2 小一時間、問い詰めたい
カスミはまだ笑いが時々込み上げてくるようだったが、口では一応「悪かったよ」と謝ってくれた。
しゃがみこんでいるオレに手を差し出してくる。
業腹ではあるが、怒っていても仕方がない。吐き気がおさまってきた頃合いで、その手を取って立ち上がった。
「まあ本当のところ、最後まではいってないだろうし。でも、あたしもあの子猫ちゃんも見てたワケじゃないから、どこまでやったかは本人に聞くのが一番だね」
子猫ちゃん、というのが誰を指してるのか、しばらく考えた。
そして該当しそうなのが1人しかいないことに気付いた。あれが子猫ちゃんなら、ずいぶんやさぐれた黒猫だと思うけど。
今日のオレは残っているアルコール成分のせいか、頭の回転が遅い。人の言葉を理解するのに随分時間がかかることを自覚した。
……そうだよ、待ってくれ。
最後までいってないって……途中まではいってるのかよ。
何やってんだ、昨日のオレ。
こんなんなら、もう絶対酒は飲まない……。
何より記憶が定かでないことに一番落ち込んだ。
カスミがくつくつ笑いながらも歩きだしたので、頭を垂れてその横を歩く。
あまりに楽しそうな様子に一言言いたくなった。
「そんなに面白いかよ。あんたとサクヤは古い友達なんだろ。友達のゴシップなんてそうそう聞きたいモノか?」
「……おや、何でそう思った?」
カスミの眼がきらりと光る。
どうやらオレの言葉に興味を持ったようだが、何を問われているのか、酒漬けの頭ではうまく判断が出来なかった。
黙っていると、にやにやしながら言葉を重ねてくる。
「あたしとサクヤが古い友達だなんて。さすがに良く観察してるねぇ。まあ、悪友か……いいとこ戦友かね。戦友なのはもう15年も前の話だけどさ」
ああ、それが聞きたかったのか。
ようやく理解したけど、さして面白い答えがあるワケではないから、オレは沈黙を貫いた。
何でもくそもサクヤは身内とソレ以外の対応を明確に分ける。カスミが完全に身内の範疇に入ってることは、すぐに分かった。
それだけのことだ。当たっても別にすごくもない。
サクヤについて少し予備知識があれば、誰でも分かる。
頭の鈍ってる今のオレでさえ、分かってしまうのだから。
現在、オレの頭はマルチタスクを放棄している。
言われた言葉を、大分遅れをとりながら、最初から順に噛み砕いている。
だから、カスミの『さすがに』に込められた皮肉に気付いたのは、かなり時間が経ってからだった。
その頃には、もう、言い返すようなタイミングでもなくなっている。頭の中だけで、文句を言った。
……くそ。そんな言われるほど、見てねぇよ。
そして、更にその後に、『戦友』という言葉に辿り着いた。それについて聞こうと思ったときは、既に、町外れの墓地に到着したところだった。
毎日通う、娘の墓だ。さすがにカスミは、目的の場所を完全に覚えていて、脇目もふらず、まっすぐに進む。
しばらく歩くと、1つの小さな墓石の前に、墓の大きさにそぐわない大きな花束が置いてあった。花束はまだ新しく、来る途中にあった花屋のロゴの入ったリボンが巻かれている。
その墓石の前で立ち止まって、カスミは首を振った。
「……あのバカ。そんな金があったら、宿に入れろって言ってんのに。あんたからも、言っておいて」
その様子は、言葉とは裏腹に、少し嬉しそうに響いた。
きっとこれは、サクヤが昨日置いたものなのだろう。
花の種類も色もバラバラに包まれている為に、花束は全くまとまりがなかった。
この感じだと、サクヤが自分で選んだんじゃないか。
あまりにも、センスのない花の組み合わせだ。花屋の意見を少しでも聞けば、ここまでひどくはならないはずだ。
その花束を見ながら、ふと。
もしかすると、店の花を片っ端から、1本ずつ詰めていったのかもしれないな、と気付いた。
あの白い指先で。
1つ1つ。
無器用に、丁寧に。
花を手に取る姿が、目に浮かぶようだった。
墓石には、『遠野 雪』と、彫られていた。
――12才。
死ぬには、まだ幼い。
「ユキはさ、あたしが20才の時の子で」
カスミが、墓にかかった一枚の葉っぱを拾いながら、呟いた。
オレは無言で頷く。
「仕方ないから、傭兵団を止めてさ。宿の女将になって。生んで見たら、これが可愛くてさぁ。サクヤもそうだけど、昔の仲間はみんな、ユキにメロメロさ」
ぽつり、ぽつりと話すのは、語り慣れていないからか。
オレは、頷く。
「10才の時に、攫われた。1年かけて、サクヤが探してくれて。見つかった時には、ボロボロだった……」
カスミの声が小さくなった。
オレは、カスミの方を見ないままに、三度、頷く。
