5 青葉の国の第二王子
氷の島の第八王子の振りは非常に簡単だった。
何せ、そんな島があるかどうか、誰も知らないのだ。
その癖レディ・アリアの名前の威力は強大で、彼女の紹介だと言うと貴族連中の対応は手のひらを返したように変わった。
オレは出来るだけ王子サマっぽく見えるように、丁寧に会話する。
「そうなんですよね。あまりに雪が積もるので。屋根に積もった雪が時々落ちてくるんですけど、オレなんかその落ちてくる音を、魔力砲の音と間違えちゃって」
「まあ、そんなに音がするものですか?」
「はい。雪というのは存外重いんです」
――いや、本当は知りません。
もしかしたら雪って軽いかも。
落ちてきてもそんな音しないかも。
氷の島って、そもそも雪なんか降ってないかも。
話の流れで名物やらどんな風土なのかを聞かれたので、イメージのみで適当に答え続けた。
もうこうなったらヤケクソで、子どもの頃の失敗話などその場の思い付きで好き勝手話していると、それなりに場つなぎの話は出来た。
度胸だけはあるので、こういう時、開き直って堂々としていられるのがオレの数少ない長所だ。
ふと見ると、サクヤとレディ・アリアもそれぞれの場所で情報収集に勤しんでいる。
その様子に安心して、自分の会話に没頭した。
何人かの貴族と話をしたのだが、中でも今夜この夜会でデビューしたという、白いドレスの公爵令嬢――エリカに狙いを定めることにした。
「素敵なドレスですね。噂に聞くリドル族の白銀の髪のように麗しいです。……ああ、失礼しました。この国では獣人の話題は禁句でしたっけ」
「褒め方の是非はともかくとして、お褒めに預かり光栄ですわ」
ころころと笑う表情が愛らしい。
しかし、オレがこの人とだけ割と長く話をしているのは、その可愛さ故ではない。
では何故かと言うと――。
「でもその褒め方は紳士的ではありません。獣人なんて、汚らしくておぞましいわ」
――このように。
言葉があけすけで、短時間で情報収集するのが楽そうだと思うからだ。
「これはこれは。本当に失礼しました」
「いいえ、よろしいのですよ。私を褒めてくださるお気持ちだけは伝わりました」
にっこりと微笑む顔にはあまり裏がない。
彼女にとっては、田舎者の無作法な褒め言葉は大した意味を持たないのだろう。
勿論、彼女の意見が全ての貴族の代弁者とは思えない。
獣人排斥の国とは言え、その法律が施行されたのは最近のようだし。
獣人という人手を失ったことで、損をしているヤツもいるはずだ。
そういう貴族にとっては、此度の政策は批判の対象になっているに違いないのだが。
今夜に関しては、貴族達の意見なんかどうでもいいのだ。
事実を知りたいオレとしては、何でも隠さず話す、エリカがありがたかったというだけ。
もちろん、たかが公爵令嬢がどの程度の事実を知っているか、という不安はあるが。
まあ、今夜社交界デビューしたばかりの若手の貴族など、どれもこれもそう違いはないだろう。
逆にあまりに聡いのを相手にして、こちらの嘘がバレても困る。
「カイ様は、この国へ獣人奴隷なんて連れて来たりしませんでしたか?」
「ええ。オレが連れて来たのは人間の従者ばかりです」
「それは僥倖。実は丁度、青葉の国の第二王子様もいらしているのですけれど。獣人を連れていたそうで、転移してきた神殿からなかなか王宮にお移り頂けなかったの」
「へえ。それは大変でしたね。最終的にはどうされたのですか?」
エリカは声をひそめているが、その様子は嫌悪と言うよりは、入国のごたごたを労う様子だった。
獣人嫌いのエリカからさえ、青葉の国の第二王子サマは、どうやら好意的に受け入れられているらしい。
微笑んだエリカが当然のことのように答えた。
「獣人だけお帰しになりました」
「ああ、その場で獣人を捕えたりはしなかったんですね」
「それは……ね。小国とは言え一国の王子の持ち物ですから」
小国、ですか。そうですか。
氷の島は多分、知名度から言ってもっと小国のような気がしますが、いかがでしょう。
まあ、実際のオレはその島と何の関係もないので、別に構わないのだが。
そういうことをすらっと言ってしまうエリカに、呆れを通り越して少し憧れる。
これだけ何も考えずに口に出せれば、気持ち良いだろうな。
「今回のお触れは王の勅令なのです。ただ私の父もかなり支援したそうですよ。やはり野蛮な獣人など国土にいない方がよろしいですもの」
「さすがに蔵の国の方は、考え方が先進的ですね」
別に先に進んだものが良いとは限らない。
それくらいの気持ちを込めていたが、エリカは褒め言葉と受け取ってくれたらしい。
「うふふ、ありがとうございます。勿論、いきなり全ての獣人を国外へ捨てるなんて難しいでしょう? ですから父が窓口になって、王の優しさに縋りましたの。獣人奴隷と人間の奴隷を入れ替える時間を頂けるように」
「そうですか。お父上は名高き公爵様ですから、さすが的確なご判断です」
「自慢の父です」
あどけない――と言うか、いっそ思考は幼いくらいのエリカだが。
どうやらこいつの父親、今回の件に深く関わっているらしい。
もちろん、娘から得た情報だけを信じるのは少し早すぎる。
獣人嫌いのエリカからすれば、排斥政策は喜ばしいもの。ただの身内びいきかもしれない。
サクヤの集めている情報と照らし合わせれば、もう少し見えてくるだろう。
