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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第5章 This Used to Be My Playground
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2 朝のコーヒータイム

 コーヒーの匂いがする。

 部屋の中に漂う芳ばしい香り。

 それに混じって、果物のような甘い匂いが近付いてきた。

 足音もなく、滑らかに動くその気配。


 ベッドの端が軽く沈む。

 眼を開けないまま、無意識に、オレはそちらに手を伸ばしたらしい。

 指先に何かさらさらとしたものが触れる。


「……起きたのか?」


 低い声が響く。

 ここ数日、何度も夢に見て。

 聞きたくて仕方なくて。

 でも、諦めていた。


 それが、今。

 そこにいる、その気配を感じる。

 たったそれだけのことが、嬉しかった。

 湧き上がるような喜びの中、その名前を呼ぼうとして、オレは眼を開ける――。


「――で、あんたは、何で朝からそんな恰好なんだ!」


 眼を開けた瞬間から、オレのテンションはマックスまで跳ね上がった。

 何が悲しくて、オレはバスローブ1枚の男と、同じ部屋で寝てるんだ……。

 思わずベッドから跳ね起きて、自分の身体を見下ろす。幸いにして、オレ自身はきちんと服を着ていたので、まずは一安心。


 バスローブ姿のサクヤは、起き抜けから叫ぶオレのうるささに眉をしかめていた。胸元がはだけていようがお構いなしに、いつものように足を組んで、コーヒーを飲んでいる。


「俺に言われても困る。起きたら、この状態だった」

「胸元直せ、足を組むな! コーヒー飲むより先に着替えろよ!」


 どんだけコーヒー好きなんだよ!

 しかし、サクヤにはオレの気持ちよりコーヒーの方が重要らしい。オレの言葉もどこ吹く風で、腰を上げる様子はない。


 寝起きから混乱しているオレは、何とか落ち着いて、昨晩のことを思い出そうとした。

 師匠が教えてくれた部屋のベッドに、サクヤを運んだ。ベッドに辿り着いたところまでは覚えている。

 多分、そこで力尽きたのだろう。

 大体思い出したところで、タイミング良く、扉からノックの音が聞こえた。


「サクヤさん、カイさん。アサギです。今よろしいですか?」

「ストップ、よろしくない」

「――お、オレもよろしくない! アサギ、ちょっと待って!」

「あ、すみません。待ってます」


 申し訳ないが、アサギにちょっと待ってもらっておいて、着替えを探す。


「なあ、この部屋に着替えはないの? コーヒー淹れるときに見なかった?」

「コーヒーしか見てない」


 バカ! このコーヒーバカ!


