9 負けないから
まずい、まずい!
今すぐサクヤを追いかけて、誤解を解く必要がある――。
サラが怪訝そうにオレを見上げてくるが、もうそれに構ってる余裕はない。
「サラは風呂に入って、温まって、服着てから出てこい!」
背後で頷く気配があったかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
服を着るのももどかしく、必要最小限を身に着けると、オレは走って部屋に戻った。
勢い良く部屋の扉を開けると、丁度サクヤが扉の前にいたらしい。オレの開いた扉にすごい衝撃があった。
サクヤは扉に背中を押された格好で、床に跪いている。
「ご、ごめん!」
謝るオレをサクヤが床から見上げた。
頬が真っ赤になっている。
これは、怒ってるんだろうか。それとも嫉妬?
それとも人の濡れ場を見てしまった、ただの気恥ずかしさか?
今ひとつ読みきれないので、無難に敬称をつけて呼びかける。
「あの……さ、サクヤさん……すみません」
「……いや、俺こそ、2人の邪魔を……」
「――邪魔じゃない、止めろ! 眼を逸らすな! オレの話を聞け!」
やっぱり勘違いされてて、しかも謝られそうになった。怒ってくれてた方がまだ良い。
オレはサクヤの肩を掴んで、無理やり自分の方を向ける。
サクヤは床に両手を突いたまま、正面にしゃがむオレを見上げた。
「お前ら……恋人同士なのか?」
「はあ!? 何で、あんたの発想はそんなところに着地するんだ!」
もう、今日は叫んでばっかりだ。喉が痛い。
たった1週間やそこらで、サラと恋人になるまで関係を深められるものか。外見は確かに少女然として愛らしいが、あの無口と仲良くなるには長い付き合いが必要だ。
そもそも、サラにとってもその勘違いは迷惑だ。サラの視線はいつだってたった1人にしか向けられていないことを、オレは知っている。
だからサラの言動に動揺なんかしない……ちょっとしか。
「裸で抱き合う男女は恋人だと……エイジが」
「あのバカ、今度会ったら殴る」
何でそう、いつだって余計なことを中途半端に、よりによってサクヤに教えるのか。この馬鹿マジメ……いや、いっそもうこの真面目バカでいいや。こいつは変なところで素直すぎる。
「大体、昨日オレとあんたも、一緒に風呂に入ったじゃないか」
「俺は男だし、お前は服を脱いでいなかったし」
「あんたは女の身体だった。じゃあ後はオレが脱ぎさえすれば、恋人になるのか?」
「……それは、困る」
「だから、そっちに着地すんなっての! そういうことで、恋人かどうか決めるなって話なの! 何であんた、そういう知識は子どもレベルなんだ!?」
オレの言葉に、サクヤがきつく眉を寄せた。
何だか勢いで、触れてはいけないところに触れてしまった気がする。
しかし、もう遅い。口から出た言葉は戻らない。
サクヤは一生懸命、オレの問いに答えようと、自分の中で答えを探している。
「姫巫女は――神の守り手は、誓約を破ることのないように、異性との接触を極力避けるから……」
問いの答えはそれに尽きる。
つまり、接触を避けるついでに、性的な知識や男女関係についても、全く触れずに生きてきたということだ。
「……お前とサラが抱き合ってるのを見て、心臓がどきどきした」
「抱き合ってない! ――昨日あんたとも同じようなこと、したって言ってるのに」
「俺はあんな風に見えるのか……」
サクヤの眼にサラとオレがどんな風に見えたのかは知らないが、余程衝撃的だったらしい。見開いた瞳がいまだ驚きに揺れている。
個人的な意見を言えば。
オレの中では、サクヤとの方がいかがわしい。
サラは――まあ、少し困惑はするけど。成長してちょっと女らしくなった妹にくっつかれた、みたいな気分。はっきり言えば、女の身体に興味はあっても、サラ自体は見た目ロリだから守備範囲外。
だけど、サクヤはそうじゃない。
あんたは――あんたは、オレの中で特別なんだってば!
