表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第4章 Rescue Me
50/184

9 最愛の人?

 師匠の屋敷は、巨大だった。


 その大きさは、本人ですら部屋の位置をきちんと把握できないレベル。さすが、王子サマの親衛隊長、と少し感心する。

 最も、オレが見たところでは、師匠が自分の家の構造を理解できないのは、その滞在時間が短いせいも、多分にあると思う。


「……あれ? 師匠、帰ってたのか?」

「着替えを取りにね。これからまた出ますけど」


 オレが真夜中にふと目を覚ますと、丁度、師匠が自室から出てきたところだった。

 廊下で一瞬行き合っただけで、またばたばたと行ってしまう。


 基本的に師匠は、青葉の国の王宮に、1日中籠もっている。もともと忙しい人なので、屋敷に戻れない日も多かったらしいが、ここ数日、それが過度に増しているのは、しばらくこの国を留守にしていたからだった。


 ――サクヤを探すために、3ヶ月も。


 オレと旅をしていた3ヶ月超。師匠とエイジは、本来やるべき公務のほとんどを、ほっぽらかしていたと言う。可能なものは、アサギが代打でやってくれていたようだが。それでも、この国の特殊な事情もあって、ヤツらの通常業務は遅れに遅れたそうな。


 その、仕事の溜まり具合は、推して知るべし、だ。


 ――で。

 持ち主が、ほとんど帰ってこない巨大な屋敷で、オレが何をしているかと言うと。


「……あら、ナギ様、もう行ってしまわれたんですか?」


 寝ぼけ眼で、アサギが廊下の向こうから、こちらへ歩いてきた。


「何か、着替え取りに戻っただけらしいぞ」

「お忙しいことですね……。まあ、この前まで、私だけに仕事を押し付けていたことを思い出すと、同情の余地もありませんが」


 うふふ、と笑うアサギは、――怖かった。

 何があっても、この人は敵に回さないようにしようと、心に誓う。


 師匠がいない間、1人きりになってしまうオレを心配して、こうしてアサギは泊まりに来てくれている。アサギ曰く、師匠とエイジとは幼なじみなので、お互いの家に泊まり合うことに全く抵抗がないのだとか。


「カイさんは、どうしたんですか? 眠れませんか?」

「あー……しばらく、昼夜逆転生活送ってたからかな」


 その言葉の意味を深読みしたのか、アサギが、眉を寄せた。清冽な水のような、蒼い瞳が曇るのを見て、もう一言足すかどうするか、少し悩む。


 ……本当は。夢を見たのだ。

 夢の内容は、全く思い出せないが。

 何だか、嫌な夢だった。


 悪夢で目が覚めた後、眠れなくなる、ということは誰でもあると思う。

 でも、今それをアサギに言えば、きっと、もっと気にするだろう。

 ……うん、やっぱ、言わないでおこう。


 アサギが、空気を和らげるように、小さく微笑んだ。


「では、何か温かいものでも、お飲みになりますか?」

「それはありがたいな」


 キッチンに向かおうと、アサギがオレに背中を向けると。


 ――その背中に、小さな黒い人影がくっついていた。


「……サラも来てたのか」


 声をかけると、人影はアサギから離れて、こちらへ歩いてきた。


 真っ直ぐな長い黒髪と、尖った耳。しなやかな黒いしっぽ。サクヤより小柄なそのディファイの少女は、その名を、サラと言う。


「…………」


 サラは、無言のまま、オレを見上げてきた。しっぽをゆっくりと左右に振っているが、何も言わない。


「カイさん、サラ、一緒に行きましょう」


 廊下の先で、振り返ったアサギが呼んでいる。

 サラは、するりと踵を返して、そちらへ向かった。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○


 こうしてオレの面倒を見てくれてるアサギは、本業は神殿の大神官だ。本来は師匠に負けず劣らず忙しい。

 昼間は、公務で神殿に行ってしまうので、その間、オレが寂しかろうと、友達を紹介してくれた。それが、このディファイの少女、サラだった。

 

 アサギは、オレの話し相手に、なんて言ったが、サラは、恐ろしいほど無口だった。最初は、口が利けないのかと思ってた程だ。

 オレは、廊下を歩きながら、サラに声をかける。


「サラは、何が飲みたい?」

「…………」

「そうか、ホットミルクな」

「…………」


 喋らないだけでなく、反応らしい反応もほとんどない。真っ直ぐ前を向いて、アサギの背中を見つめたままだ。

 それでもオレには、何故か、サラの気持ちが分かるような気がするのだ。

 前方のアサギが、振り向いて、オレ達に向けて微笑んだ。


「ホットミルクですね。分かりました」


 声をかけられたサラが、ぱたぱたと小走りに駆け寄り、再び、アサギの背中に抱き着いた。黒くて長いシャツワンピースを着たサラは、さして大きくはないアサギと並んでさえ、子どものように見える。