「それでも、『ママに会えて良かった』って。最後に1年過ごせたのは、良かったのかもしれないけど。結局、犯人は、傭兵時代のあたしを恨んでるヤツだった」
声は小さいが、震えてはいない。
手の先で、拾った落ち葉を弄びながら、続ける。
「そいつも、もう生きてるかどうか。さすが奴隷商人だよね。サクヤがどっかに売っぱらっちゃったらしいよ。こういうのを、因果応報って言うなら、またあたしにも回ってくるのかも知れないけどね……」
オレは、ただ頷くだけだった。
――何が言えるというのか。
子をなくす親の気持ちどころか、親を思う子の気持ちすら知りはしない。
それでも、誰かを大切に思う気持ちは知っているから。
だから、何も言いたくない、と思った。
――軽々しい慰めなどは。
「あんた、もしかしたら、心配してるかも知れないけど、別にサクヤはユキの父親じゃないからね? サクヤだけじゃなくて、あの頃の仲間はみんな、ユキの事が好きでさ、程度に差はあっても、どれもあんなもんだ」
「いや、そんな心配はしてねぇから」
「ひゅーぅ。信じてるんだね」
――違う。
信じるとか、信じないとかそういうことじゃない。
姫巫女にそんなことがあり得るはずがない、というだけだ。
これも、サクヤについての知識の量によるものであって、信頼とか、そういうのは一切関係ない。
断じて、そういうことじゃない。
……と、説明しようとして、心配する必要すらないことに気付いた。
サクヤがどこで子ども作ろうが、オレが口を出すことじゃないんだった。
オレの表情の変化が面白かったらしく、カスミがこちらをにやにやと見ている。
オレは、ようやく、さっきの質問を思い出した。
「……あんたら、同じ傭兵団にいたのか」
「そうだよ。サクヤは、傭兵っていうのとはちょっと違うけど。それに、今は青葉の国がごたついてるから、しばらくは、あそこには行かないって言ってたなぁ」
――青葉の国。
サクヤの近くで、その名が出てきたのは、これで3回目だ。
1度目は、双子執事の、ケイタとコウタの口から。
2度目は昨日。アサギは、青葉の国の神官だと言っていた。
「あんた、青葉の国の傭兵だったのか?」
「あたしはそうだけど、あんたが聞きたいのはサクヤのことだろう? サクヤは、王様の伝手でさ。あんた、サクヤの武器って見たかい?」
武器? 思い当たるのは、針のことか、魔法のことか。
どちらも知っているので、オレは、頷いた。
「じゃあ、言うけど。あいつの魔法は凄いよね。あたしも、何度も助けられた。あんななら、お抱えになればいいのに。他の奴には見せたがらなかった。そう、あんたは知ってるんだね……」
知ってるだけだ。
そんな、何かを期待するような眼は止めてくれ。
カスミも。
アスハの親父も。
トラも。
――オレが、サクヤを大事にする前提で、話をするな。
オレなんか、いつまでサクヤと一緒にいられるかも分からないのに。
「青葉の国の王様も知っててさ。あいつの本職は奴隷商人だろうけど、何かあると、王様に頼まれて参戦してたよ。うちでずっと働かないかって、何度もスカウトされたって」
「ふーん」
ことさらに、興味ない風に返事をした。
その様子を、カスミは勘違いをしたらしい。
からかうような口調で、先を続ける。
「ああ、最近は王様だけじゃなくて、王子様がうるさいって言ってたなぁ。そろそろ、継承戦に巻き込まれるから、あの国には近付かないって言うんだから。欲が無いって言うか、何て言うか」
ふと、話の中に、以前聞いた単語が出てきたことに気付いた。
あの、双子執事と戦った時に、サクヤが言った言葉だ。
「……継承戦……」
「そう、聞いた? 青葉の国はさ、王位継承者を試合で決めるんだ。王子様方が、腹心の部下をジャンルに分けて試合させるんだって。そんで、最終的に強い部下を多く抱えてる王子様が、次の王様になるって寸法さ。もう10年若ければ、あたしも王子様達のどれかに、声をかけられたかもね」
「別に、声をかけられるのは、美人だから、じゃないんだろ。お妃サマを探してるんじゃないんだから」
「おーや、言うねぇ、君ぃ!」
いっそ、嬉しそうな位に明るく突っ込まれた。
昨日、宿に行ったばかりの時は、何という愛想の悪さかと思ったくらいだったのに。
今は、サクヤの話で、オレが不機嫌になるのが、楽しくて仕方がない、という様子だった。
嫉妬とか、そういうモノじゃないんだ、と言いたい。
でもきっと、言っても更にからかわれるだけなので、もう何も言わないことにした。
それに多分、サクヤのこととは別に、自分の娘――ユキの話をしてしまったので、少し、興奮しているというのもあるのだろうと思ったし。
でも、結局、カスミも。
オレに期待しているんだろ?
