10 夜半の風亭に来い
アスハが来たはずの新聞屋に寄って、様子を窺う。店番の男に尋ねてみたが、そもそも、ここに来てすらいないようだった。
道中、開いている店には全て立ち寄ってみた。アスハの姿を見かけなかったか、何か変わったことはないか、聞いてみるが、手がかりはない。
サクヤは、こんなとき、聞き込みの役には全く立たない。宿で留守番をしてもらっている。フードを被ったままだと怪し過ぎて、聞き込みしてる本人が不審者と思われてしまうのだ。
しかも、本人が女の声でしゃべりたがらないので、正直、邪魔なだけだ。
サクヤ曰く、いくらアスハが元奴隷と言っても、今は、きちんと市民権を得た宿の娘だ。それだけの情報では、アスハを目当てに動くメリットがない。だから、アスハが狙われたのは、屋台でサクヤの名前を不用意に出したからだ、と。
つまり、自分のせいだと言いたいようだった。
アスハはもう殺されてるかもしれない、とは、サクヤも親父も言わなかった。
希望的観測ではなく、根拠があっての考えのようだ。
アスハは生きている。
――そして、アスハが殺されていないということは、彼女の特性を理解している人間の仕業に違いない。
まだ未確定の推測が、オレの中で確定に近付いていた。
まずは、ケイタの動きが一番気になる。
屋台の周辺で、ケイタの気配を感じたりはしなかったが、協力者なり手下なりがいたのかもしれない。まさか、あんなにあっけらかんと、身の上話をされるとは思わなかったので、オレも気を抜きすぎた。もう少し、気を付けてやるべきだった。
話を聞けそうなところを大体回った後、オレは、一度宿に戻ってみた。
宿の入り口をくぐると、奥の壁に、サクヤが背をもたせて立っている。
苛立った様子で表を眺めている視線と、入り口で目が合った。話し掛けづらい雰囲気ではあるが、報告をしておく。
「こっちは何も手がかりないぞ。そっちは何か来たか」
「……これだな」
サクヤが、手に持っていた文書を、こちらに見せてきた。
文字を読むの、苦手なんだけどな……。
全く読めないワケではないが、師匠に、訓練の一貫として習っただけだ。まだ習っている途中なので、あまり難しい文字は読めないし、読み間違いも時々ある。
しかし、文書の内容は、間違いようもなく簡潔だった。
「『夜半の風亭に来い』……?」
「昔、良く行った店だ。今は廃墟になってる。ここに呼び出すなら、ケイタで間違いないだろ」
どうやら、オレが戻ってくるのを、待っていてくれたらしい。
何故、この店に呼び出されたのか、サクヤなりに理解したのだろう。だからこそ、苛立っている様子だった。
「お前はどうする?」
「行くよ。当たり前だろ」
「じゃあ、行くか」
あっさりと答えると、カウンターをうろうろする親父に声をかけた。
「行ってくる」
「ああ。……あのバカ娘は、心配かけやがって……」
アスハだけのせいではない。
サクヤがいれば、厄介ごとが舞い込んでくる。
本人もそう言っていたし、今朝の時点で親父も理解していた。そして、そのことを理解していても、泊めてやりたい事情があるのだろう。
多分、主に、アスハに絡んだ――。
サクヤは、親父の言葉に片手で答えると、フードを被りながら、宿を出た。
オレがその隣に寄ると、こちらを見ずに、声をかけてくる。
「内緒じゃない話を、しておく」
「うん」
「昨日、ケイタとコウタは、レディ・アリアのところにいたよな?」
「ああ」
最初に会ったのは、あの豪華な廊下の奥だった。
2度目に会ったときには、レディ・アリアのことなど、どうでもいい様子をしていた。
それよりも『カズキ様』への、忠誠のようなものを強く感じた。
「あの2人は、レディ・アリアの執事じゃなかったんだな」
「そう、レンタルと言うのかな。今はまだ余裕があるから、カズキから、レディ・アリアに貸し出されていたんだろう。本来は、カズキの下で警護を担っている」
『カズキ様』の名前を出すときに、サクヤの声が曇った。ただ単に嫌い、というのを超えて――ほとんど憎悪に近い域のようだが。
その中にも、何か憎みきれないものを感じる。随分と複雑な関係に聞こえる。
「で、そのカズキっていうのが、青葉の国のヤツなのか?」
「……お前、人がさらっと言いっぱなしにしたことを、良く覚えてるな。そうだよ。カズキは青葉の国の第一王子だ」