 オレの出会ったディファイ族は、別に小柄な種族と言うわけでもなかったので、これは種族特性ではなく、サラの個性なのだろう。


 サラの名前は、正式には、一色いっしき 佐羅さらというそうだ。

 あまり顔立ちに似た所がなかったので、当初、オレも聞き流していたが、苗字の示す通り、ディファイの長老、一色いっしき 都羅とらの妹らしい。


 らしい――というのは、この国の人は、誰もディファイの長老トラに会ったことがないので、はっきりしたことが分からないからだ。

 サラは、いつもあの調子なので、基本的に情報を聞き出すということが出来ない。

 サラをこの国に連れてきたという、サクヤなら、きっと分かるんだろうけど。


 ――頭の中で。

 その名前を思い出すだけで、心臓を握り潰されるような気持ちになる――。


 する、と指先に何かが巻き付いた。

 驚いて顔を上げると、いつの間にか、気配もなく近付いたサラが、オレの手を握っていた。


「……ありがと」

「…………」


 相変わらず、答えはないが。

 何か、温かい空気を感じた。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○


「師匠が、こんなでかい屋敷に住んでるなんて、思ってもみなかった……」


 キッチンに立って、ミルクを出しながら、呟く。

 棚からマグカップを取り出しているアサギが、くすくす笑った。


「それどころか、エイジ様は王宮に住んでますよ」

「王子サマだもんな……。でも、そっちは何かすごすぎて実感わかなくて。師匠は親衛隊長だっけ? 貴族みたいなもんなのかな?」

「青葉の国には、貴族、という階級はないんですよ」


 この辺が、この国の特殊な事情なのだが。他の国と違いすぎて、オレには、何度説明を受けても、良く理解できない。

 アサギの隣で、サラはひたすら鍋を見つめている。

 何か、こだわりがあるのだろうか。見つめている鍋に、ミルクを注いでやると、サラが軽く手を上げた。「あ、もうその辺で」って、酌してやってるワケじゃないんだけど。


「青葉の国にいるのは、役人と軍人だけです。王子の親衛隊長は、その両方を兼ねる非常に重要な役職ですね」

「へえ。そんなんで、よくも3ヶ月もぶらぶらしてられたな」

「継承戦に向けて、魔法使いを探すのは、最優先事項ですからね」


 さすがに、アサギが眉を寄せる。

 どうも困らせてしまったようなので、オレはそのまま黙った。

 変に沈黙が流れて、話を変えようとオレは棚からコーヒー豆を取り出した。


「折角だから、オレ、今日はもうこのまま起きることにする。コーヒー淹れるけど、2人は飲まないよな?」

「……では、私の分もお願いしても良いですか?」


 どうやら、大神官サマも起床することにしたらしい。頷き返して、オレはミルクと別の鍋で、湯を沸かし始める。


 ここに来て、一番最初に覚えたのは、コーヒーを淹れることだった。

 師匠の家には、誰も使っていないのに、何故か、コーヒーもフィルターも置いてあった。それを、勝手に使わせてもらって、毎日何度もコーヒーを淹れる。

 拘るのなら、豆や引き方や、淹れ方も色々あるのだろうが、オレがやっているのは、ただの見よう見まねだ。


 あちこちの喫茶店で、コーヒーを飲んだ記憶。

 店の人がやっていたことを思い出して、注ぐだけだ。

 それでも、それなりの香りがたつので、偉大なものだと思う。


 今も。

 月明かりの下で。

 コーヒーの香りが辺りに漂い始めると、胸が苦しくなる。

 コーヒーが飲みたいというより、この痛みを味わいたくて、淹れているようなものなので、好きなヤツからすると、邪道と言われるに違いない。


「はい、アサギ」

「ありがとうございます」

「サラは、腹が減ったんだろ? 昨日アサギが作ってくれたカップケーキがまだ残ってるから、食っていいぞ」

「…………」


 温まったミルクをマグカップに注いで、目の前に出してやる。

 その横からカップケーキを差し出すと、無言でオレの手から取って、かじりついた。


「アサギもいる?」

「いえあの、……夜中のおやつは太ってしまうので……」


 大神官も、そういうところは年頃の娘なんだな。アサギの答えが、予想より乙女だったので、つい笑ってしまった。

 オレが自分の分のカップケーキをかじっていると、アサギが小さく呟いた。


「……美味しいですね」


 ふう、と息をつく笑顔は、普段と変わらない。

 でも、夜だからかな。何故か、どこか沈んでいるようにも見える。


「カイさんは……」

「ん?」


 思い詰めたような声に、この後どんな話になるのか、大体予測が出来た。


「カイさんは、後悔してるのですか?」


 何を聞いてるのか、すぐに分かった。

 オレは微笑んで、肩を竦める。


「いや。多分、何度同じ状況になっても、オレは同じ事をするよ」


