8 そこで脱ぐな
宿に戻る道中、サクヤは無言だった。
宿の入り口では、親父が起きて、オレ達を待っていた。
夜中に爆音がするわ、いつもの客は戻ってこないわで、心配していたのだろう。オレ達――正確にはサクヤの姿を見ると、安心した顔で息を吐いた。
サクヤが片手を上げて、挨拶する。
「心配かけた」
「全くだ。おれももう年なんだから、余計な心配かけないでくれよ。何があったんだ?」
「ああ、ケイタとコウタがちょっかいかけてきた」
2人の名前を聞いて、親父は緩めた頬を、再び引き締めた。
どうやら、双子執事は宿の親父とも、因縁があるらしい。
「どうなった?」
「コウタは殺した。ケイタには逃げられた。変にここを探られるとまずいから、早めに発とうと思う」
宿の扉をくぐりながら、サクヤはフードを外した。フードの下から出てきた髪や頬に、血の汚れがついているのを見て、親父は眼を見開く。
「どっか怪我してるのか?」
「大した怪我じゃない。それより、長居してアスハのことを気付かれると面倒だ」
何故そこで、宿の娘の名前が出てくるのか。
オレからすると唐突に聞こえるが、宿の親父には伝わったらしく、親父は軽く頷いた。
「分かった。だけど、今夜は休んでいけ。ここはまだ知られてないんだろう?」
「……しかし」
「いいんだ。あんたがいようがいまいが、アスハだって、面白半分に狙われるかもしれない。それがあいつらだ。それにあんた、酷い声になってるぞ。風邪でもひいたか?」
サクヤは、一瞬、目を見開くと、黙って左手を上げる。了解の合図のつもりなのだろう。その手をひらひら振ってから、部屋に戻っていった。
声がおかしいと言われたが、オレからすれば、いつもの声だ。
女のサクヤとしては。
どうやら、宿の親父は、サクヤの性別のことまでは知らないらしい。
どうも、サクヤは、あちらこちらに秘密を抱えているようだ。
師匠やエイジなら、全て知っているのだろうか。
宿の親父は、取り残されたオレに視線を向けると、頭を掻いた。
「あいつは、いつもあれだ。おれにだって、恩の一つや二つ、返させてくれたっていいだろうに」
「サクヤに、恩があるのか?」
「聞いてないのか? でっかい恩があるんだよ。なあ、あんた。おれはサクヤが奴隷以外を連れて歩いているのを、初めてみたよ。あんたとサクヤの関係を詮索する気はないが、一緒にいるなら、守ってやってくれ」
一息に言い切ると、オレから視線を逸らして、眠そうに大きな欠伸をした。どうも、柄にもないことを言ったので、照れているようだ。勿論、サクヤの帰りを待って徹夜していたのだろうから、本当に眠いというのもあるだろうが。
本来ならここで、「オレに任せろ」と言えれば、格好いいと思う。
しかし、オレとサクヤはそういう関係じゃない。
ついでに言うと、サクヤさんの方が、オレより遥かに強いんだけど。
サクヤの真似をするワケじゃないが、真剣な親父に、嘘をつくのも忍びないので、オレは笑顔だけ返して、部屋に戻った。
部屋の中では、丁度、サクヤがぼろぼろになった服を脱いで、普段着に着替えようとしているところだった。オレが入ってきたのに気付いて、下着とシャツだけの姿で、声をかけてくる。
「カイ、お湯貰って来い。ついでに、今夜の宿代払ってきてくれ」
……いや、あんた、何て恰好なんだ。年頃の乙女が、若い男の前で見せる格好じゃない。
財布を放り投げてきたが、慌てていたオレは、うまくキャッチすることが出来ず、床に落としてしまった。落ちた財布を追いかけて、視線を下に移す。
そのまま、しゃがみ込むと、頭がくらくらして、立ち上がれなくなった。
「……不器用」
サクヤは不満げに呟くが、オレは、もう顔も上げられない。
あんた、自分の性別に無頓着過ぎるんだよ!
一瞬しか見ていないはずなのに、さっき触った腹が真っ白で柔らかそうなことや、細いと思っていた太股が柔らかそうなことや、シャツの下の胸が柔らかそうなことや……とにかく、男とは違う身体をしている。
ちょ、消えろ、この記憶!
自分でも、顔が赤くなっているのが分かる。顔がというか、頭が全部熱い。
なかなか財布を拾わないオレに焦れたのだろう、サクヤが近付いてくる気配がした。
「何やってるんだ、お前」
下を見たままのオレには、床しか見えない。
その視界の中に、サクヤの白い素足が入ってきた。
自分に、きつく言い聞かせる。
――顔を上げるな。
見上げたら……どんな光景が広がっているかは、十分に予想できる。
オレは理性を総動員して、じっと床を見つめる。
サクヤの足の爪先に、桜色の爪が並んでいる。白い足先から、細い足首まで見ていると、何だかこりこりとして、美味しそうに見える。
「カイ?」
サクヤが、少し慌てた声で、オレを呼んだ。
返事をする前に、しゃがみ込んだサクヤが、下から視線を合わせてくる。
目の前に、白くて丸い、おっぱいが2つ並んでいる。サクヤが腕を前で組んでいる為に、おっぱいは普通よりも強調されて、盛り上がっている。
いやいや、ダメだダメだ。
サクヤがオレを見ている。これじゃ、変態だ。
オレは一生懸命、視線を外そうと頑張っているのだが、どうしても胸元から目が離せない。オレの真っ直ぐな視線に気付いたのか、サクヤは小さく息を吐く。
さっき脱いだばかりの汚れたシャツを丸めて、オレの顔に押し当ててきた。
「――はぶっ」
突然、息を塞がれて、変な声が出た。
ついでに視界も遮られたので、オレはこれ幸いとシャツに顔を埋めた。
いや、シャツをずらしてもう一回見ようとかは、思わない、思ってない――思うな!