どうもこの人、自分の性別に関する認識がおかしい。
青葉の国では、誰も何も言わなかったのだろうか。エイジや師匠は役得とか言ってたから、喜んで付き添うんだろうけど。
そうだよ、サクヤの溺愛していたと言う『ヤツ』は、どうなんだ。
「あんた、ノゾミとも一緒に風呂に入ったりしたんだろ?」
ノゾミの名前に、サクヤはどこかが痛むように眉をひそめた。
「……していた」
「じゃあ、そんときはどうだったんだよ? 恋人に当たるのか?」
「ノゾミが、身体はどうであれ、俺達は男同士だから問題ないと……」
――ああ!? お前のせいか、ノゾミちゃん!
そうか。何であんたがこんななのか、良く分かった。
姫巫女だからって自覚はあったのかもしれないが、それだけならただ単に恋愛に疎いだけのはずだ。
あのど変態が、全てを自分の都合の良いように教えたんだ。
あいつが、こいつを甘やかしたいだけ甘やかして、好きなだけいちゃいちゃした為に、今こいつはこんな歪な状態になってるんだ。
オレは、その肩を掴んだまま、新たな決意を固めた。
――状況を把握したからには、言わなければならない。
「オレは改めて言っておく」
「……何?」
「オレは、あんたの大好きなノゾミちゃんとは違うから! あんたを甘やかし放題にはしない。常識は常識として教えるし、ダメなことはダメって言うから! だから、金輪際、あんたと一緒に風呂には入らないからな!」
ノゾミの代わりでいいと思っていた。
代われない部分はあるかもだけど、サクヤがそう思いたいなら思わせてやってもいいと。
――でも、これ。無理。
ノゾミみたいに鋼の精神力がないと、身が持たない。
そもそも、オレのそんな気持ちは全く本人の為にならない!
あれ。ノゾミの書き残した言葉。
サクヤを置いてくことが心残りって。
ようやく分かった。あれ、本気なんだ。
ノゾミちゃんは、ここまでぐちゃぐちゃに甘やかしたサクヤを置いてくのが、本気で心配だったんだ。
だってこいつ、ノゾミを基準に全部考えてる。
オレがノゾミと同じようにしてくれるもんだって、本当に思ってる。
いくらでも甘やかして、全部やりたいようにさせてやって。
あんたは間違ってないと囁いて、いつだって一緒にいてやって。
これは変じゃないよって言いながら、抱き締めて、キスして、一緒に寝て。
それはきっと、楽しいだろう。サクヤの笑顔を、一日中全部オレが独占できるとしたら。
でもそうして、いずれ、オレが死んだら。あんたはどうする?
多分オレだって、ノゾミと同じでサクヤを置いていくことになるのだ。
そのときオレは、ノゾミみたいにあんたの今後を心配しながら、死ぬのか?
こんな純粋に言われた通り信じちゃうようなバカなヤツが、誰にも騙されませんようにって?
