12 バケツなんて似合わないな
この街についても、サクヤの頭には、地図がほぼ完璧に描き込まれてるらしい。
自分でここまで来といてアレだけど、オレなんか半分くらいこの外壁までの道を忘れかけてただけど……サクヤさんは一度も迷わずに、宿まで辿り着いた。
宿の入口をくぐってから、フードを外してる。
「久しぶりだ」
どこへともなく呟くような声だったが、宿の女主人には届いたらしい。
皮肉っぽい声が、例によって予想より近くから返ってきた。
「あんた、いつから小間使いなんか使えるようなご身分になったんだい」
「悪かった。色々事情があってね」
小間使いってのは、どうやらオレのことらしい。
サクヤの代わりに部屋を取る手続きをしたことを指してるんだろう……まあ、現実的に小間使いみたいなもんだから良いけども。
決まった客しか入れないはずのところを、見知らぬオレが部屋をとれたのは、サクヤの持たせてくれた書付のおかげってことか。
女主人の口振りは悪いが、怒っているようではない。
サクヤも口では謝りつつ恐縮している様子はないので、まあ、これが挨拶みたいなものらしい。
「そんなこと言って、あんたに事情がないときなんてないじゃないか。たまには大人しくすりゃいいのに」
「大人しくしてるよ、たまには。鍵は?」
「その坊やに渡してあるよ」
ちらりとオレの方に視線が向けられたので、渡されていた鍵をポケットから出して、2つとも差し出した。1つは1人部屋、もう1つは2人部屋の鍵。
この宿を使い慣れてるサクヤには、見ただけで分かったらしい。迷いなく1人部屋の方の鍵に手を伸ばした。
残念な気持ちでその白い指先を見守る内に、横から伸びた別の手が1人部屋の鍵を掠めとっていった。
「おれ、こっち」
突然のことに呆気にとられてるオレ達を後目に、鍵をじゃらじゃら鳴らしながら、アキラはさっさと鍵に書いてある部屋を見付けて行ってしまった。
困ったように小首を傾げることしばし、サクヤさんの視線が宿の女主人の方へと向けられる。
その無言の懇願を受けて、女主人は肩を竦めた。
「あんたらで今日は満室さ」
あっさりと宣言してしまった以上、それ以上この問題に関わるつもりはないらしい。
踵を返して、そのまま宿の奥に引っ込んでしまった。
女主人に向けられていたサクヤの視線が、ふとオレに向けられる。
だけど目が合う前に身体ごと反転して逸らされた。
宿を出ようと歩き出すその腕に、慌てて手を伸ばした。
「待てよ、どこ行く気だ」
「野宿」
「バカ。何で部屋があるのに、外で寝るんだよ」
手を払われそうになったけど、オレの方が力は強い。
ちょっとした抵抗を無視して力任せに引きずり、2人部屋に突っ込んだ。
後ろ手に扉を閉めてから向き直ると、掴まれた手に視線を当てて驚いたような顔をしていた。
「……何だよ、その顔」
問いかけると、こちらに視線が移って……オレの表情を見て、またすぐに目を逸らされた。
「……離せ」
「離したら、逃げるんだろ?」
「逃げない。痛いから、離せ」
逃げないとその口で言うなら、信じよう。
それが姫巫女の誓約なのだから。
手を離すと、ため息をついてオレから距離を取り、部屋の奥に1つだけある大きなベッドに腰をかけた。
2人部屋だけど、ツインベッドじゃなくてダブルベッドだ。ここにオレとアキラを寝かせるつもりだったのかと思うと、やはり腹立たしい。
今までなら大して気にもせず、オレの隣にはこの人が転がってたはずなのに。
オレの恨めしい視線の先では、サクヤさんがマントを外して、床に投げ捨てるように放ってる。
優雅に足を組んでから、改めてこちらに視線を向けた。
その青い眼が、無言のままにオレの言葉を促している。
オレだって事前に何か考えて連れてきたワケじゃない。
ただ無性に腹が立ったから、怒りに任せて引っ張ってきた。
何がムカつくって、勝手にオレの気持ちを決めつけて距離を置く、そのやり方だ。
誤解させた部分はオレが悪かったかもしれないけど、オレの気持ちについて知りたければ口に出して聞けばいいだけじゃないか。
何から言おうかとぐるぐる悩んで、結局は子どものようなことを口にした。
「……サクヤは、オレのこと、嫌いになったのか?」
聞いてから、何だこの質問は、と自分で赤面する。
口から出た言葉はもう戻せない。ばくばくと心臓が暴れるようで顔中が熱い。
