1 あたまがいたい
窓から差し込む光が眩しくて、眼が覚めた。
ここはどこだろう。
頭ががんがんと痛んで、集中して考えることが難しい。
風邪でもひいたのだろうか……ああ、吐き気もする。
喉がカラカラになっていることに気付いて、起き上がろうとした時に、部屋の隅の人影に気付いた。
サクヤが壁に背をもたせて、コーヒーを飲んでいる。いつものマントも羽織らず、白いシャツと黒いスラックスのシンプルな姿だ。
オレが起きたことに気付いて、こちらに歩み寄ってきた。
「起きたか」
気が利くことに、枕元の水差しから水を汲んで、コップを渡してくれる。
ありがたく受け取って、一気に飲み干す。
胃の気持ち悪さが少しだけおさまった気がした。
「ここ、どこだっけ? 何か頭が痛くて……」
「覚えてないのか?」
オレが頷くと、唇に指を当てて、考えるような素振りをされた。
しばらく黙った後に、ふと、全く関係のないことを言われる。
「今夜、王宮で夜会がある。お前にも一緒に来て貰うから、夜まで寝てろ。準備はしておいてやるから」
王宮――ああ、そうだ。
オレは、この国の王都に来てるんだった。
王宮という言葉で、昨日の夕方のことを思い出す。
アサギに会って、師匠とエイジから伝言をもらったこと。
きちんと考えなければいけないのだが、頭が痛すぎて、集中できない。
その後で、サクヤのメモの通りに、宿屋を借りたところまでは、薄ぼんやりと思い出した。
ただ、そこから先が、今一つはっきりしない。
何だか、すごく良い事と、すごく嫌な事があったような気がするんだが。
「……ここは、王都の宿屋、で、いいんだよな?」
黙ったままサクヤは頷く。
それ以上は、何も言わなかった。
突然話題を転換した上に、黙っているということは、サクヤはもう、このことについて話すつもりはないのだと思う。
重ねて聞いたところで、「答えたくない」とはっきり言われるのが落ちだ。
「アキラはどうした?」
「諸用」
簡潔な回答が返ってきた。
とにかく、ここにはいないらしい。
「気が済んだら、もう少し寝ろ。頭、痛いんだろ」
サクヤの手が、オレの頭に優しく乗せられる。
……あれ?
そう言えばサクヤは、昨日まで、徹底的にオレを避けていたはずだ。
それなのに、いつの間にか、また普通に会話をしている。
やっぱり、昨日、何かあったような気がするんだが。
――ダメだ。思い出せない。
それ以前に、頭が痛すぎて、あまり深くモノを考えられない。
「夜会では、酒も勧められると思うが……お前は飲むなよ」
オレの髪を撫でながら、サクヤが唐突に呟いた。
――酒?
何かが脳裏をかすめたが、そのまま流れていってしまった。
記憶を取り戻すことに集中できない。
オレは、思い出すことを諦めて、もう一度毛布にくるまった。
サクヤの言う通り、もう一眠りしようと決めた。
その途端に、どたどたと、でかい足音が近づいてきて、乱暴に扉が開く。
「あー、眠いっ。おい、大体片付いたぞ。やっぱり人使いが荒いんだな、姫は」
――騒がしい。
何て、タイミングを読まないヤツだ。
アキラの声が部屋と、頭の一部にガンガン響いた。
アキラの言葉自体は、昨日までと同じように、文句を言っている。
だが、声の雰囲気からすると、嫌そうな様子ではない。どちらかと言うと、『姫』に使われるのが、何となく嬉しいような……。
近寄ってきたアキラが、オレの腹の横辺りで、ベッドに腰掛けた。
「疲れたわー。おい、もう寝てもいいんだよな?」
「……カイ、空けてやれ」
サクヤに言われたので、じりじりと動いて、ベッド上のスペースを詰める。
大きく動こうとすると、胃の気持ち悪さが我慢できない。
動いたオレに、アキラが、驚いた声を上げた。
「何だ、起きてんのか。全く、お前のせいで、こっちは散々だったんだぞ」
「オレのせい?」
「覚えてねーの? お前ときたら……」
「――言わなくていい」
うんざりした表情のアキラを、サクヤが制止した。
ぴたりと言葉を止めた後、ふーん、と鼻を鳴らして、アキラは意地悪そうに笑う。
「まあ、カイの失態について、話そうとしたら、姫が何されたかも、教えてやらねーと、だよな」
「姫は止めろって言っただろ」
「姫巫女なんだから、姫でいいじゃん」
言い合いを聞いていて、おや、と思う。
オレが寝ている間に、ずいぶん仲良くなったらしい。
内容は口喧嘩だが、そもそも昨日までは、この2人、ほとんど話もしなかったのに。
怪訝そうなオレの顔を見て、サクヤが困ったように小首を傾げた。
「……共通の困難を乗り越えると、多少は分かり合うことが出来るものか?」
「何だ、そりゃ。はっきり言えばいいじゃん。ゲロの始末が大変だったって」
ゲロの始末? ……アキラの言う、それは。
やっぱり、オレのせいなんだよな?
