6 その妙なる罪音を聞け
「……サクヤ、あんた、それ――」
「――うわー、痛そう!」
剣を持った執事が、他人事のようにはしゃいだ。
森の奥から、最初に追いかけていた執事が、声をかけてくる。
「ケイタ、良くやった」
「おう、コウタ! うまくいったぜ! な、このくそガキ狙えば、絶対いけるって、本当だっただろ?」
剣を持った方がケイタ、魔法を使う方がコウタか。
名前からしても、双子のようだ。
サクヤが、眉をしかめて、右腕を押さえている。
――早く、止血しなければ。
近寄ろうとして、ふと、魔法使い――コウタを見ると、無表情のまま、再び詠唱を始めていた。その手の先に火球が生まれる。
サクヤは、目の前のケイタを警戒していて、気付いていない。
「火焔珠!」
「――サクヤ!」
コウタが火球を振りかぶる瞬間に、オレはサクヤの身体を抱いて、後ろに跳びすさった。
つい直前まで、オレ達がいた場所に、爆炎が上がる。
舞い上がる炎と煙の向こうから、剣を構えて、ケイタが踏み込んできた。
オレも剣を抜こうとしたが、サクヤの、動かない右腕に押し止められた。何故と、問うより先に、向かってくるケイタに、自ら駆け寄っていってしまう。
右手は、だらりと垂れ下がっている。かろうじて、ナイフを握ってはいるが、腕が動かなくて、構えることも出来ていない。
ケイタは、笑いながら、再びその右手に向けて、剣を振りかぶった。
その剣が届く前に、サクヤは左手を前方に向ける。
コウタと同じような火球が、一瞬でその手の中に生み出された。
「――火焔珠!」
無詠唱にも関わらず、コウタの作ったものより、紅の輝きは深かった。
ケイタは、顔を歪めて、身を翻す。
火焔珠が、脇を擦り抜けて地面に当たった。直後、周辺の土を巻き上げながら、爆散する。
爆炎を逃れて、ケイタが、コウタの横まで下がっていった。
サクヤがオレに合図を出してから、自らも後方へ跳ぶ。
着地点で、体勢を崩したのは、失血が酷いからだろう。呼吸を整えようとしても、はあはあと、吐く音が、こちらまで聞こえてくる程、乱れている。
オレは自分のシャツの裾を裂きながら、止血の為にその傍へ駆け寄った。
覗き込むと、フードの下は冷や汗でぐしょぐしょに濡れている。顔色は、紙のように蒼白だった。
それでも、視線だけは強く、前方に並んだ双子執事を睨み付けている。
並べて見ると、執事達は、やはりそっくりな顔をしていた。
違いと言えば、魔法を使うコウタに対し、剣を持ったケイタの方が、やや感情表現が激しいくらいか。今も、無表情なコウタと違い、こちらを見下したような笑みを浮かべているのは、ケイタの方だ。
どちらも、向けられたままのサクヤの視線を警戒してか、止血するオレに手を出そうとはしなかった。からかうような声だけをかけてくる。
「あーあ、ねえ、コウタ、あれはもう右手は諦めるしかないよね」
場にそぐわない軽い声は、ケイタだ。
同意したくはないが、言葉通り、近くで見たサクヤの右腕は、酷い状態だ。刃で抉れた肘から先は、どう繕っても自然治癒の見込みはない。
動かすことが出来なくて、当然だ。ひどい痛みだと思うのだが、止血の間、サクヤは声を上げなかった。それでも、時折、短く息を吸う音がするのは、こらえきれない悲鳴を噛み殺しているのだろう。
サクヤが、動かない右の拳から、自分の左手で、引き剥がすようにナイフを取った。血に塗れたナイフの刃を服の端で拭い、腰につけた鞘に納める。
それだけの動作にすら、随分と時間がかかった。その間に、止血が終わってしまう程に。
オレが手を離してしまえば、もう、右手は持ち上げることすら出来ないようだった。
正直に言って。
こいつの身体が欠けることを考えると。
自分が死ぬより辛いような気がする。
それも、オレを庇うために。
オレがいなければ、こんな怪我を負うこともなかっただろうに。
目の前の執事達を退けない限り、一息つく余裕もないが、戦闘が終わった後のことを、つい考えてしまう。
神殿の、力ある神官に頼めば、肉体の再生治癒魔法を使ってくれるかもしれない。これだけ大きい街なら、あるいは、そのレベルの神官もいるだろうか。
問題は、その当てもコネもないことだ。このままでは、ただの、一筋の希望でしかない。
どうする。
どうすればいい?