 慌ててがさがさやっていたら、扉の向こうから、アサギが再び声をかけてきた。


「あの……お着替え、お持ちしたので良ければ先にお取り下さい」


 どうやら足下に泉で、探しモノはアサギさんが持っていたらしい。

 扉を細く開いて顔だけ出すと、素直で優しいアサギは、両目を閉じて着替えだけを差し出してくれていた。


「ありがと!」


 そそくさと受け取って再び中へ引っ込む。

 もらった服の片方をサクヤに押し付けた。

 頷いたサクヤが、その場でバスローブを脱ごうとしやがったので、即座に両手でその襟元を閉めた。


「何やってんの!?」

「着替え」

「オレのいないところでやれよ!」

「男同士なのに?」

「だからっ! あんた今――あ、男か」

「そう言ってる」


 肉体的にも男だし、精神的にも男なので、何の問題もないはずなんだけど。

 オレの気持ちの上で何やら問題があったので、オレが自分の着替えを抱えて、洗面室に飛び込んだ。

 着ていた服が血やら石鹸やらでどろどろのカピカピになっていて、ようやく昨晩のことをはっきり思い出した。


 そうだった。

 サクヤの入浴に付き合わされたんだった。

 半濡れのままで眠り込んでしまったにも関わらず、風邪の一つも引いていないのは、オレの頑丈さのなせる技だろう。


「カイ。顔洗わせてくれ」

「おわ!? 何でいきなり入ってくるんだよ!」


 ノックもせずにサクヤが顔を覗かせたので、オレは洋服を抱えて胸元を隠した。


「だから。男同士で何を意識してるのかと言いたい」

「そういうこと言うなら、男の時と女の時で、その可愛い顔を改めろ!」

「…………」


 無言で脛を蹴られた。

 会えない間、あんなに可愛かったような気がしていたのに。

 こうやって一緒にいると、相変わらず暴力的だった。

 そう言えば、こういう人だったような気がうっすらしてきた。

 うーん。忘れてたのか、自分の都合の良いように記憶を改変してたのか。


 言っても出ていかないので、サクヤから隠れるように、こそこそと着替えを済ませた。


「よし。アサギ、待たせてごめん」


 しっかり顔を洗って、扉を開けるとアサギが両手に大きなバスケットを抱えていた。


「おはようございます。朝ごはん持って来ました」

「おお、ありがとう!」


 ありがたく迎え入れる。

 窓際の一番いい席でソファを陣取ったサクヤが、いつものポーズでぼんやりとこちらを見ていた。


「おはようございます、サクヤさん」

「おはよう」


 サクヤの表情が何となく物柔らかいのは、アサギが可愛くて仕方ないからだろう。妹を見るようなもので。


 ……ああ。それで言うと、ノゾミは弟みたいなものだったのかな、と気付いた。

 ぶっちゃけ、精神年齢の差で言うと、ノゾミがお兄ちゃんなのかも知れない。

 身体が触れても性的でなくて、心から安心出来るような。

 家族、という絆。


 ――ということは、今後オレにもそれを求めてくる。

 ノゾミが死の直前まで完璧に応えて見せたそれに、オレは応えられるだろうか?


 オレの悩みは顔には出ていなかったらしい。

 アサギがテーブルにバスケットの中身を広げて、にっこりと微笑んだ。


「さあ、朝ごはんにしましょう。王宮のシェフ特製BLTサンドですよ」

「わーい! オレ、コーヒー淹れるよ!」

「頼む」

「あんた、さっき飲んでなかった?」

「もうない」


 ひっきりなしに飲むもんじゃないだろ、と言おうとして、そう言えばサクヤは飯を食わないんだった、と思い出した。

 せめてコーヒーくらい、好きなだけ飲めばいいか。

 思い直して、オレは部屋の隅の簡易キッチンに近寄った。


 すごいな、この部屋。もう、この部屋だけで生活出来るじゃん。ベッドも2人で寝ても余るくらい広いし。

 王宮の賓客用の部屋かな。ちょっとばかりオレには場違いな気もするが、サクヤは一切気にしていない。案外、この国では普通のことなのかも知れない。


 この1週間で、多少は手際良くコーヒーが淹れられるようになった。

 ぱたぱたと用意して、部屋に置いてあったコーヒーカップに注ぐ。

 まずは2つ持って行って、片方をアサギに渡すと、笑顔を返してくれた。


「ありがとうございます」


 微笑む表情に、オレも何となく嬉しくなる。

 もう片方をサクヤに渡すと、無表情のまま無言で受け取られた。


 ……あれ? これって普通に礼とか言ってもいいとこじゃない?

 自分の分を取りに行きながら、解せぬ思いで首を傾げる。

 戻って来た時、アサギはオレを待っててくれたけど、サクヤは早々にカップに口を付けていた。

 ――おい。

 若干イラッとしたが……一口飲んでから、オレを見た表情がいかにも嬉しそうで、可愛かったので――うっかり許した。


 ええ。うまかったなら、良かったです。

 あんたがいない間に、あんだけ練習した甲斐がありましたとも。


「さあ、頂きましょう、カイさん」


 アサギがサンドイッチをすすめてくれたので、ありがたくもらう。


「いただきます」


 かじりつくと、カリカリのパンの間から、とろりとしたトマトとパリっと焼けたベーコンが丁度良い分量で顔を出す。ベーコンの塩気とトマトの酸味が、マスタードで包まれて、うまく調和していた。