「……鼻血出てるぞ」
いつの間にか、移動したサクヤの声が、部屋の奥から聞こえた。
思わずそちらを見ると、既にサクヤは、普段着の白いシャツと黒いスラックス姿になっている。
そう長い時間にも思えなかったのだが、オレがシャツを掴んで葛藤している間に、着込んだらしい。
「……え!? あ、ほんとだ」
押しつけられた白いシャツを見ると、まだ新しい血で、濡れていた。もともと血塗れだったシャツだが、サクヤの血はとっくに乾いているので、これはやっぱり、オレの鼻血なのだろう。
「もういい、俺が行ってくる」
マントを羽織ったサクヤが、床から財布を拾い、部屋を出て行った。
しばらくして帰ってきたときには、盥に湯とタオルを持っている。
じっと床にしゃがんだままのオレを、何とも言えない表情で見下ろすと、濡らしたタオルで顔をぐいぐいと拭いてくれた。
「……すみません」
恥ずかしいと言うか、情けないと言うか。
オレが謝ると、サクヤは「いや」と一言答える。
顔が綺麗になったところで、小さく千切った布を渡してきた。
「詰めとけ」
「……はい」
……いつになく優しいのが、余計に恥ずかしいんですけど。
素直に鼻に布を詰める。
視界の端で、サクヤが盥とタオルを持って、オレから見えにくいベッドの向こう側へ移動するのが見えた。
そこで、改めてマントを脱いで、着込んだシャツをはだける。オレに背中を向けて、顔や身体に付着した血を拭いているようだった。
移動したのは、サクヤなりに気を遣ってくれているらしい。欲を言えば、最初から気遣ってくれたら良かったのに、というところだが。じっとそちらを見ていると、さっきのことを思い出しそうなので、オレは意識的に他の部分に視線を向けた。
窓の外はだいぶ明るくなってきたようだ。人通りも出てきて、街に活気も出てきた。
ああ、朝の光景は清々しくていいなぁ。背後の衣擦れの音なんか、聞こえないぞ。
ぼんやりを装って、必死に窓から表を眺めていると、背後から声がかかった。
「もういいぞ」
その言葉で、恐る恐る、部屋の中に視線を戻す。
サクヤはいつもの服装に戻って、ベッドの上に膝を突いていた。
心底ほっとして――ちょっとだけ、惜しいと感じた。
サクヤの視線の先には、広げた地図がある。オレもベッドに上がって、反対側からその地図を覗き込むと、視線を上げてこちらを見た。
「――今、俺達がいるところ、分かるか?」
分かるワケないだろ。
広げられた地図は、かなり広い範囲のもので、サクヤと会った時、オレ達が滞在していた村まで載っている。
今、自分がいる街が、この地図のどこに当たるかなど、この街の名前さえ知らないオレには、分かりようがない。
サクヤはオレの反応を大体予想していたらしい。オレが何かを言う前に、次の質問を重ねてきた。
「じゃあ、お前と会った村が、どの国に属するかは知ってるか?」
「古代王の国だろ?」
これは分かったので、躊躇なく、地図の中央を少し右下に逸れた辺りを指した。
そこが、オレ達がいた村だ。こないだ師匠に教えてもらったばっかりだから覚えていただけで、分かって当然。大して誉められたことではない。
「――今俺達がいるのは、ここ。湖の国の端だ」
「うーん、……随分、西に移動したな」
「そう。大体、400キロ近くは跳んだ。で、これからさらに西に歩く」
魔力不足で大して移動できないとか言っていたが、オレが勝手に思っていた以上に、長距離の移動がされていた。
サクヤの言う通りに、師匠達はすぐに追い付く、と思っていたが、ここまで歩くとどのくらいかかるだろうか。地図上で起伏も見えないので、はっきりとは言えないが、どんなに急いでも10日は固いだろう。その間に、更に西に向かうとしたら。
次に師匠に再会できるのは、いつになるだろうなぁ……。
いや、それよりも、今まで黙っていたことを、何故サクヤは今、オレに伝えた?
「何で教えるんだ? 師匠達に、そのことを教えてもいいのか? 今まで、それを警戒してたんだろ」
オレが問うと、サクヤは、地図越しにこちらを正面から見据えた。その視線には、警戒とは違う、何か強い意志を感じる。それは予想よりずっと強い思いの伝わるものだったので、それだけでオレは少し気圧された。
サクヤは、その薄桃色の唇を舐めてから、事前に決めていた言葉を口に乗せるように、淀みなく答える。
「ナギが、何でお前を弟子にしたのか、ずっと不思議だった。弟子なんて面倒なもの、今までずっと避けてきてたはずだ」
確かに、あの人は本来、弟子取りをして後生を育てるとか、全く考えていない人だ。
人格者って言うのとは、だいぶ違うと思う。
意地は悪いし、口も悪い。言うことは、ほとんど殺人鬼みたいだし。オレなんか、弟子と言うより、それこそ奴隷か、いいところ小間使いだ。
それでも、オレを助けてくれたのが師匠だったので、オレは、――オレが、弟子入りしたかったのだ。
「でも、やっと分かった。お前は有用だ。あいつらに渡しておくのは勿体ない。俺と一緒に来ないか?」
――妙に真剣な眼で、口説かれた。
え、サクヤさん。
あんた、自分で何言ってるか分かってる?
2015/06/17 初回投稿
2015/06/20 段落修正
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更