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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第6章 Cherish
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2 目標は1万金貨

「……どういうことだ?」


 サクヤの声は、いつになく低い。

 フードの下から響く地を這うような声に、目の前の銀行員は怯えたように息を飲んだ。

 サクヤ本人にそのつもりはないのかもしれないが、怪しいフードを被ったままの今の風体では恫喝にしか聞こえない。

 いや――むしろ恫喝のつもりなのかもしれない。

 資金を預けてあるはずの銀行に「現金を下ろせない」と言われてしまっては、脅すでもすかすでも、とにかく金を出させたくなるのは当然だ。


「俺は事前に連絡もした。いつ、どの支店でいくら下ろすか。お前らからは了承の旨、返事を貰っている。なぜそれが下ろせない?」

「確かにサクヤ様からはご連絡を頂きました。金額が金額ですので周辺の支店からかき集めまして、ご用意してお待ちしていたのです」

「ならば――」

「――それが全て、昨日盗難にあいまして……」

「……盗難?」


 怪訝な声を出すサクヤを、銀行員は吹き出る汗を拭いながら見ている。オレはその必死な様子に少しばかり同情しながら、息を吐いた。


 銀行に到着した時から、様子がおかしいとは思っていた。

 窓口のお姉さんは椅子に座る間もなくバタバタしているし、窓からはひっきりなしに小鳥が飛び込んでくる――ペーパーバードだ。

 銀行というのはこういうものなのかと一瞬思ったが、サクヤですら呆気に取られた顔をしているのを見て、考え直した。

 窓口でサクヤが名乗った瞬間に、引き攣った表情のお姉さんにこの部屋に通されて。

 何の説明もなしにたっぷり1時間は待たされてからようやく、目の前の銀行員が名刺を持って現れた。


 名刺には――本間ほんま 刻則ときのりという名前と、仙桃の国の支店長という役職が刻んであった。

 名刺を渡すや否や、謝罪の言葉とともに金が下ろせないという説明がなされ――冒頭のサクヤの態度に至るワケだ。


 窓の外では、銀行に入りたがらなかったサラが、のんびりとひなたぼっこをしているのが見える。

 壁を1枚隔てるだけで、向こうの暢気さとこちらの緊迫感では恐ろしい違いだ。

 ああ、オレもあっちに行きたい……。


 サクヤの冷たい視線を一身に受けながら、トキノリは必死に説明を続けた。


「多額の現金を輸送していた為に狙われたのか――昨晩、正面から金庫を破られまして――」


 がたん、とサクヤが席を立つ。

 今まで一度も聞いたことがない程に低い声が、オレとトキノリの頭上から降ってきた。


「……いつ、補充できる」

「はい、今朝からすぐにまた資金は集めておりまして、一週間も頂ければ――」

「――1週間!? この――」

「ひっ」


 サクヤがブーツを履いた足を振り上げた瞬間に、オレはその振り下ろされる軌道に右手を差し出した。

 勢いが殺されなかったならば、オレの手ごと重たいブーツは振り下ろされ、哀れなオレの右手は机に叩きつけられてぺっしゃんこになるところだったろう。

 青い目を見開いたサクヤが足の力を抜いてくれたので、オレはそのまま手のひらで、ブーツの底を掴んで空中で止めた。


 まさかトキノリを踏み付けるつもりではないだろうが、テーブルを壊すか、ソファに踏み降ろすか、どちらにせよ、いいことにはならなそうだ。

 足を取られたサクヤは予想外の状況でも、バランスを崩しもせず、オレに向けて叫ぶように咎めた。


「離せ、カイ! こいつ、その首を――」

「……止めとけ」


 どうやら、オレの予想は少し外れて、サクヤは本気でトキノリを踏み殺すつもりだったらしい。

 こんな重たいブーツで首を踏みつければ、折れるに決まっている。

 口に出せば、サクヤは実行せざるを得なくなってしまうので、オレは言葉さえも途中で制止した。

 サクヤの足を離してから、対応し切れずにソファの下に転げ落ちて、頭を抱えて震えているトキノリに手を差し伸べる。


「――連れの気が短くて悪い。でも、それだけ大事な取引が後に控えてるんだと思って、こっちの事情を察してやってくれ」

「……は、はい。もちろん……」


 トキノリはオレの差し出した手を取って、ゆっくりと立ち上がった。

 オレはその手を強く握りしめる。


「そっか、分かってくれるとありがたいな。……それでさ、やっぱり一週間はちょっと長くないか?」

「いー―痛い、痛いです……」

「うわ、ごめんごめん。つい力が入った、悪いね。でもさ、あんたらだって困るだろ? 『銀行に金を預けたらいざというときに下ろせない』なんて噂になったらさ。あんたらも被害者だからあんまり言いたくないんだけど。でも、そういう危険の回避も含めて、オレ達はあんたらを信用して預けてるワケだし?」


