4 王宮へ向かう馬車
南の空に、見事な弓張月が見える頃。
大通りでサクヤと共に待っていると、向こうからきた馬車が、目の前に止まった。
隣のサクヤが自然に乗り込むので、オレも後に続く。
馬車なんて乗るのは、初めてだ。
はるか昔は、街道を走る乗り合い馬車なんてモノもあったと聞くが。
現在では、街道の乗り合い馬車は、幾つかの国にかろうじて残っているくらいだ。後は、行商人が使うような、荷物を運ぶ荷馬車か。
単純に馬車と言えば、街中でしか乗れない、貴族の乗り物のイメージが強い。
神殿が手数料で転移魔法を請け負うようになってから、国と国を繋ぐ街道が荒れ始め、乗合馬車は廃れた、と師匠から歴史の授業で教えられた。
それだと、街中を走る乗り合い馬車が廃れた理由が分からないので、何か他に理由があるのかもしれないけど。
どちらにせよ、初めての乗り物だ。
わくわくしながら扉をくぐると、先に座っているのは、見たことのある人だった。
サクヤが、自分の機嫌を反映した、限りなく低い声で紹介する。
「カイ。こちら、西側諸国屈指の大商人、レディ・アリアだ」
「……知ってます」
黒衣の貴婦人が、ゆったりとしたベルベット地のソファに、艶然と微笑みながら座っていた。
サクヤに紹介されるまでもなく、つい先日、湖の国であったばかりだ。
その纏う空気の恐ろしさも、記憶に新しい。
サクヤが、レディ・アリアから最も遠い、対角線上に座ったので、オレは仕方なく彼女の対面に腰掛けた。
妖艶なる女商人は、先日とは違うデザインの、しかし、これも黒のドレスを優雅に纏っている。
「お久しぶりね、カイ」
「こないだ会ったばっかだろ」
皮肉っぽく答えると、ますます嬉しそうになった。
相変わらず、その微笑む様には、いつ何をするか分からない危険な香りがある。
「そう言えば、聞いたわよ。あの後、大変だったらしいじゃないの」
「ああ、そうだよ! あんたの連れてたケイタとコウタがさ――」
「――まあ、あたしの知ったこっちゃないわ」
……え?
自分で振った話題なのに、切り捨てるのかよ?
何の為の話題なのか、悩ましいところだが。
単純に、「その件については、当方は関知しない」ということを、サクヤに伝えたいのだろう。
それならそうと、本人に向けて言えばいいのだが、それが言える素直なヤツは、こんなあこぎな商売はしていない。
それ以上、かぶせて話す度胸もないオレは、そのまま黙った。
隣の席のサクヤは我関せずとばかりに、走り出した馬車の外を眺めている。
……あんたが連れてきた協力者だろ。何とかしろよ。
頭の中で、揶揄してみたが、サクヤが口を開かないことも、まあ、予測済みだ。
今も、サクヤとレディ・アリアの間には、冷たい空気が漂っている。
この2人、このひね曲がった性格だけ見ると、割と気が合いそうなのに、何故か仲がよろしくない。
やっぱり、商売敵だからか。
ああ。似たもの同士過ぎて、同族嫌悪なのかも。
馬のいななきと共に、馬車は夜道を駆ける。
乗っていると、外から見ているよりも、意外に揺れることが分かった。
良かった、二日酔いが治ってて。
もしも、昼頃の状態のままだったら、この揺れと嫌な空気のダブルパンチをくらって、今頃、馬車の中は大変なことになっているに違いない。
ひたすら走る馬車の中で、相変わらず、サクヤもレディ・アリアも、自分からは口を開かない。
あまりにも馬車の空気が悪いので、少し考えて、オレが話を振ることにした。正面のレディ・アリアに向かって、声をかける。
「なあ。この――蔵の国、獣人排斥政策をとってるんだって?」
「らしいわね。あたしがちょっと放っておいた間に、勝手なことしやがって。このままじゃ商売上がったりだわ」
憎々しげに言う様子は、どうやら、嘘ではなさそうだ。
この国の特殊な政策は、国外には表沙汰になっていなかったのだと思う。
奴隷商人であるサクヤも、レディ・アリアも、最近知った様子だ。
まあ、徒歩で世界中をうろうろしながら、自分の探したいモノだけを探しているサクヤなんかは、アレとして。
レディ・アリアなんか、裏情報をばんばん入手して、情勢の変化で利益を出しているのだと思うのだが。
「この国に獣人が輸入できなくなったのは、この数ヶ月位の話なのよね。それも、ある日突然。国中で、ほぼ一斉に。随分、準備のよろしいことだわ」
