interlude7
――ああ、疲れた。
これだから、酔っ払いは。
汚れた床や荷物を片付け、衣服を着替えさせたら。
もう、夜中を過ぎて、朝が近い時間だった。
洗えるものは洗ってみたが、普通に洗えないものもある。
例えば、マント。
もう、これは、あとでカスミに言って、いつもの洗濯屋に頼むしかない。
(……ごめん)
こちらは、吐瀉物で汚れながら、必死に掃除をしていたというのに。
本人は、ベッドの上で、幸せそうに寝ている。
くうくうと寝息を立てているので、頬を、ぺし、と叩いてやった。
(――悪かったってば)
余程、深く眠り込んでいるらしい。
軽く叩いたくらいでは、動きもしない。
床の上に座り込む自分を置いて。
何か、楽しい夢を見ているのだろう。
――人に、あんなことをしておいて。
(おい、思い出すなよ)
(オレ自身が、驚いているんだから)
思い返すと、また頬が熱くなったので。
感触の残る耳元を、わざと乱暴に、袖で拭った。
同性のときだからと言って、少し油断し過ぎたか。
普段なら、あんな状態に持ち込まれる前に。
ブーツを叩き込んでやるのに。
――いや。
多分、直前まで。
これに、その気がなかったから。
豹変に、対応仕切れなかったんだ。
酒の力というのは、恐ろしい。
無害な子犬が、狼になるのだから。
(……誰が、子犬だ。誰が)
(あんた、そんなこと言ってると)
(次こそどうなるか、覚えてろよ)
子犬――そう、子犬だ。
子犬に舐められたようなものだ。
どうせ、何も考えずに。
酒の勢いだけで、動いたんだろう。
(大体そういう、勢いだけで動くのは)
(普段は、あんたの方なんだけど)
(……ごめん。今回ばかりは、弁明の余地もありません)
何とも説明しづらい気分で、立ち上がる気力もなく。
ひたすらに、その寝顔を見ていた。
扉を開けて、誰かが入ってくる音がした。
どうせ、例の、ディファイ族の男だろう。
疲れているので、振り向く力も惜しい。
「こっちは大体、片付いたぜ。部屋の匂いもマシになったじゃん」
「……窓を開けて、香を焚いたんだ。でも俺達も汚れてるから、鼻が麻痺してるだけかもな」
「ああ、あんた、髪の毛ぐちゃぐちゃになってんぞ」
それは、肩越しに、嘔吐された時のものだ。
先程、掃除のついでに雑巾で拭っただけだから、汚れている自覚はある。
髪もシャツも身体も。
流石にこれだけ汚れたら、きちんと洗いたい。
(肩越しに……)
(自分がやられたとしたら)
(考えるだけで、恐ろしい……)
「何だ。随分、呆けてるな」
「……疲れた」
答えると、ディファイの男が、くくっ、と笑った。
視線をそちらに向けてみると。
自分だって疲れているはずなのに。
何だか楽しそうにしている。
「いや、あんた。見かけ通り、可愛い声を出すんだな、と思って」
――その言葉で。
また、顔に血が上るのを感じる。
どこからどこまでを、この男に聞かれていたのだろう。
(くそ、そうだ)
(色々と悔やむことはあるんだけど)
(全部聞かれてたって言うのが、一番、悔やまれる……)
――考えるまでもなかった。
しかも、カスミにまで。
「……忘れてくれないか」
「ちょっと難しいぞ、それは。こいつが、あんたを姫君のように扱ってる理由が分かったよ」
(そんな扱い、してるか?)
(他から見ると、そういう風に見えるのか?)
そうだろうか。
特別丁重に扱われている気はしない。
特に、今夜は。
「だからさ、姫君らしく、こういう時は誰かにやらせて、冷ややかに見てるだけのタイプかと思ってた」
「……ああ。そう言えば、こういうのは、初めてかも知れない」
そもそも、吐瀉物の片付けなんか、したことあっただろうか。
あまり、それらしい記憶もない。
(そう。あんたって、そういうタイプ)
(そいつの推測は、間違ってない)
「ふーん。じゃあ、何で、今回は手を出した? 隣の部屋から出てこなきゃよかったのに」
言われてみると、確かに。
あのまま、不貞寝してしまえば良かった。
「何となく、こいつの不手際は、俺の責任のような気が」
「ああ、まあ……半分くらいはそうなんじゃね? あんま、幼気な少年を苛めてやるなよ」
(もしかしてこれって)
(自棄酒だと思われてるのか?)
