【おまけ】初夜という名の
「サクヤ……」
呼ぶ声に応えて、薄い唇が柔らかく降ってきた。
額に軽く口付けられて、嬉しいようなくすぐったいような……物足りないような。
時間は夜。
場所は今日引っ越してきたばかりの2人の家。大きなベッドのある寝室。
登場人物はベッドに腰掛けるオレと、その正面でオレを見つめるサクヤさん。
夕飯も終わった。お風呂も終わった。
いつもうるさくオレ達の周りをつきまとう師匠や、何故かオレとサクヤの間に身体をねじ込んでくるナチルや、ぎりぎりの発言を繰り返してサクヤの機嫌を損ねる女王や、オレ達が一緒にいるのを見かけるとそれだけでニヤニヤしながら声かけてくるエイジは、ここにはいない。
2人きりだ。
両手を伸ばして、細い背中に回した。
引き寄せると、素直に身体をオレに沿わせて、ぐっと体重をかけてくる。
そのまま押し倒されるように、ベッドの上に転がった。
見上げると、瞳を閉じたサクヤの柔らかい唇が――今度こそ欲しかったところに押し当てられて。
思わず腕に力が入ったのは、もう仕方ないと思う。
オレの愛しい花嫁さんは――あ。そうだ。
あ、あの、えっと……実は今日、式を挙げました。
だから、もうアレだよな、こういう呼び方で良いよな?
昼間、青葉の国の神殿で、アサギ立ち合いの元、誓いの言葉とか儀式的なあれやこれやを言われるがままにこなしました。皆の前だったので、緊張しすぎて、正直何やったのかあんま覚えてない。
唯一覚えてるのは、サクヤさんが例の青兎のひらひら衣装の改良版を着てて、それはそれは可愛かったってことぐらいだ。
え? ノロケ? 良いじゃん、これくらいは。
たまにはノロケさせてくれ……だって、今日までオレ、ひたすら我慢し続けたんだぜ。
愛しい花嫁さんは、オレを焦らすのがとってもお上手。
昨日の夜までは、オレが何を言っても「結婚するまではダメ」ってちゅーまでしかさせてもらえなかった。
かつては、一緒に風呂に入るくらい全然構わないって言ってた位のヒトが!
くそ、オレもオレだ。あの時のオレは何故あんな頑なに一緒に入るのを拒否してたのか!? そうだ、誓約があったからだよ、ちくしょう!
既にその誓約もないって言うのに、散々我慢させ続けられたオレは、もう限界です。
サクヤさんはちょっと冷たいと思います。
今だってせっかくベッドの上に2人でいるって言うのに、しかも何て言うか……柔らかいお尻がオレの腹の上に乗っててめちゃ気持ち良いし、このまま――とか思ってるオレを放置して、1人で毛布に潜り込もうとしてるとか、鬼じゃないですか。
「……あの、サクヤさん」
「うん、おやすみ」
おやすみじゃない! 待って、おやすまないで!?
さすがに今夜はアレだろ!? 大事な夜だろ!?
「サクヤ、ちょっと!」
「……何?」
うわぁ、既に目をこすってる辺り、本気で寝るつもりだ、この人。
オレは慌てて毛布を引っぺがした。
「あの! あんた前に言ってたじゃん!」
「……んぅ?」
迷惑そうな顔で、オレから毛布を取り戻そうと手を伸ばしてくるけど――や、返すもんか!
毛布かぶったら絶対寝る、この人!
「言ったよな、やらしいことは結婚してからって! そんでほら、オレ達、今日結婚したよな!? つまり今夜オレとあんたには、堂々とやらしいことする資格が――」
言いかけたところで、ぐっとシャツの胸倉掴まれて引き寄せられた。
ベッドに転がる細い身体の上に、覆いかぶさる。
体重をかけないように両手で踏ん張ったところに、下から身体を浮かせて唇を寄せてきた。
「……したいのか」
「したいってずっと言ってるだろ!」
「結婚したばかりなのに……こんなすぐに?」
「おま……どんだけオレが我慢してたと思ってんだよ!?」
耳元で囁く声が落ち着いてる分、オレの声は悲鳴みたいになってても仕方ないと思う。
昨日まで毎晩オレが言ってたこと、全然伝わってないのかよ!
