10 君を求める
「エイジ様、ちょっと落ち着いてください」
咥えタバコで、苛々と貧乏揺すりをするエイジを、アサギが宥めた。弾かれたように、エイジが顔を上げる。そこでようやく、オレ達と目が合った。
「お、どした? こんな夜中に。いつから来てたの?」
タバコを捻って消しながら、エイジは笑顔を見せた。
今更消しても、この部屋……すごい煙いんだけと。
いつからと言うと、まあ、少し前から。
こんな夜中に何なのか、むしろオレがアサギに聞きたい。突然、王宮に連れてこられたときは、どうしようかと思った。
外から見ると、強固な壁に包まれたこの建物は、中の警備は案外、がばがばなことが分かった。
まず、アサギは顔パスらしい。門番はアサギに対して、「ちゃーす」で、通してしまう。そしてついでに、隣にいるオレが誰なのか、確認すらしない。
王宮って、軍事機密とか、国の財宝とか、要人の命とか、守るべきものが色々あるんじゃないの? 道々、アサギに聞いてみたが、アサギは苦笑するだけだった。
その上、ここは、第二王子の執務室だ。
この部屋に入るのさえ、入り口にも、何の見張りもいないのだから、恐ろしい。エイジ本人も、アサギに声をかけられて、初めてオレ達の存在に気付いたところだ。
何だ、この国? 小国とは言え、このぐだぐだっぷりは、ちょっと酷いのではないだろうか。
「暇なの? じゃあ、手伝って」
エイジの執務室は、3階の一室にあった。
少しこちらを見ただけで、すぐに視線を手元に戻すと、書類を示しながら、協力を要請してきた。
師匠が言っていた「溜まった仕事に埋もれて死にそう」というのは、こういうことか。真夜中にも関わらず、ペンを動かすスピードは、恐ろしく早い。
「今日は、手伝いに来たのではありません。何を聞きたいかはお分かりでしょう?」
エイジの手が止まる。
数秒固まった後、再び顔を上げて、アサギの横のオレを見て、微妙な表情をした。どういう意味の表情か、判断に困るが、何か言いづらいことがあるようだ。
「多分。この国の観光スポットとか聞きたい訳じゃないんだろうな、って程度には」
「――サクヤさんは、どうしているのですか?」
ふざけたエイジの言葉に、アサギが叩きつけるように尋ねる。
エイジは、手元の書類を、もう一度見た。しかし、さすがにもう、完全にやる気を失ったらしい。書きかけの書類を、机に投げる。
そのまま席を立って、こちらに歩み寄ってきた。オレとアサギの前にある、応接セットのソファに、身を沈める。
「まあ、座れば」
アサギは素直にエイジの反対側に座った。それに習って、オレもアサギの隣に腰掛けた。
行儀悪く、エイジが応接セットのテーブルに足を乗せる。
「……大体全部、ナギが悪いんだけどさぁ」
「はあ」
のっけから、師匠に全責任を押し付ける様子に、さすがのアサギも引き気味に返答した。
何を言うか、決まっていない様子のエイジは、次の言葉を考えながら、口に出す。
「サクヤちゃんとは、あれからマトモな会話が出来なくて――」
「――まさか、忙しいから、とか言いませんよね」
エイジの言葉にかぶせるように、温厚なアサギの声が、低くなる。
エイジが、顔色を変えて、テーブルから足をおろした。両手を顔の横で振りながら、違う違う、と全身で否定する。
「本当にマトモな会話にならないの。完全に予想外だったんだけど、あの状態だと、意識が混濁して、会話にならないんだよ。誓約もどうなったんだってくらい、ぶっ飛んでる」
「だって、サクヤさんは死なないんでしょう? だから、最悪こうして捕らえれば、話くらいは聞いてもらえるって、それでこうなったんじゃないですか」
「――死なないんじゃなくて、死んでも生き返るんだって、言ってたよ、あの人」
オレの言葉に、エイジとアサギが一斉にこちらを見た。
どうやら、この人達はそのことを、きちんと認識していないらしい。サクヤから聞いたことを思い出しながら、言葉を続ける。
「死んでからちゃんと生き返るまで、しばらく朦朧として、夢だか現実だか分からない時間が続くって……」
……あれ? この話は、いつどこで聞いたんだったか。
