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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第5章 This Used to Be My Playground
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6 安全圏

 サクヤはこだわりが割とはっきりしてて、良く言えば実用的、悪く言えば趣味性がない。コーヒーは大好きだが飲めれば何でもいいと思っているし、普段着は色と肌触り以外に気にしない。結果として、何度買い直しても、似たような白いシャツと黒いスラックスばかり着ている。


 そして今回、旅の荷物をまるっとなくしてしまったのだが、サクヤがこだわりたい品は全て香櫻堂で手に入ったらしい。

 従って、もう後は目についた店で適当に買うことになった。

 着替えや荷物を入れる袋などには、サクヤは何のこだわりもないらしい。視界に入った店の中で値段と丈夫さだけを見て、条件に合うものを買い集める。


 オレはサクヤの後ろをついて、買った荷物を抱えるだけの係だ。

 例によって、食糧を忘れそうになっているので、そこだけオレが口出しした。


 どの店に入っても、店主はサクヤのことを見知っているようだった。

 「サクヤ様」と名前で呼びかけ、サービスします、と笑顔で迎える。サクヤとリョウ王の付き合いも長いようだから、当たり前のことかもしれないが。


 ところが逆にサクヤが名前を覚えているのは、香櫻堂の店主だけだ。最初は冷たい態度だと感じていたが、幾つか店を周る中で、オレも納得した。

 市井の人間に、サクヤとリョウ王やエイジとの関係が、どういう風に伝わっているのかは分からないが。

 揉み手をしながら、「今日もお美しい」などと言われれば、それはサクヤの気に食わないだろうと思うのだ。


 今後も継続して取引するつもりがないからか、そういう場合、サクヤは黙って買い物を済ませてしまう。

 その結果ストレスだけが溜まっていき、折角、香櫻堂で上がっていたテンションが、現在だだ下がりになっている。

 一緒にいるオレからすると、精神衛生上、非常によろしくない。

 ここらで気分転換したいと思っている途中、雰囲気の良い喫茶店を見付けたので、黙って前を歩くサクヤの背中に声をかけた。


「なあ、さっきから歩きっぱなしだし、コーヒーでも飲まないか?」


 サクヤはオレを無言で振り返る。その瞳は冷たいが、コーヒーにはそそられたらしい。静かに足を止めた。

 ――素晴らしい。コーヒーは偉大だ。

 無言のまま、オレの指す喫茶店に、サクヤは足を踏み入れた。続いて中に入ろうとしたオレは、入ってすぐのところで突っ立っていたサクヤの背中に、ぶつかって声を上げる。


「サクヤ、どうした?」


 サクヤは黙って店の奥をじっと見ている。その肩越しに店内を見渡して、オレはこの店を選んだ失敗に気付いた。

 店の一番奥からこちらを見ているのは、エイジの兄、この国の第一王子、カズキだった。


「お供を連れて、お買い物か?」

「だったら何だ? お前こそ、こんなところで時間を潰せるとは、暇で仕方ないのか?」


 カズキに答えるサクヤの声は、限りなく低く温度を下げて、店内に響く。

 居合わせた客達は、そのほとんどが当然のように2人を知っているのだろう。

 顔を上げないままどうなることかと聞き耳を立てている空気が、入り口に立つオレにも伝わってきた。


「懇意の店に頼んでおいたんだ。お前が来たら教えてくれって。お前なら、街に出れば必ずここに寄るだろうと思ってな」


 どうやらこの街でコーヒーが飲める店は、ここだけらしい。

 完全に行動を読まれてしまったことに、オレは、自分の浅い考えを呪った。


「随分可愛らしい髪型なりじゃないか。俺に会うのに、そんなにめかし込まなくても」


 立ち上がったカズキが、こちらに向かって歩いてくる。

 その後ろから、黒衣の男が1人、カズキの後を滑るようについてきた。

 良く見れば、サクヤの視線はカズキではなく、その男の方に向けられている。

 オレの肩を押して入り口を退かせると、サクヤは黒衣の男から視線を外さぬまま店を出た。


 サクヤに追いついたカズキが、その背中で揺れる金髪を片手で捉える。

 それでも、サクヤはそちらに視線を向けない。警戒すべき対象を理解しているのだろう。黒衣の男が動かなければ、自分の髪などどうなってもいいと思っている風だ。