「あんたは、いつ知ったんだ?」
「いつってだけ言えば、まあ、開始から一月以内には知ったわよ。取引が上手く行かないって、報告が上がってきたから。でもさ、そんな政策、メリットないじゃない。何かの間違いじゃないの? って、放っておいて、定例の夜会の準備してたら、ようやく今になって、マジやばいじゃんって」
「……なるほど。知っていて、何ヶ月も、みすみす放置していた、と」
サクヤが、窓の外を見たまま、鼻を鳴らした。
あんた、さっきまで黙ってた癖に、何でそういう嫌な突っ込みだけ、入れるんだよ。
レディ・アリアが、悔しそうに顔を顰める。
「そう言うあんたはどうなのよ?」
「俺は知らなかった」
サクヤは堂々と答えるが、その答えは、威張れないと思う。
オレが溜息をつくと、レディ・アリアも、同じことを考えたらしい。
「知らない方が、商人としては、失格なんじゃないの?」
「この辺りは、俺のテリトリじゃない。お前のだろ」
「そうよね。あんたのテリトリは、古代王の国以北の、未開の地だもんね」
ぴり、と空気が震えるように、緊張した。
おい、あんたら。こんな狭いところで、喧嘩するの止めろよ。
しかも、オレを挟んで。
「カイ? こんな、情報リテラシーが低いヤツ見捨てて、あたしのところに来た方がいいんじゃない? 損はさせないわよ」
レディ・アリアに、にっこりと微笑まれて――。
一瞬。
見透かされたような気がした。
オレが、サクヤを裏切っていることを。
すぐに、気にしすぎだと、気付いて。
ちらりとサクヤの様子を伺ったが、引き抜きをかけられているサクヤさんは、我知らぬ顔で、相変わらず窓から外を見ている。
仕方なく、自分で返事をした。
「……間に合ってます」
「そう? あたしが頑張って開拓したルートを、しれっとした顔で使うようなヤツよ?」
「……対価として、今度、雪の国の女王に紹介する。それでお前も納得したはずだろ。黙って乗せろ」
「あんたが、もうちょっと可愛らしくしてりゃ、そりゃ乗せるのは吝かじゃないわよ」
「確定した取引に、後から条件追加するな」
「条件なんてもんじゃないわよ。もうちょい感謝しろっつってんのよ」
「取引は対等だろ。片方だけが感謝する必要があるか?」
「……あの、2人とも、せめて目を合わせて話しろよ」
お互いに、視線も合わせずに会話を交わすのは、止めてほしい。
せめて、この逃げ場のない密閉空間では、仲良くしてほしいのだが。
会話から察するに、レディ・アリアが、この国の状況のおかしさに気付いて、調査に乗り出したところへ、サクヤが便乗したようだ。
お互い商売敵ではあるので、友達と言うのとは違うが。
別の言い方をすれば、同業者。協調できるところは共闘し、競うべきところは勝負をかける。非常に、メリハリのついた関係らしい。
ええ。こうして、馬車に同乗している間も、メリハリと緊張感のある空気で何よりですよ。
「あんた、この国に他に知り合いはいないわけ?」
「知り合いがいなかったら、お前が来てることも気付けないだろが。それでもお前を選んでやったんだから、お前こそ感謝しろ」
……どうでもいいけど、こいつら、他人の目がないと、言葉が雑だな。
そのドレスとスーツに合う言葉遣いをしてほしい……せめて、もう少しでいいので。
「ふん。前日にねじ込んできて、恩着せがましい」
「ああ、良いエスコート相手が見つかって、良かったな」
「エスコート相手なんか、とっくに決まってたわよ! こんな直前に、あたしがどんだけ頭下げて、断ったと思ってんの。いっそ、あんたもドレス着りゃ良かったのよ!」
「それじゃあ、変態だろうが!」
「あんたの場合、こんなスーツ着てる方が変態に見えるわ!」
「……あの、やっぱり、あんたらは、目を合わせないでください」
どんどんエスカレートする言い合いに、オレは2人の間に割って入った。
目を合わせて喋ろうとすると、喧嘩になるらしい。
……あんたら、野生の動物かよ。
オレが間に入ったことで、レディ・アリアの注意がオレに移った。
「……で、カイの今日のコンセプトは何なのよ。あたしは、前回のみすぼらしい格好が気に入ってたのに」
そんなの気に入られても、全く嬉しくない。
が、確かに着慣れない燕尾服なんてものを着ていると、非常に窮屈な感じがする。