確か、本人がそう言っていたと思うんだけど。
「ああ。じゃあ、あれはそういう状態なのか」
得心がいったように、エイジは頷く。
アサギがその言葉にかぶせて尋ねた。
「どういう状態なんですか? 朦朧としてるって……?」
「刺しっぱなしだと、その生き返って死んでを繰り返してるんだろう。まともな反応が返ってこないんだよ」
「多分その状態だと、姫巫女の第一誓約も効かないと思う。『嘘をついたかどうか』は、本人の自覚によって判定するらしいから」
「ふーん……そうだったんだ。あんまり荒唐無稽なことばっか言ってるからさぁ、第一誓約自体が嘘かと思っちゃったよ」
どうやら、かなり苦労しているようだ。
さっき、すごい勢いで貧乏ゆすりしてたのも、仕事が多すぎて、ではなくて、サクヤと全く会話出来ないから、なのかも。
「サクヤさんは、どんなことを?」
「あー、説明しづらいな。そもそも意味のないことばっかりだから、ラリってると思っとけばいいよ。それよりさぁ……」
エイジがため息をつく。
「会話にならないから、ナイフ抜くでしょ。意識がはっきりするでしょ。そうすると今度は、喋らないんだよね。で、回復してきたら危ないから、またナイフ刺して終わり。もう、全っ然、話が進まない」
つまり、サクヤはここまでずっと、あの浮上と沈下を繰り返す時間にいるワケだ。
――最悪だ。
オレが突き刺したナイフが、まだその心臓を貫いているなんて。
オレの顔色を敏感に感じ取り、アサギがエイジに言い募る。
「何でそんな、ひどいことに。そんなことなら、早く声をかけてくれれば……」
「いや、俺も考えたんだけど。何で喋らないって、まあ、……ショックだったんじゃない?」
「ショックって……」
アサギは、何が、とは聞かなかった。
エイジも、何が、とは言わない。
だから、オレは、何も言わなかった。
こちらに視線は向けなかったが、オレの言葉を、2人が待っているのは分かった。しかし結局、オレが何も言わないので、話を続けることにしたらしい。
アサギが、気を取り直したように、言葉を選ぶ。
「やっぱり、それは、教えてくださらないと……」
「教えてどうするんだよ。皆で謝るの? 刺しちゃってごめんね、って?」
確かに、アサギが知ったところで、何が出来るワケでもない。だからこそ、エイジも師匠も教えなかったはずだ。
それが分かるから、アサギはそれ以上、何も言わないのだ。
エイジだって、こんなこと言いたくないのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「まあ、何とかするよ。継承戦まで、あと半年あるんだし。それに比べれば、サクヤちゃんのタイムオーバーの方が、絶対早い」
タイムオーバー?
サクヤに、そんなものがあるもんか。150年も生きてて、首を落としても死なないなんて、言ってたのに。
オレの表情を見て、エイジが付け加えた。
「寿命なんて話じゃないよ。サクヤちゃんは、今、重大な取引を後に控えてるの。細かいことは分からないけど、取引なら、当然、期日があると思うんだよね」
重大な取引――サクヤにとって、重大な取引なんて、絶対一つしか考えられない。
「リドル族が、見つかったのか……」
オレの言葉を聞いて、エイジが頷いた。
「うん、どっかで取引の予定してるのは、ほぼ確実。この為に、サクヤちゃんは、もう半年もあちこちで用意してる」
「それだって、私たちには、その取引がいつなのかも分かってないんですよ。もしかしたら、終わってしまったかも……」
――いや。いや、それはない。
ディファイの集落で、サクヤは「一週間は使える」と言っていた。あれから、まだ5日しか経ってない。
期限があるからこそ、あの状態のディファイ族を置いて、集落を出たのだろうし、それくらい重大な取引でなければ、きっとサクヤはあそこに留まったはずだ。
目的地だって、まだまだ西へ進むつもりだっただろうから、取引の期日は、まだ後のはずだ。今すぐサクヤを起こして、アサギに転移してもらえれば、まだ間に合う――。