それでも恥ずかしさを克服して、何とか顔を上げると、目の前にはなぜか呆気にとられた様子のサクヤさんの顔があった。
「こんな時まで似てるものなのか……」
その微妙な呟きで思い当たって――ますますカチンときた。
「――似てるって、何だよ?」
どうせまた、あの『ノゾミ』とかいうヤツだろう。
性格悪い、秘密が多い、なんて思ってたけど……しばらく付き合ってみて分かった。
この人、こっちが聞いたことについては、割と素直に教えてくれるんだ。
誓約に引っかかって自分の口からは言えないことについては、他にのヤツに聞くチャンスをくれたりもする。ディファイの集落で、『リドルの姫巫女』についてトラと話す時間を取ってくれたように。
オレが何を聞けば良いか分からないのと、聞かないことについて自分から言うようなことはないから、その為に相互理解があんま進まないのは、まあ仕方ない部分もある。
聞けば答える。それが、この人のスタンス。
――なのに。
『ノゾミ』に関する事情については、聞いても聞いても答えてくれない。
今まで何度かオレをそいつと間違えておいて、説明も弁解もしない。
今だってほら――聞くな、とでも答えてるように、無言で左手を振っている。
誰だって、言いたくないことはある。
それも分かっているけれど――今はこの人が、そんなに大切な『ノゾミ』について教えてくれないことが無性に悲しかった。
「それで……お前が俺に嫌われてると確定したところで、何か変わるか?」
空気が凍るほど冷たい声。
無理やり『ノゾミ』から話を逸らして、1つ前の問いを引っ張ってくる。
自分でも失敗したと思っている質問に、こういう返し方をされれば、オレだって傷つくさ。
本当に、この人は他人の気持ちを挫くのがうまい……。
だけど、オレが傷付く分だけ、多分この人も傷付いたのだろう。
そんな言い方をしたくなる程に。
あんたがそんなまだるっこしい言い方をする時は、決まって本音を隠してるときだ。
だって本当に嫌いなら、お前が嫌いだと言えばいいだけなんだから。
オレは、ベッドの横――サクヤの隣まで移動して、そのまま床に跪いた。
怪訝そうにこちらを見る青い瞳。
膝立ちになると、ちょうどその綺麗な両眼と同じ高さになった。
――熱い。心臓が痛い。
指の先まで心臓になったように、脈打つのを感じる。
多分その眼があんまり綺麗だから、柄にもなく緊張してるんだ。
青い眼が、オレを妙に焦らせるから。
ごくり、と息を呑んでから、勢いのまま細い肩に手を回して、強く抱き寄せた。
予想外の行動に、腕の中の身体は背中をしならせて、オレから離れようと両手に力を込める。
あんまり自分が熱いので、触れている肌を冷たく感じた。
滑らかな首筋に頬を寄せると、肩がびくりと震える。
――ざまあみろ。
どんなに抵抗されたって、力ずくなら負けない。
腕の中でもがいてる人が何か言っているのが聞こえたけれど、オレはもう、まともに答える気にもならなかった。
「止めろ。俺は……お前ら人間からすると化け物みたいな――」
「――うるさい。あんたが化け物かどうかは、オレが決める」
抱きしめてる腕の中で、突っ張ってた両手が力を抜いた。
さらさらと、首筋を絹糸のような金髪が流れ落ちる。
その感触に鼻先をくすぐられて、気持ち良く眼を閉じた。
甘い果物のような香りがする。
唇を寄せていた肩が小さく揺れたのは、少し笑ったようだった。
「今の俺は男だぞ……。どうせなら女のときにすれば良かったのに」
「バカ。抱擁っていうのは恋愛以外にも、親愛とか友情とか色々使えるだろ」
「……知ってる」
呟いて、オレの背中に恐る恐る腕を回してくる。
指先がそろりと背中をなぞるのを、服越しに感じた。
何だ。
あんなに悩んだけど、何も言わなくても良かったんじゃないか。
説明も謝罪も、弁解もなくても。
これだけで全部伝わってしまう。
それに、そう。
抱擁って別に、恋愛以外にも色々使えるから。
自分の気持ちなんて、名前をつけて決めなくても良いんだ。
ここ数日の居心地の悪さが解消されて、安堵した。
鼻先をすり寄せた首筋で息を吐くと。
吐く息の熱さに、自分で驚いた。
低い声が身体を伝わって響いてくる。
「……お前、何かアルコールの匂いがするような……酒を飲んだか?」
そんなに匂うだろうか?
