9 おかえりなさい
【前回までのあらすじ】ようやく見付けたサクヤを説得して、現実に戻ろうとした時――オレ達を恨めしそうに見てるノゾミの存在に気付いた。
「結局、オレと一緒にいちゃくれないんだ……」
ぎゅ、と手に力を込めて握られて、サクヤが少しだけ眉を寄せる。
「ノゾミ、お前も一緒に帰れば良いじゃないか。こうしてデータがあるんだから、俺と同じで戻ろうとすれば戻れる……ん、だよな? カイ」
尋ねられて、少し考える。
結構なエネルギがいるって話だったからどうか分かんないけど……まあ、やってみる価値はあるはずだ。
ノゾミとこの先も付き合うことを考えるとあまり良い気はしないが、ここで嘘をつくのはフェアじゃない気がして、オレは無責任に頷き返した。
なのに、ほっとしたサクヤに笑顔を向けられても、ノゾミは納得しない顔で首を振ってる。
「ノゾミ……」
「オレは現実に戻りたいなんて思っちゃいない! あんたと一緒にいれればそれで良いんだ。むしろ、他のことなんて全部……鬱陶しいだけだ。余計な告げ口するエイジも、人の気持ち全然分かっちゃないナギも、変な正義感でアドバイスしてくるアサギも――! 他のヤツなんて誰もいらない!」
オレの腕を解いて、サクヤがノゾミに対して向き直る。
その細い肩に、ノゾミが両手を置いた。
「なあ、あんただって疲れたって言ってただろ! 現実なんてアレもコレも予想外で――ヤなことがいっぱい起こる! オレ、まさか自分があんたを置いてあんなに早く死んじゃうなんて思ってなかったし、あんたがオレ以外に――こんなヤツに取られるなんて、思ってもみなかったよ!」
叫ぶノゾミの苦悩が、もちろん、同じヒトを取り合ってるオレには良く分かった。
オレだって、サクヤを置いて死ぬのも、誰かに取られるのも嫌で仕方ない。想像するだけでも。
きっとこの苦しさは、このヒトが傍にいる限り続くだろう。
サクヤにはオレほど身にしみてではないみたいだけど、それでも出会った時よりは格段に、他人のそういう気持ちが分かるようになったみたいだ。
多分それは、このヒト自身が、自分の気持ちとちゃんと向き合うようになったからだと思う。
自分が失ったあれこれを正面から見つめる、そういう経験を積み重ねたことで。
「ノゾミ……」
眉を寄せて、自分の肩を抱くノゾミの名前を呼ぶ。
その声に切なさが聞こえて、オレはやっぱりムカついた。
ムカつく理由はもう、とっくの昔に分かってる。
嫉妬、という名のその感情と、オレもこのヒトと出会ってから随分仲良くなったと思う。
どうもオレ、あんま執着とかないニンゲンだったんだ、昔は。
深く考えないって言うか、なるようになるか、みたいな諦め。
だからこそ冷静にヒトの感情を見つめられる、それがオレが「ヒトの心に敏い」なんて言われてた一因だと思う。
だけどさ、出会ってからサクヤが変わったみたいに、オレもやっぱり変わってて。
こんなとこまでこのヒト追っかけてくるくらいに。
「サクヤ。ねぇ、オレと一緒にここにいよう。ずっとずっと愛してあげる。ここには絶対しかないよ、予想外のことなんて起こらない。あんただってオレのこと愛してるんだろ? あんたは誰かを見捨てるようなヒトじゃないだろ? ね、あんたが心配することなんて何もない世界で、オレとずっと……」
オレに対しては絶対見せない、心から倒れ込むような表情で、ノゾミはサクヤの肩を揺さぶってる。
胸を抉るような声音を聞いて、反射的に何かを口にしようとしたサクヤは――ふと、黙ってオレに視線を当てた。
その視線が何を意味してるのか、オレには分からなかった。
以前、オレとノゾミの選択を迫られて、オレを選んだ時は真っ当な理由があった。
オレの身体だから、オレが使うべきって。
だけど今、そんな正当な理由はここにはなくて、サクヤが迫られてるのは、ただどっちと一緒に行くかっていうサクヤだけの気持ちだ。
すぐに視線がオレから逸らされて――ひどく不安になった。
ヒトの為に自分を投げ捨てることの得意なこのヒトを――オレは――
「サクヤ――」
止めようとしたオレの手をすり抜けて、サクヤはそっとノゾミに近づき、その背中に手を回して抱き締めた。
「……ノゾミ」
「サクヤ!」
ノゾミが歓喜の声を上げて、その抱擁を受ける。
オレの胸が痛むのは、今はもう嫉妬じゃなかった。
オレと一緒に帰りたいと言ったはずなのに、あんたはノゾミを選ぶのか?
