7 寝ぼけてくっつくな
「……寒い」
サクヤが耳元で小さく呟く声で、眼が覚めた。
何だか、嫌な夢を見ていた。
勿論、この状況で、夢見が良いワケもないとは思うが。
うとうとしていただけだったので、寝言に近い、小さな囁きで覚醒してしまったらしい。
窓の外からは、朝焼けの光が差し込み始めていた。隣のサクヤを見ながら、昨晩のことを思い出す。
街には戻るなと言う指示を守った結果、森の中をしばらく彷徨った。幸い、使われていない山小屋を見つけたので、そこで一夜を明かした。
最初は、意識のないサクヤの様子が心配で、ずっと起きていたのだが。
どうしようかと迷いながら、止血の布を何度か替えているうちに、何故か、傷が塞がってきていることに気付いた。
夜明けが近付くにつれ、寝息も安定して、顔色が良くなり。その頃には、骨にも達していた傷に、肉が盛り上がっていた。
とにかく、驚きよりも安心した。
安心すると、一気に疲れを感じる。
山小屋には古い毛布が一枚あったが、誰のモノともしれない毛布を使う気になれない。
そうすると、掛けられるものは、サクヤのマントしかなかったので、サクヤの隣に転がりこんで、一眠りすることにした。
――そこで、今に至るのだが。
布一枚では、夜は冷える。
隣に体温があったので、無意識にくっついたのは、どちらからか。
寒いとのたまったサクヤの声は高いままで、密着していると女性であることが、はっきりと分かる。
柔らかい身体が、子猫のように、暖かい場所を探してすり寄ってきた。オレの背中に、左腕を回してくる。
いやいや、そんなにぺったりとくっつかれると、色々と困る。
慌てて肩を掴んで、その身体を揺すった。
サクヤが、小さく呟く声が聞こえた。
「……ノゾミ?」
ぼんやりと薄目を開けてはいるが、変わらず、オレの力のままに、揺すられている。瞳を覗き込むと、少し鬱陶しそうに眉をひそめた。
瞳の色はいつも通りの紺碧。ところどころ血に染まって、乱れている髪も、朝の光を浴びて金色に輝いている。
「ノゾミって誰だよ? ちゃんと、起きてるのか、あんた?」
オレの視線を受けて、サクヤはぼんやりしたまま、小さく小首を傾げた。
まとまらない考えを必死でまとめて、一生懸命思い出している。
数分かけて、ようやく、昨晩のやりとりに思いが至ったらしい。自分の右腕に、オレの巻いた止血の布がぐるぐるに巻き付けられていて、それで、ここまでの出来事を思い出せたのだろう。
「……ああ、なるほど」
1人で納得すると、それ以上何も言わず、オレの胸元にもう一度、頭をもたせかけた。
サクヤの髪の香りを鼻先に感じて、オレはどうしようもなくドキドキしてしまう。
心臓が鳴るのをごまかすように、確認した。
「―――右手の調子はどうなんだよ?」
サクヤは、まだオレにくっついたまま、少し身じろぎをして、右手を動かした。
しばらくして、眼を閉じたままで、小さく呟く。
「悪くない。だいぶ戻ってきた」
「何もしてないのに、どういう魔法だ?」
問うと、オレの胸に自分の耳を擦り付けるような仕草をした。
だるそうな声で、返答する。
「俺の身体は、再生魔法が自動発動する仕組みになってる」
――再生魔法。
著しい怪我や肉体の欠損を補う為の、神官の上位魔法だ。普通は魔法の難易度が非常に高く、上位の神官にしか使えないので、奇跡の一種として扱われることが多い。
そう言えば、今まで、動きに不自然なところがなかったので、すっかり忘れていた。
この奴隷商人は、昨日――いや、もう一昨日か、師匠が脇腹に怪我を負わせたはずだった。
オレから見ると、酷い怪我のように見えたが、師匠もエイジも、大したことない、すぐ治ると軽く言っていた。
あれは、そういうことなんだろうか。つまり、師匠もエイジも知っていたのだろうか。
サクヤは、眼を閉じたまま、オレの手を取った。
繋いだ手にオレがどきどきしていることを、気付いているのかいないのか。オレの手ごと、自分のシャツの中に引き込んだ。
滑らかな肌に手のひらが触れて、オレは驚いて手を引きそうになる。上から、軽く押さえ付けられて、大人しく手をそこで止めた。
「……バカ。何照れてるんだ、ノゾミ」
胸元に、囁く声が当たる。
いや、普通、恋人でもない異性の、服の下に手を入れるなんて、照れると思う。
目が覚めているのだと思ったが、また、オレのことをノゾミと呼んだ。