視線で問うと、サクヤは目を逸らし、正反対に、アキラはこちらを睨みつけてくる。
「一人前の大人は、人に酒の始末させるようなことはしねーぞ。次んときは、しっかりしろよ」
どうやらオレは、酒を飲み過ぎて。
この頭痛は二日酔いらしい。
そう言われて、昨日の夜、晩飯のときに、間違えて酒を飲んだことを思い出した。
1つ思い出すと、関連した幾つかの記憶が芋づる式に表に出てきた。
前後関係はまとまらないし、断片的だが、頭に浮かんでくるものがある。
……あれ、今、何かいかがわしい画像があったな。
心臓が跳ね上がるのを感じる。
プレイバックしようとして、意識を集中したが、頭痛に負けて、途中で止めた。
「――終わったことだ。忘れろ」
「姫が忘れて欲しいだけだろ。まあ、おれは覚えてるけど」
さっき止めろと言われたにも関わらず、アキラは、またサクヤを姫と呼ぶ。
アキラの言葉の内容も相まって、サクヤは非常に嫌な顔をしている。
その様子からすると、「姫巫女だから姫」というのは、多分口実で、オレが寝ている間に、何かがあったと思われる。
何か、姫扱いされざるを得ないような、出来事が。
「じゃあ、姫、おれはもう寝るから」
無言で頷いたのを見届けてから、アキラはオレの隣に転がった。
サクヤは黙ってコーヒーに口を付けていたが、飲み終わると、静かに部屋を出ていった。
壁の向こうから、宿の女主人の声が聞こえる。
この宿、ずいぶん壁が薄いな――と思ったところで、一瞬、頭痛がひどくなった。
「出かけるのかい」
サクヤの声は聞こえない。
いつものように、ただ頷いたのか、声を絞って答えたのか。
「珍しいね、あんたが、日が昇ってるときに外に出るのは。いつものマントもなしに。いいのかい」
やはり、サクヤの返答は聞こえない。
そう言えば、さっきも、マントを着ていなかったな、と、思い返す。宿の女主人の言葉ではないが、いつものアレはどうしたのだろう。
自分の姿を外にさらすのを嫌がるのに、今日はいいのだろうか。
「ああ、なるほどね。そりゃ、仕方ない。何なら、買い直した方がいいかもよ。……いや、言うとおりにいつもの洗濯屋に頼んでおいてやるから、安心しな。今夜の服も出しておいてやるよ」
やり取りからすると、サクヤはきちんと答えを返しているらしい。
もともと、サクヤの声は、低くてもよく通る声なので、寝付く前のオレ達に配慮して、抑えて話しているのだろう。
よくよく耳をすませば、ところどころ聞こえるような気もしなくはないが、何と言っているかまでは、聞き取れない。
マントについて考えたが。
どうも、多分。
オレが吐いたモノが、思いっきりかかってしまったのではないだろうか。
で、洗濯に出さざるを得なくなったと。
――ごめん。
色々と武器を隠しているようだし、あのマントは、良く知っている人間でなければ、手入れが出来ないんじゃないだろうか。
多分、予想もつかないところに、ポケットやら何やらがあるのだと思われる。
――ポケットで思い出した。
オレは、毛布の中、自分のポケットを探る。
昨日アサギからもらった魔法の紙が、くしゃくしゃになっていた。
魔法のアイテムだし、アサギも何も言わなかったから、汚れたり折れたりは問題ないとは思う。雑に扱ってごめん、と心の中で謝っておこう。
ガンガンと、痛む頭で考える。
今夜、サクヤが王宮に行くというなら、これをアサギに送らなければ。
隣のアキラは、目は閉じていても、呼吸の様子からすると、まだぼんやり起きているように思える。アキラが起きている間は、動けない。
「……ああ、今、宿にいるのは、あんたらだけだ。あたしも、ちょっと出かけようかと思ってね。途中まで、一緒に行こうか。あんたは、昨日行ってくれたんだろ」
どうやら、宿の女主人も、出かけるつもりのようだ。
何となく思いついて、オレは、痛む頭を手で押さえながら起きあがると、そのまま部屋を出た。
扉から出ると、オレの足音で予想していたのだろう、宿の女主人とサクヤがそろってこちらを見ている。
「……どうした?」
サクヤは、囁くような声で、オレに問いかけた。
歩くと、頭の中でガンガン鳴っている何かが、ひどくなったような気がする。
まあ、ただの二日酔いらしいので、これで死ぬことはない。