もー知らん。よくよく考えれば、手加減してやる必要ももうない。誓約ないし。
「あんたがそのつもりなら――」
「いや、別に異議はないんだ。だけど今日は色々あったから……すごく眠くて」
「それは分かってるけども……!」
分かってるけども! だけど――ニンゲンには我慢の限界、という言葉があるんだ!
真剣に詰め寄ると、オレの気迫にさすがに心揺らされたようで、こくん、と頷いた。
「分かった。俺――いや、私もしたくない訳じゃないし……じゃあ」
この人の、後から一人称を自分で訂正する癖は、最近になってからついたものだ。
本人なりに色々思うところがあるらしいんだけど、何せ150年以上使い続けた呼称は簡単には直らなくて、いつも言い直してる。
本当のところ、オレも元の人称代名詞に慣れすぎててどっちでも良いんだけど……そんな気持ちの変化がいじらしいと思うから、黙って見守ってる。
ふ、と笑った唇に見とれてる内に、そっとその手が近付いてくる。
差し出された細い指先がオレの顎をなぞった。
顎から耳へ一度なぞり上げてから、頬へ。
そして……優しい感触が、静かに唇へと――
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「……この話は、セクハラだと思う」
「ち、違――純粋な恋愛相談なんだよ! 頼む、アドバイスくれ!」
青葉の国の王都にたった1つしかない喫茶店。
冷たいミルクティーをからから回したサラが、オレの正面でため息をつく。
「今までの展開のどこにアドバイスが必要か? 強いて言うなら、お前もっと早く吹っ切れ」
「や、そりゃ分かってるんだけども! ……いや、そうじゃない。アドバイスが必要なのはこの先なんだって!」
「……セクハラに踏み込まないレベルで頼む」
呆れた顔の理由は分かる。
そりゃまあ、男から恋愛相談なんか……しかも夜の相談なんか持ちかけられたら、幾らサラでも引くだろう。
だけど。
「踏み込むもクソも……この話、ここで終わりなんだよ」
「……何言ってる?」
肩を落としてテーブルに肘を突いてるオレを、サラは怪訝そうに見下ろした。
「だから! この先の展開はないんだってば。昨日の夜サクヤとオレが2人っきりの寝室でやったことは、軽いちゅーと……あとこう、舐められて」
「なめられて」
「咥えられて……」
「くわえられて」
「す、吸われて――」
「――セクハラ」
「違う! 指だ指、指だけ! 指をこう……」
「ゆ、ゆびぃ!? この変態っ!」
語尾の跳ねた声とともに、がん、と横からテーブルを蹴られた。
サラじゃない。
思わずそちらを向くと、呼んでないはずの青兎の少女が、上げたまんまの足から脛をむき出しにして白いワンピースをひらひらさせている。
「指だけ舐めて終わりってどういうこと!? あなた達初夜よ、何考えてるの!? それで手ぇ出さないなんて逆に変態よ!」
「オレに言うなよ! ってか、何であんたここにいんの!?」
「偶然見かけたから、挨拶くらいしてやろうと思って来たんじゃない」
腰に両手を当てた例のポーズでふんぞり返ってる。
その姿を見て、ため息をついたサラがそっと席を詰め、片手でナチルを招いた。
これがホントの招き猫……じゃなくて!
「ちょ、サラ――」
「ナチルの方が適任」
「そうよそうよ、見た目は子どもでも中身はお姉様よ! ……あ、アイスココアお願いします」
嘘だ、中身も子どもだ。
頭を抱えるオレを無視して、運ばれてきたココアの、上に乗ったクリームだけをスプーンですくって舐めながら、ナチルが尋ねた。
「……で、もっかい聞くけど。指ばっかペロペロ舐め回して終わりってどういうこと?」
何でそんなオコサマ顔で、やらしい言い方するの?
