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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第1章 Beautiful Stranger
6/184

6 拐かされる

「……だから開けるなって言ったのに」


 顔をしかめているエイジは、自分の右腕を押さえている。その指の間からぽたぽたと血が滴っていた。

 そのしずくを追いかけて床を見ると、そこに大きな影が転がっていた。


「師匠!」


 オレが叫んでも、師匠はぴくりとも動かない。

 まさか――。


「死んじゃいない。気絶してるだけだ」


 背後のサクヤが俺の思考を先回りして答えた。

 と同時に、無意識に師匠に駆け寄ろうとしたオレを、遮るように腕に力を入れてくる。

 そして、耳の下に、硬くて冷たい物体を押し付けてきた。白く輝く照り返しは、それがナイフであることを主張していた。


 ついさっきまで大怪我を負っていたはずの人間が、オレの首元にナイフを突きつけてきている。下手に動けば、頸動脈に刺さるような。完全な、脅し。


「あー、サクヤちゃん。無駄な抵抗はよしなさい。お母さんも泣いてるぞー」


 ……おっさん、ちょっと考えてしゃべってくれ。

 エイジの呑気な説得に、サクヤより先にオレがぶち切れそうになる。

 そんなくだらないやり取りをする気は、サクヤにはないらしい。エイジの言葉を無視して、オレに問いかけた。


「お前、名前は?」

「……カイ」


 業腹ではあるが、首に回した腕が圧力を増したので、素直に答えることにした。


 どうもさっきから、背後のサクヤの声に違和感がある。確かに夕方聞いた声と同じ声なのだが、あの時よりも音域が高い。つまり、見た目通りの声と言えばいいのだろうか。

 高く美しく響くそれは、サクヤの綺麗な横顔によく似合う、甘い声だった。


「よし、カイ。出口はどっちだ」


 しかもその声でサクヤが話すたび、耳に息がかかるのが悩ましい。柔らかい息で耳元に囁きかけられると、何か、なんだろうな、これ。何か変な感じがする。


「も、もうちょっと離れろよ……」

「少年、俺も突っ込ませてもらうけど、今、照れてる場合じゃないから」

「な、照れてねぇよ!」


 抱えるように背後から手を回されていて、サクヤの身体はオレの背中に密着している。背中に何か柔らかいものを感じて、オレは一瞬脳内で叫んだ。

 何だよ。やっぱり、やっぱりそうなんじゃないか! あんた、女だろ!

 あー、何か顔が熱い!


「余計なことをしゃべってないで、出口を教えろ」


 背後からの声とともに突きつけられたナイフが、首元に押し付けられた。


「命が惜しくないなら別だが」

「あー、ストップストップ、その子関係ないから見逃してよ。代わりに、ここでだらーんとしてるエロメガネ持ってっていいから」

「そこは、『俺が代わりになるから』とか言うと、おっさんの株が上がるんだけど」

「少年の中で株が上がってもねぇ」

「――次はないぞ。出口はどっちだ」


 ひやり、と背後の気配が変わった。背中に冷たいものが走る。

 えーと、仏の顔も……ってヤツ?

 後ろを振り向きたい気持ちを我慢してエイジを見ると、いつもへらへらしているエイジでさえも少し真面目な顔で、オレに向かって軽く頷いた。

 まあ、そうするしかないよな。


「こ、こっち……」

「一緒に来てもらおうか」


 ぐいっと出口の方に引っ張られる。

 サクヤが背後のエイジに向かって、最後の声をかけた。


「エイジ、お前はしばらくこの部屋から動くなよ」

「はいはい」


 部屋を出る前に、オレもエイジの顔を見た。

 エイジはこちらに向かって、空いている片手で「ごめん」のポーズをとっていた。

 師匠の頭を、爪先で小突きながら。


 あー、多分だけど、師匠が何かやったんだろな。

 多分だけど。


「カイ、この村に、広場みたいなところはないか?」

「広場……こっち」

「どうせあいつら、じっとなんてしてないだろうから、さっさと転移しよう」


 独り言のようにぼそりと呟く声が聞こえて、その耳慣れない単語を思い出す。


 てんい、転移――転移魔法。

 空間と空間を入れ替える為の魔法で、聞くところによると大変便利な魔法らしい。

 残念なのは、設備無しで制御するのが大変なので、ただでさえ少ない魔法使いの中でさえ、その魔法を自由に使える人間は限られていることだ。一般に名前を知ることができる王宮付魔法使いの中でも、転移魔法が使えるなんてヤツは、せいぜい五本の指に足りるかどうか。


 きちんと設備を整えれば、そんなに難しくもないそうだが、その場合は、送る側と受ける側にその準備が必要になる。

 魔力を持った人材と設備を、世界中に事前に用意できるのは、今は神殿だけ。だから、一定以上の魔力のある神官さえいれば、設備のある神殿同士での転移は、さほど困難ではない。神殿はそのネットワークを使って、時には物資や人の輸送をすることもあると言うが。

 もちろん民間や国からの依頼を受けることもある。莫大な手数料を取って。それが神殿の収入の割と大きな割合を占めているということと、転移には大神官以上の魔力が必要になると、これは師匠から聞いた話だ。