しかも、生地はサクヤの着ているものより上質のものだ。着ている人間がオレなので、大して見栄えは良くないが。
「カイには、どっかの小国の第何番目かの王子の振りでもしてもらおう。同じ階級だと思えば、口も軽くなるだろうし。今日、社交界デビューする、同年代のヤツらだけ狙え」
どっかの小国って何だ。
指示がアバウト過ぎる。
若手を狙えと言うのは、若い世代なら適当に誤魔化せるだろうということなのだろうが。
それにしたって。
いつもは、従者として連れ回すのに、今日に限って何なんだ。
「王子サマの振りなんて、オレより、あんたの方がよっぽどハマるだろ……」
「否定はしない」
――いや、そこは否定しろ、礼儀として。
思わず突っ込みを入れる前に、サクヤが、小首を傾げて、言葉を続けた。
「――でも俺に、そんな器用なことができると思うか?」
それは、レディ・アリアの耳を意識して、軽く誤魔化してはいるものの。
姫巫女の第一誓約のことを、指していると、すぐに分かった。
……そう言えば、サクヤの場合、器用、不器用以前に、嘘がつけないんだった。そうか、身分を偽ることも出来ないのか。
普段、うまく言葉を省略したり、勝手に相手の誤解を促したりして、うまくやっているので、なかなか気付きにくいが。その誓約、やっぱり面倒だ。自己紹介の時に、「オレは蔵の国の王子です」って言ってしまうと、もうそれだけでアウトだもんな。
よくよく、今までのことを思い出す。
街への入門の手続き、なぜいつもオレに奴隷商人の役をやらせるのか。
ただ単に、面倒なんだろう、くらいに思っていたのだが。それだけじゃなくて、嘘をつけないから、自分は喋らなくていい側に回ってたのか。
――この人、よくこれで商人なんかやってるな。
商人のイメージとして、すぐに思い浮かぶ「口八丁」が、出来ないワケだから、結構な枷になると思うんだが。
「へえ、カイが王子様ね。全然見えないけど、ど田舎で遠方の、氷の島の第八王子ってことにしとけば、いいんじゃない。どうせ、誰も知らないだろうし。誰の紹介か聞かれたら、あたしの名前出していいわよ」
レディ・アリアが、オレに向かってにっこりと微笑んだ。
あちこち気になる物言いはあるが、非常にありがたい助け船であることは事実だ。
サクヤの方を見ると、オレを見る瞳が、そこはかとなく揺れているような気がした。それもしばらくすると、落ち着いて、小さく頷いてきた。
その姿に、何か引っかかるものを感じたが、情報が少なすぎて、サクヤの気にしていることを把握できない。
とりあえず、レディ・アリアに答えを返す。
「じゃあ、ありがたくそうさせてもらうよ」
答えると、レディ・アリアが、舌なめずりをした。
どうやら、オレとサクヤのアイコンタクトに、何か思う所があったらしい。
「お返事に、ちょっと時間がかかったわねぇ。そこのバカより、色んなことが見えてるようだけど。ねえ、サクヤ。この子あたしに頂戴。そうしたら今後も、もう少し便宜を図ってあげてもいいわよ」
この子、というのが、オレのことであることは、その楽しそうな視線を見る限り、一目瞭然だ。
――何だそれ、何であんたも、オレなんかを。サクヤに対する嫌がらせか?
サクヤがうんざりした様子で、答えた。
「やろうにも、それはまだ、俺のものじゃない」
まだ、に微妙なニュアンスがかかっている。
レディ・アリアも、その言葉の含みに気付いたようだ。
「あら。じゃあ、今なら、あんたに断らなくていいのね」
レディ・アリアの赤い唇が、艶々と光った。
サクヤは、何も答えず、窓の外へ視線を向ける。
その瞳を追いかけて、外を見ると、馬車は丁度、城門をくぐるところだ。
ついに、王宮まで到着してしまったことに気付いて、オレは、小さく息を吐いた。
あんたは、確信してるのか?
オレがいつか、あんたのモノになるって?
どういう意味で、言っているのかは知らないけど。
あんたが、堂々と胸を張って、「これは俺のものだ」と宣言するところ。
もしかしたら、オレも、少し見たかったかもしれない。
――でも、それも、今となっては、夢物語だ。
馬車のスピードが徐々に落ちていくのを感じて、オレは、息を吐いた。
2015/07/23 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更