interlude8
水底から浮上するような。
急激に落下するような。
身体を引き戻される感覚。
起きているのか、寝ているのか。
良く分からないまま。
見覚えのある顔が。
手を振りながら、近付いてきた。
あれ、これは誰だっけ――?
「――ああ。ノゾミか」
「なあ。あんたがいない間に、また1つ魔法を覚えたんだ。後で、見てほしい」
「それは、すごい――」
(ああ、写真のヤ、ツだ……)
(――あれ、何だろ、う?)
(今、回の夢は)
(ノイズ、が、多い――)
手を伸ばして、その頬に触れる。
すり抜けるかと思ったのに。
触れたことに、驚いた。
「どうした、サクヤ。変な顔して。何かあったのか?」
こちらの気も知らず。
軽い調子で聞いてくる。
(一瞬ごとに)
(接、続が)
(切断されて――)
「……どうした?」
両手が伸びてきて、肩を抱かれた。
声が優しくなったのは、様子がおかしいと思ったのだろう。
頭を撫でられて、何故か。
泣きそうになった。
でも。
その手の感触で。
――ふと、自分を撫でているのは。
ノゾミではない、と、感じて。
くらり、と。
地面が揺れるように。
沈み込むような。
(何だ、この)
(浮遊感?)
「……お前、カイ、なのか?」
尋ねると。
頭を撫でていた手に、力が入って。
後頭部を掴まれた。
耳元に、唇が当たって。
心臓が、跳ねるように、鼓動した。
耳に、温かい息が吹き込まれる。
ぞくり、と、這い上る何かを感じて。
次の瞬間、突き放されて、座り込んだ。
「……バカだな。ノゾミは、死んだじゃないか」
さっきと同じ声で。
頭上から、囁かれた。
(――ああ、これが)
(あんたの、言ってた)
(夢、と現の――)
その言葉の真偽を認識する前に。
水の中に引き摺り込まれるように。
床から伸びた無数の手に、絡め取られる。
必死でもがいて、抜け出そうとしても。
結局は、そのまま、沈み込むだけだ。
沈みながら。
もがくのも嫌になって。
どちらが上で。
どちらが下だったか。
ぼんやりと、考える。
やけに背中が気になって。
振り向きざまに。
心臓に、ナイフが。
突き刺さる。
「……カイ」
必死で伸ばした手を。
掴んで、抱き寄せられた。
その表情は、笑っているけど。
――あれ?
これは、どっちだっけ……。
くらり、くらり、と。
視界が、揺れて。
引き戻される――。
「……カイ?」
「違うってば。まだ寝ぼけてるの?」
突然、はっきりした声が。
頭上から振ってきて、驚いた。
視界が鮮やかになり。
左胸がきつく痛む。
(ああ、現実に戻った――)
(ノイズが消えて、クリアになってる)
思わず、唸りながら眉を顰める。
憔悴した碧の瞳が、こちらを覗き込んだ。
誰だ、これ。
この綺麗な碧。
もう、何度も見たような気が――。
「……エイジ?」
一瞬、どういう状況か、判断が出来ない。
ここはどこだろう。
何故、こんなに痛いのだろう。
指先や足先まで、身体中が、軽くしびれたような感覚。
どうやら、また、死の淵から戻ってきたらしいけど。
それにしても、今がいつで、何があって。
こうなっているのか。
(まだ、意識が混乱している……)
服が、血を吸って、気持ち悪い。
エイジに向けて、助けを求めるように。
動きにくい手を、必死に伸ばした。
「いいよ。助けてあげる。サクヤちゃんが、俺達を助けてくれるならね」
エイジがその手を取った瞬間に。
ぬるりと、手が滑って。
左胸に深く穿たれた傷が、一際強く疼いた。
思わず、胸を押さえて。
――雷に打たれたように。
今の状態を、理解した。
(一息に流れ込んでくる)
(無数の情報。怒り。哀しみ。絶望。拒絶……)
……あれから、どのくらい『死んでいた』のか。
時間に余裕があるわけでもないのに。
よくも、人の仕事の邪魔を。
「……あれ? 思い出しちゃった?」
よく見れば、エイジの手にはナイフが握られている。
先程まで、胸に埋まっていたもののようだ。
血に濡れて光っているそれは、あの夜カイが握っていて。
自分が、宿に置いてきたはずのナイフだった。
自分の得物で殺られるとは。
少し笑えてくる。
「随分、楽しそうですねぇ」
扉の近くから、ナギの声も聞こえてくる。
身体を起こす力もないので、こちらからは見えないのだが。
気配があるから、そこにいるのだろう。
アサギと、そして、カイの気配はない。
……あの、馬鹿。
馬鹿、ばか。
うらぎりもの。
そんなにナギが大事か。
師匠なんて、慕われるような柄じゃないぞ、こいつは。
ああ、もう。
ばか。
ばかばか、ばか。
誰が、誰を信じていないと言うんだ。
瞳を閉じると、感情が乱れ混じって、何が何だか分からなくなる。
必死で眼を開けて、流されないように自分にしがみついた。
(失望?)
