interlude9
黒いローブの影が、手を振りながら駆け寄ってくる。
満面の笑顔を見て、思わずこちらも笑いかけた。
(ああ、またこの夢。あれはノゾミか……)
一歩手前で立ち止まって、両手を広げてきたので。
ハグで返した。
「ん、今日は女なのか」
「ああ。ちょっとごたごたがあったんだ」
身体が密着したので、膨らんだ胸元に気付かれた。
少し心配そうな眼をしているが、それ以上は何も言わない。
向こうも、こちらも。
(ノゾミって、すげぇ)
(こんなに密着してて、顔色も変えずにいられるとは)
久し振りに会うといつも、随分と背が伸びたように感じる。
いつの間にか、自分と目線が同じになっている。
子どもの成長は早いと言うのは、事実らしい。
「あんたがいない間に、また1つ魔法を覚えた」
「へえ。すごいじゃないか」
今回の不在期間は1ヶ月というところか。
ノゾミの魔法使いとしての成長度合は著しい。
流石に泉の魔力量程、無限ではないにしろ。
人間にしては出力もかなりあるし、細かい調整も上手だ。
これだけ使えれば、右に出る者は少ないはずだ。
いっそ、自分と比べてみても。
巫女の力を制御出来ない自分より、余程便利な使い手だろう。
(そんな凄い魔法使いだったのか)
「ああ、またサクヤちゃんはノゾミばっかり!」
金髪を振り乱し、弓を片手に走って来るのは、この国の第2王子。
こちらは、とっくの昔に自分の身長を超えてしまった。
数年前までは愛らしかったのだが。
こうなると、もう可愛いという気持ちは持ち辛い。
「何で俺のことは、ハグしてくれないのよ?」
ノゾミと同じように両手を広げられても、ちょっと。
「お前は尻とか撫でてくるから」
(ナチュラルにセクハラしてんじゃねぇか)
(この……エイジめ)
他国でなら、王子に懐かれるのは。
歓迎すべき事態なのかも知れないが。
王に対してすら、対等に話が出来るこの国では。
その地位は大した魅力でもない。
王子の傍らから、眼鏡の少年が答えの分かりきった質問をする。
「……じゃあ、俺はどうなんでしょうか」
「気を抜くと斬り付けてくるから、嫌だ」
腕の中にノゾミの身体を抱いたまま、即答した。
(師匠、あんた……)
(完全に警戒されてるよ)
「2人とも自業自得ですよ」
「アサギは可愛い」
ゆっくりと歩み寄ってきた少女に片手を伸ばして、頭を撫でる。
(確かに。可愛いなぁ)
嬉しそうに、少女は。
最近、滑らかに出来るようになった神殿風の礼をとった。
「サクヤさん、ご無沙汰しております」
「ねえ、サクヤちゃん。今回はいつまでいられるの?」
少女の言葉が終わる前に、王子が。
少女の為に伸ばしていた手を取ってくる。
赤い髪の少年も苦笑しながらこちらを見る。
「サクヤさんがいないと、皆、どうも気が抜けてしまって」
「面白い洞窟を見付けたから、一緒に探検しようと思ってさ。皆で待ってたんだ」
駄目押しのように、腕の中から見上げてきた。
どうやら自分は、この子達にとって。
まだ遊び相手の1人と認定されているらしい。
外見上は同じくらいに見えるからだろうか。
ふと通りかかった王が手を振ってきた。
その手に妙なものを持っている。
「サクヤ。いいところにいるじゃないか」
「……それは、何だ?」
「親父が買ってきた写真機だってさ。あの人、最近ハマってんの」
父親の代わりに答えた第二王子は。
既に何度もそれに付き合わされているらしい。
手際よく周囲の子ども達を集めると、身体を寄せてきた。
「はい、アレを見て、笑って」
「おお、いい感じだな。撮るぞ」
(ああ、この構図。あの写真だ)
何だか良く分からないままに、写真機とやらを眺めていると。
腕の中の少年が、ひそひそと囁いてきた。
「後で、あんた1人だけ撮ってもいいかな?」
「……何故?」
思わず、そちらに視線を向けた。
写真機を掲げている王には。
その程度の視線の移動も許せないらしい。
「こら、サクヤ。どこ見てるんだ。こっちだって言ってるだろ」
少年達を叱るのと同じ口調で、叱り飛ばされて。
王にとっても同じ扱いなのかと。
つい、苦笑した瞬間に。
ぱしゃり、と、鳴った。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
目を開けると、隣にいた。
手元の書に目を落とすその横顔に声をかける。
「――ノゾミ」
「おはよう。朝ごはん出来てるって、さっきアサギが言いに来たよ」
「……ああ、一瞬起きたから知ってる」
(だいぶ時間が経過したみたいだ)
(ノゾミが大きくなってる)
人の気配がすると目を覚ますのは。
旅の中で身につけた特技だ。
それなのに、何故この少年だけ。
そこにいても全く気にならないのか。
(ああ、師匠が言ってたな)
(寝顔をまともに見れるのは、ノゾミだけだったって)
ぴりぴりと肌の上を這う魔力の感触で。
一夜明けても巫女の身体のままだと気付いた。
隣の少年が気にしないので。
今まで自分も気にせずにいたが。
そう言えば、昨日尋ねるのを忘れていた。
「じゃあ、飯食いに行こう。その後はどうする?」
言われて、ふと――気になった。
楽しそうに笑っている。
笑っているけど、顔色があまり良くない。
