1 獣人入国禁止
この人、行く先々に、敵を作って歩いてるんじゃないか。
人のいるところへ立ち寄る度に、何かが起こっているような気がする。
アスハを宿に送り届けて、一泊したオレ達は、いつも通り夕方に出発した。
朝になって、次の街に着いた頃には、サクヤの性別は男に戻っていた。怪我が治ったという意味ではいいことだ。ただし、オレ個人としては、綺麗な女と旅をしている方が楽しいので、その点については、割と残念。
いつものように、街の門で、役人に通行証を差し出す。サクヤは相変わらず、目立ちたがらない。フードを被って、オレの後ろで黙っている。
借りた通行証を、オレが、門を守る役人に渡した。
通行証を見た役人の顔が曇る。
「奴隷商人? じゃあ、後ろは奴隷か?」
「そうだけど」
このやり取りも、もう何度目か。
例によって、サクヤは奴隷として申請しておく。
ここまでは問題ない。今回の問題は、その後だった。
役人は、フードを被ったサクヤをじろじろ見ながら、意外なことを言った。
「これは、獣人じゃないのか?」
「はあ? 人間だよ」
「嘘じゃないだろうな?」
「そもそも、獣人だからって、何か問題?」
役人が何を言いたいのか、全く分からなかったので、素っ頓狂な声が出てしまった。
サクヤが気にかけているリドル族や、町のオークションで見たグラプル族――あのときは本物ではなかったらしいが――などの獣人は、人間と獣の間の身体的特徴を持つ種族だ。人間と同じように、二足で歩き、言葉も喋るが、獣のような耳や牙や尻尾があるので、外見ではっきりと見分けがつく。
獣人は、概して人間よりも身体能力が高い場合が多い。オレがもし獣人だったら、剣の扱い一つ、きっと師匠にあんなに怒られることもなかろうと、これはちょっとした妄想だ。
色々と秘密があるらしいが、サクヤは、見た目は完全に人間に見える。
今までのところ、その点を疑われたことはなかった。
さらに言えば、奴隷が獣人だとしても、何か問題があると言うのか。獣人奴隷なら、むしろ人間より高値がつくくらいなのに。
役人は、苦々しげに答える。
「この国は、獣人は入国できない。通行証がないなら、獣人でない証拠が必要だ」
そんな国があるのか、と驚いてサクヤを見たが、フードごと小首を傾げている。
やはり、珍しいことのようだ。サクヤが知らないのだから、ここ最近のことなのかもしれない。
オレは、黙ってサクヤのフードを外した。
サクヤは、鬱陶しそうに眉をしかめているが、顔を見せる必要性は理解しているのだろう。文句は言わない。
ただ、その姿を見て、役人が俄然やる気を出したのが、オレには分かった。これは長くなりそうだと、心の中でため息をつく。
「証拠ね。見れば分かるように、耳なんてないけど」
「耳は目立つから、切り落としているかもしれんなぁ」
「耳と尻尾は獣人の誇りだから、そんなことするヤツいないって。そんなこと言われたら、どうやって証明すればいいんだよ?」
「通行証はないんだな?」
「奴隷にそんなもんないって」
「じゃあ、牙を抜いた跡が口の中にないか、確認するから、口を開けさせろ」
役人の言葉を聞いたサクヤは、非常に嫌そうな顔をした。
それでも、他に方法もないので、まあまあ、と視線で宥めておく。
頭では分かっていて、ただ、生理的な嫌悪感があるだけのようだ。オレが顎に手をかけると、素直に口を開いた。
その唇の隙間に、役人は、容赦なく指を突っ込む。
太い指が舌に擦りつけられた瞬間に、サクヤの瞳に危険な色が浮かんだ気がして、オレは頭に手をのせた。
「――おい、噛むなよ」
分かっていると思っていても、あえて声をかけたくなるくらい、今にも噛み付きそうな顔をしている。
その表情すら、そそると言うのか、役人は、丹念にサクヤの口腔内を撫でているようだった。時折、えづくように喉が鳴っているのは、かなり深くまで突っ込まれているらしい。
開きっぱなしの唇の端から、どうしようもなく、唾液が垂れた。
さすがに、ここまでされると、見ているだけのオレだって癪に障る。
「……なあ、もういいだろ?」
役人の腕を掴んで、引っ張ってやった。
意外にも、さしたる抵抗もなく手を抜いたが、役人の顔が笑っているのを見て、胸騒ぎがした。
そんなオレの胸中を知らないサクヤは、服の袖で自分の唾液を拭いながら、こちらを睨み付けてくる。
いやいや、ちょっと待て。オレに怒ったって、どうしようもないって。
「牙はないようにも思えるが、はっきりとは分からんなぁ。今夜一晩貸してくれりゃ、しっかりと調べて、明日の朝には返してやれるんだが」
ちくしょう。やっぱ、そう来るか。
役人の言葉を聞いて、誰よりも早く反応したのは、サクヤだった。いつものように、ブーツで役人の脛を狙う。
オレの反応は一瞬遅れたが、もうこうなったら、いつか蹴りが出ると予測はしていたので、何とかその足を自分の足でブロックした。
