3 その一瞬を切り取りたい
あんたに会いたくないから、宿に戻らなかったのに。
何で、結局見付けてしまうんだろう。
いや、そもそも、あれだけ気を付けろと言ったのに、この人だかり。
この人、本当にどこにいても、厄介事と切り離せないらしい。
人垣の隙間から覗いて見ると、サクヤと対峙しているのは、人相の悪い1人の男だった。
2人は何か話しているようだが、さすがにこの距離では、人が邪魔で声が聞こえてこない。
オレは、近くの人に尋ねてみる。
「あのさ、これって、何の騒ぎなの?」
「おお、良く分かんねぇが、あの美人がさ、絡まれてるらしいぞ」
「いやいや、絡まれてるどころじゃねぇって。あの男は、この街の裏の人間だ。このままじゃ、お姉ちゃん、連れていかれちまうぞ」
見た目だけで、サクヤが女に間違えられてるのは、デフォルトとして。
ただ絡まれているだけなら、サクヤなら、こんな相手、万に一つも問題ないはずだ。
一瞬、このまま放って置こうかという気も、しないではなかった。
――そもそも、会いたくないのだ。
きっとサクヤは、オレが裏切ったなんて、事が進むまで気付かない。
王宮で師匠が待ってるなんて、知らないままだ。
だから、顔を合わせれば。
いつものように、嬉しそうに笑うだろう。
その顔を、見たくない。
そうして、喜ばせて。
その瞳が、今夜、どう変わるかなんて、知りたくない。
オレは、踵を返しかけて――それでも足を、途中で止めた。
今、一番見たくないその表情は。
もしかしたら、明日には、例え望んでも、二度と見れないかもしれない。
今夜の師匠の企みがうまく行こうが、行くまいが。
サクヤだって、裏切り者の顔なんて、見たくないに違いない。
だから、これが最後かも。
あんたが、笑ってくれるなんてことは。
――それなら、覚えておかなくては、と思った。
後から、それを、ひどく非難されることになったとしても。
どこか、挑むように。
オレは、人を押し退けながら、人垣の中央に近付いていった。
近付くに連れて、サクヤの声がオレにも聞こえるようになってくる。
「……俺も、そんなに温厚な方じゃない。いい加減にしないと、叩きのめすぞ」
ああ、サクヤさんったら、既にキレてらっしゃる。
あんた、『温厚じゃない』どころの話じゃないぜ。
怒った顔も美人だけどさ。
フードを被っていないので、さすがに、こんな街中で魔法を使うことはないだろうが、既にサクヤの姿勢は戦闘モードに入っている。
その顔は、無表情の内に、飛びかかる瞬間を計っているときの顔だ。
「ちょっと付き合ってくれ、って言ってるだけだろうが。こっちが優しく言ううちに、言うこと聞いときゃいいものを」
「――それは、こっちの台詞だ」
男の言葉に、サクヤは長い息を吐いた。
吐き切った息を、次に吸う瞬間。
一気に踏み込んで、距離を詰めた。
向こうは、まだ言葉で脅しをかけるつもりだったらしい。
そんなスピードの突撃が、来るとは思っていないだろう。
男にとっては、恐ろしい程の不意打ちだ。
驚いた顔の男の胴に、踏み込みの勢いを使った、サクヤの回し蹴りが飛ぶ。
突然の大技だが、男の方も、なかなか腕は立つらしい。
予想外のタイミングでも素早く反応し、胴を腕でガードした。
しかしサクヤは、それさえも、次の攻撃につなげる。
ガードに左足がかかると、その足を土台にして、更に回転しながら跳ねる。
男の顔が真横に来たところで、右足で、追い掛けるような回し蹴りをかけた。
対応しきれなかった男は、例のブーツで顎を思い切り蹴られて、そのまま吹っ飛んだ。
跳んできた男の身体に、何人かの観客が下敷きになっている。
まあ、喧嘩の観戦をしようというようなヤツらだから、そこは覚悟してるだろう。
すとん、とサクヤが地面に降りる。数秒遅れて、長い髪が、ふわりと落ち着いた。
一瞬の静寂の後。
開始数秒で片のついた立ち回りに、周囲から一斉に歓声が上がった。
小柄な美人が、大柄で乱暴な男を倒したことで、観衆は湧き上がっている。周辺から、やんやの喝采があがる。
サクヤは、観衆を無視して、始めたときと同じように、深い息をついて、残心している。
ふとその視線が上がり、ようやく近くまで来れたオレと目が合った。
――予想通りの軌跡で。
その唇が、緩く引き上げられるのを見て。
胸が、痛んだ。
興奮気味に、肩を叩こうとする観衆を無視して、サクヤは、オレに近付いてくる。
「おう、ねえちゃん、やるじゃねぇか!」
「よくやったぜ!」
「見事だな、すげぇぞ!」
次々に求められるハイタッチの姿勢やら、声掛けを全て放置して、オレに尋ねた。
「気分はいいのか?」
「まあ、寝起きの時より、多少は」
そんな会話の合間にも、知らないヤツがどんどんサクヤに声をかけてくる。
祝い酒とばかりに、グラスを押し付けてきたおっさんの手を、容赦なく払いのけた辺りで、さすがにサクヤは眉をひそめた。
「少し場所を変えよう。ここは騒がしいから」
……誰のせいだよ。
と、指摘したとしても、良い返事が戻ってくる気はしないので、オレは、黙って頷くことにした。
