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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第2章 Secret
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6 その妙なる罪音を聞け

「……サクヤ、あんた、それ――」

「――うわー、痛そう!」


 剣を持った執事が、他人事のようにはしゃいだ。

 森の奥から、最初に追いかけていた執事が、声をかけてくる。


「ケイタ、良くやった」

「おう、コウタ! うまくいったぜ! な、このくそガキ狙えば、絶対いけるって、本当だっただろ?」


 剣を持った方がケイタ、魔法を使う方がコウタか。

 名前からしても、双子のようだ。


 サクヤが、眉をしかめて、右腕を押さえている。

 ――早く、止血しなければ。

 近寄ろうとして、ふと、魔法使い――コウタを見ると、無表情のまま、再び詠唱を始めていた。その手の先に火球が生まれる。

 サクヤは、目の前のケイタを警戒していて、気付いていない。


火焔珠フレアジェム!」

「――サクヤ!」


 コウタが火球を振りかぶる瞬間に、オレはサクヤの身体を抱いて、後ろに跳びすさった。

 つい直前まで、オレ達がいた場所に、爆炎が上がる。

 舞い上がる炎と煙の向こうから、剣を構えて、ケイタが踏み込んできた。

 オレも剣を抜こうとしたが、サクヤの、動かない右腕に押し止められた。何故と、問うより先に、向かってくるケイタに、自ら駆け寄っていってしまう。


 右手は、だらりと垂れ下がっている。かろうじて、ナイフを握ってはいるが、腕が動かなくて、構えることも出来ていない。

 ケイタは、笑いながら、再びその右手に向けて、剣を振りかぶった。

 その剣が届く前に、サクヤは左手を前方に向ける。

 コウタと同じような火球が、一瞬でその手の中に生み出された。


「――火焔珠フレアジェム!」


 無詠唱にも関わらず、コウタの作ったものより、紅の輝きは深かった。

 ケイタは、顔を歪めて、身を翻す。

 火焔珠が、脇を擦り抜けて地面に当たった。直後、周辺の土を巻き上げながら、爆散する。

 爆炎を逃れて、ケイタが、コウタの横まで下がっていった。


 サクヤがオレに合図を出してから、自らも後方へ跳ぶ。

 着地点で、体勢を崩したのは、失血が酷いからだろう。呼吸を整えようとしても、はあはあと、吐く音が、こちらまで聞こえてくる程、乱れている。

 オレは自分のシャツの裾を裂きながら、止血の為にその傍へ駆け寄った。

 覗き込むと、フードの下は冷や汗でぐしょぐしょに濡れている。顔色は、紙のように蒼白だった。

 それでも、視線だけは強く、前方に並んだ双子執事を睨み付けている。


 並べて見ると、執事達は、やはりそっくりな顔をしていた。

 違いと言えば、魔法を使うコウタに対し、剣を持ったケイタの方が、やや感情表現が激しいくらいか。今も、無表情なコウタと違い、こちらを見下したような笑みを浮かべているのは、ケイタの方だ。

 どちらも、向けられたままのサクヤの視線を警戒してか、止血するオレに手を出そうとはしなかった。からかうような声だけをかけてくる。


「あーあ、ねえ、コウタ、あれはもう右手は諦めるしかないよね」


 場にそぐわない軽い声は、ケイタだ。

 同意したくはないが、言葉通り、近くで見たサクヤの右腕は、酷い状態だ。刃で抉れた肘から先は、どう繕っても自然治癒の見込みはない。

 動かすことが出来なくて、当然だ。ひどい痛みだと思うのだが、止血の間、サクヤは声を上げなかった。それでも、時折、短く息を吸う音がするのは、こらえきれない悲鳴を噛み殺しているのだろう。


 サクヤが、動かない右の拳から、自分の左手で、引き剥がすようにナイフを取った。血に塗れたナイフの刃を服の端で拭い、腰につけた鞘に納める。

 それだけの動作にすら、随分と時間がかかった。その間に、止血が終わってしまう程に。

 オレが手を離してしまえば、もう、右手は持ち上げることすら出来ないようだった。


 正直に言って。

 こいつの身体が欠けることを考えると。

 自分が死ぬより辛いような気がする。


 それも、オレを庇うために。

 オレがいなければ、こんな怪我を負うこともなかっただろうに。


 目の前の執事達を退けない限り、一息つく余裕もないが、戦闘が終わった後のことを、つい考えてしまう。

 神殿の、力ある神官に頼めば、肉体の再生治癒魔法を使ってくれるかもしれない。これだけ大きい街なら、あるいは、そのレベルの神官もいるだろうか。

 問題は、その当てもコネもないことだ。このままでは、ただの、一筋の希望でしかない。


 どうする。

 どうすればいい?

