8 絶対なんて
【前回までのあらすじ】ハイパーコンピュータの記録を垣間見ながら、ようやく見付けたサクヤは、オレが世界で一番理解できないヤツ――ノゾミの腕の中で眠っていた。
「……サクヤ」
呼びかけて、伸ばした手を何故かノゾミに振り払われて、イラっとした。
見上げてくる姿は、周りから言わせれば見間違えるほどオレとそっくりらしいけど……オレにはそんな自覚はない。
向こうもきっと同じだろう。
苦々しい表情で、膝の上のサクヤを改めて抱き寄せている。喋るのも嫌そうに、口を開いた。
「うわー、やっぱあんたのことこうして見てるとキモいわ。全然オレとは似てないと思うんだけどな」
「ああ、同感だね。あんたとオレ、全く違ってる。何でサクヤが間違えたのかも分かんないよ」
言い返しておいて、もう一度手を伸ばす。
ノゾミが再度振り払おうとした時、その手を止めるように細い指先が伸びてきた。
「サクヤ!」
ゆっくりとノゾミの膝から身体を起こすサクヤを見て、嬉しそうにノゾミが名前を呼ぶ。
瞼の下からあらわれた青い瞳はいつもと同じ輝きで……少し安心した。
良かった。これが本物だ。
「カイ……? 何でこんなところへ……」
聞き慣れた低い声。
身体を起こす途中で後ろから抱き寄せられて、少し困惑したように、背中から腕を回してるノゾミを振り向いた。
邪気のない(ように見える)笑顔に、諦めたように頷き返してから、ノゾミの膝の上に座り直してる。
「……あんたね」
「ん?」
イラついてるオレの声を聞いて、不思議そうな顔で見上げてきた。
あんた、本当に相変わらずだ。ノゾミちゃんは、あんたがそんな信頼して良い相手じゃないってのに。
寝てる時だってムカついたけど、サクヤが自分の意思でそこに座ってると思うと、ますます腹が立つ。
乱暴に腕を掴んで引っ張ろうとして、腰を締め付けるように抱いているノゾミと引っ張り合いになった。痛みで、サクヤが顔をしかめる。
「あ、悪い……」
苛立ち紛れに強く握った自覚はあったので、慌てて手を離した。
サクヤはそっと頷き返してくれたけど、ノゾミの腕を振りほどいてこちらに来ようとはしない。
この人を探しにここまで来ただけに、こっちは顔見れてすごく嬉しい。なのに向こうはそこまでじゃないのかと思うと、少しだけ切なくなった。
「サクヤ。オレ、迎えに来たんだ、一緒にかえろう。あんたのデータここに完璧に保管されてるから、神の欠片を使って肉体復元すれば、またオレと一緒に……」
ノゾミの腕の中から、オレを見上げたサクヤが。
黙ったまま小さく首を振った。
「サクヤ……?」
ハイコンの妨害があるかも、なんて話は聞いてたけど、まさか本人に拒絶されるとは思わなかったので、びっくりした。
「うるせぇなぁ、見りゃ分かるでしょ、あんたお邪魔虫なの。何でわざわざ来たんだよ、サクヤにはオレがいるから心配ないのに」
サクヤの背後から投げかけられる嘲るような声は、本当、憎たらしくて蹴り飛ばしたくなる。
何よりムカついてるのは――サクヤが、そんなノゾミの言葉を否定しないことだ。
「ノゾミちゃんは関係ねーだろ! 大体あんた何でここにいるんだよ! 守り手でも何でもねーだろが!」
「黄金竜ってのは色々特殊でさぁ。人の心の中を覗くときハイコン通してるんだよな。そのおかげでハイコンまでのルートしっかり覚えてたから、消滅の瞬間にこうして逃げてこれたってワケ」
オレに言わせれば、不必要に小器用って感じ。
オレなんかハイコンが間に入ってたことすら、さっき初めて気付いたのに。あらゆる点で、こいつはオレの上を行く。
困った顔をしたままのサクヤが、そっと囁いた。
「……喧嘩するの止めろ」
「ごめんごめん、喧嘩なんかじゃないよ、説明してただけだから」
ころっと手のひらを返すのは、やっぱ小器用なノゾミちゃん。
オレはイライラをうまく発散出来なくて、黙ったまま横を向くだけだ。
そんなオレから、サクヤも眼を逸らした。
「カイ。俺は――」
顔を伏せたサクヤの白い首筋が見える。
そこに、調子に乗った顔つきのノゾミがそっと唇を当てたので、ますますムカついて――あぁ、もう!