鼻の頭にクリームついてるし。
隣のサラが、さり気なく指先で拭ってやってるけど。
「どういうもこういうも、そのまんまだよ。お互いに指を舐め合って……いや、オレはほら、その後があるもんだと思ってしてたんだけど……しばらくそうした後に、何か『今日はここまで』とか言って、あいつ寝ちゃったの」
「途中で疲れちゃったってこと?」
「いや、そういう感じじゃない。『気持ち良かった』とか言ってたし……他のとこ触ろうとするとくすぐったがって払いのけられて、しつこくやったら怒られた。『順番守れ』とか言って、何かそれだけしかやっちゃダメって思ってるみたいな――」
「ああ、何だか心当たりがあるような気がするぞ」
オレとナチルの掛け合いに、ぽつり、と横から呟かれた声は。
「……あ、女王」
「うんうん、久しぶりだな、少年……と呼ぶには、ちょっと成長してきたか」
「そりゃオレのセリフだよ。しばらく見ない内にあんた、でかくなったな」
オレの横に立つ女王は、以前よりも身長が伸びて、ついでに短かった髪も伸びてた。
前はナチルと同じくらいだった身長は、今や頭半分くらいナチルを超えてる。髪も耳にかかるくらいには長くなってて、何だか女らしさの片鱗みたいなものが見えてきたような。
「何だ、見とれたか? 巫女どのを止めて、白狼の権力を一手に握る美少女に乗り換えるか? ――あ、アイスミルクを頼む」
「誰が権力握る美少女だ、誰が。お子ちゃまは黙ってミルク飲んでろ」
ツッコミはしたけど、まあ本当のとこは……確かに美少女。
展開に任せて席詰めてたけど、客観的に見ると、今のオレすごい状態だ。
ずいずい奥に追いやられて、周囲を美少女に囲まれてる。男はオレだけ。傍から見れば、何の美少女ハーレムかと思うだろう。こうなったらいっそサクヤも呼べば、エイジにさえ自慢できるような後宮が作れそう。
「で、女王は何か思い当たりがありそうだけど」
「うむ。以前ほら、あっただろう。巫女どのに男と女のことについて、私が教えてやったことが」
「……? あ、旧ディファイの集落の時か」
女王がアレコレ教えたせいで、照れまくったサクヤに逃げられ続けた嫌な思い出だ。
――ん? それってまさか。
「あの時ほら、私、言ったのだよ。『お互い気持ちよくなるコツはじっくり進めることだ。ちょっとずつだぞ。まずは指先から初めて、次が手のひら、手の甲、手首とそこから一寸刻みに上がって……』とかいう、あれだ、テクニックの話のつもりだったんだ。だけど――」
「待て。つまりそれ、あんたのせいってことか!?」
「……そう怒るな。ちょっとずつったって限度があるだろう、普通は」
「あのド天然は普通じゃねぇの! じゃあ何、次は手のひらまでしかだめってこと!? ちょ、いつになったらおっぱいに辿り着くの!? あんたもあいつのこと分かってるだろうに、何でそんなややこしいこと言ったの!?」
「――ちょっとうるさいわよ、カイ。ド天然だって分かって嫁にもらったのはあんたでしょうが」
「常識ないのに、夫も放置しすぎ」
何故か正面からナチルとサラに反論をくらって、焦った。
「な……え!? や、オレも悪いのかも知んない……けど……」
「甘やかしすぎなのよ、あなた」
「教育はどうした」
「ほらな、幾ら事前知識が間違ってたって、最終的には君が教えれば良いことだろう?」
美少女3人に同時に責められると、確かに何かそんな気になってきた。
しょぼんと首を垂れたオレを、各種族代表する美少女トリオは色とりどりの瞳で容赦なく見下ろしてくる。
サラがまたミルクティーの氷をからから鳴らしてる。
ナチルがイライラと足を踏み、女王はミルクをちうちうとストローで吸った。
「分かったらこんなとこで管巻いてないで、帰ってあんたが、本人に正しいことを教えなさいよ!」
「お、教えるって……!?」
「君だけに出来る手段、それは実地だ。彼女は君の妻なのだから」
「じっち!? さ、さい……」
「……鼻血拭け」
サラがテーブルナプキンを差し出してくれた。
受け取って鼻先を押さえると、みるみる赤く染まっていく。
何故かナチルが立ち上がり、例のポーズで胸を張った。
「――大体あなたね、そんな呑気なこと言ってて子どもとかどうするの!? 作るんでしょ、早いほうが良いわよ!」
「子ども!?」
「作るのも、育てるのも」
「……こ、子ども……」
「君らの中身が子どものままでは、なかなか大変だな」
いや、考えてないワケじゃないけど……何となく、まだ先のことだろうと思ってた。
そうか、結婚したんだし、そういうことするんだし……子どもが出来るかも知れない……のか?