王子様の配下なら、魔法使い――コウタが付き従っていてもおかしくない。
しかし、そうなると、サクヤは王宮付き魔法使いを殺害したということで、これは、普通は指名手配されてもおかしくないような罪なのでは……。
「ケイタとコウタが帰って来なければ、レディ・アリアは、カズキに俺のせいだって言うだろうな」
「……それって、まずいんじゃねーの?」
「いや、今のところは、問題ない。あの国は、こっちにも後ろ盾がある。しかし将来的には――カズキとは、もともといい関係じゃないからな。せいぜい、あいつが王様にならないように祈るくらいしかないな」
サクヤがフードの下で小さく笑った。
オレからすると、あんまり笑い事じゃないように思えるけど。
まあ、他人事にあまり首を突っ込んでも仕方ない。それ以上は何も言わず、黙っていると、サクヤがこちらを向く気配がした。
ふと、真面目な声で呟く。
「アスハは、奴隷だった時に改造を受けてる。アスハの命が止まったとき、仕掛けられた爆弾が爆発するように」
「――ああ。人間爆弾って、アスハのことなんだな」
「……攫われた子どもが、見付かったときには、爆弾が植え付けられていたって、どういう気持ちなんだろうな」
なるほど。
そういう事情だったのか。
攫われた子どもを見つけてもらったなら。その引き渡し交渉を代理人として成功させたなら。
それは、宿の親父だって、恩を感じるに違いない。
残念ながら、どんな気持ちなのかは、親を知らず、また人の親ではないオレには想像するしかない。
――だけど。
アスハに植え付けられたという爆弾が、どのくらいの威力なのかは知らないが。アスハが死ねば、巻き込まれる可能性が一番高いのは、家族である宿の親父だ。
それでも、共に生きるというのが、親なのだろうか。
「……ケイタとコウタがそうしたのか?」
「そう。元をただせばカズキの指示。で、転売したのが俺だ」
転売、なんて言っているが、最初から宿の親父に売るつもりで買ったに違いない。魔法使いたる、サクヤには必要のない兵器だ。
アスハの居場所を調べて、状況を確認して、宿の親父が買い取ると言ったから、間に入って交渉した。
それ自体は、善行ですらある。
それをサクヤが、妙に悪人ぶった言い方をするのは、自分が一番嫌悪を感じているからだ。
奴隷を買って、売って、利益を出すことに。
嫌なら止めればいいのだが、それでもこの仕事を続けているのは、やはりリドル族の為なのだろう。
一族を探すのに、最も効率の良い方法をとっている。
その為に、悪事に手を染めることがあるとしても。
今朝、この街の周辺で、爆発が起こった様子はない。
つまり、アスハは、生きている。なら、早く助けてやる必要がある。
双子執事は、自分の作った人間爆弾のことを、覚えていたようだった。自分が爆発に巻き込まれるような形での殺しはしないだろうが、殺さずに嫌がらせをする方法はいくらでもある。
「昔は時々、一緒に組んで仕事をした。その頃、良く使ってたのが、夜半の風亭」
「あんたが、執事共と組んだのか?」
「青葉の国の王とは、面識がある。頼まれたら、まあ、大体は手を貸すくらいはする」
後ろ盾と言うのは、そのことか。
王のことを話すときのサクヤの声からすると、そちらはまともな人間のようだ。
ふと――その王の顔は、知っているような気がした。
まさかオレが、一国の王と会ったことがあるワケがない。
だから、ただの、気のせいに違いないのだが。
王に、手を貸すこと自体は、嫌なワケではないらしい。
ただし、一緒に組む相手が選べないのが、問題と言ったところか。
共に仕事をしたことが、あったのならば。
幾ら気に食わないと言っても、顔見知り――コウタを殺すのは、嫌な心持ちだったろう。
だからサクヤは、今朝からずっと、ぼんやりしているのだ。
勿論、眠いというのも、事実で。身体が怠いのも本当だろう。
しかし、眠気というのは、逃避の一種でもある。
どうせ、後悔しているのだ。
殺さずに済ませられなかったかと。
表に出したくない秘密を握られ。
右腕を持って行かれかけたにも関わらず。
ここまで一緒にいて、オレには、ようやくこいつのことが分かってきた気がしてきた。
偉そうで、口が悪く、鈍感で。
人の気持ちに鈍く、自分の価値を理解せず。
――そして、全部自分で背負い込んでしまう。
そのサクヤが。
オレを欲しがるのは何故だ?