どうすれば、この傷を癒せる?
ぐるぐる回るオレの思考を止めたのは、コウタの小さな呟きだった。
「ケイタが、手荒くしすぎるから」
「何だよ。コウタだって、手足の一本や二本どうでもいいって言ってたじゃないか」
ケイタもまた、物騒なことを言い返している。
この2人、顔はもちろん似ているが、表現方法が少し違うだけで、性根のいやらしさもそっくりのようだ。
猫が獲物をいたぶるように、一転して不利な状況にあるサクヤで遊びたいのだろう。
サクヤが、フードの下から、執事達に向かって言い放った。
「……お前ら、よくも、俺の前にのうのうと現れたな」
顔は見えずとも、声に怒りの感情が現れている。やはり、先程、オークション会場で感じたサクヤの殺気は、気のせいではなかったようだ。
苦々しげなサクヤの声は、普段よりも高い声になっていた。身体を触ったわけではないから確実ではないが、女になっているのだろう。
久々に、悲鳴でも呪文でもない、まともなセンテンスを喋ったサクヤの声を聞いて、執事達は、嬉しそうに笑った。
「強がっちゃって、かわいいなあ。女の子なんだから、大人しくしとけばいいのに。カズキ様の正妻は無理でも、妾くらいにはしてもらえるよ」
「青葉の国が手に入るぞ」
「俺達がとりなしてやってもいいぜ? カズキ様だって、あんたを見つけたら連れて来いって言うくらいだから、まあ、多少は気になってるんだろ」
「まあ、死んでなければ何でもいい、とも言ってたけどな」
口々にカズキ様とやらのことを語る。
サクヤにとっては、その名前は苛立ちを呼ぶものらしい。小さく舌打ちをする音が、フードの下から聞こえた。
多分、このケイタ、コウタと、カズキ様とかいうヤツが、まとめて、怒りの対象になっているのだ。
口振りからすると、この双子執事は、今のサクヤが女だと知っているように思える。
ただしそれは、状況を正しく理解した上での発言なのだろうか。今は女でも、本人は、男のときがメインの状態と認識しているのに。
そのことを知っていてからかっているのか。
それとも、出会った当初のオレのように、可愛いサクヤは女にしか見えないという誤解の上で、話しているのか。
何とも判断出来ないので、オレは会話に口を挟まない。
全てはサクヤの事情だ。余計な情報を漏らすワケにはいかない。
「――俺自身のこともあるが。それ以外でも、お前らのやり口には反吐が出る」
「何? やり口ってどれのこと? ……あれ、そう言えば、ここであんたに、武器を1つ売ったことがあったっけ」
「ああ。人間爆弾を売ったことがあった」
わざとらしい双子執事の言葉に、サクヤの肩が小さく震えた。
人間爆弾が何かは分からないが、その単語だけ聞いても、平和的なものでないことだけは、確実に理解出来る。
もう、会話する気も起きなくなったのか、それとも、痛みが限界を超えそうになっているのか。
サクヤは、それ以上答えなかった。
黙ったまま、左手を双子に向ける。
その姿勢で、ちらりとこちらを見た。
声には出さず、「逃がすな」と動く唇だけが、フードの下から見える。
オレは、了解の合図に、腰に提げた剣を抜いた。
「お、何だ何だ? そこのクソガキもやる気なワケ? ご自慢の魔法じゃなくて、剣で挑んで来るなんざ、生き返ったと思ったら、早速死にたいのか」
ケイタが、オレの様子に気付いて、剣を構えながらコウタの前に出た。
ご自慢の魔法?
生き返った?
