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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第4章 Rescue Me
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7 その瞳を見るのがこわくて

 刀を脇に構えたまま、師匠がじりじりと距離を詰めた。

 サクヤはそれを、黙って見据えている。


「古代の伝説では、アンデッドを殺すには、心臓に銀の杭を打つらしいですよ」

「……そんな汚れた存在と、『リドルの姫巫女』を一緒にするな――よ!」


 踏み込んだ師匠の刀を、銀のくないが受け流した。

 きん、と澄んだ音が響く。

 流された刀を引こうとする、師匠の脇腹に、サクヤが左足で蹴りを放つ。

 危なげなく身を躱して、師匠は二撃目を向けた。

 その刀が空を切ったとき、サクヤは既に、後方へ距離を取っていた。


 さっき師匠が言ったのは、オレも考えていたことだ。

 サクヤを捕獲するだけなら、『心臓に銀の杭を打ち込む』というのは、有効な手段になる、と。


 銀の杭に意味があるんじゃない。

 心臓に異物を埋め込むという行為が、有効なのだ。


 サクヤの身体は、傷つけられれば自動再生が発動する。

 心臓を貫かれたままでは、死と再生を繰り返すしかない。

 その状態では、まともに動くことも出来ない。

 捕らえることを重点に置くなら、それが一番だ。


 ――でも、オレは、何故か(・・・)


