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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第1章 Beautiful Stranger
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3 その視線を手に入れたい

 オレと師匠に挟まれた黒マントは、これからどうすべきか迷うように辺りを見回した。

 息はまだ整っていない。この状態なら逃げられてもすぐに追い付けそうだ。向こうも同じことを考えているのか、迂闊には動かない。


「……何の用だ」


 問いながら、静かに師匠を見据える。油断なく低く構えた体勢から、逃げることを諦めていないことはすぐに分かった。

 師匠は、苦笑とも嘲笑ともつかない笑いを浮かべながら、歌うように答える。


「寂しいことをおっしゃる。サクヤさんに会うために、ずっと探していたというのに」


 やっぱりこの黒マント、サクヤという名前らしい。

 だけどオレに紹介する時間も惜しいのか、詳しい関係を教えるのが嫌なのか、師匠はこちらを振り向きもしない。楽しそうに刀を構える。

 あまり長引かせるつもりはないのだろう。くだらない会話をして休ませない方がいいことを、師匠もまたよく理解している。向こうの息が上がっている今なら、圧倒的にこちらが有利だ。


「出来れば会いたくなかったって……そんな顔してますね!」


 言葉とともに一気に距離を詰め、斬りかかった。

 突然間合いを詰められたサクヤは何とか初撃を避けたものの、ここまでの疲労がたたってか、大きく姿勢を崩す。そこに二撃目が真上から降り下ろされ――でもこれも身体を捻って何とか避けきった。

 次々に繰り出される連撃を、危うい間合いで逃れている。


 正直、観戦に徹しているオレにすら、師匠の踏み込みが速すぎて追いきれない。時々、踏み込んだ直後、姿がかき消えるように見えなくなってる。オレの視覚が追いついたときには、既に刀が振り抜かれて攻撃が終わってたり。

 本気のスピードを出し惜しみしていないことから言っても、師匠は全力で相手をしているようだった。


 サクヤの紺碧の瞳は、師匠の足元を追っている。多分、オレと違って動き自体は見えているのだろう。疲れ切った身体の方が反応がしきれない為に、回避が危なっかしいのだ。

 今更ながら、師匠が言った「追い込め」の言葉を理解する。ここまで体力を奪っておかないと、師匠にとっても万全ではない相手なんだろう。

 ……しっかし、相変わらず卑怯なやり口。さすが師匠だ。


 ぼんやり見ている間に、徐々にサクヤの動きが鈍くなってきた。立て続けの攻撃に、長時間マラソンを続けた後の身体が、いよいよついていかなくなったらしい。

 よくよく考えると、刀を持った師匠に対して、向こうは短いナイフ一本しか構えていない。こんなもん間合いの長さからしても、どっちが勝つか自明の理だろう。


 最悪に卑怯だ。

 だけど、それと同時に――刀を構えた師匠の攻撃をあの状態で避け続けているとは、やはり黒マントも只者じゃない。


 オレの師匠は口と性格と目付きは悪いが、刀を持たせれば今のとこ右に出る者がいないのは確かだから。

 だからこそ、弟子入りしたのだ。


「――っあぁ!」


 悲鳴を耳に戦況に意識を戻すと、容赦ない師匠の刀がサクヤの左脇腹に食い込んでいた。

 突きで捉えたらしいが、こうなればもう終わりだ。このまま刀を横に振り切れば、胴体両断。ここまでの力量を持つヤツならそれが分かるはずだ。これ以上の無駄な抵抗はないだろう。

 ああ、片付いた――と気を抜きそうになって、当の二人の緊張が全く解けないことに、ようやく気づいた。


 師匠は楽しそうにぺろりと唇を舐め、小さく手を動かした。

 刀の動きに合わせて、黒いマントに覆われた身体が痙攣する。ごふっ、と時々くぐもった音が聞こえてくるのは、どうやら喀血しているらしい。

 ……喀血って、やっぱ、あれだよな。

 肺とか何か内蔵に傷が付いているんじゃないだろうか。

 え、それって普通死ぬんじゃね?


 師匠の根性は確かにひね曲がってるけれど、さすがにこんな勝負のついた相手いたぶるような真似をするとは思わなかった。さっきの優しい声からしても、ちょっと予想がつかない展開だ。

 いや、よく思い出してみれば、サクヤを見付けた時からどうもおかしい。血相を変えてけしかけるものだから、事情もよく聞かずに指示された通り追い込んだワケだが。


 目の前の人が、ここまでされる程、悪いことをしたというのか。オレは知らない。


 師匠の様子を見ていると恨みがあるんだとは思う。でも、事情も知らずに殺される人間を見過ごすのはどうかと思う。止めた方が良さそうだ。


「……師匠、さすがにそれ以上やると死ぬんじゃない?」


 稽古つけてもらっているだけの見習い剣士のオレには、まだ生死の境も分からない。死にそうに見えているだけで、本当は大した傷ではないのかも。

 だから、自信のないオレに比べて、師匠の方は自信満々。


「大丈夫ですよ、ね、サクヤさん」


 刃の先に向かって微笑みかける師匠は、あまりにも優しげで……ぼんやりとした不安が、明らかな悪寒になった。


 この状態でこの表情。

 常人の感覚じゃない。

 やばい、絶対やばい。


 だって、全然大丈夫そうじゃない。

 師匠がくすくす笑いながら手先を動かすたびに、黒マントはがくがく痙攣している。

 それにさっきから喀血が続いて、口元から吐き出す血液が止まらなくなってる。


「いやでも師匠、とりあえずそろそろ……」

「大丈夫ですってば」


 こちらを振り向きもしない。サクヤから視線をそらさずに、熱っぽく見つめたまま適当な答えだけを返す。その剣先――黒マントの奥からは、相変わらずぬちゃぐちゃと湿った音が聞こえてきた。