「ちょ、とにかくあんたら離れろ! 人前でいちゃいちゃすんじゃねぇ!」
「いちゃいちゃ? そんな……ノゾミは弟みたいなものだ。お前、俺とナチルが抱き合ってても何も言わない癖に――」
「そうそう。サクヤとオレの付き合いはあんたに会う前からずっとだから。もうほら、弟って言うか、家族みたいなもんだから。夫婦みたいなもんだから」
「弟と夫婦全然違うだろうが!」
「違いませんー! 家族ですー、仲良しですー」
「バカ、弟って言ったらなぁ――」
「――少なくとも俺は、お前とナチルが抱き合っても、文句は言わなかった」
頭越しにヒートアップするオレとノゾミちゃんの下で、サクヤがそっと囁いた。
その声色に何か不穏なものを感じて、思わず一度口を閉じる。
「……サクヤさん?」
伏せたままの顔をこわごわと覗き込んで見ると、微妙に唇を尖らせていた。
ナチルとオレが抱き合ってたって、いつのことだろう?
そう言えば、サクヤが消える直前、ナチルはオレの腰にしがみついてたような。抱き合う、とはちょっと違うような気もするけど。
……待て待て。その文脈で「カイを頼む」って、まさか――あんた、何か余計なこと考えてないだろうな!?
目が合ったところで、はっとしたように逸らされた。
「……ダメなんだ」
ぼそり、と呟く寂しい響きを聞いて、背後からノゾミがぎゅっとその身体を抱き締める。
顔が見えないのが不安で、オレはサクヤの前に跪いた。
下から見上げても、横を向いたままでこちらを見てはくれない。
「サクヤ」
「……ダメだ。お前と一緒に戻ったら、俺は今度こそナチルやサラに嫉妬してしまうかもしれない」
オレ、ロリ属性ないんだってば。
だけど、そんな説明しようと思うより、その言葉が嬉しくて何かにやにやしてしまう。
幾らでも嫉妬して良いよ、あんたにはその権利があるって。
言おうとしたオレを止めたのは、サクヤの背後からかけられた変に優しい声だった。
「サクヤ。もっとはっきり言わないと分かんないよ、こいつ。バカだから喜んじゃってるし」
バカで悪かったな。でもさ、好きなヒトにこんなこと言われて、喜ばないなんて……あれ?
こっちを見たサクヤが、はっきりと眉を寄せてる。
「カイ。わざわざ迎えに来てもらったのに悪いが、俺は――」
確実に拒絶の言葉が続くと分かったから、オレは慌てて首を振った。
「待て待て待て、言うな! 何でダメなんだよ、これからだろ? ヒデトのことも継承戦も片付いて――そうだ、あんたももう姫巫女じゃないんだから、これからは――」
これからは、と言いかけて。
ようやく気付いた。
潤んだ瞳のサクヤが、顔を上げてオレを見た。
その白い頬を静かに、雫が伝う。
「……もう俺は姫巫女じゃない。だから俺……もう女にはならない。お前の望むモノを俺はやれない」
「具体的にはおっぱいとかね」
軽ーい口調で付け足したノゾミを、ぶん殴りたくなった。
サクヤを抱き締めたまま器用にオレの拳を避けたノゾミは、こうなることが分かってた様子でにやにやしている。
そっちをもう一度ぶん殴るほど元気出なくて、呆然としながらも、思いついた言葉が口から流れる。
「……や、でも……あんたとそういうこと出来ないのは、姫巫女だった時から分かってたし……」
「違う。許せないんだ……見たくない。俺とは出来ないからって、お前が誰かと……そういう……」
口ごもって赤くなるサクヤさんを見て。
もう何か――考えるのをやめた。
よしよし、なんて言いながら髪を撫でているノゾミの手を払い除けて、サクヤの身体を自分の方に引き寄せる。
腕の中に抱き締めた細い肩が、緊張して一瞬震えるのを生々しく感じた。
「オレ、誓っただろ。誰ともそういうことしないって。あんたとずっと一緒にいるって。あんた、オレに誓約がないからって信じてないのか?」
