6 信じてないなら
「知ってたよ。オレが、教えたんだから」
いつもみたいに、キレられるかと思った。
でも、オレの答えを聞いたサクヤは、ふ、と耳元で笑った。
……いっそ、いつものブーツで蹴られる方がマシだった。
笑った理由は、自嘲か、軽蔑か。
振り向いて、その表情を見る勇気は、オレにはない。
程なく、バルコニーに師匠とエイジが踏み込んでくる。
サクヤの腕に、絡め取られたオレと、対峙する。
こうして見ると、最後に会った時のやり直しのようだ。
エイジがからかうように呟く。
「いつか見たような構図になったね」
「今夜は、俺は起きてますけどね」
師匠は、飾りのように見える腰の刀に、油断なく手をかけた。
さして姿勢を変えたようにも見えないのに、それだけで周囲の空気がひやりとする。
その姿を見てサクヤが、オレの首から、すんなりと手を外す。
離れていく指先を、むしろ残念なくらいの思いで、見つめた。
「まさか、ここで捕り物を始めるつもりは、ないよな?」
「へえ。何故そう思うんですか? 俺はね、あなたさえ捕まえられれば、もう何もかもどうでもいいんですよね」
口ではそう言っても、刀を抜こうとしない。
必殺技の居合抜きのタイミングを計っているのか。
それとも、今の言葉は口から出任せか。
何の根拠もないが。
師匠の性格なら、後者だろうと思った。
サクヤも、同じ結論に至ったらしい。
皮肉に笑って、バルコニーの手すりに背を預けた。
「お前は、そこまで破天荒じゃない。それに、俺の今日のコンディションは悪くないぞ。今戦えば、あの時とは違う結果になるはずだ」
疲労もなく、魔力も十分。
思い返せば、サクヤと初めて会ったのは、新月の日の夕方だった。
あの時、サクヤは、夜になって復活した。
今は半月で――そして、既に夜だ。
泉から受ける魔力が、月の満ち欠けと、時間帯に左右されると聞いたのは、いつだっただろう。
考えても、思い出せないのだが――。
「お前らが来るかもと思っていても、危険を冒したのは、今ならまともに、相手が出来るからだ。分かるだろう?」
師匠もエイジも、返事をしない。
そして、それでも師匠は、刀の柄から手を離さない。
「今夜の目的はあくまで調査だ。お前らだって、この国のやり方はおかしいと思ったんじゃないか?」
「まあ、青葉の国は、役に立つなら種族も出自も関わらずって。ある意味、平等主義だからね」
エイジが笑って答えたが。
師匠は、赤い瞳を静かに燃やして、睨み返すだけだ。
「だから何ですか? 今夜は見逃せと?」
「いや、それは、もういい」
サクヤが、嬉しそうに笑った。
左手を、バルコニーの外に伸ばす。
その指先から、輝く蝶が、静かに飛び立った。
「……ちっ。あなたのペーパーバード、いつ見ても頼りないですね」
「放っとけ。アサギみたいに器用じゃないんだ」
師匠の言葉に、サクヤは唇を尖らせる。
蝶は、七色の鱗粉を撒き散らして、ふわふわと上下する。
そうして、小さく羽ばたきながら、月光に照らされて遠ざかっていった。
「完全ではないにしろ、ある程度情報は集まった。ディファイ族以外の獣人が、国外に売られていることは、昨晩の内に突き止められたし。ディファイだけが、囚われたまま、まだ国内にいるのも判明した」
「何だ、サクヤちゃんも知ってるんだ。どうやら、連中、ディファイの剣を所望してるらしいよ」
あっさりと情報を漏らすエイジを、師匠がちらりと睨み付けた。
その敵意に近い視線を浴びても、エイジはさして気にした様子もなく、肩を竦めるだけだ。
――ディファイの剣。
ディファイ族が守る、神の一部。
あの不可視の剣の力を、この国は何に使おうと言うのだろう。
あるいは、剣自体が目的なのではなく。
ディファイの長老である、トラが目的なのかも。
肉体を固定する不老不死。
圧倒的な自動再生。
強欲な人間なら、きっと、喉から手が出るほど欲しくなるに違いない。
しばらくサクヤと、一緒にいただけのオレにさえ、その凄さが分かるのだから。
ディファイの一族を、捕らえたままにしているのも。
トラに対する、人質にしようとしているのかもしれない。
「後は、アキラが、全てトラに伝えてくれるさ」
今夜、アキラを連れて来なかったのは。
そして、オレを連れて来たのは。
――全て、その為なのか?
ふと、思い付いて。
オレは、サクヤの背中に向かって、問いかけた。
「……なあ。あんた、オレが、裏切ってることを知ってたのか?」
言い切ってから、自分の声が掠れていることを、自覚する。
言葉に出すと、どんどん、そんな気がしてきた。
オレの頭が、勝手に、サクヤの行動の理由を組み立てようとする。
もしも、オレを信じていたら。
サクヤはきっと、アキラと一緒に、オレを残したはずだ。
何があるか分からない王宮に、引きずり出しはしない。
何故、今日に限って、オレを。
従者としてではなく、連れ出して。
こうして、別行動をさせたのか。
「試してたのか? オレが、裏切るかどうか?」
サクヤは、こちらを、振り返らなかった。
だから、その表情は分からない。
――でも。
「――そうだとしたら、どうするつもりだ?」
質問を質問で返されて、きりり、と心臓が痛んだ。
最初から、オレのことなど、信じていなかったのか。
こうして、最後に試すようなことをするくらいなら。
――何故、一緒に来いなんて、誘った?
