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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第4章 Rescue Me
51/184

10 君を求める

「エイジ様、ちょっと落ち着いてください」


 咥えタバコで、苛々と貧乏揺すりをするエイジを、アサギが宥めた。弾かれたように、エイジが顔を上げる。そこでようやく、オレ達と目が合った。


「お、どした? こんな夜中に。いつから来てたの?」


 タバコを捻って消しながら、エイジは笑顔を見せた。

 今更消しても、この部屋……すごい煙いんだけと。


 いつからと言うと、まあ、少し前から。

 こんな夜中に何なのか、むしろオレがアサギに聞きたい。突然、王宮に連れてこられたときは、どうしようかと思った。

 外から見ると、強固な壁に包まれたこの建物は、中の警備は案外、がばがばなことが分かった。


 まず、アサギは顔パスらしい。門番はアサギに対して、「ちゃーす」で、通してしまう。そしてついでに、隣にいるオレが誰なのか、確認すらしない。

 王宮って、軍事機密とか、国の財宝とか、要人の命とか、守るべきものが色々あるんじゃないの? 道々、アサギに聞いてみたが、アサギは苦笑するだけだった。


 その上、ここは、第二王子の執務室だ。

 この部屋に入るのさえ、入り口にも、何の見張りもいないのだから、恐ろしい。エイジ本人も、アサギに声をかけられて、初めてオレ達の存在に気付いたところだ。


 何だ、この国? 小国とは言え、このぐだぐだっぷりは、ちょっと酷いのではないだろうか。


「暇なの? じゃあ、手伝って」


 エイジの執務室は、3階の一室にあった。

 少しこちらを見ただけで、すぐに視線を手元に戻すと、書類を示しながら、協力を要請してきた。

 師匠が言っていた「溜まった仕事に埋もれて死にそう」というのは、こういうことか。真夜中にも関わらず、ペンを動かすスピードは、恐ろしく早い。


「今日は、手伝いに来たのではありません。何を聞きたいかはお分かりでしょう?」


 エイジの手が止まる。

 数秒固まった後、再び顔を上げて、アサギの横のオレを見て、微妙な表情をした。どういう意味の表情か、判断に困るが、何か言いづらいことがあるようだ。


「多分。この国の観光スポットとか聞きたい訳じゃないんだろうな、って程度には」

「――サクヤさんは、どうしているのですか?」


 ふざけたエイジの言葉に、アサギが叩きつけるように尋ねる。

 エイジは、手元の書類を、もう一度見た。しかし、さすがにもう、完全にやる気を失ったらしい。書きかけの書類を、机に投げる。

 そのまま席を立って、こちらに歩み寄ってきた。オレとアサギの前にある、応接セットのソファに、身を沈める。


「まあ、座れば」


 アサギは素直にエイジの反対側に座った。それに習って、オレもアサギの隣に腰掛けた。

 行儀悪く、エイジが応接セットのテーブルに足を乗せる。


「……大体全部、ナギが悪いんだけどさぁ」

「はあ」


 のっけから、師匠に全責任を押し付ける様子に、さすがのアサギも引き気味に返答した。

 何を言うか、決まっていない様子のエイジは、次の言葉を考えながら、口に出す。


「サクヤちゃんとは、あれからマトモな会話が出来なくて――」

「――まさか、忙しいから、とか言いませんよね」


 エイジの言葉にかぶせるように、温厚なアサギの声が、低くなる。

 エイジが、顔色を変えて、テーブルから足をおろした。両手を顔の横で振りながら、違う違う、と全身で否定する。