結果として、オレの足に泣きそうな痛みが走る。ぶつかった瞬間に、サクヤが、軽く目を見開いた。誰にも気付かれないように、痛みを必死で我慢する。
これ以上暴れないように、背中からサクヤの首に腕を回し、固定してから、役人に声をかけた。
「なあ、あんた。こいつ、どこに献上すると思う? ほら、こんな奴隷、今までに見たことないだろう? 納める先だって、それなりに予測がつくだろうが」
中途半端に想像を煽るように、ぼやかして伝える。
言われた役人は、思い当たる何かがあるのか、勝手に色々と勘繰ってくれているようだ。
向こうが、多少、まともな顔に戻ったところで、ダメ押しをした。
「あんまり、時間がかかっちまうと、あんたの家族まで類が及ぶぞ。問題ないなら、さっさと済ませた方がいいんじゃないか?」
役人の頭の中で、オレの言葉の真偽と、リスクと、色んな利害がぐるぐる回った果てに、オレ達にとっては、良い結果をはじき出したらしい。
先ほどまでとは打って変わった早さで、書類の処理を進めてくれた。幸いなことに、この街には、それらしい取引をしそうな、思い当たりがあったようだ。
オレはその様子を見ながら、ほっと一息つく。
サクヤは、そんなオレを、何とも言えない表情で眺めていたが、目が合うと、はっとしたようにフードを被り直した。
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手頃な宿を見つけ、部屋に落ち着いた途端、サクヤは水差しごと水を持って、手洗いにこもってしまった。
オレも喉は乾いているのだが、まあ、今回は仕方ない。全面的に譲ってやることにする。
水音に混じって、時々、嘔吐する音や、咳き込む音が聞こえる。
よほど、気持ちが悪かったのだろう。
ようやく手洗いから出てきた時には、水差しはからっぽで、サクヤは顔だけでなく、シャツの胸元までびしょびしょに濡らしていた。
「あー、何て言うか、我慢させて悪かったな」
オレが謝る筋でもないと思うのだが、気遣いを謝罪に差し替えて、声をかけておく。
いつものように、高飛車に答えが返ってくるかと思ったが、サクヤは、濡れたシャツを脱ぎながら、意外なことを言った。
「……いや、お前がいて助かった。……悪い」
最後の「悪い」は、水差しの水を使い果たしたことか。
あ、蹴ったことか。
どっちも、大したことでもなかったので、オレは軽く頷いておく。
「それにしても、意外だな。あんたは、ああいうことは慣れてるんだと思ってたんだけど」
だって、これだけ綺麗なら、引く手あまただ。
男だと明言していても、言い寄るヤツは多いはずだ。
ましてや、本当は女の時もあるワケだから、そりゃあ、もう最強だ。
そう言えば、双子執事にも、手を出されかけたようなことを言っていたな。
それに、プライベートの経験だけでなく、奴隷商人なワケだから、業務上そういう場面にも良く遭遇するに違いない。
奴隷を所有する目的なんて、所詮3つしかなくて、戦力か、労働か、性労働だ。
性労働に従事する奴隷なら、そういう調教をしたりもするのかもしれない。
きっと、オレの妄想では追いつかないような、すごいことをするんじゃないのか。
だから、きっと、さっきのようなことは、日常茶飯事なのだろう。
――などと、ワクワクしながら、どこか寂しい気もしつつ、考えていたのだが。
「慣れる? 口に指を突っ込まれるのは、よくあることか?」
聞き返された言葉に、怒らせたかと思って、思わずそちらをまじまじと見てしまった。
その表情は、本気で何を言っているのか分からない顔をしている。
……何言ってんだ、この人。
「いや、指に限らず、あるだろ、ほら。き、キスとか……」
恥ずかしながら、今までにそんな経験のないオレからすると、単語だけでも口にするのに苦労する。
もっとすごい単語も思い付いたが、もうこっちは、口に出せない。
この程度の言葉、堂々と言えばいいと自分でも思うが、やっぱり、無理。恥ずかしい。
そう思っていたら、堂々としているヤツが、目の前にいた。
「キス? そんな経験はないな」
……いや、なくはないだろ。
確かにこの人、外見は、オレより年下に見えるが、正直、見た目通りの年齢ではないと思う。
今までに会った、サクヤとその知人とのやり取りを見ていると、オレより年上なのは確実だと感じた。
具体的に、幾つ違うのかまでは分からないけど。
獣人ではないように見えるが、何やらリドル族との関連もあるらしい。
ハーフとか、クオーターとか、そういうことなのだろうか。いや、血は引いていないと言ってたから、違うのか。
でも、リドル族は成長が遅いらしいので、何か影響があって、こんなに若く見えるのかもしれない。
単純に、すごい童顔なのかも知れないけど。
――そして、オレより年上だとしたら。
キスの経験がないことを、恥ずかしげもなく、あっさり言い切れる神経が分からん!