 その状態が、どれほど苦しいか知っていた。

 死から浮上した時の、不安感。

 何も分からないまま、眼が覚めて、泣きたくなるような孤独。

 まどろみから現実に戻った時の痛み。

 徐々に記憶が戻る中で、希望と絶望を繰り返す。


 自分は、死んだこともないのに。


 その苦しみを押し付けてまで、捕らえたい理由が、オレにあるだろうか。

 師匠の為、ここまでついて来ただけのオレに。

 「師匠の為」の言葉だけで、そこまで出来るだろうか。


 打ち交わす剣戟の音が、ベランダに響く。

 刃を避けながら、足技を混じえるサクヤの動きは、まるで舞踏のようだ。


 振り下ろされた師匠の刀を、サクヤが、弾くように上に跳ね上げた。

 澄んだ音を響かせて浮き上がる刀身を、師匠は慌てて引き戻す。

 力で劣るはずのサクヤに、こんなにも綺麗にパリィを決められて、驚いた顔をしている。


「あなた、本当に持ち技の数、半端ないですね」

「他に鍛えられるものがないんでね」


 魔法を封じられ。

 愛用の武器も、どれ1つとして持っていないのに。

 サクヤは、師匠に遅れを取っていない。


 無防備に、オレに背中を向けたまま、師匠の刀を待っている。


「こうしてると、昔を思い出すな。ほら、次はどうした」

「そんな、遊び半分のつもりでいると、後悔しますよ」


 そんなことを応える師匠も、どことなく雰囲気が柔らかく見えた。

 その、『昔』のことが、懐かしいような。


 だんっ、と右足で踏み切って、一気に間合いを詰めた師匠を、サクヤは下から伸び上がるようにして、受ける。

 師匠の刀にくないを絡めるようにして、一緒に右へ流した。

 刀を絡められて、引くにも引けず、師匠は眉をしかめる。

 その喉を目掛けて、サクヤの蹴りが放たれた。

 師匠は体勢を低くして、何とかそれを避けると、力任せに刀のコントロールを取り戻して、また距離を取る。


 くすくすと、サクヤが笑い出した。


「おい、どうした。後悔させてくれるんじゃなかったのか」


 何だろう。いつもより、サクヤの動きが早い。

 サクヤは、自分から仕掛けずに、師匠の攻撃を待っているが、その切り返しの瞬間が、普段よりコンマ数秒早い気がする。


「何であなた、そんなに早いんですか? 初速は、俺の方が乗ってるのに」


 問いかける師匠の声は、まるで――迷子の子どものようだ。

 そして、そんな師匠に対して、サクヤは。


「何でなのか、教えてほしいか?」


 ――いつになく優しい声で、問うた。


 師匠が、静かにサクヤを見る。

 師匠の方が背が高いのに、どこか、見上げるような視線だった。


「教えて下さい」

「お前の太刀筋が、変わってないんだ。俺が教えた時のまま。だいぶ洗練されたけど、根っこは同じ。俺の技なら、俺が対応出来ない訳がないだろう?」


 微笑むサクヤの眼を見て、師匠は、一瞬、泣きそうな顔をした。

 視界の端で、エイジとアサギが、それぞれに、遠くを見るような、表情をしていた。

 この人達は、共通の過去を持っているのだと、ようやく、気付いた。

 懐かしむべき、「昔」を全員が知っているんだ。


 ふと、師匠が刀を構え直した。


「……昔、ね」


 小さく呟くその眼が、昏く燃えていることだけが、少し、気にかかる。


「昔。いいですね。あなたも思い出しましたか?」

「……まあ、お前とこうしていると、そういう気になる瞬間もある」


 雰囲気の変わった師匠を警戒してか、サクヤは慎重に答えている。


「いや、俺なんかより、あなたを惹きつけるものがあるでしょう?」

「……何が言いたい」

「カイがいて、楽しかったでしょう? ――昔みたいで」


 何故かその言葉で、サクヤの瞳が一瞬揺れる。

 その隙を逃さずに、師匠が踏み込んだ。


 サクヤが慌てて、先程のようにパリィをかけるが、タイミングが合わない。

 がぎぃ、というような耳障りな音を立てて、くないの上を、刀身が滑る。

 武器を取り落としそうになったサクヤが、不自然な体勢から、身体を捻って、師匠の手元を蹴りで狙った。


 そんな中途半端な攻撃は、隙を生むだけだ。

 即座に引いた刀で、師匠は、喉元へ突きを繰り出した。

 サクヤが身の軽さを生かして、何とかそれをかわす。ぎりぎりで身を捻って、喉を避けた。代わりに、肩先に浅く斬りつけられて、眉をしかめる。


 息を詰める攻防から、一瞬だけ刀を引いた師匠が、構えを変えた。


「ねえ、もう1回聞きますけど。こないだのは、勝ったとは認めて貰えないんですか?」

「……2対1で何を言う。あれは、そこのクソガキの功労賞だ。あれをカウントに入れるなら、俺だって、もっとずるい手を使う」


 こないだと言うのは――オレとサクヤが初めて会った日のことだろうか。

 あの時は、確かに、師匠の圧勝だったけど。

 どう考えても、ソレ以前のサクヤの疲労が酷かった。


 サクヤが、小首を傾げる。


「何故、俺に負けを認めさせることに、こだわる? 仲間に引き込みたいだけじゃなかったのか?」

「だって、あなた約束したでしょう? 勝ったら、一緒に連れて行ってくれるって」


 目を丸くするサクヤの隙を突いて、師匠が再び踏み込む。

 眉間を狙う刃を、サクヤは後ろに退いてかわした。


 驚いているのは、オレとサクヤだけだ。

 エイジの方を見ると、こちらを見て、苦笑いをしている。

 それは、呆れ混じりの表情だったので、言葉に直せば、「あいつ本当にバカだよな」というところか。


「……そんな、子どもの頃の約束、よく覚えてたな」

「良かった。あなたも覚えてるんですね」


 師匠が、きちり、と刀を鞘へ戻した。


「――それなら。違えることは絶対に許しませんから」


 見ようによっては、諦めて刀を納めたようにも見えるが。

 この場にいる誰も、そんな風には考えなかった。


 ――あの人、必殺技を出す気だ。

 慣れない刀でも、見切られた攻撃よりはマシだと考えたのだろう。

 刀を抜く直前の、鬼気迫る気配が、周囲に満ちる。

 それでも、サクヤは楽しげにしていた。


「見たことのない構えだな。どこで覚えた?」

「あなたから教わったんじゃないことは、確かですね」


 軽口のように言い返しながらも、周囲の空気は、刻一刻と圧力を増す。

 息を詰めて、師匠の手元を、全員が見つめて――。


 ――その身体が、くん、と沈んだように見えた。

 

