4 だから、さよなら
【前回までのあらすじ】古代人達の楽園計画によって作られたハイパーコンピュータ。獣人を導くはずのそれは破壊されていて、残った神殿のヘルププログラムが、オレ達の前に顕現した。ヘルププログラムは獣人の長達の記録を取る為だけにここにいる。記録取得時間を伸ばすには、サクヤも代替わりさせれば良いなんて――ユズリハの命に従うサクヤを、オレはどうすれば……?
「――サクヤ! 何言ってんだ、あんた!」
叫んだオレを、ユズリハがちらりと見る。
オレの手が剣の柄にかかってることに気付いて、肩を竦めた。
「うわあ、やっぱ邪魔。さっきちゃんと殺しておけば良かったかなぁ……や、むしろ今からでも――」
「ユズリハ。ソレは今は関係ないだろ。俺が大人しく記録取得時間を伸ばせば満足なんじゃないのか?」
言いながら、前に出てユズリハに近づこうとするサクヤを、背後に押し止めるようにオレは片手を伸ばした。
「バカ、行くなよ! あんた本当に滅茶苦茶だ。そんなことしたら消えちゃうって分かってるんだろ!? あいつの言うことなんか聞かなくて良い! 今すぐオレがぶっ殺――もが!?」
言いかけた言葉は途中で止められた。
背後から回ってきた細い指が、オレの口を押さえてる。
耳元に囁くように、不機嫌な声が響いた。
「不用意なことを言うな。お前はもう、炎の継承者なんだから」
その言葉で、さっきツバサから赤鳥の騎士を継承したことを思い出した。
あの熱いものの流れ込んでくる感触――多分、アレが継承したってことなんだよな?
ってことはつまり、オレも第一誓約に気を付けて発言しなきゃいけないってことだ。
サクヤは、それを注意してくれてるらしい。
だけど――そんなことより、あんたが――
混乱するオレの耳に、くすくすと笑う声が聞こえた。
再びそちらに視線を戻して、睨みつける。
「うっわぁ怖い。ねぇ僕が大人しくしてたとしても、彼にはそのつもりはないみたいだけど。僕だって向かって来られれば、ハエは追い払わないとねぇ」
嘲笑じみたユズリハの声。
そうだ、ユズリハはハイコンから得た力で、獣人の長達みたく死なない身体を持ってる。
だけど長を継承してるワケじゃないから、ユズリハには誓約はない。誓約を破って消えたヒデトの二の舞を演じることはない。
そんなヤツをどうやって倒せば良いんだ……。弱点もない不死身の存在なんて……例え斬りかかったって時間稼ぎにしかなんないかも。
それでも、黙って見てるなんて出来なかった。
サクヤが消えてしまうのを許すなんて。
何とかならないかと思って――具体的にはこれまであれだけ使える武器だった『精神操作』が出来ないかと思って――自分の中を探ったけど、やっぱり黄金竜の力はきれいさっぱり消え失せてしまってた。
封じ込めた後も、ずっとどこかに気配だけは感じていたノゾミの姿さえ、見付けられなかった。
ノゾミは黄金竜の力でオレの中にいたんだから、それがなくなって、消滅しちゃったんだろうか……?
や、今はノゾミのことなんかどうでも良い。
それよりも何か――サクヤを助けられるような……!
何も思い付かないのに、何かをしなきゃいけないって焦燥感だけに急かされる。
ナチルが怯えてオレの腰にしがみついているのを、乱暴に引き剥がしてオレは剣を抜いた。
「誓約なんか知るもんか! オレは、あんたが――」
「カイ、止めろ! 言うこと聞かないなら――」
そっとサクヤの手がオレの背中に当てられて。
「――雷撃槍」
ばつんっ、と一息に背中から貫かれる。
ゼロ距離で、ヒドい雷撃を受けた。
「――っぐぁ!?」
「きゃあ!? カイ!?」
ナチルの悲鳴を聞きながら、地面に膝から崩れ落ちる。
息が詰まって、自分自身は悲鳴も上げられない。衝撃で肺が止まったようにさえ感じる。
無言でうずくまるオレの頭上へ、呆れた声が放られた。
「またそれ? もういっそ殺しちゃった方が楽そうなのになぁ」
ぼやくユズリハに、サクヤが小さく笑い返す声が聞こえる。
「お前は理解していないのかも知れないが……カイが生きてここにいるから、俺はお前の言うことを聞いてるんだ。それを忘れるな」
「ん? 君はそこにいる小っちゃな同胞を守るために、僕の言うことを聞くと誓ったんじゃなかったっけ?」
ユズリハの不思議そうな声に、ナチルが息を呑んだ。
サクヤの低い声が落ち着いて答える。
「俺だって伊達に150年も姫巫女をやってる訳じゃない。お前の言うことを聞きながら、お前に逆らう術は幾らでも思い付く。例えば――さっきの命令、ここから転移して、どこかでひっそりと代替わりすることにしようか。そうすれば同じ消えるにしても、お前に目にもの見せてやれるけれど」
「……確かに、それはちょっと困るかもね」
「お前の言葉には隙が多い。だから、そこを突いてお前の邪魔することもできる。それでも、俺がこうして従ってるのは、ここにカイがいるからだ。一族とカイと……両方を守ることは出来ない。お前はそれを良く理解して、切り札は最後まで取っておけ」
のたうち回る衝撃の中で、ただ。
ずいぶん優しい声をしている、と思った。
きっと、語りかけられてるユズリハに対する優しさじゃない。
それは、オレの。残されるオレの為の――
「ふーん……君の一番は同胞だって思ってたんだけどねぇ」
「そうだよ、それは今も変わらない。俺は常に同胞を最優先に動く。だけど、そんな俺のことを、一番に見てくれてたのは……カイなんだ」
さっきの電撃のせいで、涙が勝手にぼろぼろ溢れて、前が見えない。
立ち上がりたいのに、膝が笑って力が入らなくて。
ただ這いつくばって呻くオレの頭を、さらり、と細い指が撫でた。
――サクヤ!
