9 最愛の人?
師匠の屋敷は、巨大だった。
その大きさは、本人ですら部屋の位置をきちんと把握できないレベル。さすが、王子サマの親衛隊長、と少し感心する。
最も、オレが見たところでは、師匠が自分の家の構造を理解できないのは、その滞在時間が短いせいも、多分にあると思う。
「……あれ? 師匠、帰ってたのか?」
「着替えを取りにね。これからまた出ますけど」
オレが真夜中にふと目を覚ますと、丁度、師匠が自室から出てきたところだった。
廊下で一瞬行き合っただけで、またばたばたと行ってしまう。
基本的に師匠は、青葉の国の王宮に、1日中籠もっている。もともと忙しい人なので、屋敷に戻れない日も多かったらしいが、ここ数日、それが過度に増しているのは、しばらくこの国を留守にしていたからだった。
――サクヤを探すために、3ヶ月も。
オレと旅をしていた3ヶ月超。師匠とエイジは、本来やるべき公務のほとんどを、ほっぽらかしていたと言う。可能なものは、アサギが代打でやってくれていたようだが。それでも、この国の特殊な事情もあって、ヤツらの通常業務は遅れに遅れたそうな。
その、仕事の溜まり具合は、推して知るべし、だ。
――で。
持ち主が、ほとんど帰ってこない巨大な屋敷で、オレが何をしているかと言うと。
「……あら、ナギ様、もう行ってしまわれたんですか?」
寝ぼけ眼で、アサギが廊下の向こうから、こちらへ歩いてきた。
「何か、着替え取りに戻っただけらしいぞ」
「お忙しいことですね……。まあ、この前まで、私だけに仕事を押し付けていたことを思い出すと、同情の余地もありませんが」
うふふ、と笑うアサギは、――怖かった。
何があっても、この人は敵に回さないようにしようと、心に誓う。
師匠がいない間、1人きりになってしまうオレを心配して、こうしてアサギは泊まりに来てくれている。アサギ曰く、師匠とエイジとは幼なじみなので、お互いの家に泊まり合うことに全く抵抗がないのだとか。
「カイさんは、どうしたんですか? 眠れませんか?」
「あー……しばらく、昼夜逆転生活送ってたからかな」
その言葉の意味を深読みしたのか、アサギが、眉を寄せた。清冽な水のような、蒼い瞳が曇るのを見て、もう一言足すかどうするか、少し悩む。
……本当は。夢を見たのだ。
夢の内容は、全く思い出せないが。
何だか、嫌な夢だった。
悪夢で目が覚めた後、眠れなくなる、ということは誰でもあると思う。
でも、今それをアサギに言えば、きっと、もっと気にするだろう。
……うん、やっぱ、言わないでおこう。
アサギが、空気を和らげるように、小さく微笑んだ。
「では、何か温かいものでも、お飲みになりますか?」
「それはありがたいな」
キッチンに向かおうと、アサギがオレに背中を向けると。
――その背中に、小さな黒い人影がくっついていた。
「……サラも来てたのか」
声をかけると、人影はアサギから離れて、こちらへ歩いてきた。
真っ直ぐな長い黒髪と、尖った耳。しなやかな黒いしっぽ。サクヤより小柄なそのディファイの少女は、その名を、サラと言う。
「…………」
サラは、無言のまま、オレを見上げてきた。しっぽをゆっくりと左右に振っているが、何も言わない。
「カイさん、サラ、一緒に行きましょう」
廊下の先で、振り返ったアサギが呼んでいる。
サラは、するりと踵を返して、そちらへ向かった。
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こうしてオレの面倒を見てくれてるアサギは、本業は神殿の大神官だ。本来は師匠に負けず劣らず忙しい。
昼間は、公務で神殿に行ってしまうので、その間、オレが寂しかろうと、友達を紹介してくれた。それが、このディファイの少女、サラだった。
アサギは、オレの話し相手に、なんて言ったが、サラは、恐ろしいほど無口だった。最初は、口が利けないのかと思ってた程だ。
オレは、廊下を歩きながら、サラに声をかける。
「サラは、何が飲みたい?」
「…………」
「そうか、ホットミルクな」
「…………」
喋らないだけでなく、反応らしい反応もほとんどない。真っ直ぐ前を向いて、アサギの背中を見つめたままだ。
それでもオレには、何故か、サラの気持ちが分かるような気がするのだ。
前方のアサギが、振り向いて、オレ達に向けて微笑んだ。
「ホットミルクですね。分かりました」
声をかけられたサラが、ぱたぱたと小走りに駆け寄り、再び、アサギの背中に抱き着いた。黒くて長いシャツワンピースを着たサラは、さして大きくはないアサギと並んでさえ、子どものように見える。
