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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第1章 Beautiful Stranger
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2 追いかける

 もうすぐ日が沈むじゃないか。

 息が熱い。喉がひりひりと痛む。


「ちくしょうっ」


 足場の悪さに声をあげながら、オレはまた一歩足を踏み出した。


 顔を上げると、数メートル離れた先に黒いマント姿の背中が見える。追いかけっこの始まりと変わりない眺めだ。

 それでも最初より距離は縮まっている。

 木陰に同化してたのは黒いマントを羽織っていたからで――その内側に隠れてるのはきらきら輝く長い金髪だってとこまで分かるようになった。

 目深に被ったフードの影になって、顔は見えない。それでもその上下する肩はオレより随分細い。


 追いかけるこちらもいい加減イライラしてきてるけど、それ以上に追いかけられている黒マントは疲れているはずだ。慣れない道では、追う方よりも追われる方が、肉体的にも精神的にもキツい。

 時折、地面に転がる混凝土コンクリートに足をとられて、微妙にふらついている。身体全体で荒い呼吸を繰り返している。


 本当に邪魔だな、この混凝土の塊。

 街道から外れた森の中には、もろい混凝土がよく転がってるものだってのは知ってるけど、実際にそれを踏みそうになるとイライラする。混凝土ってのは、昔、人間が天使だった頃の文明の名残だ、なんて一説には言うらしいが……そんな神話めいた話を信用するつもりは、オレにはない。


 足元から前方に視線を戻せば、マントの裾から覗く細い足首がある。この体つきは……なんて、何となく変な期待をしてしまいそうな。

 向こうも疲労してるみたいだけど、実はこちらもそう有利ではない。

 今までは、森の中でも昼間の明るさで、黒マントを見失わずに走ってこれたけど。日が完全に沈んでしまったら、どうだろう。木々の影で見えなくなってしまうかも。


 それ以前に、森の中で夜を迎えるなんて考えたくない。昼間は人を避けて出てこなくとも、夜になれば、人間と敵対している獣人族だって姿を現すかも。

 早く片を付けるに越したことはないのだけれど、残念なことに前を走る黒マントは、かれこれ2時間もオレが追い付くのを許さず逃げ続けている。全く、こんな体躯でよく走る。

 感心しながら、何となくやけっぱちな気持ちになって、前方に向かって叫んだ。


「なぁ、あんたが誰かも知らないけどさ! いい加減止まれば!?」


 黒マントは聞こえているのかいないのか、ちらりとも振り返る様子はなかった。

 マジで、この人何者なんだろう……。


 師匠に弟子入りしたのは3ヶ月前。旅から旅への毎日の中で師匠について分かったこともあるが、それ以前については全く知らない。

 この期間、オレは、自分以外に師匠とつるんでいる人間を1人しか知らない。

 師匠の旅仲間で飲み仲間のエイジだ。


 だけど、目の前の黒マントはエイジではない。エイジはオレや師匠と比べても、はるかにデカイ。師匠とは同い年らしいけど、何を食べて育てばあんなに大きくなるんだか。


 黒マントの身体は、オレよりもさらに小柄に見える。それに、この黒マントがエイジだったとしたら、師匠があんな優しい声をだすワケがない。名前だって……「サクヤ」って呼んでた。

 大体、師匠がエイジに向ける言葉なんかいつものパターンで、「うるさいんで、早く死んでください」みたいな適当な罵倒ばかりだ。言われたエイジも「はいはい、俺が死んでも泣かないでね」とか言いながらニヤニヤ笑ってるから、あれで仲がいいと言ってもいいのかもしれない。


 ――とにかく、この黒マント。オレの知らない師匠の知り合いなんだろう。

 多分、3ヶ月より前からの。


「なぁ、あんたって師匠とどういう関係なの?」


 黒マント――サクヤ? は、何も答えずに走り続ける。

 無視してる……ワケじゃなくて、もう答えるだけの体力がないのかもしれないけど。

 小柄な身体は、徐々によたつく割合が増えている。


 師匠に「体力だけは化け物並ですね」と誉められたオレの持久力の勝利のようだ。ふらつくたびに、バランスを取るために差し出される手は白い。これだけ近付けばフードの下から、時々小さな顎や薄桃色の唇が覗くのも見える。

 さっき考えを放棄した内容だが、他に考えることもないので、結局オレの疑問はここに戻ってくるワケだ。


 この体格。

 繊細なパーツ。

 それに、師匠の様子。


 このヒト、女の子なんじゃないの?


 だとすれば、何だろう。

 師匠の彼女とか?

 それでいて、必死で探して呼びかけて逃げられるって……もしかしてストーカーってヤツ?