 次の瞬間には、抜き切った刀身が、サクヤのいた空間を、貫いていた。

 刀を抜いた軌跡など、全く見えなかった。

 それなのに。


 ――サクヤは、既に、そこにはいなかった。


 伸び切った師匠の腕の、内側に潜り込む小柄な身体が。

 弾けるように、蹴りを叩き込む。

 攻撃の直後の、無防備な腹を狙って――。


 一撃を食らって、師匠が後方へたたらを踏んだ。


「今のは、なかなか良かった」


 蹴りの姿勢から、身体を戻して、サクヤが笑う。


「――でも、踏み込みのタイミングが、結局同じだ。今のお前じゃ、俺には勝てない」


 師匠は、静かに頭を垂れて、床に膝を突いた。

 表情を消して、サクヤが、その姿を見下ろす。

 すぐに視線を上げて、フロアの扉を見やった。


「……さて。お前らはどうする?」


 問われたのは、エイジとアサギだ。

 代表して、エイジが肩をすくめる。


「俺達に、この距離で、サクヤちゃんに勝てる要素があると思う?」

「ないな」


 簡単に断言すると、サクヤはくないを胸ポケットに戻した。

 服のホコリを軽くはたきながら、エイジに向かって告げる。


「人の仕事の邪魔をするなら、それなりの覚悟で来い。いつまでも、子どもの我がままでは済まさないぞ」

「我がまま……我がままねぇ。まあ、俺らも我がままかもだけど、サクヤちゃんのも我がままじゃないかなぁ?」


 エイジが静かに、ジャケットの内ポケットから、タバコを抜き出した。

 火を点けて、旨そうに煙を吸い込む様を、サクヤは顔をしかめて見ている。


「お前らの遊びに、いつまでも付き合っていられるか」

「遊びなんて、ひどいです。一国の未来がかかっていると。……言わなくてもお分かりでしょう? 何でそんな言い方をするのですか?」


 つらそうに、ワンドに縋り付いたアサギが、声を震わせた。

 額からは汗が流れて、この結界の維持にどれ程、力を込めているかが分かる。

 真剣な眼で見つめられて、サクヤが視線を逸らした。


「他にいくらでも、適任がいる」

「魔法使いなんて、そんなごろごろ転がってないでしょ、普通。あと半年しかないんだぜ。ノゾミだって、絶対、その方が喜ぶに決まって……」

「――うるさい」


 低い声が、それ以上の会話を拒絶する。

 エイジが、ふぅ、と吐き出した煙が、サクヤの周りにまとわりついた。

 振り切るように、サクヤが首を振る。


 そこへ、昏い声が、小さく響いた。


「……断ればいいんです」


 呟いたのは、床の上に座り込んでいる師匠だった。

 サクヤは、そちらをちらりと見る。

 顔を上げた師匠と、サクヤの視線が絡んだ。


「断ればいいんですよ、はっきりと。誓約のあるあなたに、俺達だって、それ以上まとわりつきませんよ。それを、こんな気を持たせるようなマネをして。俺達が、あんたにどれだけ期待してると思ってるんだ!?」