いつもの、自分を投げ捨てるような献身で?
自分を殺して、ヒトのために生きる道を進むつもりなのかよ――?
ノゾミの胸元から顔を上げて、真っ直ぐにその顔を見上げたサクヤが、泣きそうな顔で囁いた。
「ごめん。お前は、俺のためにここにいるんだよな。俺のために、黄金竜の力を使って……」
同情とも贖罪ともつかないサクヤの言葉に、ノゾミは笑顔で頷き返す。
止めてくれ、そんなもの勝手にそいつに背負わせるな。
いつだって自分よりも、他人を優先してきたそのヒトに――
ノゾミの身体を、サクヤの腕が静かに押し離した。
「……ごめん。本当に、ごめん」
「――サクヤ?」
「謝ってもどうしようもないかも知れないけれど……ごめん。俺はカイと行く――」
ぴし、とノゾミの笑顔が凍り付くように固まった。
その表情を見て、オレは慌ててノゾミからサクヤの身体を引き剥がす。
後ろに下がったサクヤの胸元を掠めるように、真横から鋭く突きこまれたのは、かつてオレが操っていたのと同じ黄金竜の触手だった。
「……まさか、オレを捨てていくなんて」
地の底から這い出すような声で呟きながら、ノゾミが顔を上げた。
その瞳は真っ黒い穴のようで――底が見えない程の絶望を湛えている。
胸元から不可視のはずの黄金竜の触手をずりずりと伸ばしながら。
「オレはあんたの為に、何もかも……オレにはあんただけだったのに」
「――ノゾミ、ごめん……!」
謝罪の言葉は、だけどそれを理由にして決意を翻したりはしないって、明確に伝えてた。
オレは左手でサクヤの細い手を握って、踵を返す。
「サクヤ! 行くぞ!」
「カイ――!」
ノゾミが完全に分離した今のオレには、黄金竜の力は使えない。
正面からオレ達の退路を絶つように突きこまれてくる触手を、オレは。
「――『炎よ』!」
右手に纏った炎で、焼き払う。
背後から、ノゾミの声が追いかけてくる。
「サクヤ! ねぇ、お願いだから、オレと――」
――ずっと、一緒に。
求められる声を、サクヤは首を左右にふって振り切った。
「ごめん、今度こそ俺は、自分で選ばなきゃいけないんだ――」
滑らかな指先が、オレの手をぎゅっと握りしめる。
その感触を確かめながら、オレは正面の扉を開いて、その向こうへ一緒に飛び込んだ――
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眼を開けた。
飛び起きる。
目の前に、輝く粒子が集まってきてる。
オレは大きな卵を両手で抱えるようにして、その光を腕の中に抱き締めた。
キラキラする輝きが眩しくて、思わず瞬きした次の瞬間。
集まっていた光が、確かな形を作っていた。
膝の上に、確かな――温かい肉体の重みを感じる。はぁ、と吐き出された息が、頬を掠めた。
ゆっくりと、光が薄れていくのに合わせて、両手の空間を狭めていく。
最後に、オレの腕の中に残ってたのは、ここまでずっと追いかけ続けたそのヒト――
「サクヤ。おかえり」
首元に顔を埋めるように、ぎゅっと抱き締めた。
黙ったまま、こくり、と頷く動きを鼻先で感じる。
慣れた果物の匂いがして、ようやく取り戻したと実感した――
「……くすぐったい」
低い声がオレの耳元に吹き込まれる。
やっぱ男だ。
だけどもう、あんたが戻ってきたなら、何でも良い。
顔を上げて、正面からその青い瞳を見つめた。
確かにこの空間にある、その。
右手で頬を撫でながら親指で唇に触れると、柔らかい感触がオレの爪を濡らす。
ちろ、と舌を出したまま上目遣いに見上げられて、その舌先を追いかけて唇を近付け――
「――いちゃついてんじゃないわよ、変態っ!」
したーん、とケツの真横で足を踏み鳴らされて、うんざりした気持ちになった。
薄々気配を感じ取りつつ無視してたんだけど、見上げれば予想通りに両手を腰に当てた青兎の少女。
「ナチルか……良いとこなんだから、もうちょっと待ってろよ」
「い、い、良いとこぉ!? あなたね、恥じらいとかそういうのないわけ!? この露出狂! 変態! 変態!」