 師匠ならありえそう。

 もしもそうなら、黒マントには可哀想なんだけど。


「なぁ、あんた。ゴメンな。オレ、あんたに恨みはないんだけど、師匠を怒らせるとすっげー怖ぇからさ!」


 3ヶ月の付き合いで、嫌と言うほど身体に叩き込まれた絶対服従。

 それは、弟子入りするときの条件でもあった。


 そう……良く考えれば、師匠はさっき「追い込め」と言ったんだ。

 「追い付け」でも、「追いかけろ」でもない。

 「追い込み」なら、前方に待ち受けるモノがあるはずだ。

 つまり、時間切れにならない程度に、師匠は先回りしているはず。

 ――だから、多分、もうすぐ終わる。


 今まで沈黙していた黒マントが、前方から荒い息の下で、絞り出すように声をあげた。


「……勝手な……ことを!」


 声を聞いて、オレには2つのことが分かった。

 1つは、やっぱりこいつはそろそろ限界だってこと。

 もう1つは――。


「――あんた、男か」


 地を這うような低音が、せめて可愛い女の子と追っかけっこしてる気分になりたかったオレの妄想を、あっさり打ち砕いた。


「何だよ、やっぱ男かよ。あー、つまんねぇ」

「お……前、どういう……体力してる……」


 ようやく聞いた黒マントの声は、低いがよく響く声で、こんなに息が乱れてなければそれは美しく聞こえただろう。

 男だけど。


 そして黒マントは、声を出したのをきっかけに、ぐらりと大きく身体を傾がせた。こんな木の根っこやら混凝土片がごろごろしてるようなとこで、頭でも打ったら危ない。

 オレはますます縮まっていた黒マントとの距離を、最後の踏ん張りで慌てて駆け寄って、その身体を支えてやった。


 抱き止めた瞬間に、身体の軽さにはっとする。

 ずいぶん華奢な男だな、と思って、ぜいぜいと喉を鳴らす黒マントのフードをはねあげた。

 呼吸の苦しさに涙を潤ませながら、こちらを見上げてくる瞳は海のような紺碧。その瞳は驚いたように大きく見開かれている。

 夕暮れの太陽にキラキラ光る金髪が、白く滑らかな頬にかかっている。

 必死に酸素を求めて、形のよい唇を大きく喘がせる。

 年は、十代の後半か、もしかしたらもう少し下かもしれない。


 オレは、その深い青に引きつけられるように、瞳を覗きこんだ。

 もう、分からなかった。

 声を聞いたときは絶対に男だと思ったが。

 もしかすると、オレの人生始まって以来の、絶世の美女との恋の予感なのだろうか。


 黒マントは、先程からオレの顔を凝視している。


「……ノゾミ?」


 その薄ピンク色の唇から、理解不能の単語が滑り出た。

 ノゾミ? オレの名前はカイだけど。

 何を言っているのか分からない。

 その感情を前面に出したまま、ぼうっと黒マントを見ていると、ふと、黒マントが眉をしかめた。色々な衝撃を受けて、オレが何も話さないでいるうちに、相手の中では思考に整理がついたようだ。


「……離せよ、散々。追いかけ、回しやがって」


 ――切れ切れの呼吸でも悪態をついてくる。

 折角の美人なのに、残念ながら口調は荒い。


「あんた、男なの、女なの?」


 その美貌を前に、何となく遠慮がちに、オレは一言一言区切るように聞いた。

 腕の中から青い瞳がオレをしっかりと見据える。


「……クソ。女な訳が、ないだろ……」


 ないだろって言われても。

 なくないから聞いてんだって。


 本人申告ではオレの期待とは逆らしい。まあいいか。男なら、師匠に引き渡すのに何の躊躇もない。道を踏み外さなくて良かったかも。


「じゃあ、ま、悪いな。師匠とどういう関係かは知らないが、オレの平穏の礎になってくれ」


 オレの言葉を聞いて黒マントの顔色が変わった。

 こちらを睨み上げてくると、勢いを付けて立ち上がる。掴まえようと腕を伸ばしたが、黒マントの身のこなしはオレの予想以上だった。

 引き絞るように声が響く。


「……だ、れがぁ!」


 瞬間に息を詰めて起き上がる早さもさることながら、オレの手を振り払ったのは、ブーツの爪先だった。抱きかかえられた姿勢から、一瞬にして回転し、牽制で蹴りを放ってから、しっかりと地面に降り立つ。さすがにブーツは避けたが、そのスピードとバネのように柔軟な身体に、一瞬、見惚れた。

 地面に降りた黒マントが、腰からナイフを引き抜き、切りつけてきた。慌てて距離を取ると、黒マントはナイフを振り抜いた勢いのまま踵を返し、再び走り出した。


「やべ!」


 オレも再びその後を追う。

 どうやらフードの下の顔に驚いて、少し油断しすぎたらしい。

 もう動けないだろうと思っていたのに。

 ああ、こんなとこ師匠に見られたら、また――。


「……情けない。だからあなたは詰めが甘いんですよ」


 ――黒マントを挟んだ森の茂みの向こうから、聞き慣れた声がした。

 前を行く黒マントがピタリと足を止める。目前の一方向を見据えて、ナイフを構えた。

 その視線の先から、抜き身の刀をぶら下げた師匠が姿を見せた。


「――師匠!」


 呼び掛けると、黒マントを見据えたまま、オレの査定をする。


「まあ、カイにしてはよくやった方ですかね。少なくとも、サクヤさんを途中で見失うような無様はしなかったようですし。とは言っても、注意を欠いてうっかり逃げられるという失態は見せてくれましたが」

「……何だよ、頑張ったのに。師匠は一言多いんだよっ」


 素直に誉めればいいのにさ。

 よく見ると、オレがさっき預けたショートソードはその手にはない。

 握っているのは、師匠の愛刀暁あかつきだけだ。


 オレのショートソード、どうしたんだろう。

 一度、宿に戻って置いてきたのか。まさか、人のものだからって、道端に捨てたりしてないだろうな……。

2015/05/17 初回投稿

2015/06/12 サブタイトル作成

2015/06/20 段落修正

2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2015/09/14 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2017/02/07 話数分割

2017/02/11 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更(コンクリートを混凝土に変更)

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