5 香櫻堂の後継ぎ
しばし無言で歩いた。
王宮を出て、サクヤはまっすぐに中央通りへ向かう。
この国の商店街では、どの店も賑わっていて、活気のある呼び込みが周囲に響いている。
黙って歩いているが、どんな店にも目を向けないところを見ると、どこか目当ての店があるらしい。
そう言えば、いつものマントを着ていないのに、こうして出歩いていいのだろうか。手元にないからか、慣れた土地だからか、分からないけど。
一時的な代替品でも、欲しければそう言うだろうから、やはりマントを被る必要性を感じていないのだろう。
周囲の様子も、普段のような驚きに満ちた賞賛や欲望の視線は少なく、見知った顔が多いようだった。
歩いていると、「ご無沙汰してます」「いらしてたんですか?」なんて、あちこちから挨拶を投げかけられている。
ただしサクヤの方は、挨拶を受けながらも、ほとんど無視しているのだが。さすがに見ていられなくなり、オレは正面を歩く細い肩に手をかける。
「なあ、ちょっと待て」
「……何だ?」
いきなり引き止められて、鬱陶しそうにサクヤが振り返った。
「何でお前、挨拶されてるのに無視するの?」
「知らない奴だから」
「知らないったって、普通、声かけられたら返すだろ」
「普通なんか知らない。俺は人間の土地に来た時から、知らない奴とは話さないことにしてる」
どうやら、ホームグラウンドと言っていいこの土地でも、完全に気を許しているワケではないらしい。その苦々しい表情からは、過去に色々とあったらしいことが伺えた。
ちょっと極端な反応にも思えるが、そうしたくなるような出来事があったのだと察したので、オレは素直に謝ることにした。
「……そうか、ごめん」
「特に謝る必要もない」
サクヤは、それでも少し不機嫌そうに、オレの手を軽く叩いて払うと踵を返す。
オレはもう、何も言わずにその後を追った。
良く見ていると、無視を貫く中にも時々、片手で挨拶を返している時があるようなので、それは知っているヤツ、ということらしい。
しばらく歩いたサクヤは、一軒の店の前で足を止めた。
古ぼけた看板には、『香櫻堂』と書いてある。
その小さな店構えからは、正直、何の店かは分からない。狭くて小さい入り口には何の商品も飾られておらず、店の中は椅子が2脚とテーブルが1つあるだけだ。まさか、こんなボロい椅子とテーブルを売る店ではないだろう。
店の奥で、踏み台のようなものにちょこんと腰掛けているのは、年若い娘だった。
「いらっしゃいませー」
娘は笑顔で声をかけてくる。
多分、師匠やエイジと同じくらいの年だろうか。明るい茶髪が、その笑顔によく似合っている。メガネをかけて、まっすぐに髪を下ろした様子は、やや野暮ったいようにも見える。でも、この感じ、これはメガネを外すと美人のパターンではないだろうか。
真っ直ぐにこの店まで来たくせに、娘の姿を見ると、サクヤは眉をしかめた。
サクヤの周囲の空気が一変したように冷たくなる。
「サイゾウはどうした?」
「おじいちゃんは、引退。去年から私が店長です」
どうやらこの娘は、サクヤの見知っている店主とは別人のようだ。
娘の言葉を聞いた瞬間に、サクヤは踵を返した。
「……邪魔したな」
娘が慌てて止めに入り、ついでにオレがサクヤの腕を掴む。
「ちょ、ちょっと待ってください、サクヤさんですよね、おじいちゃんから聞いてます!」
「サクヤ。話ぐらい聞いた方がいいって。何か目当てのモノがあるんだろ?」
サクヤは無表情のまま、もう一度娘の顔を見た。その様子は不服そうだが、名前を呼ばれたことで、少しは信用したらしい。
視線を受けて、娘は早口でまくし立てた。
「いつものヤツですよね? もちろん保管してあります。あなたに引き取ってもらわないと絶対捨てるだけになるから、押し付けてでも渡せって言われてますので」
サクヤが小さく頷いた。
サイゾウという前店主が、サクヤの為だけに用意している商品なのだろう。そんな商品を用意しておく前店主も、そのことをそのまま言ってしまう現店主も、なかなか商売下手のような気もするが。
娘は慌てて店の奥へ引っ込むと、すぐに大きな箱を両手に抱えて戻ってきた。
さほど重い様子もなく運んできたが、サクヤは手では受け取らず、そのまま床に置くように指先だけで指示を出す。
