3 リドルの姫巫女
「あれは、どうしたんだ?」
サクヤは、走り去るアキラの背中を見ながら問う。
問われたイオリは、少ない言葉からも、その質問の意味を正確に理解したらしい。同じ方向を見ながら、答えた。
「去年、人間に奴隷としてとっつかまってたところを解放したのよ。親の名前も覚えちゃいないし、行くとこもないから、うちで引き取ったの」
「ディファイの血をひいてるのは一目瞭然だが……」
「生死不明の奴っちゃあ、思い当たる仲間もいるにはいるけどさ、どれに似てるかとってなると、ちょっとねぇ」
身体的な特徴は、どう見ても同じ一族だから、昔、人間に捕まったディファイ族が、子をなしたのだろうというところまでは、推測できる。ただ、本人が親の名前も覚えていない状態で、誰の子、とまではっきり言えない。
「まあ、ディファイの子なら、一族の男だもん。皆、喜んで迎えたんだけど、どうも、可愛がりすぎなのかなぁ。そろそろ成人の儀を迎える頃だけど、まだまだガキくさくて困るわ」
それでなくても大きな胸を、強調するように手前で腕を組むイオリの表情は、生意気な弟に文句を言う、姉そのものだった。
両親ともに不明で、そろそろ大人でも。
皆から可愛がられているのは本当らしい。
サクヤが苦笑しながら、「そういうのが甘やかしだろ」なんて、珍しくまともなことを言っている。
イオリの照れ笑いが、いかにも家族らしくて、オレも思わず笑ってしまった。
場が和んだところで、遠くから快活な声が飛んできた。
「サクヤ!」
名前を呼ばれて、サクヤが振り向く。
夜闇の中、白いローブの人影が、こちらに駆け寄ってきているのが見えた。
人影が近くまで来た辺りでようやく、ローブを着ているのは、尖った黒い耳と、長い黒髪の青年であるのが分かる。
サクヤが目を見開いて、青年の名を呼んだ。
「……トラ?」
「久し振りじゃないか!」
トラと呼ばれた青年は、尻尾を垂直に立てたまま、スピードを落とさずこちらに駆け寄り、その勢いでサクヤに飛びついた。
勢いごとトラを受け止めたサクヤが、後ろに倒れそうになるのを、オレが支える。
トラの腕を掴んで、倒れないように引っ張ったのは、イオリだった。
確かに、どことなく戦士風の服装をしているが、綺麗な女性なのに、意外にも力があるので、少し驚いた。
美人で、胸が大きくて、強いなんて、こんな知り合いのいるサクヤが羨ましい。
「危ないわねぇ、長老。あんた、前も同じ事やって、サクヤと一緒に坂から転がり落ちたの、忘れたの?」
「ごめんごめん。イオリ、ありがとう。サクヤがあんまり変わらないもんだから、自分も子どもの頃みたいな気になっちゃって」
どうやら、今の長老はこの青年らしい。
純白のローブに、黒い長髪が見事なコントラスト。
年はオレよりちょっと上――師匠やエイジと同じ頃だろうか。
切れ長の瞳や、秀でた額は、艷やかな黒髪に良く似合っている。
黙って立っていれば、結構な美青年に見えるが、どうにも天然の雰囲気が漂っているのが、惜しいと言えば惜しい。
ただし、そこが愛嬌があっていい、という女性も多いのかもしれない。
――それにしても、この人。
いつか、どこかで、見たことがあるような気がするんだが。
記憶を辿っても出てこないので、やっぱり気のせいかもしれない。
「トモエに一族を託されたのは、お前だったのか、トラ」
「あれ? 連絡いってない?」
「何言ってんの、長老が、『全然遊びに来ないサクヤになんか、教えなくていい』って拗ねて、連絡出させなかったんじゃない」
「……そうだっけ?」
本気で忘れているらしいトラの様子に、サクヤとイオリが揃ってため息をついた。
そんな2人を気にもとめず、トラはオレの方を見る。
「それで、サクヤ。こっちは? 人間だよね? サクヤが人間を連れてくるなんて初めてだ」
「こっちは、カイ。ちょっと拾った」
「三之宮 櫂だ。よろしく」
犬の子を拾ったような言い方をするが、一応紹介してくれたようなので、オレは軽く頭を下げた。
トラが、至近距離からオレをじっと見つめる。
遠目に見ると背が高く見えるが、並ぶと、オレとそんなに違いがないことに気付いた。
……ん? ああ、サクヤが小っちゃいのか。
「お前、何考えてるか、顔に出てるぞ」
サクヤが不機嫌そうに呟いたので、笑ってごまかしておく。
視線を戻すと、トラはまだ、オレを真正面から見つめていた。
あまりに長いこと見られているので、正直、少し気圧された。
その黒い瞳を正面から見ていると、黒すぎて、闇を覗いているようだ。
レディ・アリアも黒い瞳だったが、彼女のように、怖い感じはあまりしない。
ただ純粋に、興味と好意を向けてきている感じを持つのだが。
近くからじっと見られると、単純な圧迫感がある。
「へえ、なかなかこの子は面白いなぁ。僕は一色 都羅。こっちのお姉さんは、真田 伊織。よろしくね」
オレはあんたの方が面白いと思うけどな。
