2 誓約
【前回までのあらすじ】連れ去られたサクヤを追って入った青兎の泉には、ヒデトの力で操られている守り手と神の欠片が集まっていた。
「サクヤがいないと、ダメなんだ……」
自分でも喋っている自覚もなく、勝手に口から溢れる言葉。
オレも操られていて本音を言わされているのか、それとも。
意識しなくても勝手に出てくる、それだけがオレの真実なのか。
「そうかよ……」
ヒデトが、変な風に顔を歪めた。
引き攣った声は笑っているような、泣いているような……。
「なら、良いぜ。最期まで見せてやろう。丁度1人足りなかったとこだ。相手の格は天地の差だが、お前の気持ちだけ見てりゃ、何か分かるような気がしてきちまったしな……」
ぞわり、と空気が――黄金竜の魔術師の強大な力が、蠢き始めた。
何をする気だ――?
つぃ、と手招きしたヒデトの方へと、オレの身体が勝手に歩く。
外から支配権握られるって、ノゾミに乗っ取られてた時以上にキモチワルイ。
ギシギシと軋む鎖で雁字搦めにされて、引き回されるような感触。必死で身体を止めようとするけど、オレの意思に全く従わない身体。舌打ち1つ出来やしない。
一歩一歩、確実にヒデトへと近付いていくオレの反対側から、ツバサが近寄ってきた。
「……ボクはお兄ちゃんだから。ボクの方が偉いから。ボクが赤鳥の騎士になるべきだから。だってボクはお兄ちゃんだから……」
ぶつぶつと口の中で呟いている。
だけど、正面から近付いてるのに全く目が合わない。
ツバサの異様な状態に背筋がぞくぞくする。
オレの恐れに気付いたヒデトが、苦笑いしながら触手を赤鳥の騎士と直結させようとした。
嫌だ――そんなの見たくない――!
抵抗するオレの心をねじ伏せて、ツバサの記憶が打ち込まれた。
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「お兄ちゃんには、騎士は向いてないよ」
笑う弟の顔は、清々しい。
前代の赤鳥の騎士――僕達の曽祖父の兄――曾祖伯父が、次代を指名した。
年齢からしても、血縁に次代を譲る赤鳥のやり方からしても、僕か弟か、どちらかになると思っていた。
いや、正確に言えば――僕が。
曾祖伯父は悩んだらしい。
決め手は、父の推薦の一言だったと言う。
新しい騎士は弟に決まった。
「お兄ちゃんは、騎士なんてならない方が良い……」
透き通るようなカケルの笑顔が、憎らしい。
何もかも、僕の方が優れていたはずだ。
炎を上手に操れるのも、空を早く翔るのも。
繰り返すニンゲンとの戦いで、皆を率いて前に立った経験だって。
この前の戦で、砦を守りきったのは僕だった。
一族の被害も少なく済んで、僕の知恵に皆、驚嘆していたじゃないか。
それなのに、なぜ。
僕の方が優れているのに――
「赤鳥の騎士は、名誉職でもなんでもないよ。お兄ちゃんには普通の一生を送って……幸せに暮らして欲しい」
僕から視線を逸らしたカケルが、名を呼ばれて前へ出る。
前代の騎士から炎を与えられるその儀式を。
僕は、列の後ろの方でただじっと弟を見ていた。
「我が主、時の鎖の囚われ人よ――汝に仕える新しき騎士を祝福せよ」
目を伏せ、静かに炎を受け容れる弟を。
なぜ。
なぜ。
なぜ、弟が選ばれて、僕が選ばれなかった――!?
「ご不満なら、やり直そうじゃないか……」
ぼそり、と背後で呟く声が聞こえた。
一族の誰とも似つかない掠れた声。
振り返れば、我らとは違う、羽を持たぬ地を這うイキモノ。
ニンゲンがこの地へ踏み入っている――?