 手を離して、トキノリに顔を近づける。

 トキノリはオレのチンピラまがいの脅しに、眉をひそめながらも頷いた。


「いえ、もちろん、お預け頂いた大切な資金を守れなかったのは、当行の責任でもあります。急ぎ集めておりますが……」

「一週間じゃあ遅いんだ。他に方法はないのか? 例えば――神殿の転移魔法を使えばもっとマシになるとか」


 神殿の転移魔法は、金を払えば一般の利用者にも使わせてくれる。

 神殿と銀行は仲が悪いと良く言われるが、正規の金を払って正面から頼めば断られることはないだろう。

 ただし使用料、いやお布施として、結構な金を要求されることにはなるのだが。


「それが……もちろんそれは検討済みです。しかし、当行に押し入った盗賊が、逃走の時間を稼ぐためのことだと思うのですが……この周辺の神殿の転移魔法陣が全て壊されているそうです。魔法陣の再生には儀式が必要で、1ヶ月以上かかると……」


 ……なるほど。

 随分、念入りなことだ。


 聞いた話がどんどん最悪の方向に転がっていることを理解したサクヤは、フードの下、両手で顔を覆っている。

 ――これで、どこか別の国に移動して、資金を調達する術も絶たれた。

 転移が出来ないなら、金を集めるのに一週間かかるというのは妥当な時間かもしれない。

 あくまで、妥当――のレベルだが。


「じゃあ、陸路と海路をうまく使うしかない。昼夜忘れて馬を走らせて、船を出しても、どうしても一週間かかると、あんたはそう言ってるワケだ?」

「いや、それは……運搬の係が……」

「ああ、係がいるんだ? じゃあ、あんたは何をする係なのか、自分で分かってるか?」

「私は……支店長として、お客様の対応を……」

「そうそう。オレ達の希望を聞いてくれる係ね。オレ達の希望は、3日後の取引に間に合うようにしてほしいってことなワケ。――分かったら、さっさと運搬の係のヤツに、本当に(・・・)最短で一週間なのか、確認してくれ」


 特に強く意識して、後半で声を下げた。

 トキノリは、弾かれたように立ち上がり、慌てて部屋を出て行く。

 ごめん。あんたが悪い人じゃないのは分かってるんだけど、こういう時にお役所仕事で済まされると、本当に困るからさ。


 心の中で謝りつつ、その後ろ姿を見送ってから、オレは、先程から動かないサクヤの方に向かって尋ねた。


「……さて、どうする?」

「どうもこうも……まずは取引相手に延期を頼んでみる……。それがダメなら――掻き集めるしかない。だけどこの街には知り合いが少なすぎる……」

「そもそも、周りの支店から集めなきゃいけないレベルの額って、幾ら用意するつもりだったんだよ、あんた」


 力ない様子に、ふと気になって金額を聞いてみる。

 サクヤの声は、聞いているこちらが不安になる程、憔悴していた。

 とぎれとぎれに呟く様子は、目の前のことで一杯で、今後どうするかまではまだ考えが及んでいないらしい。


 高価とは聞いていたが、今回の取引の具体的な金額を聞いていなかった。

 銀行に到着した時から別室に通されるまでの間、あれだけ行内の混乱っぷりを見せられたのだが。盗賊が入ったと言っても、国の警備隊に通報してしまえば、後は銀行としては顧客対応以外に考えることはないはずだ。

 それなのに上から下まで、あんなに騒いでいる。どう考えても、まともな額の盗難じゃない。


「……事前のやり取りでは1万金貨を指定されてる」

「――いっ!?」


 今のが聞き間違いでないことを、自分の耳で何度も確かめて、オレは天を仰いだ。

そんな多額の金、どう考えても一朝一夕には用意できない。1万金貨あれば、1人の人間が、一生贅沢しながら遊んで暮らせる。

 吹っ掛けられた時の予備も用意するつもりだったらしいから、1万に上乗せした額を下ろす予定だったのだろう。


 ……そりゃあ、掻き集めるのに1週間かかるわ。

 トキノリ支店長、困らせて本当にごめん。でも、頼む。


 オレが衝撃を受けているのを見て、何故かサクヤの方はショックから立ち直ったらしい。

 すらりとした足を組み直すと、懐から出した紙にその場で何か書き付けた。何かとオレが問うより早く、サクヤの指先から虹色の蝶が飛び立つ。ペーパーバードを飛ばしているのだ。


 書く内に気持ちが落ち着いてきたようで、1枚飛ばしてからは早かった。何枚かのペーパーバードを次々に飛ばすと、窓を閉め切られた部屋の中は、花畑のように蝶が飛び交った。

 サクヤの周りを虹色の蝶が取り巻く様子は、こんな時になんだが――幻想的で美しいと感じる。下手くそな魔法だから、鳥でなく蝶になってしまっているのだろうけど、それでも――あんたに良く似合う。