オレは、気力を振り絞って、答える。
「オレも出掛ける」
このままベッドの中にいると、確実に、アキラより先に寝付く自信があった。
アサギのことさえなければ、それでも問題ないのだが。
さすがに、二日酔いで何も出来ませんでした、なんてことが師匠にバレたら、何をされるか分からない。
「あんた、昨晩は随分ひどかったじゃないか。歩いていいのかい?」
彼女にまで心配されるほど、ひどく飲んでいたらしい。
全く覚えがないワケではないが、覚えている部分では、きちんと喋れていたはずだった。そんなに言われるような状態だったのかと、自分の事ながら心配になる。
サクヤは、怪訝そうにこちらを見ている。
オレは、頭を押さえたまま答えた。
「外の空気を吸いたいんだ」
しゃべると、喉ががらがらする。
昨晩は吐いたらしいし、そのせいで喉を痛めたのだろうか。
サクヤはしばらく考えていたが、ふと、思いついたように、宿の女主人の方を見た。彼女には、それでサクヤの言いたいことが伝わったようだ。
「……ああ、別にいいよ。あたしは毎日のことだしね。あんた、あたしと一緒に行こうか」
オレはちょっと意外に思いながら、そちらに向き直る。
オレとしては、途中までサクヤと一緒に出掛けて、どこかで別行動にすればいいと思っていた。
何なら、途中で、気持ち悪くなったと言って、引き返せばいい。
……いや、はったりじゃなくて、本当にそうなりそうな感じもするが。
「おねえさん、娘のとこ行くんだろ? オレがいると邪魔じゃないのか?」
「おねえさんとは。久々にそんな呼び方されたね」
宿の女主人は、満更でもない表情で笑った。
サクヤが昨日くれたメモに、「娘の所へ寄る」と書いてあったのを、オレは覚えていた。
先程の会話からすると、彼女はそこに行くのだろう。
離れて暮らす家族と会うのに、他人は邪魔なのではないだろうか。
まあ、毎日会ってると言うなら、気にならないのかもしれないが。
ただ、オレの問いに、サクヤが眉をひそめているのが気になった。
女主人は小さく笑うと、大したことでもないように、あっさりと答えた。
「うちの娘は、もう死んでるよ。サクヤは気にして、いつも『会いに行ってくる』なんて言い方するけど、要するに墓参りだね。すぐそこだから、ちょっとした散歩には丁度いい」
――考え無しに問うたのを、反省した。
女主人が近付いてきて、オレの頭を揺する。
「若いんだから、くだんないことで悩むんじゃないよ。あたしは、カスミ。あんた、とりあえず顔を洗っておいで」
撫でると言うより、頭を掴んで揺さぶるような宥め方に、オレの気持ち悪さは一気にマックスになったが、とりあえず、吐くのだけは我慢した。
大急ぎで顔を洗っている間、既にオレを待つだけのサクヤとカスミは、宿の入り口で何かを話しているようだった。
戻ってきたオレを見て、サクヤが小さく微笑んだ。
「行くか」
その微笑みに促されて、2人の後を追って外に出る。
昨晩、自分が何を言ったのかもよく分からないが、サクヤとのぎこちない関係は、完全に元に戻ったようだ。
――良かった、と思いながら。
これからすることは、結局。
もう一度、サクヤを裏切ることになるのだと、ようやく気付いた。
もう、それなら、いっそあのままの方が、良かったかもしれない。
明るい光の下で見ると、やはり、カスミは大柄の美人だった。大きなリュックを右肩にかけるその立ち姿も、様になっている。起伏の激しい身体つきから、女であることは間違いないが、腕の筋肉一つとってしても、かなり鍛えてあることがはっきり分かる。
この筋肉。ただの、宿の女主人ではないはずだ。実戦で養われたものに違いない。
「何だい、女の身体をじろじろ見るなんて。サクヤ、あんた、浮気されないように気を付けた方がいいんじゃないの」
「……頼むから、止めてくれ」
心底嫌そうなサクヤの声を聞いて、カスミは、大声で笑った。
こうやって2人を並べてみると、完全にサクヤは女に見える。
サクヤの方がカスミより小柄だから、というのも勿論あるが。女戦士然としたカスミに対して、サクヤが男だとしたら、ちぐはぐな組み合わせに見えるのだ。どういう関係なのか、推測しづらいと言うか。
サクヤが女なら、万事うまくハマる。
深窓の姫君を守る、女騎士というところか。