「……どうした? 寝不足か?」
はっとした顔で手を振ってきた。
「いや――そうそう。ちょっと根詰めて、魔術書読んじゃって」
「もう少し寝るか?」
「何言ってんだ。サクヤが来てるのに寝れるかよ」
ベッドサイドに手元の書を置いて、抱き締められた。
子どもの頃からずっとだったので。
こうして抱き締めたり抱き締められたり。
当たり前になっていたけど。
その手の大きさと、昨日エイジから聞いた話で。
やはり今、問わねばならないと思った。
「お前……恋人がいるんだって?」
耳元で、息を飲む音がした。
「……ナギ? エイジ? どっちが言ってた?」
「エイジ。もうこういうのは止めた方がいいって」
男同士だし、子どもの頃からだし。
自分は気にならないけど……。
気になる人がいる、というのは意外な視点だった。
(意外でも何でもないだろ)
(珍しくエイジがまともなこと言ってる……)
目の前の少年は、口の中で。
あのバカ今度会ったら殴る、などと物騒なことを言っている。
こちらを見てくる視線は、昔と変わらない。
「……サクヤは、どう思った?」
「俺は……まあ、お前もそろそろ大人だから、そういうこともあるかと思った」
自分でも良く分からないが、それが自分の感想だ。
何が正しくて、どうするべきかは、本人が勝手に選ぶだろう。
「オレが、他の誰かと付き合っても気にしない?」
「そうだな……」
少し考える。
エイジから聞いた話では、かなり前から。
もう恋人も何人目かという状態らしい。
思い出してみても、それ以前と今の差が分からない。
と、いうことはこの少年に恋人がいようがいまいが。
自分にとっては同じということなのだろう。
(違う!)
(それはこいつがあんたを優先してるからだ!)
(これを基準にするの、本当、止めてくれよ……)
「あまり気にならないみたいだ」
素直に答えると、泣きそうな顔をされた。
「……サクヤは、オレのこと、嫌いになったのか?」
「今の話のどこをどう取ってそうなった……?」
さっぱり分からない。
仕方がないので、頭を撫でてやる。
見上げてくる眼は全く、幼い頃のそのままなので。
もうすぐ大人だなんて本当だろうかと、笑えてくる。
それでも、背中に回ってきた腕は強くて。
やっぱり成長したんだと、少し納得した。
「別に24時間俺と一緒にいなくてもいいだろ……」
恋人の方に行ってもいいんだぞ、と言おうとした言葉を。
止めるように、胸元に、ぐりぐりと鼻先が押し当てられる。
(ちょ……、こいつ、どこに顔埋めてんだよ!?)
(子どものままのフリして……最悪だ!)
「どうせ、またすぐ行っちゃうんだろ。ここにいる間は、出来るだけあんたといたい。だから今のうちに遊ぼうぜ。今日はどこ行く? オレの魔法の出来を見てくれるって言っただろ。その後は、約束してた店、行ってみる?」
「そうだな……」
畳み掛けるように誘われて、苦笑とともに返事をしながら。
その顔色の悪さだけが、酷く、気にかかった――。
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「ごめん。ちょっとダメっぽい」
ベッドに横たわる身体は。
たった1ヶ月見ない内にまた痩せていた。
それでも笑おうとするから。
思わず、その手を取った。
「……ありがと」
「駄目っぽいって、どういうことだ」
何故、手を繋いだだけで礼を言うのか。
1年程前、病み付いた頃から。
会う度に笑顔が澄んでいくようで。
胸が、苦しい。
「そろそろ危ないってこと。今回も、すぐ行っちゃうんだろ? ごめんな。次は、もう会えないかもしれない」
「……馬鹿な」
そんな訳が、ない。
口から零れそうになって。
無理に、止めた。
こちらの言葉を聞かないふりで。
繋いだ手に、力を込めてくる。
「だからさ、あんたに渡して置きたいものがある」
「……何」
「そこの引き出し、開けてくれる?」
言われたままに開けた中には。
一冊の、日記帳があった。
(あの日記帳……)
「あんたに読んで欲しい」
「何故」
「もう、書けないから」
本当は。
読まなくても、何が書いてあるのか。
多分、分かってるんだと思う。
いつ頃からだろう。
時々、こちらを追い掛ける視線が。
余りに必死だったから。
「……代わりに。これを」
自分の指から、嵌めていた指環を引き抜いて。
答えも聞かずに。
その、痩せた指に付けさせた。
「これ、いつもしてたね」
「別に何か力のあるものでもないが」
ただ、昔。
義姉から貰ったものだったから。
自分の持ち物の中で、一番大切な物。
「ありがとう。嬉しい」
こうして顔を合わせる度に。
この手から、擦り抜けていくような気がする。
(胸が、切り裂かれるような)
(苦しい――)
「オレが持って行って、いいの?」
「……好きに使っていい」
この日記帳が全てなら。
もう、言いたいこともないだろうと、勝手に思った。
丁度良い言葉もないので。
片手を振って、それを別れの挨拶にした。
ベッドの上から、小さく振り返されて。
もう、二度と。
会わないと、勝手に誓った。
2015/08/16 初回投稿
2017/02/12 サブタイトルの番号修正