サクヤ、サクヤ――ああ、ようやく気付いた。
王家の森で、何でサクヤはいつも同胞の為に自分を投げ出すのかって、腹立たしかった。
あんた自身の幸福なんていつも二の次なのかって。
――だけどサクヤが本当に守りたかったのは、ナチルだけじゃなかったんだ。
オレが、あそこにいたから。
全てを早く終わらせる為。誰も巻き込まない為に。
サクヤにとっては、オレだって守る対象になってたんだ――あの時も、今も!
頭上で、ナチルが鼻を啜る音が聞こえる。
「ねぇ、サクヤ、本当に姫巫女やめちゃうの? そんなことしたら、サクヤが……」
「ごめんな、ナチル。お前には苦労をかけるけど……一族と、カイを頼む」
嫌だ、頼む、やめてくれ。
どうでも良い、どうでも良いんだ、オレは。
もうオレのことも、同胞のことも。
どうでも良い。
あんたが生きてさえいれば、それで――
「カイを、守れば良いのね?」
「ごめん……もしかしたら、こうしてカイのことを気にかける俺は、もう姫巫女にふさわしくないのかも知れない。一族じゃない、別の誰かの為に生きてるなんて……だけど、同胞達の生命を背負ったまま、諸共に消える訳にはいかない。だから」
ふわり、とオレの頬に魔力の風が当たる。
その優しい感触に、嗅ぎ慣れた南国の果物の匂いが混じってた。
「……だから、さよならだ」
別れの挨拶を最後の言葉に、サクヤはその――決定的な呪文を紡ぎ始める。
「我が主、時の鎖の囚われ人よ――汝に仕える新しき姫巫女を祝福せよ」
止めろ、止めろ止めろ止めろ!
サクヤの一言ずつが、甘く響いて耳に届く。
バチバチと鳴る火花の音さえも。
聞いていたい、一音もあまさずに。
聞きたくない、これが最後だなんて――
「泉の守り手をここに、主に捧げる――」
ぶわっ、と一気に風が吹き上げた。
髪が乱れて前が見づらい、でも。
ようやく動かせるようになった腕を地面に突いて、頭を起こす。
「さ、クヤ――」
まだがくがくと震える肩を叱咤して、地面から身体を離す。
目の前で、ナチルの額に自分の額をつけて、目を閉じていたサクヤの瞼が開いた。
ちらりとこちらを見た紅の瞳が――少しだけ、微笑んで。
直後に全てが弾けるように、きらきらと輝く粒子になって、消えた――
「サクヤぁ――!」
必死に伸ばしたオレの手を遮るように、少女の姿がオレの前に立つ。
突き出した小さな手のひらに、宙を舞う粒子が吸い込まれていく。
「ユーザNo0299、SAKUYAの消失を確認。新規ユーザ登録、No0313、NACHIRU。ユーザ要求に従って、No0299、SAKUYAの外見を採用します」
多分、予め決められていたのだろうその言葉を、囁いた。
途端に、光に包まれた少女の姿が――サクヤの姿へと変わった。
「……ナチル。引き継ぎを――」
薄っすらと微笑むその姿。
輝かしい金の髪、紺碧の瞳。
たった今目の前から消えた、オレが愛する、その。
ナチルに向けて伸ばす手を、飛びかかるようにしてオレは払い除けた。
「――っざけんなぁ!」
「カイ……っ!」
状況を理解できず、差し出された手をおずおずと取ろうとしていたナチルが、オレの気勢に怯えて叫ぶ。
だけどそれを優しくフォローすることなんて、到底できなかった。
さっきこのヘルププログラムの姿を見たヒデトが、何故あんなに苛立ったか、多分、今のオレが一番理解してると思う。
たった1つの目的だけを追いかけてきたヒデトが、何であんな簡単に、心乱されたか。
――コレ、は、サクヤじゃない。
サクヤの記憶を勝手に使う、サクヤじゃないもの。
サクヤじゃないのに――サクヤのフリをするニセモノ!