多分寝起きで、中途半端に寝ぼけているから、混同しているのだとは思うが。誰か、オレに似ている知り合いがいるのだろうか。
サクヤの腹を撫でながら、自分は何を求められているのか、一瞬図りかねた。
ノゾミというヤツは恋人なのか、と思ったが。
どうやら、サクヤは自分の脇腹の傷に触れさせたいのだと、ようやく思い至った。
いやむしろ、脇腹にない傷と言うべきか。その肌をなで回してみても、かさぶた1つ残っていない。
「再生魔法が発動している間は、常に魔法を使い続けているようなもんだ。身体は女のままだし、何かぴりぴりする感触があるし、魔力は消費されているし。……何より、眠い」
「あんた、魔法を使うと女になると言ってたけど……」
「魔力を放出するときに、その影響で身体が変化するんだ。出力をやめれば、戻る。自動再生は、魔力を延々垂れ流すことになるから、その間ずっと戻れない」
一度魔法を使うと、しばらく女のままなのかと思っていたが、どうもそういうことではないようだ。
肉体の変化は、あくまで、魔力消費のタイミングに限ってのこと。それが、自動再生魔法は長時間魔力消費があるために、変化が継続するらしい。
つまり昨日も、傷が治りきったから、男に戻ったのだろう。
しかも、魔力を消費し続けることで、多分、身体の負担があるのだ。それで疲れて眠くなるということか。
――しかし。
隣に転がっているのは元は男だと言われても。
実際には、身体は女なワケで。身体は柔らかいわ、いい匂いがするわ、ぼんやりしていると可愛いわで、オレとしては全く落ち着けない。
「再生魔法は俺の身体だけを対象に、自動発動するようになってる。俺は神官じゃないし、他人の治癒はできないから、お前が怪我しても、1ミリたりとも助けられん。当てにして自爆するのは止めとけよ」
聞いてもいないことを、早々に釘を差された。当てにしてはないが、聞いておけば、今後こういうことに巻き込まれた時の、選択肢にはなるかも。
「つまり、何かあったら、あんたを盾にして、逃げればいいワケか?」
「……ぜひそうしてくれ」
からかい半分の言葉に、眠そうな声で答えが返ってきた。
返答が肯定だったので、その後にどんな皮肉が続くのか、少し身構えて待つ。
しかし、答えはそれで終わりで、他に何も言いたいことはないらしい。
サクヤは無言のまま、オレの手をシャツの中に置き去りにして、自分の左手だけ抜いた。そのまま、オレの首に左腕を回して、ぼんやりしている。
右手の方は、治ってきたとは言っているが、動かし辛いのだろう。身体の上に置いたまま、ほとんど動かしていない。
ちなみにこの、腕を首に回されている状態は、オレとしては非常に緊張する。
そもそもオレは、自分の右手を、いつサクヤのシャツから抜けばいいのだろうか。すべすべのお腹を撫でていると、気持ちはいいが。……何とも言えず、困る。
「……なあ、あんた、本当に起きてるのか?」
オレが尋ねると、サクヤは一度ゆっくりと眼を閉じた。
そのまま、しばらく黙っているので、また眠るのかと思ったが、数秒後、突然両眼をぱっちりと開いて、勢いよく身体を起こす。
「何やってんだ、お前」
言葉と同時に、左手でオレの胸を押して、向こうへ押しやろうとした。
が、サクヤの力が足りないので、結果的にオレ達の距離はほとんど変わらない。一応、その気持ちを汲んで、シャツの中から右手を抜いてやったのは、武士の情けだ。
そもそも、何やってる、とは、ずいぶんな言いぐさではないだろうか。
こちらは夜通し心配して、でも誰かさんの言いつけを守った結果、こんなところで夜を明かすことになったと言うのに。
大体、さっきから擦り寄ってきてるのは、オレじゃない、あんただ。
何も言わなかったが、オレの表情で大体察したようだ。
こちらを見て、ため息をつくと、サクヤは小さく呟いた。
「……悪かった」
今までに見たことのない、反省した様子だったので、びっくりした。どうも、今のことだけではなく、心配させたことや、襲撃されたことなど、もろもろのことが含まれている口振りだ。だからと言って、この、いつだって傍若無人なサクヤ様が、素直に謝るとは思わなかった。
驚きついでに、オレも身体を起こしながら、言い返しておいた。
「……本当に、ちゃんと起きたのか? まだ寝ぼけてないか?」
「どういう言い草だ。人が素直に謝ってるのに」