「……その言い方だと、相手のサクヤも露出狂だな」
「サクヤは――」
しどろもどろになりながらも、何かを言い返そうとしたナチルの身体を、素早く立ち上がったサクヤが正面から抱き締めた。
「ナチル――ありがとう、ただいま」
言葉を奪うように顔が胸元に押し当てられてて、びっくりしたナチルがふがふが言いながら、足をしたんしたん鳴らしている。
サクヤはナチルを抱き締めたまま、そっと囁いた。
「今はお前が姫巫女だ、あまり迂闊なことは言わない方が良い」
ぴたり、とナチルの動きが止まる。
サクヤが少し腕の力を緩めると同時に、もぞもぞと動いて顔を離した。その紅い瞳で見上げて、小さく呟く。
「……サクヤ、おかえりなさい」
「ただいま」
ナチルの小さな手がサクヤの背中をぎゅっと掴んでいるのを見てから、オレは床から腰を上げた。
見回せば、既に戻ってきているサラとトラ。
沈黙を守るサラは、トラの方を見ないまま、ぼんやりとしっぽを振っている。
トラはその小さな背中を見ながら、そこはかとなくしょんぼりしてるのは……データの中で叱られたんだろうか。何かエイジに謝らせる、とか言ってたし。
そんなこと考えてると、ぽん、と背中を叩かれた。
振り返れば、にやにや笑っているのは白狼の女王――
「女王――」
「既に私は女王ではないな。今の女王はサクラだよ」
苦笑しながら背後を親指で指す。
サクラ、と呼ばれた白狼の少女は、オレと目が合うと黙って頭を下げた。
「元女王なんだから、嘘じゃない。オレにとってはあんたはずっと女王だ。戻ってきてくれて良かった」
割と本心からの言葉に、女王はにやりと笑って肩をすくめた。
「いや、私も300年も生きたのだから、もう戻らなくても良いんじゃないかと思ったんだよ。しかし、あの青兎の新しい姫巫女、ひよっこの癖になかなかやるじゃないか。最後の手段でサクラを連れてきたのだ。サクラに『女王を止めたのだから、今まで出来なかったアンナコトもコンナコトも出来ますよ』なんて可愛いことを言われたら、断れないだろう。その言葉に釣られて戻ってきてしまった」
……うわぁ。
思わず不健康なことを色々と想像しそうになって赤くなった顔を、真下から女王が面白そうに覗き込んできた。
「ふっふっふ。……私、女王やめたからこれから成長するぞ? いつだったか君は、この超絶美少女に対して、ロリは対象外、とか言ったな。しかしどうだ? 10年後には君が頭を下げて『どうかどうかヤらせてください』と頼み込んでくるような――」
「――止めろ。今のオレは嘘をつけないから、コメントしたくない」
甲高い笑い声を聞きながら、オレは黙秘権を行使した。
ひとしきり笑い終えると、女王はオレに背中を向けて新女王の方へと戻っていく。
ぼそり、と一言だけ付け足して。
「……まあ、あれだな。性欲と好奇心は、生きる糧になり得るってヤツだ」
ため息をついて聞き流した。
一族思いの女王のことだ。
どんな説得の言葉だったとしても、同胞が迎えに来たのだったら、きっと戻ってきただろう。
その辺りの本心の隠し方を、オレちょっと教えて貰った方が良いのかも。
「よくお戻りになりました」
女王と入れ替わりに、前姫巫女が歩み寄ってきた。
嬉しそうだけど、どこか寂しげな笑顔を浮かべている。
「……あんた、向こうにもいたよな?」
「ええ。中のデータを元に、外部端末たる私は存在していますから……あちらでのあなたの活躍も拝見してましたよ。あなたがたの――」
「――ああぁ!? もう、それは良いから!」
慌てて顔の前で両手を振ると、くすっと笑った後に、少し真面目な顔になった。
「……ただ、あまり良くない状態です」
「え? 良くないって」
「向こうに置いてきたノゾミさんという方……黄金竜の力を持ってますね?」
「あ、うん。生粋じゃないけど……」
ノゾミの黄金竜の力は、逆侵食で得られたものだ。
それを使って、ハイコンに逃げてきた、ってさっき言ってたような?