「うまいな、これ」

「はい。美味しいですね」


 アサギと顔を見合わせながら、にこにこ食べていると。

 そんなオレ達を見ながら、サクヤが少し驚いたように声をかけてくる。


「お前ら……随分仲良くなったんだな」


 特に何の含みもなさそうに聞こえるが、何故か突然アサギが慌て出した。


「あ、あの! エイジ様から経緯は全て聞いてます。サクヤさんが心配するようなことは、何一つ、神に誓ってありません!」

「アサギ、慌てすぎ。別にオレとアサギに何かあってもいいじゃん」

「良くない」

「良くありません」


 両側から同時に否定された。


「アサギは神職に着いてるんだから。迷惑かけるなよ」

「サクヤさんのものになるって誓ったのなら、他の人に目移りしてはいけません!」


 でも、理由はそれぞれ違った。

 まあ、サクヤの言葉は頷けるとして。

 アサギのは……これをそのまま認めると、オレ一生童貞じゃん。

 一緒にいるとは言ったけど。さすがに一生童貞でいいと、はっきり誓えるところまでは、ちょっと覚悟してない。ずるいかもしんないけどさ。


「アサギ……オレ、別にサクヤと結婚するってワケじゃないし。ただ、ずっと一緒にいてやるってだけで」

「それは愛があるからですよね?」


 嫌な質問をされたので、一瞬考えてから、畳み掛けるように答えておいた。


「……違うよ。成行きです。腐れ縁です。旅の仲間です」

「そもそも男同士だし」


 オレの言葉に、サクヤが補足してくれたけど。

 いや、あんた援護してくれるつもりかも知らんけど、オレはその言葉に大いに反論したい。オレの中では、多分あんたはもう、男同士のカテゴリに入ってない。

 ……かと言って、女のカテゴリにも入れられない。

 だから、オレの中では、サクヤは『サクヤ』という特異なカテゴリに入ってる。変な存在だ。

 自分でも認めたくないが、男の時でも、気が付くと――いや、何でもないや。


「……愛とは性別に関わらず与えられるものです」

「まあ、家族愛とかあるけどさ。あんまりそういうのって、言葉で括らない方が、オレは好きだな」


 『サクヤ』カテゴリを言葉で定義しようとすると、非常に大変なことになる。だって他の誰とも違うことを、1個1個決めていかなきゃいけない。

 だから、あんまり言葉を使いたくない……ってことなんだけど。

 幸いなことに、オレの答えでアサギは黙った。

 どうやら、今の答えがお気に召したらしい。


「私……余計な口を出しましたね。失礼しました。お2人のことですから、お任せするのが一番ですよね」


 うふふ、と笑っている。

 うん。そのほほ笑みはちょっと気になるな。

 オレが言いたいのは――。

 いや、もういいや。やっぱり何も言わないでおこう。

 サクヤについて語ろうとすると、オレにとってはパンドラの箱を開けるようなもので、自分でも認識したくないことが、その中にたくさん詰まっているような気がするのだ。


「昨晩も大変だったそうですね。指先も傷だらけだし……よろしければ治癒魔法をかけましょうか?」


 アサギは少し心配そうに、胸の前で手を組んだポーズで、オレを労る言葉をくれる。

 多分サラは何も言ってないと思うけど、皆それなりに推測したのだろう。オレがどうやってサクヤのところまで行ったのかは、バレてるようだ。

 指先やら膝やら脛やら背中やら、確かに傷だらけなんだけど。


 オレはサクヤの顔を見ながら答えた。


「……うーん、いいや。すぐ治るだろ」


 早く治したい傷でもない。

 きっと、この傷の何倍もサクヤは痛かっただろうし。

 少しぐらいオレも痛い目をみたい。

 それは懺悔じゃなくて、多分共有したいって気持ちだと思ってる。本当の意味では全然共有じゃないし、ただの自己満足なんだけどさ。


 オレの視線を受けて、サクヤが肩をすくめた。


「治してもらっておけばいいのに。アサギの治癒は完璧だから」

「まあ、いいんだよ。これはこれで」

「……そうですね。それもいいかもしれません」


