11 自分に出来ること
「……万事窮すだなぁ。あー、可愛いお姉さんに癒されたい」
「いるじゃないですか、その扉の向こうに」
ぼやくエイジに、師匠が今閉めたばかりの扉を指した。
しかし、エイジの表情は変わらない。
「あれって全然癒し系じゃないよね。つか、俺の周りって何で、癒し系のお姉さんが、1人もいないの」
「アサギは癒し系ですよ。リアルに」
「俺はリアルの癒しより、精神的な癒しを求めてるの」
アサギは神官だから、まあ、魔法的な意味ではリアル癒し系だ。納得できないエイジは、ソファにごろごろしたまま起き上がってこないけど。
どうやら師匠は、書類にエイジのサインをもらいに来たようだ。そこで、扉を開けるオレとアサギを見付けたのだろう。
元々の目的であった書類をエイジの机の中央に置くと、師匠は、そのままエイジの椅子に座る。
立派な背もたれの執務用椅子――王子サマの椅子に、師匠が、がっつり背を預ける姿を見て、この国、本当にぐだぐだだなぁ、と改めて思った。
このメンバーでいると、サクヤと会う前、一緒に旅をしていた3ヶ月を思い出す。
あの頃から2人は適当に軽口を叩き合っていたが、国に帰ってもそれは変わらないようだ。さっきから、どうでもいいことを、2人でぐちゃぐちゃ言い続けている。
――一種の逃避なんだろう。
気軽に軽口を叩いている2人にも、この先どうすればいいか、決められなくて。
「なあ、エイジ」
オレは相変わらず、サクヤの眠っている部屋の扉の前に立ったまま、エイジに呼びかける。
エイジは普段通りの気の抜けた声で答えた。
「どうした、少年」
「さっきサラがここへ来た?」
「いや、来てない。何で?」
――あれ? 来てない? じゃあ、あれは何だ?
来てないと言うなら、悩んでみても仕方ないので、オレは別の話をすることにした。
「さっき、アサギがさ」
「うん」
「オレに『あなたの最愛の人の所へ行きましょう』って言うから」
「……へぇ。最愛の人って誰なんですか?」
師匠も、深く座った椅子の上で、ぼんやりと天井を見ながら口を挟む。
「そしたらエイジの部屋だったから、アサギからはそう見えてるのかと思って」
「ちょ……アサギったら、面白いからやめてよ」
「あいつ、愛とか恋とかほんっと好きですよね」
「乙女フィルターかかってるんだよ、自分のは興味ない癖に」
エイジと師匠が笑いながらぼやいた。
幼なじみと言うだけあって、容赦ない。
「あんたら、昔からの仲良しなんだって?」
「仲良し……って言うの、これ?」
「まあ、付き合いは長いですよね。俺がサクヤさんに連れられて、ここに来たのが12才の時ですから……」
「10年か。長いっちゃ長いなぁ」
話の内容とは別に、オレの耳は『サクヤ』という単語に異常反応するようになってしまったのだろうか。
その名前を聞くと、どんな時でも一瞬思考停止している。
オレは、本当に何をしているんだろう。アサギの乙女フィルターを笑えない。
オレの変な思考停止に気付いたはずだが、エイジも師匠も特に何も言わなかった。
優しさかもしれないが、案外疲れているだけなのかも。それぐらい2人ともぐったりしている。
忙しいだけでなくて、多分。あのサクヤの意に沿わないことを、どうやって頷かせるかが、悩ましい仕事なのだろう。
しかも何とかする方法は、決して思い当たらなくはないのだから。
オレは何でもない風を装って、話を続ける。
「師匠はサクヤが連れてきたのか」
「サラと会ったんでしょ? あの子と同じですよ。俺は奴隷上がりなんです」
