5 楽園計画
【前回までのあらすじ】姫巫女をナチルに継承して消滅したサクヤ。オレはあいつの後を追っかけたくて仕方ない。だって、もうここには何もないじゃないか……。
何もかも、よく分かんなくて。
傷を負ったナチルの身体を、しゃがみこんで抱きしめた。
腕の中で、ナチルが弱々しい声で謳い始める。青兎の癒やしの術。身体を貫いたユズリハの魔法の跡が、目に見えて塞がっていく。
「カイ……ダメなの。サクヤに、カイをお願いって言われたの……だから、私、あなたを見捨てないから……」
謳いながら、切れ切れに囁く声。
オレの目の前でふるふると震える白い長い耳を、もう何も言えずにただ見つめた。
「ん? 大人しくなったかな。じゃあまあ良いか、ミコト――ちょっと手伝って!」
オレの正面からユズリハが歩み去っていく気配がしたけど、追おうとは思わなかった。
ここにもう、サクヤはいなくて。
本当はオレも一緒に消えてしまいたい。
だけど、オレがそうする度に、ナチルがこうして傷付くんだろう。
何てヒドいヤツなんだ、あんた。
オレのこと好き勝手に振り回しておいて。
誰よりもあんたのこと好きだって、自覚させておいて。
オレがいるから生きてるなんて言って、勝手に守って、勝手に消えた。
その上、追いかけさせてすらくれないなんて。
膝の上のナチルの頭を撫でながら、その唇から漏れて洞窟に響く弱々しい旋律を聞いていた。
その間も、ユズリハがヘルププログラムに色々と確認しながら、何かを進めていたけど、気にならなかった。
どうでも良い。もう……。
分かってるのは、オレの何より大事なヒトは、もうこの世にいないってことだけだ。
そんな空虚の中にいたから、いつナチルが歌を止めたのか、明確には覚えてない。
気付けば、オレの膝の上でナチルは静かに目を閉じていた。
呼吸はしているので、休んでいるだけだろう。大体、姫巫女となったナチルに、『死』は訪れない。
サクヤと同じで。未来に待つのは消滅だけだ……。
ふと、オレの背後に、黙って立つ気配を感じた。
「カイ――」
ディファイの守る不可視の刃――トラから託された『剣』を抱えて、オレを見下ろす黒い影。
振り返れば、黒猫特有のしなやかな尻尾が、小刻みに揺れていた。
「……サラ?」
どうやら、ヒデトの触手から解放された後、ずっと気を失っていたサラが目を覚ましたらしい。
いつもは感情表現の薄いサラですら、燃え立つような怒りを抱えているのが伝わってきた。
「こんな――みんな、いなくなった。なにがあってこうなった。なぜおまえはだまってそうしてる?」
ぎゅ、と『剣』を握った腕に力がこもってる。
その仕草で、既に答えを推測出来てるなんてことは分かった。
どこまで本人の意識があったのか分からないけど、『操作』されてた時オレも自覚はあったから、きっとサラもそうだったんだろう。
「わざわざオレに言わせるなよ。女王もトラも――サクヤも。守り手を次に譲って消えた。ナチルが今の姫巫女で、あんたが、長老だ」
握り込んだ剣が、ざん、と音を立てて、思い切り地面に突き刺される。
その音で目を開けたナチルが、ぴくり、と耳を動かした。
ゆっくりと顔を上げた紅の瞳が、サラの姿を捉えて、徐々に潤み始める。
「――サラぁ――」
堪え切れずに湧き出したナチルの泣き声を聞いて、サラはこくり、と頷いた。
「まだ」
「……え?」
「まだ、まにあうかもしれない」
オレは2人のやり取りを――もうどうでも良い、なんて――完全に傍観者の視点で見つめていたけど。
力の籠もったサラの声で、意識を呼び覚まされた。
「……サラ? あんた、今、なんて……」
「まだまにあうかもしれない。サラはその可能性にかける」
言いながら、突き刺した剣を握りこめば、みるみる縮んだ刃がサラの使い慣れたナイフの大きさへと変わった。
右手に握ったそのナイフ状の『剣』を、ぶん、と振る。
真っ黒い瞳は、まだ絶望していない。