憮然とした表情で、サクヤは立ち上がった。
服の埃を払おうとして、右腕の部分が血でぐしゃぐしゃになっているのを見て、非常に嫌な顔をする。その表情から、身体のことではなく、スーツのことだと理解した。……高かったんだろうな、その服。
「……これ、直しに出せば、いけると思うか?」
「多分、無理じゃないか? ちょっと引っかけたとか、そういうレベルじゃないぞ、それ」
全体的に血やら泥やら埃やらで、酷いことになっている。元の生地の色も薄いので、汚れがはっきり目立つ。専門の洗濯屋に出しても、落ちるものか分からない。
「こういうのって、仕立てなんだよな……面倒臭い」
「まあ、今日は採寸なんかできないだろうしな」
「ん?」
「だって、あんた女じゃん」
言われて気付いたらしく、サクヤは更に落ち込んだ。
落ち込んでいる様子は可愛い……いやいや、オレにはどうしてやりようもない。
オレも立ち上がって、布団代わりにしていたマントをはたき、サクヤの頭から被せてやった。せめて力づけてやろう。
「あ、いいこと思いついた、あんた、次作るならさ――」
「ドレスとか言うなよ」
話の落ちを先に言われてしまったので、両手を上げて降参のポーズを取る。
サクヤは怪我のない左手で、軽くオレの肩先を小突くと、山小屋の扉を開けた。
外に出てみると、寝落ちしていた時間は、そう長くないようだ。夜は明けているが、まだ太陽は昇りきっていない。
「今からならまだ、こっそり街壁を越えて戻れるか?」
オレが尋ねると、サクヤは無言で首を傾げた。いつも通りフードを被ってしまったので、その表情は分からないが。多分、自分の今いる位置が分からないので、街までの距離を測りかねているのだと思う。
そう言えば、ここまで連れてきたのはオレだった。
オレが先を歩き出すと、何も言わず後をついてくる。
サクヤに先導されることが多かったので、前に立つのは何とも新鮮だ。
気分が良いので、手でも繋いでやろうかと思ったが、それを言うと、きっと非常に怒られると思って、止めた。
昨日の双子との戦闘地点の近くまで戻った時、そこでは、街の役人と思しき人間が数人、抉れた地面の検分をしていた。
まあ、あれだけ騒いだら、そりゃあ、役人達も犯人を探さざるを得ない。何しろ、数ヶ所の爆発の内、一カ所は街中で起こっているのだ。
役人に見つからないように、木陰に隠れながら、街を目指す。
「そう言えば、あの双子執事、片方逃がしちまったけど、良かったのか?」
歩きながら尋ねてみた。
サクヤがフードの下から、小さく答える。
「俺とリドル族の関係を盗み聞いていたのは、魔法使いの方だ。だから、もういい」
魔法使い――コウタだ。
そう言えば、コウタを追って、駆け出した後は、サクヤは髪も瞳も、いつも通りフードの下に隠していた。
だから、リドルの話を聞き、魔法を使うときに紅に光る瞳を見た、コウタを殺してしまえば、もう秘密は漏れないということか。
乱暴な口封じだと思うが。
……何となく。
あいつらは、それくらいされて当然だ、と思った。
襲撃してきた相手に、好感を持つのは難しいと、自分でも思うが。
初対面で、そこまで思う自分を、少し、意外に感じる。
以前にも、ヤツらとサクヤの間に、何かがあったことを、オレは知っているような気がした。
片割れを殺されたケイタも、あっさり引き下がりそうな感じでもないし、しばらくは要注意だな。
「ちなみに、あの2人とは、どういう関係なんだよ? 青葉の国がどうとか、人間爆弾がどうとか、カズキ様がどうとか」
「うん……」
サクヤは、言いづらそうにしていたが、しばらく考えてから呟いた。
「……それは、後で、話し合ってから」
「話し合う? まあ、いいけど。じゃあ、昨日コウタが言ってた、魔法を2つ同時には使えないっていうのは?」
「それも後で」
微妙な言い方だが、話すつもりがないワケではないらしい。
サクヤの雰囲気は、喋りたくないと言うより、全部まとめて順を追って話したい様子だった。
丁度、街壁まで到着したところでもあるので、周囲に人がいないことを確認すると、昨晩と同様にサクヤの魔法で外壁を越えた。
2015/06/15 初回投稿
2015/06/20 段落修正
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更