オレは、きっと、その期待に応えられないのに。
「あー、くだんないこと、いっぱい話しちゃったね。まあ、あたしは、サクヤには、割と恩があるってことが言いたかっただけ」
黙っているオレを見て、さすがにからかい過ぎたと、多少は反省したらしい。
カスミは、ぐるぐると肩を回しながら、「帰ろっかね」と呟いた。
「気分はどうよ?」
「身体的には、だいぶマシ」
――精神的には、さして変わらない。
いっそ、起きたばっかの時の方が、考えるつもりもなくて、良かったかもな。
墓地の入り口で、カスミが重ねて聞いた。
「じゃあさ、こっから、1人で帰れるかい?」
「帰れると思う」
「あたし、サクヤに頼まれた洗濯屋に寄っていくよ。これ。密封してあるけど、開ければあんたのゲロの匂いがすると思うから、先に帰ってな」
カスミが肩にかけていたのは、オレが汚したサクヤのマントらしかった。
親切で言ってくれてるのだろう。気分がマシになったと言っても、吐瀉物の匂いで、またダメになる可能性があると考えて。
オレは、渡りに船とばかり、頷く。
墓地の入り口で、カスミと別れ、その後ろ姿を見送った。
カスミの背中が見えなくなってから、ポケットからペーパーバードを取り出した。
くしゃくしゃのメモ用紙は、まるで、今のオレみたいだ。
頭は痛いし、喉は痛いし、体中、だるくてぐしゃぐしゃな気分だ。
迷いながら。
深く考えられないのをいいことに。
震える手で、書き込みをした。
『こんや、やかいで』
拙い文字だが、師匠なら理解してくれるだろう。
ぴり、と千切った紙を、投げるかどうするかで、また手が止まった。
ところが、止めたはずの手は、二日酔いで力が入らなくて、指先から紙切れが勝手に落ちてしまった。
地面に触れる直前で、紙切れは小鳥に変わり、高く飛び上がっていってしまった。
その羽ばたく姿を見上げながら、思う。
――これで、終わりだ。
何も、決めない内に。
サクヤの誘いには、答えてないからって。
自分の手も、汚さずに。
紙切れは、勝手に落ちただなんて。
……言い訳がましくて、自分のことながら、嫌になる。
とりあえず。
これでオレの任務は終わった。
後は、師匠と合流するだけだ。
どうしても振り切れない、サクヤへの罪悪感を持て余しながら、オレは宿とは反対の方へ向かって歩く。
宿で寝ているはずのアキラの顔を見る気にもならないし、何より、サクヤに会いたくなかった。
勿論、サクヤを油断させる為には、最後まで、知らぬふりで一緒にいなければならない。
でも、宿に戻るのは、もう少し気持ちが落ち着いてからにしようと思う。
サクヤは既に、オレを、身内のカテゴリーに入れている。
明らかにオレと2人でいるときは、リラックスしているし、聞けば大抵のことは教えてくれる。
トラやカスミのように、サクヤの秘密を知っているヤツからも、色々と教えてもらえるのは、サクヤが口止めもしていないからだ。
もともと、警戒心の薄いヤツではあった。
でも最初の頃のそれは、オレが大して強くもなく、サクヤにとって脅威ではないからだ。
――今は、違う。
これだけ情報があれば。
オレは、サクヤを攻略することが出来る、と思う。
サクヤをどうすれば無力化できるか、思い当たる方法も幾つかある。
実際に試してみないと、はっきりとしたことは言えないが、隙を見て捕獲することも、二度と目覚めないようにすることも、出来る。
サクヤにとって、逃げようのない手段で、その心を縛る方法もある。
それなのに、サクヤは、オレを全く疑わない。
これが、油断でないとしたら何だろう。
――信頼、とは、呼びたくなかった。
オレは、師匠に恩を返すと決めていたのに。
絶対服従なんて冗談混じりに言われてるのに。
弟子として、ずっと側にいようと思っていたのに。
何で、そんなに無防備なのか。
許されるなら、小一時間、膝詰めでサクヤを問い詰めたい。
そんなだから、オレなんかに、裏をかかれてしまうんだよ。
思い悩みながら歩いていると、大通りが騒がしいことに気付いた。
通りの中心付近に、人が集まっている。
何事かと、人垣の端から覗くと、人だかりの中央にいたのは、サクヤだった。
よりによって……一番会いたくない時に。
どうしたって、この人は、目立って仕方ない人なのだと、溜息と共に理解した。
2015/07/19 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2015/11/15 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更