「本当にマトモな会話にならないの。完全に予想外だったんだけど、あの状態だと、意識が混濁して、会話にならないんだよ。誓約もどうなったんだってくらい、ぶっ飛んでる」

「だって、サクヤさんは死なないんでしょう? だから、最悪こうして捕らえれば、話くらいは聞いてもらえるって、それでこうなったんじゃないですか」

「――死なないんじゃなくて、死んでも生き返るんだって、言ってたよ、あの人」


 オレの言葉に、エイジとアサギが一斉にこちらを見た。

 どうやら、この人達はそのことを、きちんと認識していないらしい。サクヤから聞いたことを思い出しながら、言葉を続ける。


「死んでからちゃんと生き返るまで、しばらく朦朧として、夢だか現実だか分からない時間が続くって……」


 ……あれ? この話は、いつどこで聞いたんだったか。

 確か、本人がそう言っていたと思うんだけど。


「ああ。じゃあ、あれはそういう状態なのか」


 得心がいったように、エイジは頷く。

 アサギがその言葉にかぶせて尋ねた。


「どういう状態なんですか? 朦朧としてるって……?」

「刺しっぱなしだと、その生き返って死んでを繰り返してるんだろう。まともな反応が返ってこないんだよ」

「多分その状態だと、姫巫女の第一誓約も効かないと思う。『嘘をついたかどうか』は、本人の自覚によって判定するらしいから」

「ふーん……そうだったんだ。あんまり荒唐無稽なことばっか言ってるからさぁ、第一誓約自体が嘘かと思っちゃったよ」


 どうやら、かなり苦労しているようだ。

 さっき、すごい勢いで貧乏ゆすりしてたのも、仕事が多すぎて、ではなくて、サクヤと全く会話出来ないから、なのかも。


「サクヤさんは、どんなことを?」

「あー、説明しづらいな。そもそも意味のないことばっかりだから、ラリってると思っとけばいいよ。それよりさぁ……」


 エイジがため息をつく。


「会話にならないから、ナイフ抜くでしょ。意識がはっきりするでしょ。そうすると今度は、喋らないんだよね。で、回復してきたら危ないから、またナイフ刺して終わり。もう、全っ然、話が進まない」


 つまり、サクヤはここまでずっと、あの浮上と沈下を繰り返す時間にいるワケだ。

 ――最悪だ。

 オレが突き刺したナイフが、まだその心臓を貫いているなんて。

 オレの顔色を敏感に感じ取り、アサギがエイジに言い募る。


「何でそんな、ひどいことに。そんなことなら、早く声をかけてくれれば……」

「いや、俺も考えたんだけど。何で喋らないって、まあ、……ショックだったんじゃない?」

「ショックって……」


 アサギは、何が、とは聞かなかった。

 エイジも、何が、とは言わない。

 だから、オレは、何も言わなかった。


 こちらに視線は向けなかったが、オレの言葉を、2人が待っているのは分かった。しかし結局、オレが何も言わないので、話を続けることにしたらしい。

 アサギが、気を取り直したように、言葉を選ぶ。


「やっぱり、それは、教えてくださらないと……」

「教えてどうするんだよ。皆で謝るの? 刺しちゃってごめんね、って?」


 確かに、アサギが知ったところで、何が出来るワケでもない。だからこそ、エイジも師匠も教えなかったはずだ。


 それが分かるから、アサギはそれ以上、何も言わないのだ。

 エイジだって、こんなこと言いたくないのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「まあ、何とかするよ。継承戦まで、あと半年あるんだし。それに比べれば、サクヤちゃんのタイムオーバーの方が、絶対早い」


 タイムオーバー?