「姫巫女じゃなくなれば成長だってする。ひげとか生えて、お前より筋肉がついて男らしくなるかも……」
「良いよもう、そんなんどうでも良い。生きてたら、この先どうなるかなんて分かんないだろ。あんたオレのことばかり心配してるけど、もしかしたら男らしくなったあんたの方が先に、可愛い嫁さん見付けちゃうかも知れないし。もしかしたらオレだって、脛毛まみれのあんたの脚に興奮するようになるかも知れないぞ。オレ、もうあんたが生きててくれたら、何でも良い……」
「……何言ってるんだ――」
口では、ばか、なんて言いながら――オレの背中に両手が回ってきた。くっついてきた小さな頭が、オレの喉元を擦る。
腕の中からサクヤを奪われたノゾミが、噛みつくように言い返してくる。
「……何言ってんだよ、そうやって何があるか分かんないからこそ、イヤなんじゃないか。ねぇ、サクヤ。オレと一緒にいれば絶対傷付くことなんかないよ。何も変わらない。絶対に離れない。このデータの世界で、ずっと綺麗なままのあんたを、ずっとずっと愛してあげる」
オレとノゾミを交互に見ながら、サクヤは小首を傾げている。
そのキラキラしてる眼を――きっと最初から、オレ、手に入れたくてたまんなかった。オレのこと見て欲しくて仕方なかったんだ。
濡れた頬に手を当てて、親指で拭う。
オレの手を嫌がらずに、擦りつけてきたそのなめらかな感触で、心が決まった。
顔を近付けると、自然に瞼が降りてくる。
「ああ、そいつの言うとおりだよ。あっちの世界では、明日、何が起こるかなんて分かんない。永遠の気持ちなんか存在しなくて、何一つ確約されたものなんてない。あんたはきっとこれからも傷付くはずだ。騙されたり、怒られたり、拒絶されたり……でも」
青い瞳が、静かに閉じられる。
囁きながら、その唇に唇を近づけた。
「でも、何の保証もない世界だけど、オレは誓う。あんたとずっと一緒にいる。他の誰ともそういうことしない、あんただけだ。保証はないから代わりに、あんたが信じられなくなる度に何回でも言ってやる。予定調和のない、絶対なんてない世界だから――オレが、あんたに絶対をやるよ」
掠めるような口付けは、やっぱり柔らかかった。
こうして触れられたのはすごく久しぶりで――もう何かめちゃくちゃ興奮して、頭ぶっちぎれそうになったけど、辛うじてソレ以上の行為を慎んだ。
別に、相手が男だからじゃない。ノゾミが見てるからだ。
それに……これ以上は何か違う、と思ったから。
あんたへの想い、カラダだけじゃないんだって、見せてやりたくなった。
だから、唇離したところで、息を吐いてから言葉を続ける。
「大体あんたは口悪いしワガママだし、言葉こねくり回す癖に思いついたら直球だし、時々暴力的だし、可愛いのを鼻にかけて偉そうだし……」
「な! 鼻にかけてなんか――!?」
「でも、良いんだ。オレはずっと、そういうあんたを追いかけてきたんだから……」
抱き締めると腕の中で、安心したように長い長い息が吐きだされる。
シャツを透かしてオレの胸元温めるみたいな感触に、きゅんとした。
「だから――オレと一緒に、帰ろう」
こくり、と頷いたサクヤの額が、オレの鎖骨に当たった。
その軽い感触で頬が緩む。
黄金竜の力なんてなくたって。
言葉がすべてを伝えてくれなくたって。
オレの言いたいこと、全部は分かってくれてなくたって……良い。
完全でも完璧でもない世界が、オレとあんたの未来には続いてるんだから。
ようやく緊張してた肩から力を抜いた。
その途端に、ぎり、と歯を食いしばる音が聞こえる。
顔を上げると、忌々しげな表情のノゾミが、オレ達を睨みつけていた――
2016/07/26 初回投稿