だけど、そんな思考に待ったをかけるように、女王がアイスミルクのコップの中を覗き込みながら、言葉を足した。
「まあしかし、巫女どのの身体は神の欠片によって再構成されたものだから……カイとの間には子どもは出来ないかも知れないな」
「え……? それはどういう――」
「あっ! そうね、あれが守り手の肉体と同じものなら」
「……人間と獣人の間には、子どもは出来ない」
言われてみればそうだ。
いや、待て。そもそも寿命だって、青兎は人間より長いんだぞ? 今まで気付かなかったけど、サクヤはどうなんだろう。
悩みは尽きないけど……たとえここでそれを尋ねたとしても、正確に答えを教えられるようなモノは、既にこの世界には存在しないように思う。
「君達は色んな意味で今までにないカップルなんだ。覚悟だけはしておいた方が良いぞ」
「そうだな」
落ち着いた女王の声で、改めて気持ちを据えた。
……と言うより、思い出した、かな。
そう、覚悟はしてあったんだ。
あの時――嫌がったあいつを、オレが無理に引き戻したんだから。
決まりきった幸福の微睡みじゃない、この先オレ達がどうなるかも分からない、この世界へ。
「――だーかーら、こそ、よっ! 見えないものはどうしようもないけど、目に見えるハードルはきっちり越えなさいよ、結婚したんでしょ! 勘違いしてるなら、あなたが正しなさい。他の誰かに譲れる役目じゃないんだから!」
「お、おう……」
ナチルの勢いに押されて頷く。
頷いてから、確かにそうだと自分でも思って、もう1回頷いた。
エイジや師匠にはこんなこと相談出来ないし、ましてやサクヤに正しい性知識を教えてくれなんて頼めない。頼みたくない。
ナチルやサラや女王だって、こうして相談くらいにはのってくれるが、これ以上は踏み込ませられない。
オレが言うしかない、と改めて腹を括った。
「……うん、ありがとな。あ、そう言えばサラのとこはどうなんだよ? サラと――」
「――その発言はセクハラ」
聞き返したら、ものすごく冷たい視線で見られた。
反対勢力が最近風当たり強くしてるらしいから、お返しに相談乗ろうか的なつもりだったんだが、サラとしてはそこには一切踏み込んでほしくないらしい。……もう、バレバレだと思うんだけどなぁ。
言いたくないことを言わせるのも良くないので、オレはそれをきっかけに口を閉じた。
今夜帰ったら、サクヤさんの勘違いをしっかりと正そうと、そんな覚悟を胸に秘めて。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
そして、夜。
お風呂もご飯も終わって、2人きりの寝室。
お風呂上がりでほかほかしてるサクヤさんと、ベッドの上に正座して待ってたオレ。
――さあ、リベンジだ!
「さ、サクヤさん……っ!」
「カイ、俺――私は」
声をかけようとしたところに、向こうから声をかけられた。
思わず黙ったオレが譲ると、頬を赤く染めたサクヤが、オレの指先を握ってくる。
「俺、今夜も……したい」
恥ずかしそうに、そんなことを囁く姿が可愛くて――テンションがマックスまで勝手に上がった。
ついつい、あーもういーよいーよ、どうぞお好きなだけ舐めてください、オレも舐めます……なんて答えそうになって。
あ、いやいや違う、と思い直した。
「あ、あの……それが。サクヤさん、あなたの考えてるやらしいことの手順ってのは――」
「今夜も明日も明後日もしようよ……だって早くもっと先のことしたい。なあ、私、いやらしいんだろうか? 頭がおかしいのか? こんな……お前が、欲しいなんて」
ちら、と上目遣いの視線がオレの心臓ぶち抜いてくる。
だめ? ……と、息だけで囁かれて。
――哀れなオレは、だめじゃないだめじゃない、と思い切り首を横に振りまくった。
バカ。オレのバカ……。
まあ、良いよ、もう。
このまんまでも、いつかそこには辿り着くんだろうさ。
あんたが他の誰にも――オレにしか許さないってことも、もう分かってるから……良い。
経験ゼロどころかマイナスから出発してるオレの嫁さんと、それが可愛くてどうしようもないオレ。
そんなオレ達が、真の夫婦の営みに辿り着く日は、まだ遠い……みたい。
2016/08/05 初回投稿
2016/09/11 前書きの削除