「や、全然大丈夫じゃなさそう……」

「まあ、カイがどうしてもと言うなら……やめてもいいですが」


 どうしてもって言うか――いや、もういいです。


「マジで、どうしてもやめてください」


 頭を振り下ろすようにお辞儀して言い切ると、ようやくオレの方にちらりと視線が向いた。

 名残惜しげに刀を奥まで突き入れ、ぐちゃりと鳴らした後に大きなモーションで引き抜くと、血しぶきが飛んだ。

 ……今の、完全に柄の辺りまで貫通してたよ。絶対死んでるよ、これ……。


 なすがままになっていた黒マントが、刀を抜かれた勢いで大きく身体を揺らがせた。前方に倒れこみそうになったが、片膝をついて踏みとどまる。


 上体が傾いで被っていたフードがばさりと外れ、俺は改めてサクヤの顔を見た。夕日に透ける金の髪が流れ、その下からのぞいた紺碧の瞳で師匠をひたりと見据えている。

 自分の吐き出した血にまみれた唇がてかてかと光り、ゆっくりと開いた。

 そして、その奥から鈴を鳴らすような声が──


「……ナギ、お前……」


 ──訂正。

 予想より2オクターブは低い声が、静かに響いた。

 どうも顔だけ見ていると、王宮の美姫か生け贄の美少年のような顔をしているので、地を這うような低い声が響くと、何とはなしに違和感を感じる。もっと高いソプラノの声をイメージしてしまうのだが。


 サクヤは師匠から視線を外さない。逆転を諦めていないのだろう、ナイフの構えを解いてない。

 出血量から言うと、いつ倒れても――と言うか、死んでもおかしくない状態だが、気丈に頭を上げている。荒い息の様子から想像するよりも視線に力がこもっていた。睨み付けると言ってもいいくらいに。


「ふふ、サクヤさんにそんな視線で見つめられると、天にも登る心地ですよ」

「……言ってろ」


 サクヤの視線の熱さは横から見ていてもぞくぞくする程で、事情は全くわからないのに、師匠の気持ちは何となく分かったような気がした。


 もっと苦しめて。

 もっと怒らせて。

 もっと傷付けて。

 そして――こっちを見てほしい、と。


 ……いや、でもさ、殺したら終わりじゃん。その辺りに気を使えないと言うか――気付かない師匠が怖い。何か吹っ切ってる感じがする。


「さて、あなたには一緒に来てもらいましょうか。大丈夫、中途半端は良くないですし、2人きりになってからゆっくり続きをしましょうね」


 師匠は刀を軽く振って血のりを落とすと、構えなおした。

 さすがにここまで出血しているヒトが、息をする以外のことできるワケない。意識を保っていることさえ既に奇跡だ。


 サクヤは顔をしかめたまま、左手でマントの下の傷を押さえる。

 そりゃ痛いはずだから、と少し同情した――次の瞬間、マントから抜いた左手をそのまま振りかぶった。指先からきらりと光るものが放たれ、師匠は構えていた刀でそれをはじき落とす。

 その隙をついて立ち上がり、踵を返して師匠から離れる方へと駆け出そうとした。


 ――驚いた。

 まだ走るつもりか、この出血で。

 いやいやいや、止めた方がいい。師匠とどんな確執があったのかは知らないけど、このまま走らせたら、間違いなくどこにもたどり着けずにのたれ死ぬ。頼むから早く手当させろ。主にあんたの為に。


「ひとまず、今日はここまで、ということで」


 歌うように呟きながら、師匠はたった一歩の踏み込みで追い付いた。宙を舞うマントの端を踏んづける。背中を引かれてサクヤが体勢を崩すと、マントを踏んだのとは逆の足で、腹を蹴り飛ばした。


 声を上げる間もなく、細い身体が地面に崩れ落ちる。ぴくりとも動かない様子を見ると、今度こそさすがに気を失ったらしい。


 師匠がその身体を探り、本当に意識がないのを確認した。

 間違いなく気絶していることを確かめて、くす、と笑うと、ようやく師匠は血糊を拭いながら愛刀暁を鞘に納める。恍惚とした表情を浮かべて、柄を離したその手でサクヤの頬を撫でた。


「もうどこにも逃がしませんよ。あなたは俺のものだ」


 微笑んでいる師匠の眼が……怖い。いや、怖いって!


 日頃師匠のスパルタ修行を受けてるオレでさえ、今まで見たことのない顔だった。何かよっぽどの因縁があるんだろうが、巻き込まれたオレはたまったもんじゃない。


 師匠はうっとりと微笑んだまま、目の前の半死体を撫で続けている。

 沈み始めた夕陽を浴びて、師匠の赤い髪が地面に広がる血だまりと同じ色で光っていた。

2015/05/19 初回投稿

2015/06/12 サブタイトル作成

2015/06/20 段落修正

2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2015/09/14 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2017/02/08 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2017/02/11 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

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