床の上でサクヤが箱を開けると、いつも履いていたのと同じ見慣れたブーツが出てきた。時々オレの脛を蹴る、あの妙に硬いブーツだ。
丁寧な手つきで、サクヤは箱のブーツを片方ずつ取り出した。
取り出したブーツをしばらく眺めていたが、唐突に、娘に声さえかけず、勝手に履いている靴と履き替え始めた。
注意してやろうかと思ったが、店主の娘が気にしている様子がなかったので、言うのを止めた。何となくサクヤが嬉しそうな顔をしているというのもあるが。
特に難しいこともないはずだけど、サクヤはもたもたと手間取りながら、不器用にブーツの紐を結んでいる。細い綺麗な指をしているのに、何故かあまり細かい作業は得意ではないらしい。
見ていると手を出したくなるが、一度手伝えば今後もなし崩し的に紐を結ぶ係になりそうなので、あえて視線を逸らして気にしないことにした。
「そのブーツ、いつもここで買ってたのか」
「そう。製作元からここに送って保管を頼んでるんだ。南方の職人のオーダーメイドだが、俺はあちこちうろうろしてるから受け取れないし、年に一回は履き替えたいし」
サクヤにとってこの店は、商品受け取りと保管をしてくれる店として、愛用しているみたい。それがこの店の本業かどうかは不明だが。
それにしても、余程このブーツを気に入っているのか。履き替えた後、狭い店の中を試しに歩く足元が、そこはかとなく弾んでいる。
「どうですか?」
「問題ない。マントと武器も聞いているか?」
「あら、一式ですか? 持ってきますね」
どれもこれも、この店に預かってもらってるのか。
狭い店に見えていたが、それはこの接客ルームだけで、奥は倉庫なのだろう。娘が奥で在庫を探す音の響きからすると、かなり広い造りのようだ。
どうやらサクヤがこの店に無理を言って置かせてもらってるのではなく、商品預かりがこの店の本業なのだと推測した。
戻ってきた娘が持ってきたものを検めて、サクヤはこくりと頷いた。
「サイゾウから、良く引き継いでいるな」
「ありがとうございます。次回はどうしますか? 問題なければ、今まで通り頃合いを見計らって注文しておきますが」
何と注文まで代わってやってくれるらしい。
ありがたいサービスだ。特にサクヤなんか、こだわりがある割にものぐさだから、可能なことは全て人にやらせようとする。
サクヤがこの店を重用している理由が良く分かった。
「引き続き頼む。お前の名前は?」
態度を軟化させたサクヤが小さく微笑んで尋ねると、娘はその数倍はっきりと笑顔を浮かべ右手を差し出した。
「シイカです。羽根田 詩歌。おじいちゃんに引き続き、香櫻堂をよろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む」
サクヤはその手を軽く握って、ふと思い出したように尋ねる。
「サイゾウは、どうしたんだ? 引退とは……」
「ああ、腰をやられちゃいまして。まあ、年が年なので。それ以外は元気なんですけど」
「あいつも、そんな年だったか」
どこもかしこも、代替わりの話題ばかりだ。
そのことで沈むサクヤを見ているのもイヤなので、オレはあえて別のことを言った。
「なあ、サクヤ。折角商店街まで出てきたから、オレのショートソードも見繕ってくれないか。前のヤツもあんたに買ってもらったから、すぐにまた買うのは忍びないけどさ」
サクヤのことだから、自分で買えとか、王宮からパクってこいとか、師匠から譲り受けろとか、言われるかもしれない。まあ、話題転換のつもりだから、それならそれでいい、と思ったのだが。
サクヤはあっさりと、そのつもりだ、と頷いた。
「お前は俺の戦力だ。そのお前を、武装させるのは俺の役目だ」
サクヤの中で、オレはそういう位置づけらしい。
まあ、どういう位置でもいいんだけど。あえて希望を言うなら、ヒモ、と言われるような位置ではないようなので良かった。
部下? 道具? に当たるのだろうか。上々だ。
「あの、もし良ければ、余り物を格安でお譲りしますよ」
「余り物?」
「引き取り手が来ない代物だろ。丁度いいものがあるなら見せてくれ」
「はい」
シイカはまた倉庫に引っ込んだ後、ショートソードを何本もまとめて抱えて持ってきた。……それって、結構重くないか?
