4 そういう距離感
長老権限で、トラは空き家を1つ貸してくれた。
本人はそんな言い方をしていたけど、本当は独断でも何でもない。むしろ他のディファイ族まで「もっと泊まっていけ」と言ってくれてるくらいだ。反対するのはアキラだけだった。
どうやらサクヤとディファイ族との付き合いは随分長くて、お互いに著しい信頼と親愛を感じているらしい。
空き家を貸す交換条件だぞ、なんて冗談半分に、長老宅で開催されるサクヤ歓迎の宴に参加するように言われた。
勿論そんなのは断る必要すらない。
むしろ、切迫した状況のはずなのに、心尽くしのもてなしをしてもらえるなんてありがたいことだ。
サクヤは嬉々として参加したし、オレだってそういう心遣いは嬉しかった。
結局、宴が終わるまでをトラの家で過ごした。
サクヤと連れだって、貸してもらった空き家に引き上げたときには、夜が明けて朝になっていた。
もてなしは嬉しかった。
それは本当。
――だけど。
オレ、いまだかつて、知らない人にこんなに熱烈に歓迎されたことはなかった。
思い出すだに恐ろしい程、入れ替わり立ち替わり握手をされハグをされ、もう食べられないと言っても飯を勧められた。
サクヤはこの一族にとても愛され、また愛してもいるようだ。
だからこそディファイ族は、連れのオレにもここまで良くしてくれるのだろう。
加えて、しばらく行き来がなかった為に、外の世界に飢えているのもあるに違いない。外はどういう様子なのかと色々な話をねだられた。
その話の合間にも、肩を叩かれるわ、背中を叩かれるわ、肩を組まれるわ、抱きつかれるわで、あまりの距離の近さに驚いた。
それも男女問わず、なのだから恐ろしい。イオリの立派な胸の谷間に顔を挟まれた時は、本気でどうしようかと思った。
歓迎されること自体はとても嬉しいのだが、常にはない距離感に疲れを感じたのも事実だった。
小綺麗に掃除されている空き家に入って早々、オレはベッドに飛び込んだ。
そう言えば、この昼夜逆転生活では、そろそろ就寝時間に当たる頃だ。
眠気と疲れが混じって頭がぼんやりしてる気がする。
オレはベッドに転がったままサクヤの方に視線を向ける。
オレよりも更に揉みくちゃにされていたのはこの人なんだけど。
さて、どうかと言うと。
これが案外、元気そうなのだ。
体力なんかあんまなさそうに見えるけど、そうでもないのだろうか。
……いや、違う。
嬉しそうにコーヒーを入れている姿を見ていると、どうも違う気がする。
多分、獣人の間にいる方が自然体でいられて疲れないのだろう。
オレからするとちょっと距離の近すぎる歓迎も、獣人にしてみれば普通なのかもしれない。
「あんた、これからコーヒー飲むの?」
「お前もいるか?」
「いや、オレは寝るから……」
そう答えたのに、サクヤはカップを2つ持って戻ってきた。
片方を差し出されたのでどうしようかと思ったら、中身はホットミルクだったので素直に受け取った。
オレの隣に、何故かくっついて座るサクヤを見て、ふと思いつく。
何だかんだで最近サクヤはオレと身体が触れることに、さしたる抵抗がない。
獣人の文化では、それは心を許したモノに対する一般的なコミュニケーションなのだろうか。
試しに、隣のサクヤの頭を片手で撫でてみる。
ちらりとこちらを見上げるが、表情に大きな反応はない。
自分だったらと考えると、どうか。
例えばオレがホットミルクを飲んでいるときに、何の理由もなく師匠に撫でられたら。
多分「何だよ」「気持ち悪い」「怖い」くらいは言うだろうし、そもそも酷く驚くだろう。機嫌が悪ければ手を叩いて止めさせる。
その後、師匠に逆に怒られて、散々にしごかれるところまで容易に想像がついた。
「なあ、サクヤ」
声をかけると、サクヤは視線だけで答える。
軽く小首を傾げているので、続けろ、ということだろう。
「獣人っていうのは、皆、あんなにボディタッチが多いもんなのか?」
「……多いか?」
……こういう感覚らしい。
オレは諦めて、飲み干したカップをサクヤに返し、再びベッドに転がった。
コミュニケーションの齟齬による疲れと言うヤツか。
多分、サクヤはいつもこの逆の感覚なんじゃないか。