(水と間違えて飲んだだけだなんて)
(死んでも言えないな……)
そういう自分こそ、たまたま居合わせただけなのに。
随分と面倒見がいいものだ。
獣人の誇りたる尻尾を汚されたというのに。
そんなに怒ってもいない。
どうも自分は。
この男――アキラについて。
少し過小評価をしていたらしい。
「お前がいてくれて、助かった」
自分だけでは。
何をすればいいかも、分からなかった。
「……へえ、あんた、お礼とか言える人なんだ」
驚いたように、目を見開いている。
普段なら、失礼だ、位は、言っていたかも知れないが。
(何言ってんだ。いつもだったら)
(ブーツが飛んでくるところだよ)
……疲れているせいか、もう、どうでもいい。
「あ、今の、別に皮肉とかじゃなくて、本当に思ったこと言っただけだから。悪い悪い。考えてからモノを言えって、いつも、イオリにも怒られるんだよな」
手を振りながら、そんなことを言っている。
皮肉じゃなければいいのか、と思わないでもなかったが。
そのことを考えるのも面倒だった。
(あんた、本っ当に疲れてるな……)
ベッドの上の寝顔を見ながら。
さて、どうしようかと。
ようやく考えるつもりになった。
これだけ大きな街なら、夜通し開いている風呂屋もあったはずだ。
少なくとも、汚れを落とさずに、横になる気にはなれない。
朝になって、カスミに叱り飛ばされるのも困る。
「あんたさ、この辺で、まだ開いてる風呂屋って、知ってる?」
アキラも、同じことを考えていたらしい。
それはいいが、その耳と尻尾を、どうするつもりなのか。
尻尾に視線を当てると、はっと気付いた表情の後に。
がっくりと肩を落とした。
「……ああ。だよなぁ」
「この時間なら人も少ないだろうし。何故か風呂に行くと、俺は注目されることが多いし。俺と一緒なら、あまり視線は向かないかも。そうすれば、タオルで隠すぐらいで何とでもなるだろ」
余りに哀れな様子なので、少しなら助けてやる気持ちになった。
こちらも、助けてもらったのだから。
(え、いや、待て……)
(あんた、公共の風呂屋に行くつもりか!?)
「おお、いいのか!? サクヤ様、守り手様、姫巫女様!」
「……人前では呼ぶなよ」
随分と軽い感謝だと思うが。
本人の言によると、悪意はないのだろう。
考えなしなだけで。
「よーし、そうと決まれば、何か元気が出てきたぜ! 行こう行こう!」
単純な作りだな、と思いつつも。
どうも、自分も影響されているらしい。
風呂で髪と身体をさっぱりさせることを考えると。
――気分が乗ってきた。
(本当に行く気か!? おい、誰か止めろ!)
(何故か注目されるって、当たり前だろ!)
(あんたが男湯に入ってるなんて)
(もう、本当、しゃれにならない……)
立ち上がりながら、元凶の顔を見下ろすと。
先程までと違って、少しうなされているようだった。
ぎりぎりと、歯軋りをしている姿を見ると。
可哀想な気持ちを上回って。
――ざまあみろ、と思った。
(あ、ん、た、の! せい! なんだよ!)
(くそ、この! 考えなしは、あんただ……)
――ああ、本格的に、調子が上向いてきた。
この勢いで、少し、明日に向けて動いておこう。
丁度良く、使えそうな手駒もある。
隣で、機嫌良さそうに、ふりふりと動く黒い尻尾を見て。
心の中で、明日――いや、今夜の計画を、立て始めた。
2015/07/16 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2017/02/12 サブタイトルの番号修正