「ええ。だからでしょうか……他を食い荒らすのに長けているようで」
「食い荒らす……?」
「本体が侵食されています。このままでは外部へ表出するかもしれません」
「表出……出てきちまうってことか?」
それこそ、サクヤやトラや女王みたいに、実体持って戻ってくるってこと?
まあ、ライバル増えるけどそれくらいなら……
諦め半分で頷こうとしたが、ミコトは浮かない顔で首を振った。
「黄金竜は我々の中でも最も遺伝子操作の多い種族です。特に500年前の争い以降は、精神体に近い形でしか存在していないので、その先鋭的な思考傾向は加速しています」
「……頭ぶっ飛んでるってこと?」
「砕いて言えばそうです。先天的な黄金竜でなくても、肉体を持たないことに飲まれて、精神状態が突き詰められていくことが、今日までの実験で判明しています」
確かに、ここまでに出会った黄金竜――ヒデトもノゾミも、ただひたすらに自分の求めるヒトだけを求めるヤツだった。
それは元々の性格ってだけじゃなくて、黄金竜の力を手に入れたからっていうのもあるのか。
「……つまり、ぶっ飛んだ頭のヤツが戻って来ちゃうってこと? オレがサクヤを連れ戻したせいで?」
「いえ、ノゾミさんはあなたが来ようが来まいが、いずれハイコンを侵食していたでしょうね。サクヤがあの方の恋慕に応えることはないでしょうから……」
サクヤにとってノゾミちゃんは弟でしかない。
オレが迎えに行ったから、あのタイミングでそれがノゾミちゃんに伝わっただけで、迎えに行かなくてもいつかはバレてたってことを、ミコトは言いたいらしい。
だけどじゃあ、それが分かった今、ノゾミは何をどうするって言うんだろう――みたいなことを考えてたとき。
「――カイ!」
突然、焦った表情のサクヤがオレに向かって飛び込むようにして、身体を押してきた。
不思議に思う間もなく、一緒に倒れ込んだオレとサクヤの真上を真っ黒い紐状の――黄金竜の触手が走った。
避けた触手はそのまま伸びて、黒い直方体の1つにぶち当たった。直方体の端が、ばきぃ、と嫌な音を立てて砕ける。
今までオレの操ってたような、精神体の不可視の触手じゃない。
完全に物理的な力を伴う――真っ黒な、それ。
転がりながら身体を起こして、触手の出処を探す。ずるずると床のあちこちを蛇のように這い回るそれを、目で追いかけた。
向けた視線の先、床に倒れたままだったユズリハの身体が、動いたような気がする。目を凝らせば、胸板を『剣』に貫かれたまま、ずるり、と身体を起こしてきた。
顔を上げたユズリハの眼が、焦点を結ばないまま、オレと目を合わせる。
紫色に変色したその唇が、ゆっくりと動いて――
「サクヤは、オレのものだ。オレだけが……そんな簡単な願いも叶わない世界なんて、いるもんか――」
「――ノゾミ!」
どうやらノゾミを呼び起こすのが、ハイコンの最後の妨害、なんだろうか。
それとも、ノゾミが既にハイコンを乗っ取ったからこそ、こうなってるのか?
名前を呼んだオレ目掛けて、一直線に黒い触手が走ってきた――
2016/07/29 初回投稿