さっきから、オレに対して、不可解な言動が多い。
ケイタもコウタも、オレのことを誰かと間違えているのではないだろうか。確かに、さっきオークション会場で会うには会ったが、2人の態度は、まるで、もっと前からの顔見知りのようだ。
考えても仕方ない。
オレは抜いた剣に意識を戻した。
ケイタの構えのぶれのなさや、先ほど、サクヤの右腕に切り込んだ様子から、大口を叩くだけの技量はあることが分かる。
まともに構えれば、勝ち目のない相手のはずだ。
それでも、ケイタに向けて駆け出すオレに、不安はなかった。
――だって、オレの背中では。
呪文を囁く、涼やかな声が聞こえていたから。
「我が名は悠き夜の羽。浮遊する器に注ぐ、紅の永遠に沈む……」
オレは、魔法が発動するまでの時間稼ぎで、ヤツらを引きつけておけばいいだけだ。
正面から走り込むと、コウタの火球が、オレに目掛けて飛んでくる。
真っ直ぐに飛んできたそれを、うまくかわしたところへ、ケイタが一歩踏み込んできた。
多分、長く打ち合う程の余裕は、オレにはない。
踏み込むケイタに合わせて、オレは少し距離をとって下がる。
時間稼ぎに気付いたコウタが、間髪入れずに完成した魔法を、今度はオレではなく、サクヤの方に飛ばした。
サクヤは、飛来する火球に、視線も当てない。ただ、呪文の合間に、別の魔法を発動させた。
「――聖防御障壁」
火球は、サクヤの左手の前で、先ほどと同じ見えない壁にぶつかって消えた。
「防御魔法?」
「みたいだな。サクヤちゃん、守ってばっかりじゃ勝てないよ。そんなことしてる間に、このクソガキ殺っちゃうよ」
どうやら、サクヤの呪文は、今の壁を維持するものと捉えたらしい。
バカな。
オレにだって分かる。
それなのに、なぜこの双子執事には分からないのか。
今の魔法壁は、無詠唱で展開されたものだ。
先程、コウタの魔法を避けた時も、呪文など必要としていなかった。
「黄金の鎖かけ、古の盟約に従う者……」
だから、今も夜空に響く、この呪文は壁を作る為のものではない。
じゃあ、何の為?
勿論――攻撃の為、だ。
サクヤの前方に、巨大な光の渦のようなものが集まり始める。それを目にして、ようやく、双子はサクヤの意図に気付いたようだった。
「……2つの魔法を、同時に使役出来るのか?」
「コウタ、逃げるぞ!」
ケイタが剣を握って、踵を返そうとした。
オレはその足を止める為だけに、斬りかかる。
勿論、技量の違いで軽くいなされるが、その数秒の足止めの間にも、サクヤの魔法は完成に近付いている。
よりはっきりと双子の逃亡を防ぐ為に、彼らの横を通り抜け、サクヤと挟み込む形で、双子の背後に回った。
「くそ! ガキが邪魔しやがって!」
「ケイタ、壁を作るから、入れ」
コウタがサクヤに対抗するように、両手を掲げ、呪文を唱え始めた。
「星よ、星よ。杯の満ちる如く……」
「……一の雫、二の糧、五の影に委ねよ。汝、深淵を翔ける者よ……」
コウタの呪文と、サクヤの呪文が交差する。
完成のスピードだけ言えば、コウタの魔防壁の方が早かった。先に呪文を唱え終えたコウタが、鋭く叫ぶ。
「魔防壁!」
「……その妙なる罪音を聞け! 月焔龍咆哮!」
一瞬遅れて、サクヤの呪文が完成し、前方に浮かび上がった、莫大な量の光の渦が、地面を削りながら、こちらに向かってくる。
光の渦は双子執事の前方で、コウタの作った壁にぶつかり、一度押し留められた。
それを確認する前に、オレは、射線から外れるように、真横へ走る。
壁を支えるコウタの隣で、ケイタが驚いたように声を上げた。
「これ、押し負けてる!?」
ケイタの言葉通り、魔法の壁は、徐々にその空間を押されている。
明らかに、放たれた魔法の出力を、防ぎ切れていない。
壁の中央に大きな亀裂が入った瞬間、コウタが、右手でケイタを力一杯押した。
「――ケイタ、逃げろ!」
壁の後ろから真横にはじき出されたケイタは、魔法の対象範囲から外れ、藪に頭から突っ込んだ。
一瞬後、壁は亀裂の隙間から砕け、コウタの姿が、光の渦の中に飲み込まれる。