裏切った自分を棚に上げて、サクヤを責めそうになる。
さすがに自制して、喉の奥で、言葉を噛み殺した。
師匠が、面白そうに眉を上げているのを、絶望的な思いで見る。
何でこの人、人が落ち込んでるのが、そんなに楽しいんだろう。
根性の悪さにも、程がある。
カタン、と扉が鳴った。
その場にいた全員が、一斉にそちらを見る。
扉を開けて出てきたのは、白いローブに、水色の髪の神官――アサギだった。
「間に合いましたね」
アサギは、大きな青い宝玉のついたワンドを、両手で抱えている。バルコニーを見回して、オレの姿に気付くと、優しく微笑みかけてくれた。
すぐにサクヤに視線を戻し、神妙な顔つきをする。
バルコニーの入り口を背中で隠すように立ち、ワンドの先を地面に突いた。
突いた地点から、青い光が広がり、バルコニーの床を覆っていく。
夜空に、軽やかに呪文が響いた。
「聖杖の力よ、解放せよ! 耐魔陣!」
床から垂直に浮かび上がった青い光が、オレ達を包む。
バルコニー全体に、ドーム上に光が展開すると、フロアのざわめきが完全に消えた。
サクヤが、苦々しい声で囁く。
「結界か。いつの間にか、腕をあげたじゃないか」
「おかげさまで、先月から大神官になりました。おっしゃる通りの魔封じの結界です。この中では、サクヤさんお得意の魔法も、使えませんよ」
アサギの挑発に、苦笑が返ってきた。
「お得意なんて言われると困る。どちらかと言うと、俺は魔法は不得手な方なんだが……力任せに、壊してやろうか? 泉の魔力量なら、不可能じゃない」
「構いませんけれど、無理に壊されれば、私の命もただでは済みませんよ」
それは、脅迫の言葉だった。
盾に取るのは、相手の命ではなく、自分の命。
自分を――アサギ自身を人質に取れば、サクヤはそれを無視することはできないと、そう言っている。
す、と表情を引き締めたサクヤが、無言でアサギを見据えた。
その瞳が、一瞬にして――紅に、染まる。
途端、周囲の空気に、目に見えない何か濃密なものが満ちた。
その密度に押されて、アサギの身体がぐらりと傾ぐ。
それでも、彼女はワンドを支えにして、何とかその場に立ち続けた。
ワンドを握る手から、じわりと、赤い血が滲み、腕を伝って床に落ちる。
――サクヤの魔力が、結界に干渉している?
アサギの結界に、莫大な魔力で、内側から圧がかかっているのだろう。
アサギの言葉が、事実なら。
この結界が破られる時、その命も失うことになる。
身体をワンドにもたせかけて、荒く息をする姿は、そこに嘘はない、と告げていた。
「……サクヤ!」
さすがに、黙って見ていられない。
オレは、目の前の、サクヤの細い肩に手をかける。
それを、こちらを一瞥もしないまま、無言で払い除けられた。
そのまま無視されるかと、思ったのだが。
サクヤは、小さく息を吐くと、瞳を閉じた。
瞼を下ろすと同時に、空間に満ちていた何かが消失する。
アサギが、重圧から解放されて、唇を震わせて深呼吸をした。
次に眼を開いたときには、サクヤの瞳はいつもの青に戻っていた。
「それで、次はどうする? アサギの結界だって、無限には保たない」
「もういいです。あなたとは話にならないし。それは、帰ってから考えます。あなたを無力化させる方法は、魔封じの結界だけじゃない」
アサギ自身を人質に、魔法を封じられたサクヤに向けて。
ついに、師匠は、腰の刀を抜いた。
――ああ、ダメだ。
エイジとアサギが、揃って、やっちまった、という顔をしている。
多分、オレも同じ表情をしているに違いない。
抜いた刀は、師匠の必殺技、居合斬りには向かない形状だ。愛刀暁に比べると、反りがほとんどない。あれでは、普段の技は使いづらいだろう。
だから、抜き放ってしまったのだと思うのだが。
――でもさあ、師匠。
継承戦に参加して貰おうとしてる人を、戦って捻じ伏せて、反感を煽ってどうするんだ。
サクヤを仲間にしたいんじゃなかったのか。
「師匠。あんた、継承戦って、目的があるんじゃないのか?」
「――俺はねぇ、カイ」
油断なく、刀を脇に構えて、サクヤを見たまま。
師匠は、オレに向かって話しかけてきた。
「この人が斬れれば、それでいいんです」
その言葉は、多分、嘘が多く含まれているけど。
真実の匂いも、感じた。
「あのさ、ナギはそれで良くても、オレとアサギはそうじゃないんだけど……」
「ナギ様。もう少し、後のことを考えて動かれた方が……」
エイジとアサギが、口々に師匠を止めようとする。
師匠は、唇を歪めた。
「この人が斬れれば、それでいいんです」
黙ってしまったエイジとアサギに、サクヤが眉を寄せる。
「お前ら、いつものことだけど、ちゃんと止めろよ、これ」
「やだよ、怖いもん」
エイジは肩をすくめるだけで、アサギは無言で微笑んでいる。
言外に止める気はないと表現されて、サクヤは溜息をついた。
「……やっぱり、相手しなきゃいけないのか?」
「そうですよ。言ってるでしょう。あなたを斬るために、追ってきたんですから」
くすくす笑う、師匠の顔を見ながら。
サクヤが、するり、と、髪に挿していた銀色の飾りを抜いた。
長く、先が尖っていて、太いかんざしのような――くないのような、シロモノだ。
無造作にそれを左手に構えて。
サクヤは、「来いよ」と囁いた。
2015/07/27 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更