どがっ、という音とともに、久々にブーツの衝撃を脛に食らう。
「何笑ってんだ、お前。もともとはお前のせいだ」
何だか良く分からない責任転嫁で、怒られた。
眉をひそめているサクヤを見て、カスミがまた笑う。
「……もういい。俺はこっち。カスミ、後は頼んだ」
「あいよ」
からかわれるのに疲れたらしい。サクヤは早々に道を逸れた。
「あんた、今日マント着てないんだから、気を付けろよ」
「分かってるよ」
オレの言葉に、左手で答えが返ってきた。
日の光の下、細い背中で揺れるサクヤの髪をぼんやりと見送る。本当に、あんな姿で外出して大丈夫なのだろうか。
少し心配になったけれど、いつまでも見ているワケにもいかない。
カスミに視線を戻すと、オレの方を見て、にやにや笑っていたので驚いた。
「あんた、本当にサクヤのことが好きなんだねぇ」
「……はぁ!?」
そんなに言われるような熱い視線を送っていたつもりもない。
……ただ、ちょっと心配なだけで。
「ああ、いいのいいの。隠さなくて。ほら、戦場じゃよく聞く話だしね。むしろ、あいつは昔から浮いた話の1つもないから、あたしも心配しててさぁ」
いや、隠すとかじゃない。決め付けられても困る。
答えようとしたが、カスミはそんなオレの答えも聞かず、「ほら、行くよ」とオレを置いて歩き出した。
仕方なくついて歩きながら、誤解を解こうと話しかける。
「ちょっと待てよ、何でそんな話になってんだ。一緒に旅してるって言うなら、アキラだっているだろ」
「何言ってんのさ。昨日のこと忘れたのかい?」
――おい。昨日のオレ。
……一体、何やったんだ。
断片的な記憶を必死に繋ぎ合わせようとするが、やっぱり駄目だ。頭が痛くて、まず集中ができない。
外出した目的は、こっそりとペーパーバードを飛ばすことだ。なので本当は、この辺で引き返して、帰り道で飛ばせばいいのだが。
――カスミの誤解を解かずには帰れない。
そんな気がしてきた。
墓参りと聞いて、途中で帰るのが申し訳なくなったというのもある。
「あのさ、カスミ。ちょっと聞きたいんだけど、オレ、昨日、何やったワケ?」
「はあ!? 本当に覚えてないのかい?」
歩きながら、カスミが大声で聞いた。
横に並んでみて始めて、カスミの背丈はオレと大体同じくらいあるのが分かった。
道理でサクヤと並ぶと、サクヤが小さく見えるワケだ。
「じゃあ、何かい? あれは酔っぱらった上での勢いだって? ははっ。あんたも男なら責任取りなよ!」
バシッと背中を叩かれて、勢いで吐き戻しそうになる。
地面に屈み込んで何とか吐き気を堪えると、次に襲って来たのは混乱と罪悪感の渦だった。
――酔っぱらった勢いで。
――責任を取る。
ここまで言われて分からないワケがない。
集中できないなりにも、脳裡にちらつく画像の中に、誰かの白い鎖骨とかピンク色に染まった耳とかがあるのはそういう理由なのだと……密かに納得した。
酔っていたとは言え、まさか自分が男を相手にしたとは考えたくもない。
でも相手がサクヤなら、正直、『絶対にない』と自信を持っては言えない。
「……あ、あの……こういう場合に責任取るって、やっぱ付き合うとかそういうことなのかな? まさか、結婚とか……?」
恐る恐るカスミを見上げると、今度こそカスミは弾けるような笑い声をあげた。
「あはは! そりゃあ、いいや! サクヤに言ってみな! あいつにウェディングドレス着せてやりたいわ!」
二日酔いでぼんやりした頭に、大音量の笑い声は姦しく響く。
周囲の通行人も何事かとこちらを振り向くのが恥ずかしい。
ここまできてようやく。
鈍った頭も追いついて、カスミはオレをからかっているだけだと気が付いた。
そもそもあいつ、姫巫女の第二誓約あるじゃん。
本当にそんなことしようとしたらオレを殺してでも止めるはずだ。
記憶が定かでない人間を掴まえて、嘘を吹き込むとは質が悪い。
――ああ、もう。
多分この頭痛はもう、二日酔いのせいだけじゃないはずだ。
オレは片手で頭を押さえて、溜息をついた。
2015/07/17 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2016/11/19 校正――誤用修正及び一部表現変更