 ――だから。手の中でサクヤの髪を弄ぶカズキが、どうしても許せないのはオレのワガママだ。カズキの腕を掴んで、声をかける。


「離せよ」

「あ?」


 オレの言葉に、カズキはサクヤから視線を逸らし、こちらに眼を向けた。

 サクヤの身体のたった一部でも、この男には、預けておくつもりになれない。

 オレがその手を払い除けようとしたのを、止めたのはサクヤの右手だった。

 何故と問おうとした時、黒衣の男が、その手を自分の腰の剣にかけているのが見えた。

 くくっ、と、カズキが笑う。


「どうした、騎士様。姫を守らなくて良いのか?」


 サクヤの髪を自分の口元に当てながら、オレを嘲る。

 怒りで目の前が真っ赤になって飛び掛かる体勢に入ったところで、とん、とサクヤが右手でオレの胸元を押した。


 サクヤは口を開かないけど。

 下がっていろ、と言いたいのだろう。


 足手まといにしかならない自分が情けない。しかしここで挑発に乗れば、どうなるのかは分かっている。

 ため息とともに力を抜いて、言われるままに後ろに退いた。


 オレが距離をとったので、ようやくサクヤは安堵したらしい。空いた右手でカズキから自分の髪を取り戻した。

 それも、黒衣の男を眼で牽制しながら、カズキの方を向かぬままで。

 一瞬の早さで手の中から消えた一房に、カズキは目を見開いた。そちらを見もせず、サクヤが吐き捨てる。


「継承戦前の争いは、いい噂を生まない。知ってるだろう?」

「カズキ様、お下がりください」


 サクヤがオレを退かせたように、黒衣の男はカズキを下がらせようとした。

 しかしその言葉に、カズキは大きくプライドを傷つけられたらしい。語気も荒く、黒衣の男に反論する。


「ナユタ、俺に命令するつもりか」

「……失礼しました。ですが……」

「二度言わせるな」


 重ねて制され、ナユタと呼ばれた黒衣の男が押し黙った。

 明るい日の下で見れば、ナユタの髪も瞳も漆黒、その頭上には伏せた耳がある。ディファイ族の特徴を備えたその姿は、サラやアキラと同じ種族であることを示していた。

 一瞬、サラと同じようにサクヤが連れてきて、リョウ王がカズキに譲ったのかと思ったが、どうもサクヤの表情はそれらしくない感じがする。

 サクヤが迷いながら口を開いた。


「ディファイの剣士か?」

「親も知らぬ流れ者だ。種族の名など意味もない」


 尋ねるくらいだから、やはりサクヤはこのナユタとは初対面なのだろう。

 ナユタがゆっくりと、剣の柄に手を伸ばす。

 道はもともと空いていたが、睨み合う面子に気付いた通行人は、皆、遠巻きにそちらを見て立ち止まった。通行人と同じ位置に並んでいる自分のことを考えると悔しくなるが、下がれと言われた手前、近付くワケにはいかない。


 ナユタの手が柄に届いた瞬間、その剣が引き抜かれた。

 一瞬、陽光を跳ね返して、白い光が走る。

 タイミングを計っていたサクヤは、身を沈めてその一閃をかわした。


 そのまま低い姿勢から上方に向けて蹴りを放つが、その足先は素早く引き戻されたナユタの剣で止められる。サクヤのブーツの底とナユタの剣が重なって、ガキン、と金属がぶつかり合う音がした。

 弾かれた勢いを殺さず、うまく力の方向を操作しながら、身体を縮めたサクヤが下方から踏み込む。

 その首に向かってナユタの腕で振り下ろされる剣は、予測がついていたらしい。踏み込みの角度をずらして紙一重で避けると、次の瞬間には、ナユタの間合いをすり抜け、カズキの身体の下に身を伏せていた。


「……え?」


 カズキの間の抜けた声の後に、サクヤが足払いをかける。

 全く反応できないまま足をかけられて、後ろに倒れるカズキに、サクヤはさらに追い打ちで首元を掴み後ろに回った。


 カズキが尻餅をついたとき、サクヤは襟を背後から握ってナユタを睨んでいた。

 首をカズキ自身の服で締め上げつつ、後ろに倒れても後頭部を打たないように配慮したのだろう。

 座り込むカズキは、まだ、何が何だか分からない様子だった。


 ――なるほど。

 オレがあの場にいれば、きっとああいう姿で足手まといになるのだろう。

 サクヤはカズキに手加減をしているが、ナユタは無名のオレなど気にもかけはしない。オレを守りながら戦えば、今、ナユタがしているのと同じような表情を、今頃サクヤが浮かべることになったかもしれない。


