 初回投稿