何がそんなに気に入ったのか。さっぱり想像がつかない。
もしかすると、時々耳にする「ノゾミ」という名前に関係があるのかもしれない。
黙って歩いている内に、サクヤが立ち止まり、左手で指さした。
「ほら、ここだ」
そこは、まさに、廃墟だった。
垂れ下がった看板だけが、何とか、その廃墟の名前を示している。
――『夜半の風亭』。
木製の扉は朽ち、中の空間が覗き込めるような穴が幾つも空いている。人が入り込まないように、木の板がジグザグに打ち付けてあるが、それもぼろぼろになっていて大した用をなさない。
サクヤは黙って穴をくぐった。
こういうとき、身体が小さいのはいいことだ。
オレは、少し考えたが、どうも、サクヤのようにどこにも引っかからずにくぐれそうな気がしない。仕方がないので、扉を蹴破った。
「良く、逃げずに来たな」
静かな声が響いた。
廃墟の中には明かりもなかったが、壁や天井の穴から、光が幾つも入り込んでいる。視界は、少し埃っぽいくらいで、比較的良好だ。
埃まみれの床に、アスハは転がっていた。
眼を閉じてはいるが、爆発していないのだから、生きているのだろう。
ぱっと見た限りでは、大きな怪我はないように見える。怪我の有無をしっかりと確認する為には、その横に立った執事服の男の相手をしなければならないようだ。
「サクヤ、フードを外せよ。コウタもその方が喜ぶ」
「……喜ばせる必要があるとも思わないが」
言葉と裏腹に、サクヤはフードを下ろし、マントを脱いだ。
その様子を見守るケイタの表情は、静かだった。それなのに、瞳だけがギラギラと、サクヤを射抜いている。
ふと、2人の執事をカズキから借りた、レディ・アリアの気持ちを推測した。
もしかしたら、ケイタとコウタの実力が必要な荒事があったのかもしれないが。あの女の感覚からすると、そういうことではないような気がした。
多分、自分を挟んで、ケイタとコウタを両側に立たせるのが、良い気持ちだったのだろうと思うのだ。
この、生々しい瞳を持つ、そっくりな双子を、顎で使うのが。
「レディ・アリアは、何か言ってたか?」
「不干渉だと。これは青葉の国の問題で、私は知らない、だってよ。あの女狐が」
サクヤの表情が少し緩む。
レディ・アリアが、それを言う様子は、オレにも容易に想像ができた。サクヤも多分、同じことを考えているに違いない。
『カズキ様』とやらと、レディ・アリアを両方、敵に回すのは得策ではない。
潜在的には敵対しているとしても、表立って喧嘩を売る人間は、少ない方がいいに違いない。
もともと、ケイタとコウタがサクヤを追いかけてきたことについても、レディ・アリアがどの程度関わっているのかも分からない。不干渉だと言い切ってしまうのだから、双子の独断の可能性が高い。
レディ・アリアは、ちょっと困らせてやれ、くらいで、後を追うのを黙認したレベルではないだろうか。
向こうも、サクヤの同業者だ。元々、全面的に対立するつもりはないのだろう。
そうだとすると、今。
コウタの死に、納得がいってないのは、この、ケイタだけだ。だからこそ、怒りを抑えきれない。
無表情に立ちすくむ、その眼の奥に、隠しきれない憎悪と、それ以上の何かが滲んでいる。
「どうして、コウタを殺した?」
「あの状況で、理由が必要か?」
サクヤは、相変わらず、質問を質問で返す、例の返答だ。いつか、その物言いは止めろと教えてやりたいが。
予想通り、ケイタの眉が上がった。
「この場所で、そんなことが言えるのか? オレ達、うまくやってたじゃないか」
「お前は、うまくやってる相手の腕を切断しようとするのか?」
「狙ったのはあんたじゃない、そこのクソガキだ。そのクソガキがいるから、オレ達はもういらないんだろ?」
突然、オレに視線が振られたので、少し驚いた。
オレの存在と、双子が関係するとは、さっぱり思えないが。
――いや、そう言えば、こいつら、オレを誰かと間違えているんだった。
反論しようかと思ったが、その勘違いが、サクヤにとっては有利なのかもしれないので、黙ったままにしておいた。
サクヤも、ケイタの勘違いには、気付いていると思う。訂正しようとしないのは、その方が都合がいいのではないだろうか。
「これが、いようがいまいが、関係ない。お前らとは二度と組まないと、王にも伝えてある」
「だから、それが何でなんだよ? お前も誘ってただろ?」
「悪いが、何を言ってるのかさっぱり分からない。こんな面倒なことになるなら、あの時、あの場で殺しておけば良かった」
圧倒的に、ケイタの側からだけ、執着が伝わってきた。
この執着の何割が、サクヤには伝わっているのだろう。正直、この感じだと、1割も伝わっていないに違いない。
オレは見たことがないはずの「あの時」に、何があったのか、分かるような気がした。
きっと、「あの時」もこの調子で。
サクヤにとっては、面倒で。双子にとっては、当然の。
出来事が、あったのだろう。
2015/06/20 初回投稿
2015/06/20 段落修正
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更