「――コウタ!」
藪から身を起こしたケイタの、悲痛な声が響いた。
直視できない程の光量に、オレはしばらく顔を背ける。
コウタの名前を呼ぶ声だけが、何度も聞こえるが、光が強すぎてそちらを向くことができない。
永遠に続くように思えた時間が過ぎ、少しずつ光が弱まっていく。
閉じた瞼に、光が少なくなったのを感じて、眼を開けた。
オレの視界に見えるのは、強力な魔法の爪跡を示すように、大きく抉れた地面と、その脇にへたり込んでいるケイタの姿だけだ。
光の塊をまともに受けたはずの、双子の片割れは、この世から影も形もなくなっていた。
「こ、コウタを……」
呆然と呟くケイタを無視して、オレはサクヤの傍に戻った。
サクヤは、顔を伏せ、辛そうに肩で息をしている。魔法の発動の瞬間に、反作用で後方に押されたらしい。最初にいたところから、数歩下がって、膝をついている。
それでも、オレが近くに来たことに気付くと、小さく笑ったようだった。
その微笑みは、勝利の喜びを示すものではなく。強く感じるのは、いたわりと、自嘲。
ケイタが立ち上がり、こちらに向かって吠える。
「サクヤ――貴様、よくも、コウタを!」
「……殺される覚悟もなく、向かってくるとは。それで継承戦をどうやって勝ち抜くつもりだ」
サクヤは、膝をついたまま、再び前方に左手を構え、ケイタを威嚇した。
オレもケイタに向けて剣を構える。
2対1になったことに気付いて、ケイタは一瞬ためらったように見えた。すぐに意識を立て直し、悔しげな一瞥だけを残すと、あっさりと踵を返して駆けだした。
後を追うか、少し迷って、オレはサクヤの方に視線を向ける。
安堵したのか、一気に脱力したサクヤの身体が、傾いでいる。慌てて駆け寄って、地面にぶつかる前に受け止めると、オレの腕の中で大きく息を吐いた。
その様子を見るために、フードを上げると、普段と同じ金髪が、こぼれるように現れた。うっすらと開いた眼も、見慣れた紺碧に戻っている。
ただ、腕の中の身体は柔らかく、ふっくらと持ち上がった胸元が、性別だけが戻っていないことを表していた。
「おい。顔色、真っ青だぞ」
慌ててサクヤに声をかけるが、サクヤは、軽く首を振って答える。
「……大丈夫だ」
「どう見ても、大丈夫な要素がないだろ……」
「問題ない……頼む、誰も呼ぶな、このまま――」
声に力はないが、意識はしっかりしている。
だけど、このままと言われても、放っておけるような状態ではない。止血しただけの右手は、放置すれば、腐って落ちるだろう。そもそも傷が深すぎて、出血量だけで十分に死ねる。
それでも、サクヤは治療を望んでいないようだった。
人を呼ぶな、このままにしてくれ。それを繰り返し、囁く。
かなり悩んだが、最終的に、オレはサクヤの言葉を聞くことにした。
何かは分からないが、サクヤに考えがあることは、はっきりと分かったから。
勿論、街に帰ろうにも、魔法で壁を越えてきたので、サクヤがいないと、こっそりとは戻れないというのもあるが。それだって、門の前で大騒ぎすれば、治療くらいはしてくれるだろう。
ただ、そうして欲しくないから、動くなと言っていることは、良く分かった。
幸いにして、ここは森の中なので、静かにしていれば、人に見つかることもない。
ただし、ケイタが人を連れて戻って来ては困るので、森の奥の方へ移動することにした。
移動することも嫌がられたらどうしようかと、お伺いを立てるつもりで、腕の中のサクヤを見る。
どうやら、既に意識を失っていたようだ。
いつの間にか、瞳を閉じている。
その口元に自分の耳を近づけて、息をしていることだけ確認すると、オレは、その身体を両手で抱え直した。
意識のないサクヤは、オレの首に頭をもたせて、小さく呼吸をしている。
その空気の流れだけを頼りに、歩き出した。
2015/06/13 初回投稿
2015/06/20 段落修正
2015/06/22 言い回しと改行部分を若干修正
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更