口には出さずに思ったはずなのに、聞こえているかのように、トラが微笑んだ。
どきりとしたところで、トラがオレから視線を外し、サクヤに向き直る。
「それで、サクヤ。今日はどうしたのさ?」
離れてくれて、オレはほっと息をついた。
恐くはなくても、緊張する。
サクヤもそうだが、顔の整った人に近くから見つめられるというのが、やっぱり緊張の原因かもしれない。
オレの悩みも知らず、いつも無駄にオレを緊張させる奴隷商人は、今日も可愛らしい。
小首を傾げながら、トラに答える。
「特に用があって来た訳じゃないが……街で、変な噂を聞いたからな」
イオリとトラが、途端に顔をしかめた。
思い当たることが十分にあるらしい。
2人は顔を見合わせて、お互いに話すのを譲り合うように、沈黙を続けている。
無言の睨めっこに負けたのは、イオリの方だった。
額に手をやって、髪を掻き上げながら、苦々しい顔をする。
「数ヶ月前からなんだけど。突然、人間の兵士達が度々攻め込んで来るようになったのよ。最初の奇襲で、仲間が大勢攫われたから、その後は、こっちも警戒してるから、被害はまあ減ったわよ。でも、周りの街に全然入れなくなっちゃって。流通も止まるし、死活問題よ。何とか持ちこたえちゃいるけど、ジリ貧なのよねぇ」
「向こうの目的は分かってるのか?」
「それが分かれば、手の打ちようもあるんだけどなぁ……」
「だって、長老の名前で使者を出して、会談を申し入れても、使者が帰ってすらこないんだから。こっちと話す気は皆無よね、あれは」
単純な1対1の勝負であれば、獣人の方が身体能力が高く、有利と言われている。
しかし、国を相手にして、一方的に攻め立てられれば、数の少ないディファイ族の方が圧倒的に不利だろう。
特に、長期戦になるのであれば、自給自足で賄えないモノも出てくる。
――例えば、武器。
サクヤは、そっと唇に指を当てる。
「今回、俺には時間がないが、出来ることがあれば力になりたい。良ければ、王都に寄って、事情を探る程度のことはするが……」
「そう言ってもらえるとありがたいな――」
「――おれは反対だぞ!」
会話の外から乱入したのは、先程ここまで案内してきた、アキラだった。
こっそり隠れて聞いていたのが、ついに我慢できなくなったようだ。
突然のアキラの声にも、この場にいる4人の誰も、驚かない。
実は、アキラが隠れていることを、全員が気付いていたからなのだが、それを言うとアキラが可哀想なので、内緒にしておこう。
どちらかと言うと、思わず声を出してしまったアキラの方が、どうやってごまかそうかと、わたわたしている。
イオリがため息を吐きながら、声をかけた。
「分かったから出てきな、アキラ」
がさがさと草むらが揺れて、アキラが姿を現す。
もじもじしているその姿に、トラが黙って手招きをした。
小走りで駆けよってきたアキラの頭に、拳骨を食らわしてから、イオリが声をかける。
「全く。バレバレだっつの。こそこそ隠れてないで、もっと早く、堂々と参加しな」
「……ごめんなさい」
「まあまあ。で、アキラは何で反対なのかな?」
一見すると、イオリが怒っていて、トラが宥めているように見えるが、伝わってくる空気は真逆だ。多分、トラの怒りに気付いているイオリが、分かりやすい形で、アキラの謝罪を引き出してやったのだろう。
しかし、本人はそこに気付いていない。
ついでに言うと、サクヤさんも。
どっちも、鈍いからだろうな、これは。
「何でって……イオリも、長老もどうかしてるよ。そっちこそ何で、人間なんかに助けて貰うんだよ。こいつらのせいで、おれ達が今、困ってるんだろ」
「何でって、サクヤは人間じゃないからだ」
トラがあっさりと言い切った。
アキラが目を見開くと、イオリが子どもに言い聞かせるような声で補足する。
「『リドルの姫巫女』って、前に教えたじゃない。それが、サクヤよ」
「え、待てよ。昔、ディファイの戦争に助力してくれたってリドル族のことだろ? でも、リドル族なら兎耳があるはずだ。髪も眼の色も、聞いてたのと違うし」
アキラが上から下までサクヤを眺める。
サクヤは、鬱陶しそうに眉をひそめただけで、特に何も言わなかった。
きっと、いつものこと、なのだろう。
ちなみに、『リドルの姫巫女』を知らないオレは、完全に話に置いて行かれている。
「そういう意味じゃ、サクヤは人間だもん。一族の血は引いてないらしいし。ただし、『リドルの姫巫女』なのは間違いないから」
「『姫巫女』を継いだなら、血を引いてなくても、リドル族だよ。僕達と同じ、獣人だね」
トラが満足そうに頷いた。
満面の笑みは、サクヤが自分と同じ獣人であることが、嬉しくて仕方ないということなのだろうけれども。
「ちょっと待てよ! リドル族は、一族全部とっ捕まってるだろう! あれは、『リドルの姫巫女』が一族を守れなかったからじゃないのか?」
サクヤは表情を変えない。
答えがないのが、質問の答えだ。
オレには、サクヤが拳に力を込めたのが見えた。
