interlude10
王宮の風呂は広くて、気持ちが良い。
ゆったりと楽しむためには相手を選ばねばならない。
だから、一緒に入る相手はこの少年に限ることにしていた。
(一応、確認したかったんだけど)
(本当に一緒に入ってたのか……)
湯船に浸かろうとすると、後ろから優しく肩を止められた。
「ほら、お湯に浸けない方がいいだろ」
束ねただけの髪の先を持たれて、頷き返す。
他人の髪とは思えない手際の良さで、編んだ髪をくるくると回す。
あっと言う間に随分と簡単にまとまった。
自分では出来ないので、純粋に感心した。
(今、下向いた時にちらっと見えたんだが)
(あんた……それ、女の身体だよな!?)
(男でも許せないけど、女の時ならもっと許せない!)
「お前の髪は短いのに、どこでこんなこと覚えたんだ」
「あんたの為に練習したんだよ」
その練習とやらを、どこでどうやったかを聞いたのだが。
まあ、聞けたからと言ってどうということもない。
自分で練習する気もないし。
(……どうせ恋人で練習したんだろ)
(よくもまあ、ノゾミは平気な顔で……)
(本当に、鋼の精神力だな――)
(――やっぱオレには無理だ)
「さあ、入ろうか」
手を引かれて、湯船に入った。
温かい液体が身体を包む。
力が抜けて弛緩した背中を、後ろに回った少年の胸板が支えた。
下腹の辺りに手が回ってきて、軽く後ろに抱き寄せられる。
(……おい、ノゾミ)
(どんだけ密着する気だよ……)
ノゾミの脚に挟まれて、その立てた膝に自分の肘を置いた。
伸ばした足を軽く組み肘を突けば、慣れた姿勢に安堵する。
「気持ちいい?」
後頭部の辺りから声が聞こえる。
「……落ち着く」
答えると、小さく笑う気配がした。
「エイジとナギが、何でお前だけって怒ってたよ」
「……あいつら、すぐべたべたしてくるから」
油断出来ない。
悪い奴らではないが、その点に置いては信用に値しない。
悪戯っ子のまま、身体だけ大きくなったようで。
小さい頃はそれでも可愛かったのに。
「オレ達にとって、あんたはずっと憧れの異性なんだよ。そういうのって普通、向こうが結婚したり年取ったりすると卒業するもんだけど。あんたの場合はオレ達の成長を待っててくれるからさ」
「別に、お前らを待ってる訳じゃない」
言い返しておいたが、言いたいことは何となく分かった。
自分にもそんな憧れの対象がいた。
向こうの身長に追い付いた時は。
やはり戸惑いと喜びがあった。
(ああ、義姉ちゃんか……)
それでも、自分の場合は。
憧れ過ぎて触れるのさえ怖いくらいだったが。
その辺りは各自の個性が出るのだろうか。
「オレも触るだろ。あんたの身体洗ってやる時とか」
「お前のは洗うだけだろ」
(はあ!? 洗うだけでもダメだっつーの!)
(くそ! ノゾミ、いい加減手を離せ……)
こちらの言葉に答えが返ってこないので。
見上げるようにして後ろを見た。
「オレだってお年頃だからさ。あんたの背中に、何か固いの当たってない?」
「……当たってるな」
(……言われて見れば、確かに)
(あんた、気付くの遅いんだよ)
(あんたが気付かないと、共有してるオレも気付けないのか)
深く預けた背中の辺りに、何か固い感触がある。
生物の生理的な反応については、島にいたときに学習をした。
今までに何度か、同じようなものを押し付けられる経験もあった。
だから、どういうことなのかは理解した。
ということはつまり、巫女の身体なのが悪いのだろうか。
「女のときは、一緒に風呂に入らない方がいいか?」
念の為、確認することにした。
自分はさして気にならないのだが。
相手にとって無理を強いているなら良くない。
「何言ってんだよ。身体がどうであれ、あんた男じゃん。男同士だから大丈夫。オレは絶対あんたに何もしないし」
そう言われてみればそうか。
良いと言うなら良いのだろうと、納得した。
(――いや、納得すんな!)
(あんたも、当ててんの離せよ!)
(気持ち悪いより、腹立つわ!)
(後ろのヤツ、ちょっとでも腰を動かしたら殺す!)
ふと、当たっているものについて気になった。
自分が経験したことがないので、良く分からない。
よく分からないものは、知りたくなる。
「……こういうのは、痛いものか?」
「痛くはないけど。……触るなよ」
後ろに手を回そうとしたところを、言葉で止められた。
視線で何故と問えば、苦笑が返ってくる。
「巫女の身体は汚しちゃダメなんだろ。それ、触ると汚いの出てくるから」
何のことを言っているのかは、理解した。
ノゾミの身体を通して出たものなら。
汚れるということは、ないような気もするが。
一族の命運を賭けても、試そうとは思えなかったので、素直に手を引っ込めた。
だいたい、純潔を守るという誓約自体が。
具体的に何をどうしろと言うのか、今ひとつ分からない。
仕方なく過敏にならざるを得ない。
(やっぱり基本的に、ノゾミのせいだ)
(もう、本当、最低だ……)
ノゾミの左足に頭を乗せて、ふと考えた。
いつからだろう。
幼かった子どもが、大きくなって。
自分がこうして体重をかけても、びくともしなくなった。
あちこちに毛が生えて、朝、髭を剃るようになった。
喉仏が浮き出て、声が低くなった。
どれも、自分が経験していないことだ。
自分の時は、周りは皆。
人間というものに免疫がなかったので。
背が伸びるだけで、驚いていた。
比較対象がないので気にしなかったが。
良く考えたら、自分は第二次性徴というものを。
ほとんど体験していないのかもしれない。
(ああ……そうなのか)
(それで人の感覚に、実感が湧かないのか)
(自分の身体や心が変化する前に、成長が止まったから)
こうして自分の身体にない変化を。
ノゾミを通して確認するのは。
寂しさとともに、変な希望のようなものを感じた。
これが、成長と言うものか?
「どうした? のぼせた?」
濡れた手が頭の上に置かれた。
眼を閉じて、顔の下の膝に頬を擦り付ける。
のぼせた訳ではないが。
かけられた声が優しかったので。
答えないことにした。
「大丈夫か? 風呂から出る?」
黙って頷くと、膝の下に腕を差し込まれた。
背中を支える手に力が込められる。
ざばり、と湯を割って、軽々と持ち上げられた。
(何、呑気にしてんだよ)
(終わったことだって分かってても、許せない……)
(……こいつが死んでなければ、オレが殺してるとこだぞ)
ノゾミが、ふと慌てたような顔をした。
「……あ、やばい。今、オレ人前に出れないや。アサギを呼びに行けないな」
(……無理だな)
(変態扱いだろ、それおさまらないと)
人前に出れないのは裸だからだろうか。
騙しているようで後ろめたかったので。
首を振って、不要であることを伝えた。
「……大丈夫なのか?」
「大丈夫」
「どっか下ろす?」
「うん」
ゆっくりと洗い場に下ろされた。
いつの間にこんなに力がついたのだろう。
持ち上げる時よりも、下ろされる時にそれを感じる。
(……やばい、もう無理)
(これ以上見てると、本当に殺意が湧いてくる――)
(悪いけど、強制切断します――カウントダウン、5……)
いつの間にか、成長して。
いつか自分を置いていくのだろうか。
(……3……)
寂しいのに、嬉しいと。
そういう気持ちがあるのだと……
(……1……)
――強制切断――
2015/08/31 初回投稿
2017/02/12 サブタイトルの番号修正