 何もないところから何もないところへ移動するなんて、神殿の転移魔法とは違う、強力な魔法。

 そんな魔法使いを見るのは初めてだ。

 サクヤがどこの国の王宮付魔法使いなのかは知らないが、何の用でこんな片田舎に来て、何の因縁で師匠やエイジに追われているのだろうか。


「……そんな便利な呪文が使えるなら、さっき使って逃げれば良かったのに」

「転移魔法は陣を描かなきゃいけないし、制御が難しい。人外レベルでタフな誰かと森の中を追っかけっこしながら、使えるもんじゃない」


 へぇ。強力な魔法にも、色々制限があるようだ。

 しかし、どんな制限があったとしても、素晴らしい力であることは疑いない。

 もしかすると師匠とエイジに追いかけられているのは、それが理由なのかもしれない。

 ただし、それをこの人質状態で、直接サクヤに尋ねる余裕はないので、黙って広場の方へ案内をすることにした。


 夜の広場には、さすがに誰もいなかった。

 鳥の声がどこからか聞こえるだけで、しーんとしている。

 サクヤは、オレの首を抱えたまま、自分の足先で土の上に簡単な魔法陣を描き始めた。


 設備がいらなくとも魔法陣が必要なら、そりゃあ走りながら描くのは難しいだろう。

 感心しながら見ているオレの傍で、オレを片腕で抱いたまま、片足をコンパスのように動かして、何とか2人が入れる程の大きさの円を描いた。円のなかにも何やら色々書いているが、魔法使いでないオレには、何と書いてあるのか、そもそも本当に文字なのかもはっきりしない。

 サクヤが小さく呪文を唱えだした。


「其は天空を統べる夜の女王。獣の弓。泉の主。祖の紅に従う者よ……」


 見ていても聞いていても、さっぱり分からない。

 だから、他のことに注意がいくのは当然だと思う。

 例えば、後ろから回された腕が、ずいぶん細いとか。

 肌がすべすべしていて、首に触れていると気持ちいいとか。

 無造作にくくられた金の髪が、さらさら動く度に、えらくいい匂いがするだとか。

 背中に当たってる柔らかいものだとか――。


「――そうだ! あんた、嘘ついてただろ! 何だよ、男って!」


 思い出した。

 思い出したからには、一応、文句を言っておこう。

 おかしいおかしいと思っていたが、やっぱり嘘だったなんて、ずるいじゃないか。

 呪文途中だから無視されるかと思ったが、意外にもサクヤは呪文を中断して答えを返してきた。


「弓引け今宵の……黙れ、嘘なんかついてない。……主の元に。進めよ……」


 呪文に紛れて返ってきた答えは、あっさりしていた。

 オレは思わず大声で反論する。


「嘘じゃないって、何だよ!? あんた、背中に胸が当たってんだよ!」


 オレの言葉を聞いて、サクヤがびくりと身を震わせた。首に回された腕から、一瞬力が抜ける。

 何に驚いたのかは分からないが、その隙を見逃すワケにはいかない。サクヤの腕を引き剥がして、そのまま背中に捻った。


「――ぐっ」


 サクヤが眉をしかめて呻く。その手から落ちたナイフを、足で遠くに蹴り飛ばした。

 この体勢に持ち込めば、後は体格差が有利だ。

 オレの勝ち。

 このまましばらく待てば、師匠やエイジが追いかけてくるだろう。息を吐いて、驚いた表情をしているサクヤに声をかけた。


「……さーて。散々好き勝手してくれて――」

「その身に閉じよ、黄金の夜よ! ――発動するぞ!」


 オレの決め台詞に、焦ったサクヤの最後の呪文が重なる。

 その言葉の意味を考えている間に、足下の魔法陣が光を放ち始めた。

 その光で、初めて、サクヤが言っていることを理解した。


 みるみる内に光は強さを増し、眩しくて、直視するのが難しくなってくる。

 サクヤの金髪が、白い光を受けて銀色に輝く。

 バチバチと耳障りな音が、周囲で弾ける。

 小さな稲妻のような輝きが、無作為に辺りを舞う。

 驚いた拍子にオレの力が緩んだらしい。腕の中から抜け出したサクヤが、片手を天に向けて叫んだ。


「ここから先は止まらないからな! 環から出るなよ、置いていかれる(・・・・・・・)ぞ!」


 随分含みのある『置いていかれる』の言葉で、危険な状況であることは理解できた。転移魔法の範囲を中途半端に跨いでいると、取りこぼされる可能性があるらしい。

 下を見ると、魔法陣の環がひときわ強く光っていた。踵がぎりぎり環に引っ掛かっていることに気づいて、慌てて足を前に踏み込んだ。狭い環の中にきっちり2人が入ろうとすると、どうしようもなく、サクヤとの距離が詰まってしまう。


 サクヤの髪を束ねていた紐の近くで、バチン、と一際大きな音がして、銀色に光る髪が広がった。周囲で弾けているこの火花には、細い紐くらいなら千切ってしまう力があるらしい。


「……ちっ」


 小さな舌打ちが聞こえる。サクヤが鬱陶しそうに頭を振ったので、何となくその髪を押さえてやった。

 手の感触を感じて、驚いたように目を見開き、見上げてくる。

 その瞳は――鮮やかな紅をしている――


「――聖転移魔法エンタイアディスプレース!」


 呪文の後に、一瞬、サクヤが何か呟いたような気がした。

 でも、眩しすぎて、もう眼も開けていられない。


 眼を閉じたオレは、ぐらぐらと何かが揺れるような感じを覚えた。揺れたのは地面ではないが、何だろう、今までに感じたことのない感覚だ。

 初めての体験は恐怖を生む。

 オレは眼も見えないまま、すぐ近くにあった細い身体に、力任せに掴まった。


 空気が震える感覚と、バチバチ弾ける音が、一層激しく聞こえて――

 気の遠くなるような耳鳴りがして――

 ――そして、何も、聞こえなくなった。

2015/05/25 初回投稿

2015/06/06 こっそり呪文を少し変更

2015/06/12 サブタイトル作成

2015/06/20 段落修正

2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2018/02/03 章立て変更

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