オレの表情で、エイジとアサギは、大体の状況を掴んだらしい。
アサギが、希望に満ちた眼で、エイジを見た。
しかし、エイジは、イライラした様子で、頬を掻くと、テーブルの上をきょろきょろと見回した。アサギが静かに、近くにあったタバコを手渡してやる。
「お、さんきゅー。……あのさ、サクヤちゃん、起きてるときに、一言だけ喋ったんだけど」
そこまで言って、エイジは、一度、言葉を途切れさせた。
タバコに火を点けて、一吸いしている間、アサギが、次の言葉を待つ。
オレは、そのアサギの表情を見て、自分も、こんな顔をしているのだろうかと思った。
砂漠でオアシスを探すような。
暗闇に、一筋の光を、ただ待ち望むような。
アサギは良いとして、もし、自分がそんな顔をしているなら、それは、――何て浅ましい。
幸か不幸か、そんなオレもアサギも。
エイジの表情で、すぐに、それが良い情報でないことを察知した。
エイジは、もう、本当に。
心の底から言いたくなさそうに、続きを口にした。
「……『その扉からカイを入れたら、お前ら全員、殺してやる』だってさ」
ふう、と吐いた煙が、アサギに纏わりついて、顔色が青白く変わっていく。アサギの蒼い瞳から、涙が落ちるのを、オレは、同情さえしながら見ていた。
可哀想に。
アサギは優しいから、きっと、オレのことを考えているのだ。
そして、そう言わざるを得なかった、サクヤの気持ちを。
オレは、エイジに尋ねるしかない。
「それは、一言一句違わず、そう言ったのか?」
「……そうだよ」
エイジの声は、むしろ優しいくらいだった。
珍しく、エイジが優しい理由は、何だろう。同情か? 憐憫か?
サクヤが口に出したなら、それは、誓約に則って、実行される。
オレが部屋に入ると、巻き添えを食らうことになる『お前ら全員』が誰なのかは、公言されていない以上、サクヤの気持ち次第だ。もしかしたら、アサギだって含まれているかも。
それでも、自分のことではなく、人の気持ちを思って、涙を流せるアサギは、本当に優しいと思う。オレなんか、人のことどころか、自分のことですら、もう、涙も出ない。サクヤに、こんなに明確に、拒絶されたと理解しても。
きっと、オレは、心底冷たい人間なのだ。
息を吐くように、嘘をつき。
人を裏切って、省みることもない。
泣いているアサギを、エイジは慰めなかった。
その代わりに、もう1本タバコを咥えると、ポケットの中から鍵を取り出した。
「あのさ。サクヤちゃんは、この扉の奥に閉じ込めてるの。ナギには、お前らに絶対会わせるなって言われてるから、くれぐれも、この扉を潜らないで、顔を見るだけなら部屋に入ってないよー、とか、考えないように。あ、じゃ、俺はちょっと用足しに行ってきます」
すらすらと、早口でそこまで言い切ると。火を点けたタバコを咥えたまま、エイジは、鍵を机の上に置いて、本当に部屋を出て行った。
……バカだバカだと思っていたが、本当にバカだ。何考えてるんだ、あのバカ王子。
オレが呆れながら、アサギの方を向いたときには、アサギは既に、鍵を握っていた。一瞬も躊躇せず、部屋の鍵を開ける。
アサギも、バカだ。こいつら、本当に、バカばっかりだ。
バカバカ、と繰り返す頭の中、突然、何かに引っかかったように、気付いた。
ここまでお膳立てして貰わなければ、顔すら見れない。
オレが、一番。――バカじゃないか。
ようやく分かった。
皆、ずっと、オレのことを気遣ってくれてる。普通にしてるつもりでいたけど、きっとオレは、気遣わざるを得ないような、ひどい顔をしているんだ。
ずっと、見ないようにしていた気持ちのフタを開ければ。
しばらく一緒に旅しただけなのに。
その声を、瞳を、髪を。あり得ない鈍さを。不機嫌そうな表情を。低空飛行の寝起きの悪さを。同族への献身を。オレに微笑む優しさを。
もう一度、欲しい。
それが、今の、オレだ――。
アサギが、勢いよく扉を開くと、中から、錆びた鉄の匂いが噴き出してきた。床はあちこちが赤く染まり、酷い様相を呈している。
どうやら、もともとはエイジの仮眠室だったらしく、奥にベッドが据え付けられていた。それなりの上物であっただろう毛布も、血にまみれ、殺人現場のようになっている。