「でも1つだけ不満がありますの」
「おや、どうしました」
「引き取った獣人を一時的に置いておく場所に困ってしまって、我が麻里家の倉庫を使っているのよ。……匂いがうつったらどうするのかしら」
へえ。そんなことまでしてるのか。
「麻里公爵の倉庫なら、きっと幾つもあるのでは?」
「ええ。使っているのは、その中のたった1つに過ぎません。それも王都から遠く西の、端の方の町にある倉庫で。国の為にお貸ししているのに、心が狭いとお思いかもしれませんが……」
「頭では理解出来ていても反射的に気味悪く思う感情は、なかなか抑えがたいものです」
「お分かり頂けるなんて、嬉しいわ。私達、仲良くなれそうですね」
微笑むエリカに、オレは笑顔を返しながら思った。
少しの間でも、サクヤと旅をして。
ディファイ族の面々にお世話になったオレからすると。
この女。
――話せば話すほど、嫌悪が増すだけだ。
「エリカ様のような美しい女性に、そう言って頂けるのは光栄です」
そんなことを考えながらでも上手く話が合わせられる、自分の面の皮の厚さをありがたく思った。
「ええ、それくらい素直なお言葉の方が、先程の褒め言葉より好感が持ててよ」
「ありがとうございます」
もう、こいつに聞くこともないか。
次のターゲットを探そうと、こっそりとフロアを見渡した瞬間。
――ふと、場にそぐわない緊張を感じた。
気配はオレの横から。
さりげなくエリカとの立ち位置を調整して、その肩越しに気配の方に視線を向ける。
気配の主は、燃えるような赤い髪を天井のシャンデリアの灯りに透かして、フロアに立っていた。
メガネの奥の赤い瞳でフロアの中央にいるサクヤを捉えている。
――ああ。師匠だ。
オレがそちらを見たと同時に、師匠もオレに気付いたようだった。
笑顔で小さく手を振ってくる。
師匠の横では、エイジが美女を口説くのに一生懸命になっていた。
……何やってんだ、あいつは。
すぐにでも師匠の所へ行こうかと思ったが、サクヤの動きも気になる。
エリカに話を振るに止めておこう。
「あの、あそこにいる方はどなたですか?」
師匠の方を指して、尋ねた。
師匠もエイジも、見たことがないような仕立ての服を着ている。
生地は上等だが軍服に近いデザインで、オレが着ている燕尾服とは全く違う。
最初からいれば目立っていたはずなので、途中で入室したと思うのだが。
師匠の気配遮断はオレには気付けず、いつの間に入って来たのかは分からなかった。
今はフロアの端で、珍しい衣装がパーティの良いアクセントになっている。
「ああ、あれが青葉の国の第二王子様ですわ。しばらく前から王宮に滞在されていますが、今夜は出ていらしたのね。やはり奥方を探していらっしゃるのかしら」
その口振りは、何なら自分を、と続きそうな気がして、オレはその明け透けな世間知らず振りに、思わず微笑んだ。
カスミの話を聞いた時から予想はしていたが。
やっぱり師匠は青葉の国の王子なのか。
ならば2人がサクヤを追っているのも、継承戦の為でほぼ間違いない。
……まあ、何となく。
師匠からはそれ以外の執着も感じるけど。
一国の王子なら、あちこちの国にサクヤを手配するのも難しくはない。
神殿の――アサギの転移魔法を使って、こうして先回りをするのも。
師匠は一応佩刀してはいるが、その刀は愛刀暁ではなかった。
こういう場に相応しい、宝石が散りばめられた装飾品だ。武器としてどの程度使えるかには疑問がある。
まさかこんな場で突然斬りかかることはないとは思うのだが。
師匠の視線は、そんな常識をいつ裏切ってもおかしくない様子だ。
ふと、サクヤがフロアの中心から、いつの間にかフェイドアウトしていることに気付いた。
師匠の目線を追ってサクヤを探す。
――フロアの端に、いた。
オレに気付いたサクヤがちらりとこちらを見る。
一瞬だけ絡んだ視線をすぐに逸らされた。
踵を返してバルコニーに出ていく背中を見て、何かに急かされるような気持ちになった。
オレはエリカに短く別れを告げると、即座に後を追う。
師匠も隣のエイジに声をかけ、ゆっくりとバルコニーに向かっている。
バルコニーに先に辿り着いたのは、オレだった。
オレの背中で、フロアの扉が閉まった瞬間。
――真横から、白い手が伸びてきた。
首元を押さえ込まれて、オレは息を詰まらせる。
「……知っていたのか?」
耳元でサクヤの低い声が響く。
手には武器らしいものは何もない。
その手が、あまりに柔らかくオレを捕えるから。
脅していると言うより、背中からオレを抱き締めようとしているようにさえ思えた。
何を問われているかは、すぐに分かった。
あいつらが来ることを知っていたのか? ――だ。
そんな質問でも。
サクヤと違って誓約のないオレには、嘘をつくのは簡単なことだ。
さっきだって、あんなにもぺらぺらと。
よくも舌が回ると、自分のことながら少し呆れる。
今だって、適当に嘘をついてやればいい。
知らなかった。
師匠と連絡をとる手段なんて、ないし。
今もあんたが心配だから、こうして追ってきた。
どうしようもないオレの戯言を。
きっとサクヤは信じるだろう。
それでも、ここで嘘をついたら。
オレは、絶対に自分を許せないと思った。
だからオレは、本当のことを言った。
――残酷で憂鬱で、希望のない真実を。
2015/07/25 初回投稿
2015/10/17 誤字修正