 サクヤに、そんなものがあるもんか。150年も生きてて、首を落としても死なないなんて、言ってたのに。

 オレの表情を見て、エイジが付け加えた。


「寿命なんて話じゃないよ。サクヤちゃんは、今、重大な取引を後に控えてるの。細かいことは分からないけど、取引なら、当然、期日があると思うんだよね」


 重大な取引――サクヤにとって、重大な取引なんて、絶対一つしか考えられない。


「リドル族が、見つかったのか……」


 オレの言葉を聞いて、エイジが頷いた。


「うん、どっかで取引の予定してるのは、ほぼ確実。この為に、サクヤちゃんは、もう半年もあちこちで用意してる」

「それだって、私たちには、その取引がいつなのかも分かってないんですよ。もしかしたら、終わってしまったかも……」


 ――いや。いや、それはない。

 ディファイの集落で、サクヤは「一週間は使える」と言っていた。あれから、まだ5日しか経ってない。

 期限があるからこそ、あの状態のディファイ族を置いて、集落を出たのだろうし、それくらい重大な取引でなければ、きっとサクヤはあそこに留まったはずだ。

 目的地だって、まだまだ西へ進むつもりだっただろうから、取引の期日は、まだ後のはずだ。今すぐサクヤを起こして、アサギに転移してもらえれば、まだ間に合う――。


 オレの表情で、エイジとアサギは、大体の状況を掴んだらしい。

 アサギが、希望に満ちた眼で、エイジを見た。

 しかし、エイジは、イライラした様子で、頬を掻くと、テーブルの上をきょろきょろと見回した。アサギが静かに、近くにあったタバコを手渡してやる。


「お、さんきゅー。……あのさ、サクヤちゃん、起きてるときに、一言だけ喋ったんだけど」


 そこまで言って、エイジは、一度、言葉を途切れさせた。

 タバコに火を点けて、一吸いしている間、アサギが、次の言葉を待つ。


 オレは、そのアサギの表情を見て、自分も、こんな顔をしているのだろうかと思った。

 砂漠でオアシスを探すような。

 暗闇に、一筋の光を、ただ待ち望むような。

 アサギは良いとして、もし、自分がそんな顔をしているなら、それは、――何て浅ましい。


 幸か不幸か、そんなオレもアサギも。

 エイジの表情で、すぐに、それが良い情報でないことを察知した。


 エイジは、もう、本当に。

 心の底から言いたくなさそうに、続きを口にした。


「……『その扉からカイを入れたら、お前ら全員、殺してやる』だってさ」


 ふう、と吐いた煙が、アサギに纏わりついて、顔色が青白く変わっていく。アサギの蒼い瞳から、涙が落ちるのを、オレは、同情さえしながら見ていた。


 可哀想に。

 アサギは優しいから、きっと、オレのことを考えているのだ。

 そして、そう言わざるを得なかった、サクヤの気持ちを。


 オレは、エイジに尋ねるしかない。


「それは、一言一句違わず、そう言ったのか?」

「……そうだよ」


 エイジの声は、むしろ優しいくらいだった。

 珍しく、エイジが優しい理由は、何だろう。同情か? 憐憫か?


 サクヤが口に出したなら、それは、誓約に則って、実行される。

 オレが部屋に入ると、巻き添えを食らうことになる『お前ら全員』が誰なのかは、公言されていない以上、サクヤの気持ち次第だ。もしかしたら、アサギだって含まれているかも。


 それでも、自分のことではなく、人の気持ちを思って、涙を流せるアサギは、本当に優しいと思う。オレなんか、人のことどころか、自分のことですら、もう、涙も出ない。サクヤに、こんなに明確に、拒絶されたと理解しても。


 きっと、オレは、心底冷たい人間なのだ。

 息を吐くように、嘘をつき。

 人を裏切って、省みることもない。


 泣いているアサギを、エイジは慰めなかった。

 その代わりに、もう1本タバコを咥えると、ポケットの中から鍵を取り出した。


「あのさ。サクヤちゃんは、この扉の奥に閉じ込めてるの。ナギには、お前らに絶対会わせるなって言われてるから、くれぐれも、この扉を潜らないで、顔を見るだけなら部屋に入ってないよー、とか、考えないように。あ、じゃ、俺はちょっと用足しに行ってきます」


 すらすらと、早口でそこまで言い切ると。火を点けたタバコを咥えたまま、エイジは、鍵を机の上に置いて、本当に部屋を出て行った。


 ……バカだバカだと思っていたが、本当にバカだ。何考えてるんだ、あのバカ王子。


 オレが呆れながら、アサギの方を向いたときには、アサギは既に、鍵を握っていた。一瞬も躊躇せず、部屋の鍵を開ける。


 アサギも、バカだ。こいつら、本当に、バカばっかりだ。

 バカバカ、と繰り返す頭の中、突然、何かに引っかかったように、気付いた。


 ここまでお膳立てして貰わなければ、顔すら見れない。

 オレが、一番。――バカじゃないか。


 ようやく分かった。

 皆、ずっと、オレのことを気遣ってくれてる。普通にしてるつもりでいたけど、きっとオレは、気遣わざるを得ないような、ひどい顔をしているんだ。


 ずっと、見ないようにしていた気持ちのフタを開ければ。

 しばらく一緒に旅しただけなのに。

 その声を、瞳を、髪を。あり得ない鈍さを。不機嫌そうな表情を。低空飛行の寝起きの悪さを。同族への献身を。オレに微笑む優しさを。


 もう一度、欲しい。

 それが、今の、オレだ――。


 アサギが、勢いよく扉を開くと、中から、錆びた鉄の匂いが噴き出してきた。床はあちこちが赤く染まり、酷い様相を呈している。

 どうやら、もともとはエイジの仮眠室だったらしく、奥にベッドが据え付けられていた。それなりの上物であっただろう毛布も、血にまみれ、殺人現場のようになっている。

 サクヤは、そのベッドの上にいた。


 横たわった胸から、不自然な突起が飛び出ている。

 ――あのとき、オレが刺したナイフだ。


 自動再生によって、サクヤの胸は膨らみを帯びている。再生しても、穿たれたナイフで邪魔をされ、完全な回復には至らない。血塗れで、あの夜のままの衣服は、赤黒い色に変色していた。