サクヤは、そのベッドの上にいた。
横たわった胸から、不自然な突起が飛び出ている。
――あのとき、オレが刺したナイフだ。
自動再生によって、サクヤの胸は膨らみを帯びている。再生しても、穿たれたナイフで邪魔をされ、完全な回復には至らない。血塗れで、あの夜のままの衣服は、赤黒い色に変色していた。
ふと、ベッドの向こう、部屋の隅に、あり得ないものを見て、オレは眼をこする。
「――サクヤさん!」
アサギが小さく叫んで、サクヤの横へ駆け寄った。オレは入れないけど、アサギは入るなとは言われてない。
「サクヤさん、起きて、起きて下さい!」
アサギがその身体を揺すると、サクヤの瞳が、ゆっくりと開いた。紺碧の瞳が、幾度か宙をさまよった後、アサギの方へ向けられる。
「……サクヤさん。ごめんなさい、私、こんなひどいことを……」
ぽろぽろと、涙を流すアサギに、サクヤが指を伸ばす。
その指先で、アサギの頬を拭うと――
「……何でお前、こんなところに、いるんだ、ユキ」
「ユキ、ちゃん?」
――柔らかい頬が、真っ赤な血で汚れた。
「ママは……カスミは、どうした?」
普段の10倍の時間をかけて。
ようやくオレは、それが、蔵の国の、宿屋の親子の名前だと気付いた。
するりと、アサギから視線が外される。サクヤは、掠れた声で、何か呟いた。何を言っているのか全く理解できないその言葉に、決まった音階があることに気付いて、ようやく、歌っているのだと分かった。
あんた、歌なんか歌ったことなかったじゃないか!
――ああ、これが。
あんなにサクヤが怖がってて、どうしてもエイジが言えなかった、夢と現の狭間の状態か。
「……私なんて、ユキちゃんに、全然似てないですよぉ……」
アサギの両眼から、涙が溢れる。
さらに、歌を続けようとしたサクヤは、ごふっ、と血を吐いて、もうその後は、言葉にならなかった。唇を動かしてはいるようだが、肺から逆流する血液で、水音を響かせるだけだ。
力を失って、サクヤの瞳が、ゆっくりと閉じる。
アサギが、そのナイフを抜くために、サクヤの方に、手を伸ばした瞬間――オレの横を擦り抜けた人影が、乱暴に、その手を掴んだ。そのまま、引き摺るようにアサギを連れて、こちらへ戻ってくる。
オレ達の目の前で、大きな音を立て、扉が閉まった。
ノブに手をかけて、笑っているのは、師匠だった。
「2人とも。ここで、何を?」
「ナギ様……こんなの、酷すぎます!」
アサギは、師匠の言葉には答えず、その場に泣き崩れてしまう。
きっと、彼女が言ってるのは、サクヤのことだけじゃない。
こんな状態で、行き詰まってる、オレ達全員のことだ。
血塗れで、うとうとと夢を見るサクヤ。追い詰める師匠。悩むエイジ。
――そして、その状態を招いたオレ。誰の気持ちも分かるから、誰かの代わりに泣いている。
それが分かっていても勿論、師匠に泣き落としなどきかない。皮肉に笑って、問い返すだけだ。
「なるほど。では、どうすればいいと? 諦めて解放しますか?」
「…………」
アサギは、頷かなかった。惨状を見て、情に流されないのは、さすがと言うか。
ただ、ここで諦めれば、全てが無駄になるという、意地と覚悟だろう。
本人の意思を無視して、ここまでせざるを得ないくらいに、アサギ達はサクヤの存在を求めている。そしてその状況は、今もって、全く変わっていない。
「……少し、考えさせて下さい」
「あんま、お前が悩むなよ。悩むのは、俺達の仕事ね」
丁度部屋に戻ってきたエイジが、師匠を小突きながら、アサギに声をかけた。
アサギは頷いているが……多分、これから戻って、やっぱり悩むのだろう。
ふらふらと、執務室を出て行く後ろ姿を見送ってから、エイジは応接セットのソファに転がった。
「さて、どうしようかね……」
呟くエイジの疲れた声は、部屋を舞う白煙に、溶けるように消えた。
2015/08/03 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更