サクヤが、観衆の隙間を縫うように、先を立って移動する。
その背中で揺れる金髪を見ながら、オレは今のサクヤの動きを思い返す。
やはりサクヤは、反応速度がずば抜けて早い。
柔らかい身体をフルに使った、予想外の動きは、相手の対応に素早く反応できるからこそ、活きる。
例えば、気配察知にしても。
周辺の気配を感知するのは、実はオレも、そこそこ得意で。
知覚するタイミング自体で言えば、サクヤと比較しても、オレの方が早い位かもしれない。
それなのに、オレとサクヤで何故、動きに差が出るかと言うと。
サクヤは、感知した後の対処が、恐ろしく早いのだ。
それは、多分、単純な繰り返しの問題だ。
あらゆるパターンに対して、訓練を重ねることで得られる、反射の速度向上。同じだけ練習すればオレにも出来ると、言ってしまえばそうなるが。
同じだけの練習というのが、いかに膨大な量を指すことか。
長い命を、サクヤが何に使ってきたか、そして、それがどれだけ大変なことかは、容易に推測できた。
多分、やっぱり。
オレには、同じことは出来ない。
そこまでの、一途さは、オレにはない。
マジメで、一途で、一生懸命で。
口が悪くて、横暴で、自分勝手で。
そして、人のことをすぐに信じて、身内に甘い。
――そういう人だと、もう知っている。
サクヤは、道の脇に喫茶店を見付けると、オレの了承を待たずに、さっさと入って行った。
一度も振り返らないのは、ついてくることを疑っていないからだろう。
席に案内されるやいなや、勝手にコーヒーを2つ頼んで、ようやく落ち着いた。
足を組んで、深く椅子に座り込む姿は、もう、しばらく立ち上がる必要はないと、安心しているようだ。
勝手に、と言っても、コーヒーを頼んでもらったオレに否やはない。
そもそも、全部サクヤの金だし。
ちなみにオレは、もともとコーヒーなんてほとんど飲まなかったのに。
サクヤと一緒にいるようになってから、摂取量が爆発的に増えている。
コーヒー大好きっ子のサクヤさんのせいで。
サクヤが、疲れたように小さく息を吐いた。
落ち着いたところで、オレはさっきの相手について聞いてみる。
「お疲れさん。さっきのは、何だったんだ?」
「知らん。勝手に絡んできた」
相変わらず、返答は大雑把だ。
敵が多いので、面倒な相手は叩き伏せたらおしまい、というスタンス。
肘掛けに、気怠そうに肘を突くサクヤは、絵のように綺麗で、まあ、絡まれるのも致し方ない、と少し思う。
窓から差し込む日の光が、その金髪をきらきら輝かせるので。
ただし、気怠いなんてのは、見てるこっちが勝手に美化しているだけで、どうも本人は、眠気を我慢しているだけのようだった。
前回の就眠時刻からは、既に30時間を過ぎている。
昨晩、精力的に活動していたので、それが祟っているというのもある。
夜会の出席を取り付けるのが、こんなに疲れるくらい大変だったというのもあるだろう。
「そう言えば、今夜は夜会に行くって言ってたよな。何の集まりなんだ?」
「貴族の子女のお披露目みたいなものかな。若い世代が多いから、俺達が紛れていてもそう目立たない。商人も売り込みに行くのが普通だから、俺も嘘をつかなくてすむし。今夜は、上位の貴族も一応は来るらしい」
運ばれてきたコーヒーに、早速口をつけながら、その合間に、答えが返ってきた。
ふーん、と思いながら、オレも自分のコーヒーに手を伸ばした。
しかしこいつ、本当にコーヒーばっかり、良く飲むなあ。
モノを食べない分を、コーヒーで発散してるのか?
じっと見つめているオレに気付いて、サクヤは、コーヒーカップ越しの視線で、言葉を促してきた。
「あんた、コーヒー好きだよな」
「……そう言われてみれば、良く飲んでるような気もしてきた」
しかも、自分で気付いてないのかよ。
気がするレベルではなく、本当にしょっちゅう飲んでいるのだが。
飲まないのは、移動中くらいだ。
一応、いつも持っている水筒には、コーヒーではなく、水が入っていることは確認済み。
それでも、街に寄った時などで、コーヒーが飲めるタイミングがあれば、欠かさずに飲んでいると言っていい。
「いや、癖みたいなもんだよ。品質に違いがあるのを気にしなければ、どの町でも大体あるし。好きかと言われると……ちょっと、良く分からない。豆を選んだり、挽き方にこだわって飲む訳でもないし」
「そんだけ飲んでて、好きじゃないことはないから、大丈夫だろ」
「そんなもんだろうか」
オレの言葉に、サクヤは、どこか安心したように、コーヒーに再び口をつけた。
その様子は、やっぱり、コーヒーが好きなようにしか見えないので、オレは、何となく笑ってしまう。
こんな時間は、もうこれが最後だと、分かっているのに。
きっと、明日には、この人から軽蔑されるしかないだろうに。
それでも、この姿、空気、全部覚えていたい。
――祈るような気持ちで、瞳を閉じた。
2015/07/21 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更