自分では良く分からない。
ただ熱くて、心臓がうるさいだけだ。
問いに答えないまま、尋ね返した。
「なあ、オレの心臓さ、何かドクドク言ってない?」
「距離が近すぎて、俺の心臓なのか、お前のなのか分からない」
「これ、あんたの心臓の音? そう言われるとそうかもしれないな。まあ、いいよ。どっちのでも一緒だ」
ずっと閉じていた眼を開けると、細い首筋から繋がる鎖骨のラインが目の前にあった。白くてすべすべしていて、柔らかい。
もっと近くで見たくなって、右手を上げて頭に触れた。
ふわりとした髪の感触を楽しみながら小さな頭を撫でていると、本日2度目の同じ指摘が飛んできた。
「お前……酒飲んだだろ」
今度は断定だった……けど、何かもうどうでも良いや。
密着したままサクヤさんが喋ってると、身体を震わせるように声が響いてくる。
その感覚がすごく気持ち良くて、どうでも良くなってきた。
右手で頭を固定して頬に唇を近づけようとしたところで――サクヤの左手がオレの右手に重なった。冷たい指先が、直接絡んでくる。
それ自体は気持ちが良かったんだけど、絡めた指に力が入って、オレの手を引き剥がそうとする。
大人しくしていればいいのに。
何度言えば分かるんだろう。
純粋に正面から力比べしたときには、オレが負けるワケないんだって。
「――近過ぎる! この酔っ払いが……ちょっと離れろ!」
近過ぎる、とか。まさかこの人に言われるとは。
あんまり一生懸命なので、何だか面白くなってきた。
肩に力が入った瞬間に剥き出しの首筋に噛み付いてやると、「ひんっ」というような声をだして、サクヤの動きが止まった。
一瞬の沈黙――自分で自分の声に驚いたらしい。
サクヤの身体がわなわなと震え出す。
羞恥か怒りか、ピンク色に染まり始めた耳元が愛らしい。
その耳先を軽く舐めると、ますます慌ててオレの手を引き剥がそうとし始めた。
「えっ、ちょ……待て! お前――いっ、いくら何でもこれは違うだろ!? ……んやっ」
耳を舐めたり噛んだり、その度に声が跳ね上がる。
逃げられないように、頭と腰を掴んで引き寄せた。
次はどこに口を付けようかと考えた時、背後で勢い良く扉が開く音がした。
乱暴な足音が近付いてくる。
何かと振り向くより先に、すぱん、と軽やかな音で頭を叩かれた。
「このバカ、どこが友情だ! おれはこんないかがわしいことの為に部屋を譲ってやったんじゃねーぞ!」
叩かれて力が緩んだ隙に、オレの腕をすり抜けたサクヤが部屋の隅まで下がっていった。
その姿を横目で見ながら、オレは、オレを叩いたアキラの方へ向き直る。
何だか顔を真っ赤にしている。
ものすごく怒っているのかと一瞬思ったが、どうもそういうのではないらしい。
部屋の端で壁にぺったりと背中を付けているサクヤが、耳元を服の袖でごしごし擦りながら問いかけた。
「アキラ。そいつ、酒臭くないか?」
言われて、2、3度鼻を鳴らしたアキラが、すぐに顔をしかめる。
「お前、どこでこんなに飲んだんだ、このバカ!」
「水もらってくる」
言い残したサクヤが、慌てた様子で廊下に出ていった。
その背中を見ながら、オレはアキラに声をかける。
「……なあ、アキラ」
「何だよ、バカ!」
悪態をつきながら、こちらに向けて手を差し出してくれる。
立て、ということらしいけど、どうも身体がだるくて立ち上がりたくない。床の上でいいからこのまま寝てしまいたい。
だらんと力を抜いて、ベッドの端にそのまま頭をもたせかけていると、脇からアキラの手が回ってきてぐっと持ち上げられた。
「折角仲直りの機会を作ってやったのに、本当にろくでもねぇな」
「……見てたのか?」
問いかけると、一瞬押し黙った後に放り出すようにベッドの上に降ろされる。ぽふ、と予想よりも軽い感触で頬にシーツが当たった。