「この国、フリーダム過ぎて、奴隷とか種族とかあんまり気にしないんだよね。奴隷でも、申請して一定条件を満たせば市民になれるし。獣人も大歓迎だし」
そうか。サラも師匠も、同じ。奴隷から市民になったのか。もしかすると、以前に出会った宿屋の娘アスハも、この国で手続きをしたのかもしれない。
「サクヤちゃんが、強くなりそうな奴隷をどんどん連れて来てさぁ。そうすると親父――って、ここの王様ね。親父が喜んじゃって」
「大好きですよね、あの方。強い生き物が」
サクヤにとっては良いお客で、王にとっては良い商人。
その上サクヤは、王の指示で商人の範囲外の仕事もこなしていたと、カスミが言っていた。
「サクヤ自身も、時々、働いてたんだろ?」
「そうそう。そりゃあ強くて。親父の一番のお気に入り」
「『寵姫にしてやる』って、毎回言ってましたもんね」
「よくもまあ、何十年も同じやり取りを飽きずにできるよな」
懐かしそうに思い出話を交わす2人の脳裏に、確実に、浮かんでいる姿が1つあるはずだ。それは、もう戻れない思い出で。2人にとっても、サクヤにとっても大切な。
「なあ、ノゾミって、そんなにオレに似てる?」
師匠が、はっとした表情でこちらを見る。
顔色を変えず即答したのは、意外なことに、エイジの方だった。
「そっくりだよ。少年がいると、あの頃に戻ったみたいだ」
エイジは身体を起こしもせず、ソファにもたれたまま、呟く。
その声には、特筆する感情もない。
「初対面のアサギでさえ、街中でオレを、すぐ見つけられるくらいなんだ。よっぽど、似てるんだろ?」
「もうね、生き写し」
「……初めて見たときは、生き返ったんじゃないかと、本気で思いました」
「アサギなんか、初めて会った後で泣きそうになってたよ」
「泣きそうって言うか、泣いてましたね」
エイジは、こちらを見なかった。
師匠は、オレを凝視している。
2人の反応は正反対で、こんなときだが、オレは少し面白く感じた。
多分、土壇場で振りだけでも落ち着いていられるのがエイジで、こういうときに慌ててしまうのが師匠なのだろう。
やっぱりエイジが王子サマで良かったと思う。
きっとそれこそ、王サマに求められる資質だろうから。
「サクヤちゃんはさぁ、たまに遊びに来るくらいなんだけど。俺とナギとアサギと、ノゾミは、本当に兄妹みたいだったから……やっぱりノゾミがいないと寂しいね」
「まあ、それでも俺達は、ノゾミが死んだっていうのは良く分かってます。病床につくところから……最期まで、看取りましたから」
「分かってないのはサクヤちゃんだよね」
「あの人、本当にひどいですよ。ノゾミの病気が分かってから、ぱったり来なくなって。死に目にも会えなかったし、結局ノゾミの葬儀にも来やしなかった」
忌々しげに師匠が呟いた。
どうやらサクヤは――逃げた、のだろう。
大好きなノゾミちゃんの死が、受け止められずに。
馬鹿なヤツ。
オレなんかがいたところで、代わりになるワケもない。
それでもサクヤを失いかけた今のオレには。
その気持ちは分からなくもなかった。
オレだって、自分の決断で、勝手に手放して。
やり直したいのじゃなくて、取り戻したいと、思っているのだから。
ふと、疑問を感じたので、エイジに投げかけてみた。
「そんなんなら、オレとも一緒にいたくないってもんじゃないのか?」
「知らない。上書きしたいのか、続きを見たかったのか。どちらにせよ、サクヤちゃんには無視できなかったんでしょ。分かってて少年に餌になってもらったんだけど」
上書き?
続き?