ベッドを立ち上がって遠ざかっていく身体には耳も尻尾もついてないけど、中身は獣人なのだろう。
「なあ、さっき『リドルの姫巫女』とか言ってたけど……」
「知りたくなった?」
楽しそうな声音で、即座にサクヤが問い返す。
そちらに視線だけ向けると、オレのカップを置いたサクヤは椅子に座り直したところだった。こちらを見てくすくす笑っている。
「それは内緒に当たる部分になるんだ。事情が知りたければ、ずっと俺と一緒にいると誓って貰わないと」
「……小出しにするのは良くないと思います」
一応は反論しておいたが、あんままじめに聞いてないっぽい。
今の会話の何がそんなに気に入ったのか知らないが、ずいぶん楽しそうにしてる。
そんなサクヤはオレの表情を見て、言葉を付け加えた。
「そんな話は獣人なら誰に聞いても教えてくれるよ。あえて俺から聞き出そうとしなくても」
誰でも好きなヤツに聞け、と微笑んだ。
その微笑みがあんまり綺麗なので、オレはその気もないのに重ねて問いたくなる。
「じゃあ、あんたとずっと一緒にいると誓えば、あんたが教えてくれんの?」
サクヤがふと真顔になった。
その表情を見て、オレの方が慌ててしまう。
随分思わせぶりなことを言ってしまったらしい。
そんなオレの自省と関わらず、サクヤが近付いてくる。
転がっているオレの横に腰掛けて、真上から見下ろしながら呟いた。
「約束したからな。内緒にしてることは全部教えてやる」
無造作に束ねた髪が、さらさらとオレの肩に当たった。
覗き込んでくる青い瞳からは、感情がうまく読み取れない。
サクヤ自身があまり何も考えていないからか。
それとも、オレがこの近すぎる距離に緊張しているからか。
――ああ。多分、両方。
いやいや、ちょっと待て。
今のこれは、男だし。
大体さっきなんか、こいつオレにぴったりくっついて座ってたぞ。
あの時の方が、距離だけ考えれば近いはず。
それでもこんなに意識はしなかったのに、今は何故だ?
何でこんなにドキドキするの?
サクヤの指がオレの頬に触れた。
するすると耳の下まで伸びてきて、頬に手が添えられる。
くすぐったいのに、何とも言えない変な感覚が混じって、無意識の内にその手を肩で挟もうとした。
固定されないようにうまく逃げながら、冷たい指はオレの頬を撫で続けている。
「……知りたい?」
低い声で囁きながら、小首を傾げるその表情が切なげで。
――何でこんなに心臓がうるさいか、分かった。
オレは絶望的な思いで、自分の太ももにかけられた体重を改めて認識する。
サクヤさん……いや、あんた軽いけどさ。
それでも、ベッドに転がってる人の上に乗っかるのは最悪です。
しかも男の時にそういうことするのは、本当に酷いです。
せめて女の時にしてくれよ。
こんな風に迫られたら、うっかり頷きたくなるだろ!
オレは頷かないけどな!
ああ、ああ! 良かったよ、あんたが女じゃなくて!
……うん、やっぱり男で良かった。
サクヤが女の時だったら、ワケも分からず頷いてたかも。
「なあ、あんたさ……」
喉の奥の方から無理に声を振り絞る。
サクヤの視線は無言のまま次の言葉を促してきた。
「……あんた、これは何なワケ? 何の誘惑? 色仕掛け?」
「色仕掛け? 何言ってんだ、お前」
いかにも心外、という様子で顔を歪めている。
いや、心外なのはこっちだ。それ以外に何だと思えばいいんだよ。
「じゃあ、何のつもり、これ?」
「マウントポジションから脅されると、怖いからつい頷いてしまう、と聞いた」
これ、脅しのつもりだったのか。
つい頷いちゃうって、まあ、結果は同じかもしれないけどさ。
あんたにこんなことされたら、そこに至るまでの気持ちの変化は逆方向です。
例えばこれが師匠にされたとしたら、……あ、やっぱないわ。
マウントから脅されても、怖いって言うか気持ち悪い。まあ、そういう意味では怖いか。
しかし誰だ。そんな無茶なことをこのサクヤに教えたのは。
嫌な意図を感じるぞ。
それこそ師匠やエイジなら面白がって言いそうだけど。
「そんなこと誰から聞いたんだよ?」
「ノゾミから……」
――またその名前!