胸にしまってるあいつの思い出さえ切り刻まれるような……痛みと苛立ちで、オレは流れる涙を拭うのも忘れて、ソレ、を睨み付けた。
不満げに、こくり、と首を傾げてオレを見上げる姿も――まるで本物のようで。
だけど、違う。絶対に違う。
「カイ……俺の邪魔をしないでくれ」
囁く声も、本物と違わず。
だけど――
ヒデトはきっとこの二律背反に、耐えきれなかったんだ。
ニセモノだと怒りながら、どこかで本物であって欲しいと願う。
この、逆方向の祈り。
守り手の第一誓約は、客観的な事実を判断していない。発言者の主観のみによってる。ならば。
自分が嘘だと思ってしまえば、それで終わるのだろう。
「あんたは――」
オレは。
「あんたは、サクヤじゃ、ない」
オレは、はっきりと。
最後まで言い切った。
消滅の痛みは訪れなかった。
言い切れたのは、愛情の差なんかじゃない。
ただ、ついさっき消えたばかりの面影がひどく鮮明だったから。
それに。
あいつは、自分のニセモノなんて決して許さないだろうって、信じられたから。
ニセモノは首を傾げたまま、眉をひそめて口を開く。
「俺は――No0299、SAKUYAの記憶により――」
「あんたはサクヤじゃない! ――今すぐ、その姿を止めろ!」
全身全霊で叫び倒した瞬間に、再び輝きに包まれたその姿が、光を失った時には元の少女の姿に戻っていた。
「ヒデトと違って、迷わないのですね……。No0312、KAIの要求を採用し、外見を旧世代の記録へ戻しましょう」
はあはあと肩で息をするオレを、後ろから近付いてきたユズリハが押し退けた。
「もう、無駄な時間使わないでよね。ヘルププログラム――って呼ぶのも面倒臭いなぁ。ミコト、記録取得残り時間は何分?」
「登録ユーザ以外からのアクセスには応じかねます」
途端に表情の消えたミコトの顔に、オレは背筋をぞくりと震わせる。
良かった。
もしも、サクヤの姿でこれをやられてたら、発狂したかもしれない。
それくらい人間味のない姿。
「はあ!? ……やっぱ、むりくり押し込んだ登録じゃあ、正統な継承者とはちょっと扱いが違うのかなぁ。No0305、YUZURIHA。本人認証よろしく」
文句を言いながらも、ユズリハはさっきと同じ手続きを繰り返す。
頻繁にユーザ認証が必要なのは、本人が言った通り、あいつが正統な守り手じゃないからだろう。
ヒデトが精神体になって、中央神殿に忍び込んだときに、簡易登録とか仮登録とか何かそういう裏技で登録したんだと思う。
「スキャニングします――登録ユーザ情報と一致しました。はい、残り36分12秒、コンマ以下省略で私は本体位置へ帰還します」
「よし、それだけあればイケるか! じゃあ、急いで準備しよう」
「……待てよ」
駆け出そうとするユズリハの前方に立ち、オレは地面から拾い直した剣を突きつけた。
まるで不思議なものに出会ったみたいに、ユズリハは両目を見開いてオレを見る。
「え? 何? 何か用?」
「あんた……このまま無事に目的果たせると思ってんのか! 何やりたいのか知らねーけど、ヒデトもあんたも、ヒトの生命も人生も気持ちも、何でもかんでもぐちゃぐちゃに踏みにじっといて……」
言いながら、本当は、もう何もかもどうでも良かった。
怒って見せてるのも、ケンカ売ってるのも、オレの表面――皮1枚だけみたい。
もっと内側の全部はむしろ、何にもなくなって、すかーんとしてた。
きっとオレの全部、サクヤと一緒にどっか消えちゃったんだ。
だってほら……もう、涙さえも出てこない。
ユズリハにひねり潰されて死ぬでも、誓約を破って消えるでも何でも良い。
サクヤを消滅させたこいつに仇討ちとかすれば良いんだろうけど、心の奥では、そんなもの求めてない。
だけど、何かしてなきゃ立ってることすら出来なさそうな気がして、八つ当たり――でもないんだろうけど、とにかく目の前のユズリハに剣を向けた。
そんなオレの胸の中を完全に見切ったように、ユズリハは苦笑する。
「君さあ、そんな状態で剣振ったって無駄だよ。僕が何の力も持ってなかったとしても、そんな気合の入ってない剣、当たらないし。ましてや――今の僕には剣なんて効かないよ」
ごぅ、と風が鳴る。
ユズリハの差し出す手のひらに、集まってきたその力。
「――氷結槍!」
真っ直ぐにこっちを目指して飛来する透明な槍を、オレは、もう避ける気もなかった。
ぼんやりと、迫る刃を見ていると――
「――カイっ!」
叫んだナチルが、横からオレを押す。
オレには、その小さな身体が、槍に貫かれてボロクズのように吹っ飛ぶのを、ただ見ているしかなかった――
2016/07/12 初回投稿