見上げれば、空になった両手で、がしがしと自分の頭を掻きむしるアキラの姿が見える。
「この安宿ったら壁が薄すぎて、全部筒抜けなんだよ! 仲直りするのはいいとして、お前ら旅の間中ずっと男同士で毎日こんなことやってんの? 隣で男の喘ぎ声聞かされるこっちの身にもなってみろよ!」
「宿の悪口を言うんじゃないよ」
アキラの言葉を裏付けるように、壁の向こうから女主人の窘める声が聞こえてきた。
直後に、何か重いモノを、どん、とテーブルに乗せる音。
更に畳みかけるように言葉が続く。
「サクヤ。あんた、そういうことがやりたいんだったら、連れ込み宿に行きな」
一瞬、空気が固まったように静かになった。
静寂を破ったのは、ひどく乱れた、ばたばたという足音だった。
変な勢いで部屋に近づいてきた足音の後で、ばん、と壊れそうな勢いで扉が開く。
ベッドに寝転がっているオレからは見えないけど、入り口を見ているアキラが呆気にとられた顔で、足音の主を見つめた。
足音の主(多分サクヤさん)は、がん、と床に何かを置くと、再びばたばたと移動して隣の部屋に入り、そのままベッドに飛び込んだ――音がした。
と、ここまで、ぜんぶ音で聞いてるだけなんだけど――多分、オレの想像に間違いはない。
うん、完全に筒抜けだ。
「……随分はっきり聞こえるな」
「だろ。お前らにこのまま続けさせてやろうか、一応は迷ったんだよ。でも寝れねーし、さっきのおばさんからは止めなきゃ追い出すって言われたし……」
筒抜けなことが判明したので、最小限に声を押さえて囁き合う。
ひそひそと話し合ってたら、何だか……楽しくなってきた。
声を殺したまま笑ってると、アキラが気味悪そうにこちらを見下ろしてくる。
「何笑ってんだよ、お前」
「だって面白いじゃん。今のサクヤの慌てっぷり……」
いつもは音も立てずに動くのに、さっきはひどくどたばたしてた。あんなに乱れた足音を立てていたのは、最初の追いかけっこで息を切らしてたときくらいだろう。
思い出したように、アキラが吹き出す。
「いや、お前さっきの見てないだろ。残念だな。水差し置きに来たときのあいつの顔ったら――」
ガンっ、と壁から音がした。
サクヤが隣の部屋で壁を蹴ったようだ。
声を殺してたはずなのに、気付かぬうちにオレもアキラも声が大きくなっていたらしい。
直後に逆側の壁から、「壊すんじゃないよ」と女主人の声が聞こえるので、もうオレ達は面白くて仕方ない。
しばらく声を潜めて笑い合ってたけど――ふと、天井がぐるぐる回っていることに気付いた。
「ん?」
「どした」
「いや、あの……何か、すごい気持ち悪い……ような?」
「――え!? おい、ここで吐くなよ!」
アキラがオレの肩を掴んで起こす。
胃の中から生暖かいものがせり上がってくる感覚に、オレは口を押さえた。歩こうとしてふらふらと立ち上がると、ぐぷっ、と変な音が喉元で鳴る。
「待て待て待て、そこはダメだ! 荷物の上はやめろ!」
アキラの声を聞いていたのか、隣の部屋から駆け出してくる足音がした。
扉を見ると、丁度部屋に入ってきたサクヤの手がバケツを抱えている。
その姿を見て、そんな場合でもないんだけど、やっぱり笑いがこみ上げてきた。
――何だよ、あんたがバケツなんて。
隣のアキラが何か言っているが、もう何だか良く分からない。
ぐるぐると回る景色の中で、オレはゆっくりと意識を手放した。
2015/07/15 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2016/10/22 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更