「お前が弟に劣っている訳ではないと、世界に示してやれ。俺の言葉に従えば、お前を確かに赤鳥の騎士にしてやろう――」
一族の赤い瞳とは違う、もっと昏い闇のような眼が。
僕を、ひたりと見据えた――
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流れ込んできた感情に、息苦しくなった。
優越感と劣等感が交差する瞬間に、今記憶の中で聞いたと同じ声が、オレの肩に手を置く。
「案外お前の方が分かってるかもな。守り手の資格、なぜ兄が選ばれず、弟が選ばれたか――」
掠れた声が、囁く。
オレの口からは、止めようもなくその答えが漏れた。
「第三誓約――同胞を愛してる、から……」
きっとそれが、最も重要な資格なんだ。
己よりも深く、同胞を愛せること。
それが出来る者こそが、守り手として永く一族を導くことが出来る。
「そうさ。誠実であること、清らかであること、そして他者を愛せること。それが、守り手に求められる資格だ。こいつよりも弟の方が相応しい。だから選ばれなかった。そんな簡単なことが、分かりもしねぇ……そんなヤツが守り手になれば、一族は消え失せるしかないだろうさ」
虎獣人族の顔をしたヒデトが、そっとオレの背中からツバサを指差す。
弟への呪詛を吐き続けるツバサを嘲笑いながら。
「あんたには分かってたんだろ――何で止めてやらなかった! あんたらは仲間じゃないのか!?」
「仲間? 言っただろう。俺が本当に同胞だと思えるのはたった1人だけだって。他は全部、俺の役に立つか立たないかだけだ。さあ……分かったらお前も、俺の為にその身体を捧げてもらうぞ」
ぐぃ、と背中を押されて、ツバサの正面に膝を突かされた。
上から光と熱が――赤鳥の炎が近付いてきて、肌がちりちりと痛む。
顔を上げたいのに、オレの身体は言うことを聞かない。
甲高いツバサの声が、無感情に囁いた。
「我が主、時の鎖の囚われ人よ――」
――その呪文には、覚えがあった。
いつか黄金竜の力で見たサクヤの記憶。
たった今、ツバサの記憶で弟が受けた儀式。
つまりそれは、守り手が次代へと継ぐ時の呪文!
オレに何をさせようとしてるんだ!?
焦る心で鎖が少しだけ緩んで、今まで伏せていた視線をちらりと上げることが出来た。
ツバサの向こうに立っているのは、獣人の長達――女王とトラだ。
女王の前に跪く白狼の娘。
トラの前で頭を垂れているサラの長い髪。
女王とトラの声が重なって、同じ言葉を唱和する。
「我が主、時の鎖の囚われ人よ――」
獣人の長達が、守り手を譲ろうとしている――!
そんなことしたら、2人とも消えちゃうじゃないか!
女王とトラが――いや、もしかしたら今この時、オレの視線の外でサクヤも同じように――!?
暴れまわって止めたいのに、黄金竜の力が軋むだけで、身体は全然動かない。
中身だけが焦るオレの頭越しに、ヒデトが、遠くに――ユズリハに向けて尋ねる声が降ってきた。
「とりあえず、3人で良いんだな?」
「僕の計算では、魂が3つあればじゅうぶんに後を追う時間ができる。5つの神の欠片が集まってるんだから、確実に逆探知して追跡できるよ、どこまでだって。所詮ヘルププログラムには、君の望みを叶える程の力はないだろうから、本体の元まで辿り着かなきゃ。後は君がタイミングを逃したりしないことを願うだけだよ」
「言ってろ。この為に150年以上も生きてきたんだ……逃すもんか。お前こそミスるなよ」
「誰にモノを言ってるの」
ふ、と吐いた息が途切れた。
2人の会話、ところどころ意味が分からないけど。
魂が3つって――まさか!?
ツバサと、トラと女王……!
サクヤが無事であることに一瞬、安堵したけれど、よく考えたら全然安心じゃない。
何故一番手駒として有用なツバサをここで使って、サクヤを残した? サクヤにこの後何をさせる気だ――
真上からツバサと――前方から女王とトラの声が聞こえてくる。
「汝に仕える新しき騎士/女王/長老を祝福せよ」
重なった瞬間に、オレの頭上の炎が一際強く燃え盛った。
熱さと眩しさで、瞼を閉じようとするけど、それすら許されなくて。
「炎/大樹/剣の守り手をここに、主に捧げる――」
痛い、熱い、熱い熱い! トラ! 女王――!
洞窟の中、黄金竜の宝玉の――いや、炎も泉も剣も大樹も全て絡まった、力の渦としか言えないような轟々と鳴る奔流が蠢いた。
オレの額に、炎を纏ったツバサの手が当てられて、その熱さに息が止まる。
確かに流れ込んでくる熱で、絶対に死ぬと思ったけど――肌の焦げる感じはしない。
ただ熱くて苦しい。
この熱が――譲られようとしてる、赤鳥の炎なのか?