さっきのブーツもそれなりに重さがあるのだが、シイカは軽々と持っていたので、外見に合わず結構力があるのかもしれない。
隣でサクヤの表情が微妙に引きつっている。そう言えばこいつ、こないだたった1本を支えられずに落っことしていた。
「シイカは力があるんだなぁ」
「そうですか? 普通ですよ」
オレの言葉に笑って返すが、まとめて渡してくる剣を全て受け取ろうとすると、やはりオレでさえも、かなり腰を入れて支えざるを得ない。
脇にあるテーブルに全て乗っけてやると、遠巻きに見ていたサクヤがようやく身を乗り出した。あんた、本当にちゃっかりしてるな。
呆れながらその姿を眺めていたが、視線を受けたサクヤは、こちらを向くと、その中の数本を無言で指した。
何が言いたいのかは分かったので、オレはシイカに尋ねる。
「シイカ、これ抜いてみてもいいか?」
「もちろんですよ、どうぞ」
サクヤの指したものを1本ずつ抜いて、その目の前で見せてやった。
サクヤは小首を傾げながらまじまじとそれを見ている。
時折、指先で刀身をなぞるのは、何を確かめているのだろうか。目利きでもないオレからすると、どれも大した違いはないように見える。
それよりも、オレの手元に向けられたサクヤの真剣な目線を見ていると、自分が見詰められているような気がして、何となく気恥ずかしい。
澄んだ、紺碧の瞳で。
1本ずつ丁寧に確認した後、最終的にサクヤのお眼鏡にかなうものが見付かった。
「……シイカ、これをもらおう」
「はい! いつものご注文分もまとめて、お安くしておきます!」
サクヤが支払いを済ませている間に、オレはサクヤの選んだ剣をもう一度抜いて見た。
どこがどうというのも分からないが、何となく先に買ってもらったものよりも良いもののような気がする。
つい半月前まで、師匠に「あの鉄の棒」と言われるようななまくらを使っていた身からすると、過ぎたもののように思えた。
「気に入ったか?」
サクヤが差し出してきたのは、剣を提げる為のベルトだ。
これも買ったのか、とシイカを見ると「サービスです」と笑った。
オレはサクヤに向き直って尋ねる。
「なあ、これ結構良いものなんじゃないか? オレが持って良いのか?」
「俺が買って、お前以外の誰が持つ?」
「いや……ありがとう」
「早くそれに見合うぐらい強くなって、俺を安心させてくれ」
現段階では、基本的にサクヤの背中に庇われる段階なので、その点は恥じ入るばかりだ。
オレが強く頷くと、サクヤは少し眩しそうに眼を細めて笑った。
その表情のままシイカの方を振り向いて、別れを告げる。
「サイゾウにもよろしく伝えて」
「……あ、ああ、はい。勿論。サクヤさんが来たと言えば喜びます。ぜひぜひまたどうぞ」
割と珍しいサクヤの笑顔は、女性にも有効らしい。
頬を染めるシイカに見送られて店を出た。
履き替えた靴だの、今日は着るつもりのないマントだのは、当然荷物持ちたるオレの腕の中に収まっている。
いつものブーツを履いたサクヤは、もうそれだけで日常を取り戻したような気分になったのだろう。とん、とん、と歩む足取りが軽いのが、何だか可愛かった。
2015/08/23 初回投稿