あり得ない。
いくら似ていても別人だ。
それで結局、裏切られて。
本当に、馬鹿だと思う。
「ノゾミは俺達皆の弟みたいなもんだったけど、一番可愛がってたのはサクヤちゃんだったよ。ノゾミが一番素直だし、懐いてたし。サクヤちゃんは魔法使いの先輩として、色々教えたりしてたしね」
「大した役には立ってなかったと思いますけどね。あの人の魔法、我流だから。むしろノゾミが教えてたんじゃないですか?」
「昔は良く暴発させてたもんね……サクヤちゃん」
基本的に魔力の大きさで全部何とかするのが、サクヤのやり方だ。
緻密に魔法陣を構成したり、マジックアイテムと自分の魔力を、うまく絡めたりするのは得意ではない。
確かに、普通の人間の魔法使い――ノゾミが、参考にするのは難しいだろう。
「ねえ。それでさ、もし少年ならこれからどうする?」
「あの人、言い出したら聞かないんですよね……」
「最終手段はあるんだけどさ、あんま使いたくないよなー」
「……恨まれますね、確実に……。もう、それしかないのかな」
2人の途方に暮れた声は、しばらく一緒に居たオレには、良く理解できるものだった。頑固なんだよ、あいつ。
「ノゾミの思い出ごと国を切り捨てられると、困っちゃうんだけどなぁ」
思い出すことが苦しい。
それで、この国にいたくない、なんて。
一方的に協力を求める師匠達も我がままだけど、好きな人を全部切り捨てようとするサクヤだって我がままだ。
結局どっちの我が勝つか、という問題になるらしい。
――だから。オレは、悩むのを止めることにした。
「なあ、師匠」
「はい?」
師匠がエイジの机越しにオレを見る。
「サクヤに言うことを聞かせる方法、師匠達も思いついたんだろ?」
「まあ、なくはないですよ。でもそれは……」
多分、師匠達が思いついて、実行に移さないのは。
オレが考えて、口に出さないのと、同じ方法だと思う。
――でも、オレの考えた方法の中で。
絶対にオレしか出来ないモノが1つある。
「最終手段は考えてるのかもしれないけどさ。先に、今夜、オレに試させて。明日の朝まで待って欲しい」
「明日? こうなったら、1日や2日の差は、俺達にとっては、別に構いませんけど……。あなた、あの部屋に入れないんですよ?」
師匠が、オレに近付いてきた。
オレに視線を合わせて、訝しげに見ている。
赤い瞳に覗き込まれて、オレは、正面から真っ直ぐに見返した。
その様子を、見るともなく眺めながら、エイジが呟く。
「いんじゃない。少年のやりたいようにやんなよ。……巻き込んだのは、俺達の方だし」
「エイジ、そうは言っても」
「ああ、もちろん、死ぬつもりじゃないからさ。あの部屋の鍵を貸したりはしないよ?」
「オレもあんたらと一緒に心中するつもりはないから。鍵はいらない」
オレの言葉を聞いて、エイジは軽く頷いた。
「じゃ、好きにしなよ」
「……もう、本当に知りませんからね」
溜息をついて師匠が踵を返す。
エイジの机から、自分が持ち込んだ書類を取り上げて、わざわざ、寝転がっているエイジの顔にかぶせた。
「サイン、しといてください」
そしてこちらを一瞥もせずに、部屋を出て行ってしまう。
頑なにオレに視線を向けまいとする様が、いかにも師匠らしいと思う。
エイジは、顔が隠れたのをこれ幸いと、頭の下で腕を組み、そのまま寝る姿勢に入った。
「サインしなくていいのか?」
「さすがにちょっと疲れた。少年さ、ノゾミのことが知りたいなら、サクヤちゃんの部屋に行ってみるといいよ。ここからならすぐ分かるから」
エイジの説明を聞きながら。
オレは可能な限り、頭をフル回転させる。
オレが悪くて、オレだけがはまってるならまだしも。
こんな、皆が不幸な、袋小路みたいな状態は、うんざりだ。
だからオレは――オレに出来る、一番いいことを実行することにした。
2015/08/05 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更