 最後の方は、振り絞るような声になっていた。

 師匠の叫び声にも、サクヤは表情を変えない。

 むしろ、エイジの方が、顔色を変えた。


 サクヤには、「嘘をついてはいけない」という、姫巫女の第一誓約がある。

 今ここで、師匠の挑発に乗って、宣言してしまえば、今後、絶対に覆すことはない。

 それを恐れて、誰も言わなかったであろうことを、師匠は口に出した。

 サクヤが、皮肉に唇を歪める。


「――聞きたいなら、言ってやる」


 息を吸う音が、聞こえるような気がした。


 サクヤの次の言葉が、響く前に。

 師匠が、オレを呼んだ。


「――カイ!」


 弾かれるように。

 オレは、シャツの中に隠していたナイフを、引き抜いた。

 視界の端で、エイジとアサギが、目を見開いている。

 師匠の声で、オレ達の目論見に気付いたサクヤが、こちらを振り向こうと身体を捻る――。


「……っな……」


 ――振り向きざまに。


 ナイフは、正確に、サクヤの心臓を貫いた。

 オレは、顔を上げることができずに、その左胸を見ている。

 ナイフが柄まで埋まって、隙間から、血が噴き出す。

 次々に溢れ出す血液で、手元が真っ赤に染まっていく。


 血は喉からも逆流して、サクヤが咳き込んだ。

 何かを言おうとしても、次々にせり上がってくる体液で、言葉にならない。


 聞き取りづらい、くぐもった音の中で。

 それでも、確かに。

 サクヤの声が、『ノゾミ』と呼んだのが聞こえた――。


 そんな反応も、少しずつ弱まって。

 ごふ、と血を吐く水音は、徐々に少なくなっていく。

 やがて、完全に力を失った身体が、オレにもたれ掛かった。


 まだ温かい身体を抱きとめたオレは、その瞳を見るのが怖くて。

 ただ、ゆっくりと膝を突いた。


 バルコニーの床に、赤い染みが広がっていく。

 両手で支えた身体から、手を離すと、崩折れるように、床に転がった。

 自分の血塗れの両手を、どうすればいいのか分からなくて、くらくらと床に手を突きそうになる。

 そんなオレを支えたのは、意外なことに、師匠だった。


 師匠に肩をつかまれて、オレは静かにそちらを見上げる。

 誉めるように、妬むように。

 微笑むその表情を。

 何故かオレは。

 さほどの喜びもなく、見た。


 ふと、横から、太い腕が伸びてきて、師匠の襟元を掴む。


「おい、ナギ。お前……今、何をやらせた!?」


 エイジのこんな声は、初めて聞いたな、とぼんやりと思った。

 師匠は、その腕を振り払いもせず、落ち着いた声で答える。


「何を今更。この人に逃げられたら困るでしょう? それに、俺が刀を抜いた時から、こうなることは予想済でしょうに」

「刀抜いたとこからどうかと思ってたけど、お前がやる分には、まだいいよ。事情も知ってるし、そういうこともあると思ってるさ。俺が聞いてるのは、何で、カイにやらせたかってことだ」


 いつだってへらへらしているエイジも、真剣になることもあるのだと、意外な思いで、オレも見上げた。

 師匠は表情を変えない。


「何でって……見てたじゃないですか。俺は負けたし、あなた達じゃ敵わないし。決定的なことを言われれば、それで終わりだし。でも何故かカイだけはノーマークだから、隙を突かせたんです」


 顔に貼り付いたような笑顔は、無表情よりも、表情が無いように見える。

 ぎりぎりと、奥歯を噛み締めたエイジが、怒鳴るように答えた。


「――いいか、1回しか言わないからな? お前は、カイが羨ましかったんだよ。嫉妬してるんだ。だから、あいつにやらせた。俺達に嘘をつくのはまだいいが、自分の気持ちを誤魔化すな!」


 一息に言い切ると、エイジは、師匠の身体を投げ捨てるように、手を離した。

 そのまま、アサギの方を向いて、言葉少なに指示を出す。


「アサギ、転移しろ」

「――ええ!? 無理ですよ、もう、魔力が……」


 悲鳴のようなアサギの声に、エイジは、小さく息を吐く。

 一瞬置いた後、再びアサギに語りかける声は、普段のエイジの軽い様子に戻っていた。


「いや、分かってるって。でもさ、アサギ。この状況で、他に選択肢あれば、むしろ教えてほしんだけど」


 アサギが、茫然と、こちらを見た。


 よくよく周囲を見れば。

 床も、オレも、サクヤも血塗れで。

 ここは、王宮のパーティ会場。

 

 転移魔法を使わないなら、会場に戻って、状況を説明する必要があるだろう。


 ――この状況を、何と言って説明するのか。


 完全に、心臓の止まっているサクヤと。

 どう見ても犯人のオレ。


 アサギは、絶望的な表情で、天を仰いだ。

 それでも、そんなアサギにも、良い言い訳は思い付かなかったらしい。

 ワンドを握り直して、詠唱を始めた。


「偉大なる母の御名を教えます

 人の叡智よ 約束の絆よ

 母の言葉を信じます


 私の前に立ちはだかるは異教徒

 詔に従い、弓を引き絞るは母の子ら

 軍馬を駆るは御使いの軍団


 全能の母は、私とともにおわします

 母の子らよ、ともに黄金の杯を受けましょう――」


 アサギの詠唱とともに、床に広がる魔法陣の輝きが、青から白へと変わっていく。

 まるで、ドレスのレースのように繊細な模様が、幾重にも重なる。


 それは、あの夜、サクヤが足先で無造作に描いた魔法陣に、少し似ていた。

 それでも緻密さは、あの時の比ではない。

 多分、サクヤは、時間に急かされて、省略したのだ。

 そして、省略した部分を、莫大な魔力で埋めた。


 よくもまあ、成功させたものだと、オレは床に転がるサクヤの身体を見ながら、他人事のように考える。

 他人事……そう、他人事だ。

 今一つ、実感がわかない。


 ――あの時、サクヤと一緒に命を賭けたのは、自分に違いないのに。


「――聖杖の力よ、解放せよ! 転移魔法ポイントブランクエイビエイション


 輝く光の中、叫ぶようなアサギの声が響いて――。

 眩しさのあまり、オレは眼を閉じた。

2015/07/29 初回投稿

2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

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