 黙ってナユタが剣を鞘に納めると、サクヤは放り捨てるようにカズキの襟を離した。状況をようやく把握したカズキが、頬を紅潮させている。


「さ、サクヤ、お前……」

「お前が転けそうになっていたから助けただけだ。咄嗟だったから襟を持った」


 嘘ではない。

 転けさせたのがサクヤ自身である、ということを言っていないだけだ。


 ナユタが黙ってカズキの側に寄り、手を差し出す。

 差し出された手を勢い良く叩いて1人で立ち上がりながら、カズキは何故かナユタを叱責した。


「俺をバカにしてるのか!」

「……いえ……」


 そのやり取りを見て、顔をしかめたのはサクヤだ。


「馬鹿を馬鹿にして何が悪い。観戦するなら安全圏まで下がってろ。参戦するなら腕を磨け。昔からそうだが、お前の我がままがいつでも通ると思うな」

「うるさい、黙れ!」

「黙れと言われて黙る奴しか、お前の周りにはいないのか」

「この――!」


 飛び掛かろうとするカズキを、ナユタの手が止めた。


「カズキ様、いけません」

「俺に命令するなと言っただろうが!」


 手を振り払われたナユタは、それでも、もう一度カズキの肩に手を置く。


「やるなら、あなたの手足として、私がやります。……ご命令を」


 ナユタの言葉に、少し落ち着いたカズキが口元を歪めた。

 サクヤが再び気を引き締めて、重心を変える。

 ナユタの動きに備えて気配を尖らせている。


 高まる圧力の中、背後から投げかけられた声は、オレの良く見知ったものだった。


「――何やってるんですか、あなた達」

「……師匠」


 オレの肩をぽん、と叩いた後、横から人垣を抜けてサクヤたちに近付いていく。

 その腰には、いつもの愛刀暁あかつきを佩いている。

 カズキと話している時も一切ナユタから視線を逸らさなかったサクヤが、師匠の姿を見て、ようやくナユタから目を離した。


「……ナギか」

「市中で騒ぎが起こっていると通報がありまして。全く、あなたは短気ですぐ問題を起こすんだから」

「それはお前だろ」


 隣まで進んできた師匠に、サクヤは嫌そうな顔で答える。

 さすがに戦力の逆転を感じたカズキが、ナユタの手を外して不機嫌に声を上げる。


「ナギ、見回りご苦労だな。しかし、そこのじゃじゃ馬少し問題だぞ。暴れ回らないようにちゃんと見張っておけよ」

「ええ、どうも。うちの魔法使い(・・・・・・・)がご迷惑をおかけしたようで」


 『うちの』という言葉に、周囲が少しざわめいた。

 継承戦の参加者をどうやって発表するのかは知らないが、昨日の今日では、まだ知られていない情報だったのだろう。周囲から、ささやき声が漏れ聞こえる。


「……やはり、サクヤ様も……」

「……エイジ様の陣営か……」


 カズキが鼻を鳴らして、何故かオレに視線を当てた。


「ふん、エイジの側で出てくるだろうとは思っていたが。魔法使いか。そこのクソガキじゃないのか」


 ああ、そうか。

 オレをノゾミと間違えてるのか。

 確かにノゾミが生きていれば、エイジの魔法使いは彼だったのだろう。


「まあその辺りは、継承戦で確かめて下さいね。とりあえず、俺と当たるのはそちらでいいんですかね?」

「今のところはな」


 カズキは短く答えると、さっさと踵を返した。

 師匠も増えて、ここでこれ以上時間を過ごしても無駄だと判断したらしい。

 ナユタはしばらく黙って師匠に視線を当てていたが、カズキの背中が群衆の中に見えなくなると、静かにその後を追った。

 2人の姿が消えて、師匠がオレの方に手招きする。

 オレは脇に置いた荷物を持ち直すと、呼ばれた通り、サクヤと師匠に近寄った。


「サクヤさん、あなたね。継承戦前に潰し合うのは無駄だと知ってるでしょう? 何やってるんですか」

「……俺にその気がなくても、向こうに剣を抜かれれば、仕方がない」

「そんな可愛い顔して言ったって、俺は許しませんよ」

「顔は関係ない」


 サクヤが冷たく言い返してから、オレの方に向き直る。

 少し困ったような顔をして、小首を傾げた。


「……大体揃ったし俺はそろそろ戻る。お前、さっきのカズキじゃないが、参戦したければもう少し腕を磨け」


 ――どうも、オレは悔しそうな顔をしていたらしい。

 師匠がオレの頭をぐりぐりと撫でながら、褒めてるのか貶してるのか分からないことを言った。


「よく我慢しましたよ。今のあなたじゃ邪魔になるだけですから」

「……分かってる」

「分かってるのも分かってます。今夜出るんでしょう? その間の自主練メニュー組んでますから、ちゃんとやって下さい。こういうのはとにかく毎日の繰り返しなんですよ」


 師匠もサクヤも、さっきのナユタも。

 目指す先は遠すぎて、オレにはその背中しか見えない。


 いつだって、庇われて、守られて。

 それでも、自分の出来ることしか出来ないから――オレは、黙って頷いた。

2015/08/25 初回投稿

2015/08/25 誤字脱字修正

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