 どうすれば、この傷を癒せる?


 ぐるぐる回るオレの思考を止めたのは、コウタの小さな呟きだった。


「ケイタが、手荒くしすぎるから」

「何だよ。コウタだって、手足の一本や二本どうでもいいって言ってたじゃないか」


 ケイタもまた、物騒なことを言い返している。

 この2人、顔はもちろん似ているが、表現方法が少し違うだけで、性根のいやらしさもそっくりのようだ。

 猫が獲物をいたぶるように、一転して不利な状況にあるサクヤで遊びたいのだろう。


 サクヤが、フードの下から、執事達に向かって言い放った。


「……お前ら、よくも、俺の前にのうのうと現れたな」


 顔は見えずとも、声に怒りの感情が現れている。やはり、先程、オークション会場で感じたサクヤの殺気は、気のせいではなかったようだ。

 苦々しげなサクヤの声は、普段よりも高い声になっていた。身体を触ったわけではないから確実ではないが、女になっているのだろう。


 久々に、悲鳴でも呪文でもない、まともなセンテンスを喋ったサクヤの声を聞いて、執事達は、嬉しそうに笑った。


「強がっちゃって、かわいいなあ。女の子なんだから、大人しくしとけばいいのに。カズキ様の正妻は無理でも、めかけくらいにはしてもらえるよ」

「青葉の国が手に入るぞ」

「俺達がとりなしてやってもいいぜ? カズキ様だって、あんたを見つけたら連れて来いって言うくらいだから、まあ、多少は気になってるんだろ」

「まあ、死んでなければ何でもいい、とも言ってたけどな」


 口々にカズキ様とやらのことを語る。

 サクヤにとっては、その名前は苛立ちを呼ぶものらしい。小さく舌打ちをする音が、フードの下から聞こえた。

 多分、このケイタ、コウタと、カズキ様とかいうヤツが、まとめて、怒りの対象になっているのだ。


 口振りからすると、この双子執事は、今のサクヤが女だと知っているように思える。

 ただしそれは、状況を正しく理解した上での発言なのだろうか。今は女でも、本人は、男のときがメインの状態と認識しているのに。


 そのことを知っていてからかっているのか。

 それとも、出会った当初のオレのように、可愛いサクヤは女にしか見えないという誤解の上で、話しているのか。


 何とも判断出来ないので、オレは会話に口を挟まない。

 全てはサクヤの事情だ。余計な情報を漏らすワケにはいかない。


「――俺自身のこともあるが。それ以外でも、お前らのやり口には反吐が出る」

「何? やり口ってどれのこと? ……あれ、そう言えば、ここであんたに、武器を1つ売ったことがあったっけ」

「ああ。人間爆弾(・・・・)を売ったことがあった」


 わざとらしい双子執事の言葉に、サクヤの肩が小さく震えた。

 人間爆弾が何かは分からないが、その単語だけ聞いても、平和的なものでないことだけは、確実に理解出来る。


 もう、会話する気も起きなくなったのか、それとも、痛みが限界を超えそうになっているのか。

 サクヤは、それ以上答えなかった。

 黙ったまま、左手を双子に向ける。

 その姿勢で、ちらりとこちらを見た。


 声には出さず、「逃がすな」と動く唇だけが、フードの下から見える。

 オレは、了解の合図に、腰に提げた剣を抜いた。


「お、何だ何だ? そこのクソガキもやる気なワケ? ご自慢の魔法じゃなくて、剣で挑んで来るなんざ、生き返ったと思ったら、早速死にたいのか」


 ケイタが、オレの様子に気付いて、剣を構えながらコウタの前に出た。

 ご自慢の魔法?

 生き返った?