(ノゾミなら、こんなことはないのにって?)
(……そうだろうな)
「ねえ、サクヤちゃん。俺達に力を貸してくれよ。そうすれば、大好きなカイくんにも、会わせてあげられるんだけどな」
有利な立場に立っているはずなのに。
エイジの視線は、まるで懇願するみたいだ。
一瞬、気持ちのどこかが動いたような気がしたが。
気付かない振りで、無視した。
やっぱり、お前も、馬鹿だ。
『大好きな』なんて、そんなんじゃない。
(知ってるよ)
(ただの、代わりなんだろ)
知らない。
いらない。
もう、いい。
心の中で吐き捨てて。
傷付いた肺で、浅く息を吸った。
口を開くと。
こちらの様子で、エイジの眼に期待が宿る。
その希望を無視して。
全く関係のないことを、答えた。
「……その、扉からカイを、入れたら、お前ら全、員、殺してやる」
エイジの顔が歪んだ。
それだけが、予想通りで、少し可笑しい。
でも、口に出してから。
ふと、何かが足りない気がした。
どこかに、埋まっていない穴が空いているような。
――これで、もう、会えないから。
「あなた、本当に、こんな状態でよく余裕ぶっこけますね」
足音が、近付いてくる。
ナギだ。
あれは、エイジと違って、容赦がない。
蹴られるか。
斬られるか。
痛いのは、好きじゃないが。
痛いだけなら、我慢できる。
心の中で覚悟を決めていたのに。
ナギを止めたのは、エイジだった。
「……何ですか?」
「拷問は抜きって言ったでしょ。サクヤちゃんが言うこと聞かないのが、嬉しくて仕方ないって、顔してるよ」
「知りません。俺は自分の責務を果たすだけですよ」
下から見上げていても、その唇が歪んでいる。
本当に、捻くれて育ったもんだ。
昔は、あんなに可愛かったのに。
(ああ、あの時の)
(この国に置いていったことを、まだ悔やんでるのか)
(それとも、しばらくでも、自分が育てたことを?)
こんな風になってしまったのは、何故だろう。
この国のせいか。
自分のせいか。
どれが問題だったのかは分からないが。
いっそ、関わらなければ良かったのかも知れない。
「いや、お前の本来の責務は、それじゃないから。ああ、もう。そろそろやばそうだし、サクヤちゃん、ごめん!」
「あ、ずるい。俺がやろうと思ってたのに」
「そうしない為に、俺がやってんの」
(あんたら……子どもの喧嘩かよ)
(やってることは、酷いのに、そんな無邪気なのは)
(……この怯えが、あんたらには伝わってないからか)
エイジがナイフを振りかぶって。
恐怖で、身が竦む。
嫌だ、もう生き返りたくない。
でも、口に出せなくて。
黙って、その刃を受けた。
振りかぶったナイフが、再び胸に突き刺さる。
痛みと言うより、衝撃で。
心臓が、止まる。
肺から溢れた血液が、喉を逆流してくる。
咳き込む力もなく、呼吸を止めた。
ああ、もう。
本当に、こいつら。
小さい頃からいつも。
こっちの迷惑も考えずに。
諦めと、困惑の他に。
ほんのちょっとの愛情があるのを、自覚している。
(昔から、いつも)
(いたずらや、我儘や)
(あんたにとっちゃ、懐かしいくらいなのか)
それでも。
ただ、死にながら。
生き返る感覚が、怖い。
後、何度これを繰り返すのか。
それだけが、不安で。
落ちるように、意識が遠のく――。
(あ、ダメだ。またノイズで――)
(接続が、切れる――)
2015/08/01 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2017/02/12 サブタイトルの番号修正