きらきらと輝いて、真っ直ぐにオレを見た。
その光が、オレの心に突き刺さるような。
「……可能性が、あるって言うのかよ……?」
「ヒデトは先の姫巫女を蘇らせようとしていた。その為にこんな大事を起こした。そんな方法があるなら、サクヤだって女王だって――トラだって」
ぎり、とサラの手の中で、握り込んだナイフの柄が鳴る。
兄から一族の長老を引き継いだ黒猫の娘は、いつものわざとらしい辿々しさをやめて、流暢に言葉を続けた。
「サラは諦めない。あのバカ兄、まだエイジに謝ってない。謝らせるまで諦めない」
「できるのね? サクヤを取り戻せるのね?」
絶望して、呆けて聞いてたオレより、ナチルの方が早かった。
身を起こして、すぐにオレの手を握った。
「ねぇ、カイ!」
「カイ」
興奮したナチルの声と、冷静なサラの声が重なる。
黒赤の瞳に見つめられて、ようやく――希望を持つ、覚悟ができた。
「……やろう」
呟いたオレに応えて、2人が頷く。
そのまま視線をずらして、地面に魔法陣を書いているユズリハとヘルププログラムを見た。
その為には、まずはあいつを――倒さなきゃいけない。
「……うん、座標カンペキ。術式OK。ミコト、転移魔法の制御をお願いできる?」
「登録ユーザ以外からのアクセスには応じかねます」
「あーもうっ! No0305、YUZURIHA。本人認証してっ!」
「スキャニングします――登録ユーザ情報と一致しました。転移魔法のサポートですね、分かりました」
「はい、よろしくね……どうやら、こっちにはサポートなんて求められないみたいだし」
ユズリハの目が、ちらりとオレ達を見た。
その瞳は楽しそうに笑っている。
「あのサクヤが、自分と同胞のことしか考えてなかったヤツが、自分捨ててまで守ってあげたっていうのに……死に急ぐのかい?」
死に急ぐ? それはサクヤ自身のことだろう。
オレは――死んだりしない。死んじゃいけない。
きゅ、とオレのシャツを引っ張るナチルと、オレの胸板を叩いたサラの尻尾の感触で、そんなことを考えた。
オレは死なない。悲しむ人がいるから。
あいつに伝えきれなかったそのことを――教えなきゃいけないから。
あえてユズリハの質問には答えずに、ヘルププログラムと呼ばれる少女を睨みつけながら、質問を質問で返した。
「ソイツを呼び出して、ヒデトはどうやってミコトを蘇らせようとしてたんだよ? まさか、呼び出して終わりじゃないだろ」
マトモな答えが返ってくることなんか期待しちゃいない。隙を探るための質問だったけど、意外にもユズリハは楽しそうに答えを返してきた。
「端末にはそこまで出来なくても、神殿の地下の本体ならそれが出来るんだよね、これが。前回はね、ヒデトは神王官の次に偉い神官に『憑依』して侵入した。僕はそんなヒデトと感覚の『共有』を受けてただけだったから、あんまりややこしいデータは入手できなかった。せいぜい、さっき君らに話したもう1台のハイコンの話を引き出したくらいだよ……あ、後、正統じゃない登録方法、守り手ではない外部ユーザを登録する方法くらいか」
ユズリハがオレに向けて手のひらをかざす。
オレの正面で、サラが頭を低くしてしっぽをぴんと立てた突撃の姿勢を取った。
戦う術を持たないナチルを背中に庇って、オレは剣を握り直す。
「高位の神官には、ヒデトの『操作』や『憑依』は効かない上に見破られやすくてね。まあ、予測だけでものを言うなら、実験をうまく進める為に、ハイコンに深く関わってる存在には力が効きにくく作ってあるんだろうね。単体では守り手達にも効かないけど……君が持ってた黄金竜の宝玉の力を、赤鳥の炎でパワーアップさせて、ようやく何とかなる……くらいかな」
ユズリハの背後のヘルププログラムが、そっと両手を前方に伸ばし、呪文を唱え始めた。
「其は天空を統べる夜の女王
獣の弓、泉の主、祖の紅に従う者よ――」
転移魔法だ――!