 さっきから、オレに対して、不可解な言動が多い。

 ケイタもコウタも、オレのことを誰か(・・)と間違えているのではないだろうか。確かに、さっきオークション会場で会うには会ったが、2人の態度は、まるで、もっと前からの顔見知りのようだ。


 考えても仕方ない。

 オレは抜いた剣に意識を戻した。

 ケイタの構えのぶれのなさや、先ほど、サクヤの右腕に切り込んだ様子から、大口を叩くだけの技量はあることが分かる。


 まともに構えれば、勝ち目のない相手のはずだ。

 それでも、ケイタに向けて駆け出すオレに、不安はなかった。


 ――だって、オレの背中では。

 呪文を囁く、涼やかな声が聞こえていたから。


「我が名は悠き夜の羽。浮遊する器に注ぐ、紅の永遠に沈む……」


 オレは、魔法が発動するまでの時間稼ぎで、ヤツらを引きつけておけばいいだけだ。


 正面から走り込むと、コウタの火球が、オレに目掛けて飛んでくる。

 真っ直ぐに飛んできたそれを、うまくかわしたところへ、ケイタが一歩踏み込んできた。

 多分、長く打ち合う程の余裕は、オレにはない。


 踏み込むケイタに合わせて、オレは少し距離をとって下がる。

 時間稼ぎに気付いたコウタが、間髪入れずに完成した魔法を、今度はオレではなく、サクヤの方に飛ばした。

 サクヤは、飛来する火球に、視線も当てない。ただ、呪文の合間に、別の魔法を発動させた。


「――聖防御障壁セイクリッドオブスタクル


 火球は、サクヤの左手の前で、先ほどと同じ見えない壁にぶつかって消えた。


「防御魔法?」

「みたいだな。サクヤちゃん、守ってばっかりじゃ勝てないよ。そんなことしてる間に、このクソガキ殺っちゃうよ」


 どうやら、サクヤの呪文は、今の壁を維持するものと捉えたらしい。

 バカな。

 オレにだって分かる。

 それなのに、なぜこの双子執事には分からないのか。


 今の魔法壁は、無詠唱で展開されたものだ。

 先程、コウタの魔法を避けた時も、呪文など必要としていなかった。


「黄金の鎖かけ、古の盟約に従う者……」


 だから、今も夜空に響く、この呪文は壁を作る為のものではない。

 じゃあ、何の為?