オレの出会ったディファイ族は、別に小柄な種族と言うわけでもなかったので、これは種族特性ではなく、サラの個性なのだろう。
サラの名前は、正式には、一色 佐羅というそうだ。
あまり顔立ちに似た所がなかったので、当初、オレも聞き流していたが、苗字の示す通り、ディファイの長老、一色 都羅の妹らしい。
らしい――というのは、この国の人は、誰もディファイの長老トラに会ったことがないので、はっきりしたことが分からないからだ。
サラは、いつもあの調子なので、基本的に情報を聞き出すということが出来ない。
サラをこの国に連れてきたという、サクヤなら、きっと分かるんだろうけど。
――頭の中で。
その名前を思い出すだけで、心臓を握り潰されるような気持ちになる――。
する、と指先に何かが巻き付いた。
驚いて顔を上げると、いつの間にか、気配もなく近付いたサラが、オレの手を握っていた。
「……ありがと」
「…………」
相変わらず、答えはないが。
何か、温かい空気を感じた。
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「師匠が、こんなでかい屋敷に住んでるなんて、思ってもみなかった……」
キッチンに立って、ミルクを出しながら、呟く。
棚からマグカップを取り出しているアサギが、くすくす笑った。
「それどころか、エイジ様は王宮に住んでますよ」
「王子サマだもんな……。でも、そっちは何かすごすぎて実感わかなくて。師匠は親衛隊長だっけ? 貴族みたいなもんなのかな?」
「青葉の国には、貴族、という階級はないんですよ」
この辺が、この国の特殊な事情なのだが。他の国と違いすぎて、オレには、何度説明を受けても、良く理解できない。
アサギの隣で、サラはひたすら鍋を見つめている。
何か、こだわりがあるのだろうか。見つめている鍋に、ミルクを注いでやると、サラが軽く手を上げた。「あ、もうその辺で」って、酌してやってるワケじゃないんだけど。
「青葉の国にいるのは、役人と軍人だけです。王子の親衛隊長は、その両方を兼ねる非常に重要な役職ですね」
「へえ。そんなんで、よくも3ヶ月もぶらぶらしてられたな」
「継承戦に向けて、魔法使いを探すのは、最優先事項ですからね」
さすがに、アサギが眉を寄せる。
どうも困らせてしまったようなので、オレはそのまま黙った。
変に沈黙が流れて、話を変えようとオレは棚からコーヒー豆を取り出した。
「折角だから、オレ、今日はもうこのまま起きることにする。コーヒー淹れるけど、2人は飲まないよな?」
「……では、私の分もお願いしても良いですか?」
どうやら、大神官サマも起床することにしたらしい。頷き返して、オレはミルクと別の鍋で、湯を沸かし始める。
ここに来て、一番最初に覚えたのは、コーヒーを淹れることだった。
師匠の家には、誰も使っていないのに、何故か、コーヒーもフィルターも置いてあった。それを、勝手に使わせてもらって、毎日何度もコーヒーを淹れる。
拘るのなら、豆や引き方や、淹れ方も色々あるのだろうが、オレがやっているのは、ただの見よう見まねだ。
あちこちの喫茶店で、コーヒーを飲んだ記憶。
店の人がやっていたことを思い出して、注ぐだけだ。
それでも、それなりの香りがたつので、偉大なものだと思う。
今も。
月明かりの下で。
コーヒーの香りが辺りに漂い始めると、胸が苦しくなる。
コーヒーが飲みたいというより、この痛みを味わいたくて、淹れているようなものなので、好きなヤツからすると、邪道と言われるに違いない。
「はい、アサギ」
「ありがとうございます」
「サラは、腹が減ったんだろ? 昨日アサギが作ってくれたカップケーキがまだ残ってるから、食っていいぞ」
「…………」
温まったミルクをマグカップに注いで、目の前に出してやる。
その横からカップケーキを差し出すと、無言でオレの手から取って、かじりついた。
「アサギもいる?」
「いえあの、……夜中のおやつは太ってしまうので……」
大神官も、そういうところは年頃の娘なんだな。アサギの答えが、予想より乙女だったので、つい笑ってしまった。
オレが自分の分のカップケーキをかじっていると、アサギが小さく呟いた。
「……美味しいですね」
ふう、と息をつく笑顔は、普段と変わらない。
でも、夜だからかな。何故か、どこか沈んでいるようにも見える。
「カイさんは……」
「ん?」
思い詰めたような声に、この後どんな話になるのか、大体予測が出来た。
「カイさんは、後悔してるのですか?」
何を聞いてるのか、すぐに分かった。
オレは微笑んで、肩を竦める。
「いや。多分、何度同じ状況になっても、オレは同じ事をするよ」