正直、このまま死ぬかと思った。
うっかり意識を手放しそうになった時に、胸の奥を突き上げるように、声が聞こえてきた。
(ふざけんなよ! やられっぱなしか!?)
(――あんた、この大事なとこで気絶なんかするつもりかよ)
(言っただろう! 今度呼んだりしたら、この身体貰うって――!)
恨めしそうなもう1人のオレの声に励まされて(脅されて?)、途切れかけた意識を何とか保つ。
もしもオレがただのニンゲンだったら、きっとここであっさり気を失ってたに違いない。
この継承の儀、獣人の肉体があって初めて正しく成立するんだ。だからきっと、サクヤの時はきちんとした引き継ぎが出来てないんだ。
ノゾミがいてくれて、助かった――
苦しくて身悶えしてるオレの額から、ツバサの手の感触が少しずつ薄れていく。
離れたんじゃない、本当に――少しずつ存在が霞んでいく感じ。
そしてそれと同時に、前方に何か――今までこの空間にはなかった強烈な圧迫感が――
「――来た。ヒデト、ミスらないでよ」
「分かってるっつーの」
身構えるヒデトとユズリハが囁き合う。
2人の先、守り手を継承したサラとサクラが、ゆっくりと地面に伏せていく。
その姿を愛しげに見下ろして、そして。
オレの方をちらりと見た女王とトラの身体が、薄れながらちりちりと光の粒子になって空中に溶けていく。
どこか微笑んでるように見える女王と、悔しげに唇を引き結んだトラの――!
オレは、額から流し入れられた熱い炎に、身体を灼かれながらも、新たに出現しようとしている何かに気を取られている。
半分消えかけて、向こうの透けているツバサの背後。
輝く何かが生まれようとしている。
集まってくる光というエネルギを固めて、1つの姿を取りつつある。
「さあ、女神のお出ましだよ……」
「お前、見たかったんだろう? 最期までは連れてってやるから、一緒に見ろ」
背後で、ヒデトが呟く声が聞こえた。
強制的に伏せられていたオレの頭が、触手から流れてくる命令によって、また無理やり上げさせられる。
目の前に集まってくる光を、真っ直ぐに見据えた。
消えていく守り手達の身体が――弾けるように、輝く粒子に変わった。
その光を吸い込むように、手をかざした影が徐々にオレの正面に生まれ始めてる。
ユズリハが『女神』と呼んだ存在が、肉を持つ身体としてそこに顕現しようとしていた。
「ああ! これを待ってたんだ――!」
ユズリハの歓声。
白い光がゆっくりと輝きを落ち着かせて、中から、少女が1人姿を現す。
頭上には白く長い耳、地に付くほど長い白銀の髪。
整った顔立ちは愛らしい。
薄れてきた光の中から、ようやく見えた『女神』の姿は。
「――ミコト……?」
囁いたのは、ヒデトだった。
ヒデトの声に応えるように、光から生まれた少女が、瞼を開けた。
自ら光を湛えるような、その瞳は紅――
背後で、ごくり、と息を呑む音が聞こえる。
その瞬間に、縛られていた触手が解けて、オレの身体は自由を取り戻した。
慌てて立ち上がり背後を伺えば、呆けたように少女の姿を見つめているヒデトの姿があった。
少女は鈴を転がすような声で、無機質な数字を吐き出す。
「ユーザNo0287、RIN。No0302、TORA。No0309、TSUBASAの消失を確認。新規ユーザ登録、No0310、SAKURA。No0311、SARA。No0312、KAI。複数ユーザの要求より、最も要求回数の多いユーザHIDETOに従い、本ヘルププログラムはNo0232、MIKOTOの外見を採用します――」
紅の瞳が一度そっと伏せられて、再び上げられた時に、ようやくニンゲンらしい言葉がその唇から漏れた。
「……役目を終えた守り手達よ。よくぞ、長き艱難辛苦を耐え抜き、一族を導きましたね。この先は私と共に、永遠の眠りの中、同胞達の輝かしい未来を見守りましょう――」
「――やめろ!」
謳うような少女の声を止めたのは、オレの背後に立ち竦んでいたヒデトだ。
乱暴な歩みでオレの隣を通り過ぎ、少女へと近付いていく。
黙って見ているオレは――その少女の姿に、覚えがあった。
一度だけ、サクヤの記憶で見たその姿は。
泉に仕える神聖なる――サクヤに姫巫女を譲った、先の姫巫女そのヒトだった。