予想外なところで時々出てくるな、そいつ。
サクヤと一緒にいる間に何度も耳に入る名前だ。
それなのにサクヤは何も教えてくれない。
その名に対するサクヤの今までの態度の悪さを思い出して、無意識に顔をしかめてしまった。
サクヤもつい口を滑らせたようで、言ってから自分の口を押さえてる。
「いい加減に教えてくれよ。ノゾミって誰だ?」
問うても、答えは返ってこない。
下から見つめ続けると、ふい、と眼を逸らされた。
そのあからさまな態度に腹が立つ。
あんまりムカついたので、ちょっと困らせてやりたくなった。
「……あのさ、マウントポジションっていうのはこうするんだぜ」
不用意なことを口走った相手の動揺を突いて、頬に当てられていた手を握る。
驚いて引こうとする指先をしっかりと掴んで、体重をかけて引いた。
マウントをとった時は、ただ乗っかっただけってのは大した邪魔にもならない。多分この人は相手とがっちり組み合って戦うという戦闘スタイルを取らないので、その辺りの経験がないんだと思う。
オレはその手を握り込んだまま、反対の手で襟首を掴んだ。
横からひっくり返してやると、あっと言う間に、見開かれた眼がオレの真下に来た。
一瞬にして上下が入れ替わった動きに、随分驚いたらしい。
「……すごいな」
見上げてくる瞳はいっそ嬉しそうだった。
ほら。マウント取られると怖いなんて誰が言ったんだよ、全く。
少しばかり逆に脅してやろうかと思ってたけど。
素直に賞賛されてやる気が失せた。
オレは両手を離してサクヤの上からどけた。
「あんた力ないし体重軽いんだから、あんま不用意に近付かない方がいいよ。やるならちゃんと練習しとけ」
「分かった」
ああ、いいお返事ですこと。
身体を起こしたサクヤがくすくす笑いながら、再びこちらに手を伸ばしてくる。
「今のすごかったな。もう1回やってくれれば覚えられるかも」
「あんたが女の時なら――いや、やっぱダメだ」
男を組み敷くのはもういやだ。
相手があんただと何か変な気分になるし。
女の時ならいいか、と思ったが、良く考えれば、身体は女でも中身は男だから、やっぱり困る。
ごちゃごちゃと考えているオレの微妙な感覚が、サクヤにはうまく伝わらないらしい。
今も不思議そうな顔でこちらを見ている。
「……なあ、獣人って皆、あんたみたいに純粋培養なの?」
「何だ、それは?」
「それとも姫巫女がそういう職務なの?」
『姫巫女』という響きからして、いかにもそれっぽい。
清純で、高潔で、高邁な?
何が引っかかったのか分からないが。
サクヤの表情が少し曇った。
疑問に思う間に、サクヤの指先がオレの頬を撫でる。
「俺と一緒に来るなら教えてやるのに。本当に知りたいか?」
その瞳が何だか、切なげで。
無意味にどきりとした。
――頷いてはいけない、と、それだけが頭に浮かんで。
添えられたサクヤの手を振り払う勢いで、オレは反射的に首を左右に振った。
それは手をどけさせる行為であり、同時に「知りたいか」という質問に対する答えでもある。
「じゃあ、他の奴から聞け」
あっさりとオレから離れて。
そのままベッドを降りながら呟いた。
「ディファイ族は夜行性だから、次に誰かが目覚めるのは夜だろうな。出発する前に、聞きたいことはちゃんと聞いとけよ」
――あれ。
あなた、今夜出発するって言ってませんでしたっけ?
振り向いたサクヤが、ふふん、と鼻で笑っているのが見えた。
……結局教える気ないってことか。
オレはため息をついて、シーツに顔を突っ込む。
とりあえず。
今の何とも言えない攻防が、最後のダメ押しになったらしい。
身体だけではなく、精神的にも非常に疲れた……。
うつ伏せに転がっていると、サクヤが部屋の隅で荷物のチェックをしているのが、気配で伝わってくる。楽しそうな雰囲気が手に取るように感じられて、疲労した自分との落差に溜息をつきたくなる。
色々言いたいことはあるんだけど。
……ああ、もういいや。
オレは素直に眼を閉じる。
くたびれた身体は、それだけで夢の中へ向かうのだった。
2015/06/28 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2016/01/27 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更