あっさりと答えると、少し驚いたように、アサギは目を見開いた。
あれから、何度も、夢を見た。
オレの手から飛び立つ、ペーパーバード。太陽を浴びて輝く、サクヤの金髪。甘い匂い。そして、その心臓を貫くときの、手の衝撃。
何度夢の中でリセットしても、別のルートを選べない。振り向いたサクヤの顔が見れずに、ただ、その胸元のナイフだけを見ているところまで。
まるっきり同じに。結局は、師匠の為に、同じことを繰り返す。
だから、オレに、サクヤのことを語る資格はない。
「ナギ様が、お好きなのですか?」
アサギの声が、優しく響いた。
オレは、頷かなかった。
好きとか嫌いとか、そういうレベルの話ではない。
ただ、あの瞬間。命を救われた瞬間に、オレは、決めたのだ。
――必ず、返すと。
「……あのさ、アサギ」
「はい」
「オレ、あんたには感謝してる。忙しいのに、こうして見に来てくれるし。だから、オレが――サクヤを裏切ったのは、あんたのせいでも、誰のせいでもなくて、オレの勝手な考えなんだ」
久々に、その名を口にして。
口にしただけで、懐かしさに、息が止まりそうになった。
一緒にいた時。
毎日、毎日。何度も。
頭の中で。
声に出して。
呼んでいた、名前なのに。
名前を出すと、それに付随された、サクヤの情報が、ずるり、と奥の方から引き出されるようについてくる。
嫌だ、嫌だ。思い出したくない、と。
オレは、慌ててフタをした。
自分が裏切ったことと。もとから、あいつが見てたのが、オレじゃないこと。
その両方が、苦しくて。
ふと気づくと、サラがオレの正面に立っていた。
どうした? と尋ねようとしたところで、その小さな手が、オレの手の中の食いかけのカップケーキをかっさらっていった。
そのまま、キッチンの窓を開けて、外へ飛び出していく。
視界から消えた少女の姿を眼で追って、オレは窓辺に走る。
「おい!? ここ、2階だぞ!」
――落ちた!?
窓から頭を出して、垂直落下したはずのサラを探したが、どこにもいない。
気配を感じて視線を上げると、3つ先の屋根の上を、スキップするような気軽さで、駆け抜けていく黒い影があった。
「大丈夫ですよ。ディファイ族の跳躍力は、それはすごいんです」
背後で、アサギが苦笑している。
ああ、全く、すごいものだ。アキラも身軽だと思ったが、サラはその上をいっている。ディファイ族の中でも、あれはかなり、特別製なのではないだろうか。
「あんたら、お互いのこと、良く知ってるんだな」
「ええ。私とエイジ様、ナギ様と……ノゾミは、幼なじみなので。サラがこの国に来たのは、しばらく後ですが、それでも、もう5年以上になりますね」
アサギは、いつものように、笑おうとしたらしい。
だけど、それは失敗して、どちらかと言うと泣き顔に近かった。
オレと同じように、幼い頃から仲良くしていた、もう1人の名前が、口に出来なかったのだろう。
「ごめんなさい。あなたには、嫌な役目を押し付けることになりましたね」
「いや、あんたが謝る必要ないって。全部オレの意志」
エイジにも、アサギにも。もちろん師匠にも、謝られる筋合いはない。
オレが決めて、オレが選んだ。それだけだ。
「なあ、オレが聞くのもどうかと思うんだけどさ……」
「――分かってます。サクヤさんのことですよね」
呟くと、アサギは難しい顔をした。
「サクヤさんは今、エイジ様とナギ様が説得しています。でも詳しいことは、私やサラには話してくださらなくて……」
「なるほど……」
それ以上、口には出さなかったが、アサギに話さないということは、結構ひどい状況なのではないだろうか。
何せ、最後に見たのが、あの状態だ。
大体、あいつら――特に師匠に、説得なんて出来るもんか。
……まあ、オレには、何1つ関係ない。
アサギ達のような立派な大義名分もないし。
そもそも、サクヤに与する理由もない。
サクヤだって、もう、オレに助けてもらいたいなんて、思ってないに違いない。
さすがにこれで、オレと、あんたの愛するノゾミちゃんが別の人間だって、分かっただろ。
オレの様子を見ていたアサギが、ふふっと笑った。
「やっぱり、一緒に参りましょうか」
「え、どこへ……?」
「あなたの、最愛の方のところへ」
その言葉が、アサギの中で、誰を示しているのか。
師匠なのか、サクヤなのか。
本当は、聞いた方がいいんだろうけど。
オレは、あえて聞かないことにした。
だって、聞いたところで、答え合わせする気にも、ならないから――。
2015/08/02 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更