 ふと、ベッドの向こう、部屋の隅に、あり得ないものを見て、オレは眼をこする。


「――サクヤさん!」


 アサギが小さく叫んで、サクヤの横へ駆け寄った。オレは入れないけど、アサギは入るなとは言われてない。


「サクヤさん、起きて、起きて下さい!」


 アサギがその身体を揺すると、サクヤの瞳が、ゆっくりと開いた。紺碧の瞳が、幾度か宙をさまよった後、アサギの方へ向けられる。


「……サクヤさん。ごめんなさい、私、こんなひどいことを……」


 ぽろぽろと、涙を流すアサギに、サクヤが指を伸ばす。

 その指先で、アサギの頬を拭うと――


「……何でお前、こんなところに、いるんだ、ユキ」

「ユキ、ちゃん?」


 ――柔らかい頬が、真っ赤な血で汚れた。


「ママは……カスミは、どうした?」


 普段の10倍の時間をかけて。

 ようやくオレは、それが、蔵の国の、宿屋の親子の名前だと気付いた。


 するりと、アサギから視線が外される。サクヤは、掠れた声で、何か呟いた。何を言っているのか全く理解できないその言葉に、決まった音階があることに気付いて、ようやく、歌っているのだと分かった。


 あんた、歌なんか歌ったことなかったじゃないか!

 ――ああ、これが。

 あんなにサクヤが怖がってて、どうしてもエイジが言えなかった、夢と現の狭間の状態か。


「……私なんて、ユキちゃんに、全然似てないですよぉ……」


 アサギの両眼から、涙が溢れる。

 さらに、歌を続けようとしたサクヤは、ごふっ、と血を吐いて、もうその後は、言葉にならなかった。唇を動かしてはいるようだが、肺から逆流する血液で、水音を響かせるだけだ。


 力を失って、サクヤの瞳が、ゆっくりと閉じる。

 アサギが、そのナイフを抜くために、サクヤの方に、手を伸ばした瞬間――オレの横を擦り抜けた人影が、乱暴に、その手を掴んだ。そのまま、引き摺るようにアサギを連れて、こちらへ戻ってくる。


 オレ達の目の前で、大きな音を立て、扉が閉まった。

 ノブに手をかけて、笑っているのは、師匠だった。


「2人とも。ここで、何を?」

「ナギ様……こんなの、酷すぎます!」


 アサギは、師匠の言葉には答えず、その場に泣き崩れてしまう。


 きっと、彼女が言ってるのは、サクヤのことだけじゃない。

 こんな状態で、行き詰まってる、オレ達全員のことだ。


 血塗れで、うとうとと夢を見るサクヤ。追い詰める師匠。悩むエイジ。

 ――そして、その状態を招いたオレ。誰の気持ちも分かるから、誰かの代わりに泣いている。

 それが分かっていても勿論、師匠に泣き落としなどきかない。皮肉に笑って、問い返すだけだ。


「なるほど。では、どうすればいいと? 諦めて解放しますか?」

「…………」


 アサギは、頷かなかった。惨状を見て、情に流されないのは、さすがと言うか。

 ただ、ここで諦めれば、全てが無駄になるという、意地と覚悟だろう。


 本人の意思を無視して、ここまでせざるを得ないくらいに、アサギ達はサクヤの存在を求めている。そしてその状況は、今もって、全く変わっていない。


「……少し、考えさせて下さい」

「あんま、お前が悩むなよ。悩むのは、俺達の仕事ね」


 丁度部屋に戻ってきたエイジが、師匠を小突きながら、アサギに声をかけた。

 アサギは頷いているが……多分、これから戻って、やっぱり悩むのだろう。

 ふらふらと、執務室を出て行く後ろ姿を見送ってから、エイジは応接セットのソファに転がった。


「さて、どうしようかね……」


 呟くエイジの疲れた声は、部屋を舞う白煙に、溶けるように消えた。

2015/08/03 初回投稿

2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

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