「ミコトの姿を騙るのは止めろ!」
腕を振ったヒデトの指先から、蔓のように伸びる触手が少女へと迫る。
悪意を持って放たれたその精神の塊を、少女は無感情に掲げた指先で、止めた。
「――何だと!?」
あっさりと自分の攻撃を無力化されたヒデトが、驚きの声を上げる。
少女の後ろでユズリハが、「うわぁ」と呟きながら頭を抱えた。
「あっちゃあ、これは、計算ミスったかも……。待ってね、前回の赤鳥の騎士の代替わりの時に迎えに来た女神のエネルギを100とした時の、今回は3つあるから単純に300なんかじゃなくて、それぞれの欠片が1.68倍に増幅し合ってるから累乗して、抵抗の値を減算して……」
地面に木の枝で何やら計算式を書いている。
計算に没頭し始めたユズリハの意識が、サクヤから外れる。
それを切欠に、オレ同様触手から解放されていたサクヤの瞳が、明確に意思を持ってオレを見た。
傍でがくがくと震えているナチルの身体を抱き寄せて、オレを見つめてる。
そんなサクヤを、放ってはおけなかった。オレは一気に2人に駆け寄って、ナチルごとサクヤの身体を抱き締めた。
オレとサクヤに挟まれたナチルが奇声を上げる。
「――むぎゃあ!?」
「……ばか。来るなと言ったのに……」
オレは気にせずに、サクヤの頭を自分の胸元に引き付ける。
「あんたを1人で放っておけるワケないだろ……」
「――い、痛いいたいいたいいたいっ! 何このらぶらぶサンドイッチ!? 圧死しちゃうでしょ、変態っ!」
オレの腹辺りでもがいてるナチルに、がしっ、と足の甲を踏まれた。
いつも地面を高らかにしたーん! て鳴らしてるその脚力で踏みこまれれば、さすがに痛い。
「……痛ぇよ」
「あなたが先にやったのよ!」
サクヤから離れたオレの腹の横からずるりと身体を抜き出して、がしがしと自分の顔を両手でこすりながら、ナチルは足を鳴らした。
「もう! いちゃいちゃすんなら、私のいないとこでやってよね! 変態!」
「おま……オレ別にいちゃいちゃしてるワケじゃ……」
「いちゃいちゃしてる訳じゃないとか言ったら、かじるわよ!」
色々と言いたいこともあったけど、とりあえず大人しく黙ることにする。かじられるのは勘弁してほしい。
サクヤに仲裁を頼もうとして顔をあげたら、その眼が、地面に数式を書き続けるユズリハの向こう、対峙する少女とヒデトをじっと見ていた。
「……サクヤ」
「何故、前の姫巫女がここにいる……?」
2人から視線を外さないまま、囁く。
同族のサクヤがそう言うなら、間違いないのだろう。
あの少女はやはり、先の姫巫女の姿なんだ。
ヒデトの狙いはこれ――自分が愛した姫巫女を呼び出すこと――なのかと思ったけど、それにしてはヒデトとユズリハの様子はおかしい。
「……今すぐ、その形を止めろ。ミコトの姿を穢すな」
憎しみさえ含んだ視線で、先の姫巫女を睨み付けている。
少女は表情を変えないまま、こくり、と首を傾げた。
「これは私の姿、私の身体。ヒデトは相変わらず無茶なことを言うのです」
愛らしい唇から自分の名前が漏れた瞬間に、ヒデトは苦しそうに眉を寄せる。
「……嘘だ」
「嘘ではないのよ。ヒデト」
「嘘だ――お前が、ミコトな訳がない――」
「泉の洞窟……懐かしいわね、ヒデト。同胞達に見られないように会うには、ここしかなかった」
唇の端を引き上げた少女の指先が、泉の淵に突き出た岩を指す。
「あそこが、あなたはお気に入りだったわ……」
「――嘘だ! お前はミコトじゃねぇ――!」
叫ぶと同時に、先ほどよりも数を増したヒデトの触手が、びりびりと空気を震わせながら少女に迫る。
少女は、それを落ち着いて見やりながら。
今度は指先1つ動かさずに、そっと囁いた。
「嘘ではないの。私達はそういう存在だと知っている癖に……残念ながら、あなたの言葉こそ――嘘をついているわよ」
びしり、とヒデトの――虎獣人の娘の身体が動きを止める。
それと同時に、オレの胸の奥から、誰のモノとも知れない悲鳴が聞こえてきた――
2016/07/05 初回投稿
2018/03/11 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更