足元から広がる黄金の光が、洞窟の地面にラインを引きながら走る。
サラの足元を横切り、オレの足先を掠めた黄金は、洞窟の奥に縮こまる大樹やその下に倒れた白狼の娘までを含んだ、大きな円を――魔法陣を描き始めた。
サクヤがいつも適当に描いてる魔法陣の、原型はこれらしい。
つまりカンペキな魔法を100%の魔力で使う場合には、こうして魔法陣まで形づくられるのだろう。
それが出来ないから、サクヤは先に地面に魔法陣を描いておいて、補助してるのかもしれない。……だとすると、成功率5割とか言ってる失敗の理由は、もしかして雑な魔法陣にあるんじゃないだろうか……と、今更ながら思ったりした。
金色に光る地面を靴先で蹴ったユズリハに、オレは重ねて問う。
「……神殿の地下の本体さえあれば、出来るんだな? サクヤを――」
――女王や、トラを蘇らせることが。
サラが静かに頭を下げて姿勢を低くする。タイミングをはかる、いつもの突撃のポーズだ。
「さあねぇ? 出来るかどうかは自分で確認しなよ。ようやく座標が逆探知できたし、僕らはこれから神殿の地下へ転移する。どちらにせよ、もうすぐ会えるさ――それまで君らがまともな意識を保っていれば、だけどね」
ユズリハの指先が光を帯びる。
詠唱破棄の魔法攻撃が――来る!
「氷結槍」
その指の振られる動きとリンクして、背後に透明な槍が生まれ、オレに向けて真っ直ぐに向かってきた。
無言のサラが、『剣』で槍を叩き落とす。
ユズリハの後ろのヘルププログラムは、淡々と詠唱を続けている。
「――弓引け今宵の主の名の元に
進めよ駒を 純白のモノリス越えて 暁の先へ」
思い返せば、この呪文、オレとサクヤが出会った夜、初めて見た魔法だ。
強大な魔力の満ちる、光の中に浮き上がるように輝く紅。
目の前の青兎の姿は、あの時のサクヤの姿に似すぎてて、胸が苦しい。
それでも、迷っている時間も、呆けている暇もない。
輝きの増す地面を蹴って、オレはユズリハへ向けて剣を振りかぶった。
刃が当たる嫌な感触とともに、狙っていたユズリハの右腕が吹っ飛ぶ。
だけど、そんなことは大したことでもなさそうに、鼻で笑う声がした。
「爆散陣!」
切り落とされた右腕の付け根から、新しい腕が生えてくるのと、背後のサラの足元に赤い魔法陣が生まれるのが同時だった。
「サラ!」
思わず呼んだオレに、即答でサラが応える。
「死なないから良い!」
「いくないわよ、ど変態! ――聖防御障壁!」
伸び上がったナチルの小さな身体が、サラと自分を包むように青い光の壁を作り出す。
壁を挟んだ外側でユズリハの放った魔法が弾けて、爆風の強さにオレは額に手をかざす。
「ふーん、新しい姫巫女はなかなかパワーがあるね。僕の魔法を完全に弾くとは……まあ、『剣』が隣にあるのも一因なのかな」
ユズリハは余裕の笑みを浮かべながら、再びオレに指先を向ける。
「僕は君らの生死なんてどうでも良いんだけど……狙いが同じなら戦うしかないな。僕は、アレを100%の力で動かしたいだけなのになぁ。アレにはね、この実験場の外の情報も入っているんだ――外へと逃げた科学者達の情報がね! まあ、だからこそ、ヒデトともいつか決別することになるとは思ってたけどさぁ……あっちが勝手に自滅してくれてありがたかったよ――守り手って不便だなぁ! 火焔珠!」
オレに向けて投げ込まれた炎の塊を、身を捻って避けた。
ユズリハは守り手じゃない、だから誓約を使って消滅させることは出来ない。
「あ、気付いた? ちなみに僕には君らを消滅させることが出来るんだよ? 特にそっちのちびっ子2人は簡単だよね。第2誓約があるから」
「っぎゃー!? キモいのよ、このロリコンがぁ!」
叫んだナチルが、展開していた魔法壁を消して、両の手のひらをオレとユズリハへ向けて構えた。
「もうキモい! まとめて吹き飛んじゃえ! 見よう見まねの――月焔龍咆哮!」
白い光の渦が、その手のひらの前に生まれる。
真っ直ぐに、こちらに迫ってくる光が眩しい。
「っげ!? このバカ! オレも巻き込まれるだろ!」
「避けなさいよ、変態!」
「えぇ……? こんな夫婦漫才には付き合いきれないよ、僕……」
「誰が――」
「――夫婦漫才よ!」
ごうごうと音を立てて目の前まで届きそうになっている光の向こうから、ヘルププログラムの声がそっと呪文を唱え終えた。
「その身に閉じよ、黄金の夜よ――聖転移魔法」
完成した魔法陣の光と、ナチルの魔法の光が一緒くたになって、眩しさのあまりオレは避けることも考えられずに目を閉じた――
2016/07/15 初回投稿