多分、隣にいるイオリも気付いたのだろう。静かに、サクヤの背に手を回した。
誰も何も言わないのは、アキラの言葉が、少なくとも真実の一端を突いているからに違いない。
だけどさ。
勿論、オレは何も知らないけど。
『リドルの姫巫女』というのが、一族を守る地位なのなら。
普通は血族から選ぶものではないだろうか。
「長老、あんたおかしいよ! あんただって、一族を守ろうと思って、長老になったんだろう? それなのに……もしかして、こんな人間なんかが姫巫女になっちまったから、リドル族は――」
「――もう止めな。余所の一族の決めたことに、口を出すんじゃないよ。それに、あたしらの恩人に、そんな口の利き方は許さない」
さすがに、イオリがアキラを止めた。
アキラはまだ言い足りない様子だったが、イオリとトラの視線を受けて、その迫力に押されるように、口をつぐんだ。それでも、受け止めきれない感情に顔を歪めて、踵を返し、無言のまま走り去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、トラが小さく呟いた。
「ごめんね、サクヤ。あの子も悪い子じゃないんだけど、人間にだいぶ酷い目にあわされたみたいで……」
「いや。基本的には、間違ったことは言ってない。リドル族の窮状は俺のせいだ」
「まあ、あたしも全部知ってる訳じゃないし、全て間違いだとは言わないけどさ。あんまり1人で背負い込まない方がいいよ。つってもリドルはねぇ……」
「姫巫女以外は戦闘に向かないからね」
イオリとトラが口々にぼやいて、ため息をついた。
サクヤは無表情のまま落ち込んでいるし、空気はこの上なく暗い。
どうも、それぞれの種族は、各々の問題を抱えている。
さすがと言うか何というか、長老のトラは切り替えが早かった。
「悩んでも仕方ない。出来ることをやらなきゃだよね。サクヤ、手伝ってくれるって?」
「時間の余裕はないから、出来る限りで良ければ。今、多少は手伝えても、その後、本格的に動けるまで、半月はかかる。その後で良ければ、また戻ってくるから。しばらくは目立ったことが出来なくて、悪いが」
「いや、ありがたいわよ。あたし達にも、何がなんだか分からないんだけど、耳と尻尾が生えてると、潜入捜査もできやしないのよねぇ」
「耳も尻尾もない仲間は、大歓迎だよ。もちろん、そこの少年もね」
トラが突然こちらを見たので、オレは黙って頷いた。
種族間の争いについて、何の深い考えがあるワケでもないが、単純な話をすれば、一方的な喧嘩は好きじゃない。
それに、サクヤがやると言うなら、オレはついて行くしかない。
「よし、じゃあサクヤ、ひとまず今日は泊まっていってさ。いくら時間がないって言っても、1日くらい、いいよね。明日の夜、出発すれば?」
「そうそう。他のヤツにもサクヤが来たって教えてやらないと。今夜は宴にしましょう。男衆が喜ぶわよ」
3人は集落に向かって、並んで歩き出した。
オレは、空気を読んで、少し遅れて後をついていく。
前方の獣人達は、久し振りに会った旧友らしく、共通の知人の境遇について話している。
誰が結婚したとか、誰に子どもが出来たとか。
ふと、イオリが思い出したように、サクヤに尋ねた。
「……ねぇ、そう言えば、サラはどうしてるの?」
聞いたイオリよりも、聞かれたサクヤよりも、トラの反応が大きかった。
頭上の耳を最大限サクヤに向けて、尻尾を持ち上げて止まっている。
「何だ、トラ。気になるなら、もっと早く聞いてくれれば……」
サクヤの言葉にも、トラは気になる、とは言わなかった。
しかし、気にならない、とも言わない。
黙って注目を受けているサクヤは、小首を傾げると、思い出しながら答えた。
「最後に会ったのは、3ヶ月前かな。立派な娘になってた。ディファイの血を受け継いで、スピードと気配遮断に関しては、右に出る者はいないだろう。組み手をしたときには、完敗した」
サクヤは接近戦では、スピードと予測で、相手の動きの先を押さえて戦うことが多い。反応が早すぎて、オレでは、目がついていかないこともある。
師匠も早いが、師匠の場合は一瞬の剣閃が早すぎるのだ。刀の間合いに相手が入ってからの、踏み込みと斬り込みが早い。
単純に、短距離の足の速さだけ競えば、多分、サクヤの方が優位だ。特に、トリッキーなステップや、一気に距離を詰める高速移動では、サクヤが勝る。
そのサクヤと接近戦で戦って、完敗と言わしめるのは、どんなスピードなのか。
トラが緊張を解くように、息を吐いた。
背を向けて、先に集落に向かいながら、言い訳のように呟く。
「掟破りの追放を受けていても、妹だからさ……元気なら、それでいいんだ」
その背中では、尻尾がゆっくりと左右に揺れて、じんわりと喜びを表していた。
2015/06/27 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更