 あっさりと答えると、少し驚いたように、アサギは目を見開いた。


 あれから、何度も、夢を見た。

 オレの手から飛び立つ、ペーパーバード。太陽を浴びて輝く、サクヤの金髪。甘い匂い。そして、その心臓を貫くときの、手の衝撃。


 何度夢の中でリセットしても、別のルートを選べない。振り向いたサクヤの顔が見れずに、ただ、その胸元のナイフだけを見ているところまで。

 まるっきり同じに。結局は、師匠の為に、同じことを繰り返す。

 だから、オレに、サクヤのことを語る資格はない。


「ナギ様が、お好きなのですか?」


 アサギの声が、優しく響いた。

 オレは、頷かなかった。


 好きとか嫌いとか、そういうレベルの話ではない。

 ただ、あの瞬間。命を救われた瞬間に、オレは、決めたのだ。

 ――必ず、返すと。


「……あのさ、アサギ」

「はい」

「オレ、あんたには感謝してる。忙しいのに、こうして見に来てくれるし。だから、オレが――サクヤを裏切ったのは、あんたのせいでも、誰のせいでもなくて、オレの勝手な考えなんだ」


 久々に、その名を口にして。

 口にしただけで、懐かしさに、息が止まりそうになった。


 一緒にいた時。

 毎日、毎日。何度も。

 頭の中で。

 声に出して。

 呼んでいた、名前なのに。


 名前を出すと、それに付随された、サクヤの情報が、ずるり、と奥の方から引き出されるようについてくる。


 嫌だ、嫌だ。思い出したくない、と。

 オレは、慌ててフタをした。


 自分が裏切ったことと。もとから、あいつが見てたのが、オレじゃないこと。

 その両方が、苦しくて。


 ふと気づくと、サラがオレの正面に立っていた。

 どうした? と尋ねようとしたところで、その小さな手が、オレの手の中の食いかけのカップケーキをかっさらっていった。


 そのまま、キッチンの窓を開けて、外へ飛び出していく。

 視界から消えた少女の姿を眼で追って、オレは窓辺に走る。


「おい!? ここ、2階だぞ!」


 ――落ちた!?

 窓から頭を出して、垂直落下したはずのサラを探したが、どこにもいない。

 気配を感じて視線を上げると、3つ先の屋根の上を、スキップするような気軽さで、駆け抜けていく黒い影があった。


「大丈夫ですよ。ディファイ族の跳躍力は、それはすごいんです」


 背後で、アサギが苦笑している。


 ああ、全く、すごいものだ。アキラも身軽だと思ったが、サラはその上をいっている。ディファイ族の中でも、あれはかなり、特別製なのではないだろうか。


「あんたら、お互いのこと、良く知ってるんだな」

「ええ。私とエイジ様、ナギ様と……ノゾミは、幼なじみなので。サラがこの国に来たのは、しばらく後ですが、それでも、もう5年以上になりますね」


 アサギは、いつものように、笑おうとしたらしい。

 だけど、それは失敗して、どちらかと言うと泣き顔に近かった。

 オレと同じように、幼い頃から仲良くしていた、もう1人の名前が、口に出来なかったのだろう。


「ごめんなさい。あなたには、嫌な役目を押し付けることになりましたね」

「いや、あんたが謝る必要ないって。全部オレの意志」


 エイジにも、アサギにも。もちろん師匠にも、謝られる筋合いはない。

 オレが決めて、オレが選んだ。それだけだ。


「なあ、オレが聞くのもどうかと思うんだけどさ……」

「――分かってます。サクヤさんのことですよね」


 呟くと、アサギは難しい顔をした。


「サクヤさんは今、エイジ様とナギ様が説得しています。でも詳しいことは、私やサラには話してくださらなくて……」

「なるほど……」


 それ以上、口には出さなかったが、アサギに話さないということは、結構ひどい状況なのではないだろうか。

 何せ、最後に見たのが、あの状態だ。

 大体、あいつら――特に師匠に、説得なんて出来るもんか。


 ……まあ、オレには、何1つ関係ない。

 アサギ達のような立派な大義名分もないし。

 そもそも、サクヤに与する理由もない。

 サクヤだって、もう、オレに助けてもらいたいなんて、思ってないに違いない。


 さすがにこれで、オレと、あんたの愛するノゾミちゃんが別の人間だって、分かっただろ。


 オレの様子を見ていたアサギが、ふふっと笑った。


「やっぱり、一緒に参りましょうか」

「え、どこへ……?」

「あなたの、最愛の方のところへ」


 その言葉が、アサギの中で、誰を示しているのか。

 師匠なのか、サクヤなのか。

 本当は、聞いた方がいいんだろうけど。


 オレは、あえて聞かないことにした。

 だって、聞いたところで、答え合わせする気にも、ならないから――。

2015/08/02 初回投稿

2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