 鈍感なサクヤよりも、優しいアサギの方が、先にオレの気持ちを汲んでくれた。

 オレはこくこく頷きながら、更に言葉を付け足す。


「大変って言うなら、その後の方が大変だったし」

「後? 風呂入って寝ただけじゃないか」

「あんたはな。あんたを風呂に入れるオレの気持ちになれ」

「……重いと言いたいのか?」

「違う! あんたがあられもない格好をしてると、オレはいたたまれない気持ちになるんだよっ!」

「俺がどんな格好で風呂に入れば満足なんだ? お前は」


 そうじゃない、そういうことじゃない。そもそもオレに入浴介助をさせるなと言いたい。

 アサギが同情した瞳でオレを見ている。

 ああ、もう。あんたに、このアサギの思いやりの半分でもあればいいのに!


 オレの呆れた顔を見て、アサギが助け舟を出してくれた。


「えっと……こういう時は立場を逆にして考えると良いですよ。サクヤさん、昨日カイさんとお風呂に入ったそうですけど」

「うん」

「何故、私を呼ばずにカイさんと?」


 アサギの言葉に、サクヤは苦虫を噛み潰したような顔をする。


「何でアサギと入るんだ? お前は神官だし、俺は姫巫女。ともに異性との接触は控えるべきだ」

「異性と言うなら、昨日の状況ではカイさんが異性ですよ」

「……俺の感覚では同性と感じる」

「じゃあ、逆を考えましょう。私の魔法でカイさんが女の子の身体になったとして、サクヤさんは、そんなカイさんと一緒にお風呂に入っても平気ですか?」


 サクヤは小首を傾げたまま、しばらく考え始めた。

 結構な長考に入っているのは、どうもオレが女の子になったというイメージが、湧き辛いのが一番の理由らしい。時折こちらをちらりと見て、再び考えるということを繰り返している。


 残念ながら、悩んでるサクヤはとても可愛かったりするので、少し困る。

 つか、黙ってりゃ可愛いんだよ、この人。本人としては至極異議のあるところだろうけど。


 オレの視線の先で、ようやくサクヤが長考から復帰した。


「……別に問題ないように思うんだが」

「そんだけ考えて、それかよ!」


 思わず叫んだオレの耳に、反対側でアサギがため息をつくのが聞こえた。


「……すみません、カイさん。お力になれなくて」

「今の話は何の意味があったんだ?」

「もういいから、あんたは露出を控えろ! いつか襲われるぞ!」


 悪気はないんだろうが――何を言われているのか、全く分からないという様子で、サクヤはオレとアサギを交互に見ている。


「表で肌を晒すのは危険だろうが、お前しかいないのに誰に襲われるんだ?」


 ――オレだよ、バカ!

 ……と、言ってやりたかったが、さすがに答えられない。

 オレの表情を見て、大体察したアサギが苦笑する。

 いや、オレだってこんなこと言いたくない。自分でもワケが分からなくなってきたので、もう、これ以上追求するのは止めた。考え詰めると、例によってオレ自身も後悔する答えが出そうな気がする。

 黙ってサンドイッチにかぶりついた。


 諦めたオレからさりげなく視線を外して、アサギがサクヤに声をかける。


「転移が必要だそうですね?」

「そう。早いほうがいい。仙桃の国の、王都へ」

「ええ。私の方はすぐにでも。やはり取引なのですか?」

「ああ。ようやく、そっちに尽力できる」


 サクヤはソファに深く座り直して、足を組み、頭を背もたれに乗っけている。

 対するアサギは、いつものように背筋も綺麗に、足を揃えて座っていた。

 こうやって見比べると、サクヤの態度が、普段からどれだけ偉そうなのかが良く分かる。


 今朝の会話と、今の2人の姿勢を見て、少し悩む。

 ……やっぱりオレは人生を早まったかもしれない。


「何を落ち込んでるんだ」


 落ち込みの主原因たるサクヤに指摘されて、オレは肩をすくめた。

2015/08/17 初回投稿

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