「嘘だろ?」
「こんなことで嘘なんかつかない。それとも、キスって言うのは、お互いに口でするんだと思っていたが、人間にとっては、ああいうものなのか? だとしたら、今日のをカウントすればいいのか? あれが唯一の経験と言うのは、何か虚しいものがあるような気もするが、どうだろう?」
そんなワケないだろ!
何考えてんだ、こいつ!?
あれか、こっから、「だから、口直しに……」とか言って誘うつもりか?
自分で自分のバカさ加減も大概だと思うが、もう、オレにはそういう、成人向けの読み物のような展開しか、思い付かないよ……。
それならそれでいいから、純情ぶるのはやめてほしい。
「あのさ、普通、オレとかあんたくらいの年齢の男って、そういう経験――は、別にして、知識とか興味はあるもんじゃないの?」
「お前、俺の質問に答えろよ」
――あんたが言うな!
いつも、人の質問を質問で返す、腹立たしい返答をするのは、あんたの方だろう。
もう、オレはマジメに会話する気を失って、ベッドに寝転んだ。
サクヤは、しばらくオレの方を見ていたが、特に話題としてはこだわりがないようで、あっさりと話を止めた。
黙って、紙をめくる音だけが響く。
何の音かとそちらに視線だけを向けると、手帳に視線を落として、何かを探していた。
手帳は分厚い皮の表紙だが、ぼろぼろになっている。かなり長い期間、使い続けているもののようだ。
そのページをめくる手が、途中で止まった。
「あった」
「……何探してたんだ?」
「獣人は国に入れないと言っていたが、この周辺には、元々住んでいる種族があったはずだ」
少し興味が湧いたので、起き上がって、サクヤの隣に移動する。
サクヤは、近寄ってきたオレをちらりと見て、すぐに手帳に視線を戻した。
その指を追って、手帳を覗き込むが、書かれている文字が全く読めない。
「ああ、読めないと思う。リドル文字だから」
あっさり言われた。
良く分からないが、師匠に習った文字とは別の文字らしい。
リドル文字と言うからには、リドルにしか読めないのだろう。暗号代わりに丁度いいので、手帳に使っているのか。
もしかしたら、それ以上の精神的な意味があるのかも知れないけど。
「ディファイ族の集落か。そんなに時間の余裕がある旅じゃないが、気になるから、様子見くらいはしておきたい」
手帳からこちらに視線を戻し、上目遣いに見上げてくる。
どうも、オレの許可を求めているようだが、オレ自身は、特に予定があるワケでもない。
基本的に、師匠と再び会えるまで、サクヤについて歩いているだけなので、そうしたいなら勝手にすればいい。
「オレは異論はないぞ」
「うん」
サクヤの返事は簡素だったが、何とはなしに嬉しそうだった。
思いつきのような言い方をしていて、その実、街に入った時から、気になっていたようだ。
反対されなかったので、安心した様子だ。
こういう顔をされると、非常に可愛いので、ある意味困る。
こんなんだったら、ずっと、女でいたらいいのに、などと、危ないことを考えてしまう。
「まあ、それで、そのディファイ族っていうのは、どこにいるんだ?」
「この街から出て、街道のところで、少し逸れてやれば、集落がある」
手帳を閉じたサクヤは、何だかそわそわしている。
それが、いかにも早く出発したい様子だったので、苦笑して、その肩を掴んだ。
「もう1日歩き続けたんだぞ? これから行く気か?」
「いや、夜の方が都合がいい。日が沈む前に、出発しよう」
夕方に目覚めて、朝に床に着く生活も、だいぶ慣れてきた。
オレの今までの生活リズムとは違うけど。
このことについては、反対しないことにしている。
――何故か、そうしてあげたいと、思ったから。
2015/06/23 初回投稿
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更