 全て書き終わってから、サクヤは窓を開く。大きく開かれた窓から、蝶達は一斉に飛び出していった。

 さっきまでの落ち込んだ様子が嘘のように、サクヤは再び、ソファに深く座り込んだ。クッションに背を預ける姿は、王様の様に堂々としている。


 ……まあ、そういうことってあるよな。

 自分以外に慌てているヤツがいると、何故か落ち着くというか。オレがそんな風に役に立てたなら、不幸中の幸いで良かったと言っておこう。


「これだけの騒ぎだ。取引相手のカナイの耳にも届いているだろう。延期にしてもらえないか打診してみる。後は周辺の心当たりに、現金貸与の打診を」

「……普通だったら、カナイは了承するだろうなあ」


 あくまで、普通は。

 どうも諸々のタイミングと、盗賊の準備が良すぎるのが気になる。

 もしこれで断られるようなら、銀行の盗難とカナイを結びつけて考える必要さえ出てくる。

 サクヤがどう考えているかは分からないが、ペーパーバードの返事が戻ってきたら聞いてみよう。


 部屋の扉が開いて、トキノリが戻ってきた。


「あの、確認してきたのですが、大変申し訳なく……やはり1週間かかってしまうようで……」

「――ああ。なら、もう1つ伺いたい」


 トキノリの悄然とした報告をサクヤは右手を振って遮った。大分いつもの調子が戻ってきたらしい。何を言うにも偉そうなのが通常運行のサクヤさんだ。


「3日後までにはいくら集められる? 足りない額をこちらで何とかできるレベルか確かめたいんだ」

「はい、調べてあります」


 トキノリの手の中から書類が1枚引き出され、テーブルに置かれた。

 それはどの支店から幾らの資金が、いつこの支店に届くかの一覧リストだ。


「3日後に間に合うのは、ここからここまで……合計すると……」

「――7千金貨。おおよそ半額か」


 サクヤは1万に5千程上乗せして、用意するつもりだったらしい。

 予備分をこの際諦めるとしても、残り3千。それを全て現金で入手する必要がある。

 小さくため息をついたサクヤは、立ち上がりながらフードを外した。

 トキノリはフードの下から現れた顔を見て、小さく息を呑む。


 先程、窓口で本人確認の時に、一度フードを外してはいるが、そう言えばその時の応対は窓口のお姉さんで、この銀行員ではなかった。初めて顔を合わせれば、確かに、誰でもこうやって驚くだろう。オレだって同じ反応だったのだから。

 その美しさに、意識を奪われてしまうと言うか。


 トキノリの視線が、十分に自分に注がれていることを自覚して、サクヤはそちらへ一歩近寄る。

 詰められた距離は、たった一歩。

 ただ、手を伸ばせば触れられる間合いに入っただけだ。

 ――決してトキノリからは、手を伸ばして来ないことを確信しながら。


「7千ではまだ足りない。俺も心当たりは当たるが、最後は君と銀行に頼るしかない。苦しい状況は分かっているが、君の銀行員としての手腕に期待してもいいか?」

「……この身を賭して、出来る限りのことをさせて頂きます」


 恭しく頭を下げたトキノリの言葉は、決して言質を取れるようなものではない。

 サクヤが好んで言うような「行ければ行く」レベルの、ただ努力はすると、伝えているだけの言葉だ。

 その言葉に、意味はない。

 意味があるのは、その「努力」がどの程度の力をかけて為されるものか、ということだ。


 そしてその意味で、このタイミングで素顔を晒したサクヤは、やはり商売人だと思う。全て計算して、心の中を覗かせるそのやり方が。

 トキノリには、サクヤの乏しい表情から、どれだけ窮地に立っているかが伝わっただろう。彼に心から頼らざるを得ない状況が。


 もうここから先、気持ちの問題なら。

 少しでも、トキノリが頑張りたい理由を増やしてやることが必要だ。

 それが、どんな小さなことでも。

 例えば、顧客の信頼に応えたいという気持ちを煽るだけのことでも。


 サクヤらしいやり方ではないが、それだけ追い詰められている。

 ここまでの経緯で、十分に反感を買っている自分を自覚しつつ。それでもそれをひっくり返す為に自分の美貌を使うなんて、サクヤがそんな風に自分を使うところは初めて見た。


「……頼む」


 小さな声で呟くとサクヤは再びフードを被った。

 指先で、行くぞ、とオレに合図する。

 オレは軽く頷いて、頭を下げたままのトキノリを置いて退室した。


 部屋から出ると、支店のあちこちからサクヤに向けて遠慮がちに視線が注がれているのを感じる。

 トキノリは支店長だと言っていたから、銀行中がそれなりにサクヤの立場を理解しているのだろう。

 サクヤは視線を意にも介さず、堂々と正面の扉から銀行を出る。

 その背中に、ありがとうございました、の合唱が送られた。

2015/09/03 初回投稿

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