――絶対に嫌だ。
ふと、サクヤがその青い瞳を伏せながら呟いた。
「……お前が、ノゾミじゃないのは知ってる」
あれ? 驚いた。意外に物分りがいい、と思ったら――
「――でもあんまり、そういうことは考えないようにしてる」
――やっぱりか、この野郎。
この人、ただ単に考えてない――現実逃避してるだけだ。
オレは自分の腹立ちや失望を、一旦、頭の奥の方に押しやる。
この世間知らずに物事を落ち着いて理解させるのに、オレの感情は少し邪魔だ。
オレの気持ちを伝えるのに、感情のままに言ってもただ混乱するだけだ。
「あんたは、オレとノゾミを同一視してる。そうだな?」
感情を閉じてしまうと、いっそ優しい声になったかもしれない。
オレの質問に、サクヤは本当にそのことを考えていなかったようで、小首を傾げて見上げてきた。
「同一視?」
「ノゾミが死んだなんて、なかったことにしたいんだろ?」
「……そうだ」
囁くように答えが返ってくる。
問いを重ねる。
「オレがノゾミだったらいいと、思ってるんだろ?」
サクヤが、驚いたように眼を見開いた。
そのまま、眼を伏せてしまったサクヤを見ながら、オレは考える。
……こういう時、ノゾミはどうしていたんだろう。
オレの思考が回答を出すより先に、サクヤがオレの手に指を絡めてきた。
「……悪かった」
――来た。
これが、こいつの必殺技。色仕掛けというヤツだ。
白い指がオレの手を撫でる感触は、何故かすごくぞくぞくする。
――オレは、これを止めなきゃいけない。
自覚的にやってんならまだいい。オレにとっちゃ同じでも、それがサクヤの社交術なら、騙される方が悪いくらいなもんだ。
でも、これ無自覚なんだぜ……。
可愛くて可愛くて仕方ないから、きっとこういう時、ノゾミはサクヤを抱き締めてたんだと思う。だからサクヤはただ単に、こうすれば許してもらえるとそう思ってるんだ。
オレは再び、感情を閉じる。
サクヤの可愛さに気を許せば、牙を抜かれてノゾミの二の舞だ。
「もう1回言うけど。オレはノゾミじゃない。だから、嫌なことはイヤと言うし、駄目なことはダメと言う。あんたに常識を求めるし、オレがいなくても社会生活に適合してほしい」
「……ああ」
「それでいいんだよな?」
「お前の主張に対する、俺の意見は特にない」
「じゃあ、こういう手を繋ぐようなことは、普通は男同士ではしないから。手、離して」
無言のままに、オレの手からサクヤの指が退いた。
……どうやら、分かってくれた……のか?
安堵で息を吐いたオレの首筋に。
どけられたサクヤの冷たい指が改めて触れた。
正面からオレの眼を見つめながら、小さく呟く。
「……俺は、お前と一緒にいられればいい」
細い指が当たったままのオレの喉は。
多分、ごくりと鳴ったと思う。
前言撤回。
絶対、分かってない。
やっぱり、オレとノゾミを混同してる。
その上で、必殺技を炸裂させてくる。
こんなの、男が男に言う言葉じゃない――少なくとも、自分を男だと思っているなら。
「サクヤ……それは――それこそ、恋人同士で言う言葉だ」
サクヤはやはり、ワケが分からない、と言いたげな顔をして小首を傾げた。
オレはサクヤの手を振り払ってから、両目を片手で押さえて首を垂れる。
頭痛に近い何かがオレの頭を重くしてるような気がする。
さり気なくオレの頭をサクヤが撫でているんだが、諦めた気持ちでされるがままにしておいた。
……もういい、長期戦に持ち込もう。
今日はオレの負けだ。
今日のこいつが、男で良かった。
女の姿をしていたら、もう、負けっぱなしでいいと思ってしまったかも。
オレは、心の中でもう一人のオレに誓う。
次こそは、絶対に、絶対に勝ってやる。
――何に?
あんたにだよ、ノゾミちゃん。
オレは、絶対に、あんたみたいにはならない。
サクヤを再教育して、心の平穏を手に入れる。
こんな誘惑されながら、何一つ手が出せないようなヤツ、一生一緒になんていれるもんか。
男同士だとサクヤが言うなら、それに相応しい態度を取らせてやる。
そうじゃなきゃ、諦めて手を出すか、諦めて離れるかの二択しかない。
オレだってサクヤは大事だけど。
大事にする方法は、オレとあんたじゃ違うんだよ。
覚えてろ。いつかあんたがサクヤにかけた目隠しを振り切ってやる。
頭の片隅で、「そんなこと本当に出来るかな?」と自分を嘲笑う声が聞こえたような気がしたが――意識してシャットアウトした。
2015/08/30 初回投稿