 勿論――攻撃の為、だ。


 サクヤの前方に、巨大な光の渦のようなものが集まり始める。それを目にして、ようやく、双子はサクヤの意図に気付いたようだった。


「……2つの魔法を、同時に使役出来るのか?」

「コウタ、逃げるぞ!」


 ケイタが剣を握って、踵を返そうとした。

 オレはその足を止める為だけに、斬りかかる。

 勿論、技量の違いで軽くいなされるが、その数秒の足止めの間にも、サクヤの魔法は完成に近付いている。

 よりはっきりと双子の逃亡を防ぐ為に、彼らの横を通り抜け、サクヤと挟み込む形で、双子の背後に回った。


「くそ! ガキが邪魔しやがって!」

「ケイタ、壁を作るから、入れ」


 コウタがサクヤに対抗するように、両手を掲げ、呪文を唱え始めた。


「星よ、星よ。杯の満ちる如く……」

「……一の雫、二の糧、五の影に委ねよ。汝、深淵を翔ける者よ……」


 コウタの呪文と、サクヤの呪文が交差する。


 完成のスピードだけ言えば、コウタの魔防壁の方が早かった。先に呪文を唱え終えたコウタが、鋭く叫ぶ。


魔防壁マジックウォール!」

「……その妙なる罪音を聞け! 月焔龍咆哮ルナティックロア!」


 一瞬遅れて、サクヤの呪文が完成し、前方に浮かび上がった、莫大な量の光の渦が、地面を削りながら、こちらに向かってくる。

 光の渦は双子執事の前方で、コウタの作った壁にぶつかり、一度押し留められた。

 それを確認する前に、オレは、射線から外れるように、真横へ走る。

 壁を支えるコウタの隣で、ケイタが驚いたように声を上げた。


「これ、押し負けてる!?」


 ケイタの言葉通り、魔法の壁は、徐々にその空間を押されている。

 明らかに、放たれた魔法の出力を、防ぎ切れていない。

 壁の中央に大きな亀裂が入った瞬間、コウタが、右手でケイタを力一杯押した。


「――ケイタ、逃げろ!」


 壁の後ろから真横にはじき出されたケイタは、魔法の対象範囲から外れ、藪に頭から突っ込んだ。

 一瞬後、壁は亀裂の隙間から砕け、コウタの姿が、光の渦の中に飲み込まれる。


「――コウタ!」


 藪から身を起こしたケイタの、悲痛な声が響いた。

 直視できない程の光量に、オレはしばらく顔を背ける。

 コウタの名前を呼ぶ声だけが、何度も聞こえるが、光が強すぎてそちらを向くことができない。


 永遠に続くように思えた時間が過ぎ、少しずつ光が弱まっていく。

 閉じた瞼に、光が少なくなったのを感じて、眼を開けた。

 オレの視界に見えるのは、強力な魔法の爪跡を示すように、大きく抉れた地面と、その脇にへたり込んでいるケイタの姿だけだ。

 光の塊をまともに受けたはずの、双子の片割れは、この世から影も形もなくなっていた。


「こ、コウタを……」


 呆然と呟くケイタを無視して、オレはサクヤの傍に戻った。

 サクヤは、顔を伏せ、辛そうに肩で息をしている。魔法の発動の瞬間に、反作用で後方に押されたらしい。最初にいたところから、数歩下がって、膝をついている。


 それでも、オレが近くに来たことに気付くと、小さく笑ったようだった。

 その微笑みは、勝利の喜びを示すものではなく。強く感じるのは、いたわりと、自嘲。


 ケイタが立ち上がり、こちらに向かって吠える。


「サクヤ――貴様、よくも、コウタを!」

「……殺される覚悟もなく、向かってくるとは。それで継承戦(・・・)をどうやって勝ち抜くつもりだ」


 サクヤは、膝をついたまま、再び前方に左手を構え、ケイタを威嚇した。

 オレもケイタに向けて剣を構える。

 2対1になったことに気付いて、ケイタは一瞬ためらったように見えた。すぐに意識を立て直し、悔しげな一瞥だけを残すと、あっさりと踵を返して駆けだした。


 後を追うか、少し迷って、オレはサクヤの方に視線を向ける。

 安堵したのか、一気に脱力したサクヤの身体が、傾いでいる。慌てて駆け寄って、地面にぶつかる前に受け止めると、オレの腕の中で大きく息を吐いた。


 その様子を見るために、フードを上げると、普段と同じ金髪が、こぼれるように現れた。うっすらと開いた眼も、見慣れた紺碧に戻っている。

 ただ、腕の中の身体は柔らかく、ふっくらと持ち上がった胸元が、性別だけが戻っていないことを表していた。


「おい。顔色、真っ青だぞ」


 慌ててサクヤに声をかけるが、サクヤは、軽く首を振って答える。


「……大丈夫だ」

「どう見ても、大丈夫な要素がないだろ……」

「問題ない……頼む、誰も呼ぶな、このまま――」


 声に力はないが、意識はしっかりしている。

 だけど、このままと言われても、放っておけるような状態ではない。止血しただけの右手は、放置すれば、腐って落ちるだろう。そもそも傷が深すぎて、出血量だけで十分に死ねる。


 それでも、サクヤは治療を望んでいないようだった。

 人を呼ぶな、このままにしてくれ。それを繰り返し、囁く。


 かなり悩んだが、最終的に、オレはサクヤの言葉を聞くことにした。

 何かは分からないが、サクヤに考えがあることは、はっきりと分かったから。


 勿論、街に帰ろうにも、魔法で壁を越えてきたので、サクヤがいないと、こっそりとは戻れないというのもあるが。それだって、門の前で大騒ぎすれば、治療くらいはしてくれるだろう。

 ただ、そうして欲しくないから、動くなと言っていることは、良く分かった。


 幸いにして、ここは森の中なので、静かにしていれば、人に見つかることもない。

 ただし、ケイタが人を連れて戻って来ては困るので、森の奥の方へ移動することにした。

 移動することも嫌がられたらどうしようかと、お伺いを立てるつもりで、腕の中のサクヤを見る。


 どうやら、既に意識を失っていたようだ。

 いつの間にか、瞳を閉じている。


 その口元に自分の耳を近づけて、息をしていることだけ確認すると、オレは、その身体を両手で抱え直した。

 意識のないサクヤは、オレの首に頭をもたせて、小さく呼吸をしている。

 その空気の流れだけを頼りに、歩き出した。

2015/06/13 初回投稿

2015/06/20 段落修正

2015/06/22 言い回しと改行部分を若干修正

2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

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